十三話:たき火を囲んで穏やかに
アリアと交代したクレイは小屋の外の見張り場についた。
たき火の周りには夜に洗濯されたサブローの服が置かれてある。
もう乾いているためクレイはきちんと畳んで、汚れないように布を敷いてその上に置いた。
それにしても一人で夜の闇の中に取り残されるのは怖い。
狩りで野宿をする経験の多いアリアや、族長に連れられて旅に出ることが多かったフィリシアはともかく、クレイたちは滅多に里の外に出ることはなかった。
活発なアレスや賢いエリックなら将来、外で仕事をすることもあるかもしれない。
だがそんな友人と違ってのんびりしている自分は、里で家業を手伝って過ごすものだとずっと思っていた。
そんな平和な日常は理不尽に奪われ、ふとした時に不安が蘇る。
昼間はみんなや、基本的に騒がしい魔人がいるためこんなことはない。
むしろ悲惨な目に遭っているのに楽しく感じることだってあるのだが、一人ではそうはいかない。
寝入る前がクレイは一番怖くなっていた。
「クレイさん?」
「うわっ、うわーなんだな! ……サ、サブローさん?」
絶妙なタイミングで声をかけられたため心臓が大きく跳ね上がったが、クレイは声の主の姿を確認して安堵のため息をついた。
魔人を見て安心するなんて、少し前の自分が知ったらどう思うか。
「驚かせてすみません。ここからは僕が引き受けますから、休んでもらって構いませんよ」
「……いや、ちゃんと交代時間までいるんだな。それよりサブローさんの方こそ、もう動けるようになったんだな」
「ちゃんと時間は経ちましたからね」
そう笑うサブローが寝たときはちょっとした騒ぎが起きた。
横になった途端に彼は死んだように身じろぎ一つせず眠ったからだ。
寝息を確認するまでフィリシアが青い顔をしていたのは記憶に新しい。
「けど毎回寝るたびに死んだような状態になるのは勘弁してほしいんだな」
「あー大丈夫ですよ。細かく寝ていればああはなりませんから」
「……やっぱり無理をしたんだな」
クレイが半眼で見つめると、サブローは一気に困った顔になった。
この魔人はさりげなく無茶をする。伝承にあることを抜きにしても、ここまで人が好いとは思っていなかった。
「サブローさんはどうしてそこまで、ぼくたちのことに一生懸命なんだな?」
「フィリシアさんたちに命を助けてもらいましたからね。命への恩は命で報いるべきです。まあそれに、困っている子どもたちを放っておくなんて真似をしたら、兄さんに軽蔑されますからね」
「兄さん? いたんだな。いつも弟や妹の話をするからてっきり……」
「施設で年長だったわけではありませんからね。初対面の僕に『俺がお前の兄だ』なんていう馴れ馴れしい人でしたよ」
懐かしむ姿を見て、クレイはサブローの性格は確実にその兄譲りだと確信した。
やたら距離感が近い理由がわかって納得しかない。
「兄か……ぼくの兄さんは王国軍を足止めするために戦いに行ったんだな。戦いなんて嫌いな人なのに、まったく迷わなかったんだな」
「……勇敢で立派な人です」
「ぼくとしては臆病でいいから、逃げて生きて欲しかったんだな。生きていればきっと、サブローさんとも気が合ったんだな」
クレイはもう会えない兄のことを想う。
大きな背中で家族を大事にし、口数は少ないが弟の自分を見守ってくれた。
偏見もあまり持たない人なので、魔人だからと言ってサブローを厭うこともなかっただろう。
会ってその日のうちに仲良くしている姿が目に浮かぶ。
「お兄さんのお話、うかがってもよろしいですか?」
「サブローさん、ありがとうなんだな」
クレイはサブローに大事な兄の話をする。
誰かがそばにいるおかげで、今夜の闇は怖くなかった。
◆◆◆
精霊が軽く身体をゆすり、フィリシアは見張りの交代時間に目を覚ました。そしてそのまま隣にマリーを発見する。
今夜はサブローの傍で寝ていたはずだが、肝心の彼が居ないのでここまで運んだのだろうと考えた。
きっと宣言していた時間通りに目覚め、そのまま見張りに向かったに違いない。
少しは身体を労わってほしいと憤慨しつつ、自分を抱いていたアイをマリーにそっと近づける。
桶にためていた水で慎重に顔を洗い、普段は後ろでまとめている髪をそのまま流し、ふと気になって荷物を手に見張り場に向かう。
近づいていくとにぎやかな声が聞こえてきた。
見張りを交代する予定のクレイと、予想通りサブローが楽しそうに話を続けている。
もう一歩フィリシアが踏み出すと、感覚の鋭い魔人がビクッと身体を震わせてこちらを向いた。
クレイが不思議そうな顔をしているが、二歩三歩と歩みを進めていくと納得の色を浮かべる。
二人の反応を少々不満に思いながらも、彼女は挨拶をした。
「おはようございます。もう身体はよろしいのですか?」
「は、はい。充分休ませてもらいました」
充分、という部分を強調してサブローがビクビクしながら返答してくる。
彼が死んだように眠り、心配したこともあってついフィリシアの目がきつくなった。
自分の身体に関しては雑な部分がサブローにはあった。
「それじゃあフィリシアさん、後を頼んだんだな。サブローさん、楽しくて忘れていたけどこれ乾いた服なんだな。それじゃおやすみなんだな」
礼を言うサブローをしり目に、フィリシアは挨拶を返して寝床に戻るクレイを見送る。
そのまま見張り場に腰を下ろすと、眼前の人物は微妙な表情をしていた。
「どうしました?」
「えーと、フィリシアさんももう少し眠りませんか? 僕が後をやりま……」
「いい加減、怒りますよ」
フィリシアが短く告げると、申し訳ありません、と頭を下げてくる。
召喚した相手に腰の低い魔人というのも、もう慣れつつある。
「いや、しかし、フィリシアさん。……夜中に男女が二人きりというのも、その、まずいのでは?」
「すごい今更ですね」
「………………この前は本当に申し訳ありませんでした」
自分もそうだが、サブローも後になって気づいたらしい。
相変わらず抜けている様子に、フィリシアは思わず吹き出してしまった。
よく見ると夜明け前でもわかるほど顔が赤い。初めて会った日、衣擦れの音で真っ赤になっていたのを思い出した。
誰かが悲しんだり苦しい思いをしているときは距離が近いくせに、不思議な話である。
フィリシアはつい笑顔を浮かべて立ち上がり、サブローの隣に座りなおした。
「フィリシアさん!? いや、まずいですよ!」
「心配をかけた罰です。そのまま座っていてください」
そういわれると「はい」と意気消沈してサブローは大人しくなる。
少しかわいそうだったが、フィリシアは死んだように眠る彼を見て心臓が止まるかと思ったので許してほしい。
そう自分に言い訳しつつ、持ってきた荷物を膝に乗せた。
「それは?」
「お母さんが別れる前に私やマリーに必要なものだから、と渡したものが入っています」
フィリシアが説明すると、「そうですか」とサブローは気遣うような顔を浮かべていた。
もう乗り越えたことで心配をかけるのが嫌で、努めて明るく振舞う。
「私はもう大丈夫ですから、そんな顔をしないでください。色々ありすぎて中身を確かめる暇がなかったので、確認してみようかと」
「中身ですか。お二人に必要なものとはいったい?」
「私もわかりません。ですが、ちょうどいい機会です」
フィリシアは荷物の紐を緩めて中身を取りだす。
取り出す途中、その正体に思い当たるものがあって目が丸くなった。
畳まれていたそれを広げると、白い布地に豪華な刺繍が施された衣装がたき火に照らされて現れる。
精霊術一族に伝わる愛を誓う花が、純潔を意味する白いドレスに咲き誇る結婚衣装だ。
フィリシアが幼いころ、母の嫁入り道具であるこの衣装を見て目を輝かせたものだ。
いつか自分や、当時まだ赤子だったマリーが大人になって着るのだと母に言われていたものだ。
「ふふ、お母さんこんなことになっていますのに、形見とはいえ花嫁衣裳を渡すだなんて……」
いつか平和になることを望んでいたのだろう。母の想いをとともに花嫁衣裳を抱きしめ、丁寧に畳んで元に戻した。
自分だけのものではない。いつかマリーにも渡さなければならないものだった。
そんなフィリシアの様子をサブローは眩しそうに見ていた。
「本当にフィリシアさんはもう大丈夫そうですね」
「はい。もうずっと言っていたではありませんか。まだ疑っていたのですか?」
少しすねた口調で言うと、彼は曖昧な笑みを浮かべる。しかしすぐに真剣な顔に変った。
「最初に遺跡を案内するためにのぼった木を覚えていますか?」
「え……はい。覚えていますが、それがどうかしましたか?」
急な話題転換に戸惑うが、納得できる答えはすぐにやってきた。
「その木の根元にあなたのお母さんを埋めてきました。魔人を召喚した罪で死体を晒す可能性が高いと、本陣を案内させた兵士に聞きましたので。……本当はあなたの指示できちんと埋葬したり、他の一族の方の遺体も回収したかったのですが、さすがに時間がありませんでした。今回の件が片付いたとき、フィリシアさんの手で埋葬し直してあげてください」
「至れり尽くせりで、本当にありがとうございます。……サブローさんには感謝してもしきれません」
「先に助けてくれたのはあなた方ですよ」
「その程度では返しきれないほど、サブローさんはいろいろしてくれました。里を焼いた王国兵は襲ってきません。みんなは元気を取り戻しています。私だって……」
「怖い魔人召喚を行ったのでしょう? 僕としてはもっと報われてもいいと思うのですが」
フィリシアは思わず笑う。胸の奥が温かい。
「魔人は今でも怖いです。サブローさんの話でも、他の魔人は伝説とそう変わりないように思えますし」
「そうですね。あの魔法陣は二度と使わないでください。……あいつらが来たら最悪です」
「はい。……サブローさん、私の召喚に応じていただき、ありがとうございます。あなただけは魔人であっても怖くはありません。私はこの出会いをくださった精霊王に感謝を捧げます」
「気が早いですよ。そういうのはすべて終わってからにしましょう」
そう諫めながらも、サブローの横顔は嬉しそうだった。
思えば彼はずっと感情を隠すような真似をしていない。
というより、隠せるかどうかすら怪しい。
魔人とは思えないほど裏表がなく、フィリシアたちはすっかり信頼していた。
「今回の件が片付いたとき、か……」
「どうにか平和にしたいですね」
ひとり言に反応したサブローに微笑んで、つい思わずにはいられない。
平和になった故郷に戻るときは、彼も一緒についてきてほしいと。