一二五話:竜と居場所と縋る男
聖剣の光が収まると、焼け焦げた場所に竜妃の姿はなかった。いや、正確には竜のドレス姿の美女がおらず、黒い竜の魔人が佇んでいたのだった。
イ・マッチは即座に離れてナギに虹夜の聖剣を投げ渡し、海老澤を救うために斬りかかる。元々一撃で倒せるとは思っていない。
ただ、あれほどの光で焼かれたのだ。竜妃と言えどただでは済まないはずだ。
「……させましたね」
小さなつぶやきが、まるで地獄の底から響いたように感じた。瞬間、イ・マッチとナギに気を失った海老澤を投げつけられる。
二人は鎧武者の魔人を傷つかないように受け止めて地面に降ろしてから、竜妃の威圧に思わず生唾を飲んだ。
イ・マッチでさえ初めて見る竜妃の全身を変化させた姿が今、目の前に存在する。胸から下のドレスに似た外皮の見た目は変らない。ただ、胸から上は鱗を敷き詰めた黒い外皮が、口元とこめかみから後ろに伸びている二本の角を除き、すべてを覆っている。目にあたるパーツすら存在せず、ボンテージマスクを彷彿させた。
唯一人のパーツを残した口元も薄い灰褐色に染まり、強く奥歯を噛みしめている。
「この醜い姿を、晒させましたね」
憎悪に満ちている。同時に今まで全身変化を好まなかった理由が明らかになった。
あまりにもくだらないが、彼女にとってはよほど大事なのだろう。余裕ぶった仮面が剥がれている。
「許さない……あなた様方は、絶対に許さない!」
口から吐き出した竜のブレスを指先に丸めて固め、無差別に連射をする。イ・マッチは海老澤をかばうために魔道具を起動し、炎をさえぎる壁を作る。ナギも剣の風圧をもってして炎の軌道をいくつか曲げるが、あまりの威力のために捌ききれない。
通るブレスの塊が炎に強い魔法の壁をあっという間に削り、無防備になる。竜妃がさらに大きな炎の塊を生みだしたとき、ドンモが接近を果たし、斬りかかった。
「まだわたくしに通用しないと理解できませんか? いい加減鬱陶しいですね……」
「んなもん百も承知よ。あんたに詳しいイ・マッチが対策をしていないわけがないでしょう」
ドンモの言う通り、イ・マッチはスクロールを胸元から取り出し、にやりと笑った。
開いた瞬間紙は淡い緑色の光を発し、竜妃にまとわりつく。露わになっている口元が焦りで歪んだのを見逃さなかった。
「これは……!?」
「エンシェントドラゴン様を脅して高級スクロールに魔法を込めてもらいました。五百年前にあなたへつかわれた、外皮を柔らかくする魔法です!」
本当は四聖月夜の光と合わせて使いたかった。しかし話はそう上手くはいかない。これを使われたことのある竜妃は、四聖月夜の光をどうあっても避けようとするだろう。
竜妃の油断と合わせてようやく聖剣の光を当てられたのだ。ゆえにこれを使うのは、大きく体力を削った今だと事前に打ち合わせをしていた。
ドンモの一撃が、初めて竜の魔人に傷をつける。ナギとともに畳みかけ、さらに傷を増やしていった。
ここでようやく虹夜の光が役に立つ。明らかに体力を奪われ、鈍っていく竜妃にイ・マッチは勝機を見出した。
イ・マッチはもう聖剣の光は使えないため、慎重に魔道具の支援を織り交ぜながら、ナギやドンモを援護していく。一歩ずつ確実に敵を追いつめている実感があった。
「……勝てると思いましたか?」
しかし、いつもの調子に戻った竜妃の声に否定される。頭上に巨大な炎の球を生みだし、一点に向かって投げる。標的は海老澤だとわかり、イ・マッチとナギは受け止めに行った。炎や氷に干渉する魔法を魔道具を使ってナギの聖剣にかけ、炎の侵攻を押しとどめる。
先ほどと同じく生みだした魔法の壁が削られ、隣のナギが力負けする。その間ドンモが一人で竜妃と戦っているが、地力の差で追いつめられていった。
「なかなか奮闘をしました。誇っていいですよ。初代勇者たちと遜色のない方々です」
「そりゃどう……ぐっ!」
「ですが茶番はお終いです。いい加減、旦那様の顔を見たいので」
竜妃はドンモを蹴り飛ばし、両腕で抱えるほど巨大な炎を生みだした。そのまま抱きつぶすと、彼女を中心に破壊のエネルギーが広がった。岩肌を崩し、地面を砕いてエネルギーの波が迫りくる。
イ・マッチたちの意識はそう認識した後、飲み込まれて意識を失った。
息を切らせながら、人に戻った竜妃は瓦礫で埋もれた周囲を見回した。
意外と健闘されたため、つい本気になってしまった。やはり勇者という存在は侮れない。『魔人を殺す魔人』をピートに担当させて正解だった。
身体の一番硬いところにしまってあった不老長寿の霊薬は無事だ。確認を終えた竜妃は次に目を閉じて耳を傾ける。
心臓の鼓動が四つ聞こえたため、安堵のため息をついた。可能な限りサブローとの約束は守りたい。ドンモやイ・マッチと呼ばれていた勇者は勘定に入っていないが、掘り起こして殺すのも面倒であったため放置する。
あとはサブローを探しに行くだけだと一歩踏み込んだ時、ふらりとバランスを崩して慌てて立て直した。
「まったく。小賢しい」
竜妃は吐き捨てる。おそらく古代竜の弱体化の魔法は一日は続く。以前がそうだった。
この状態で『魔人を殺す魔人』と遭遇すればまずいのだろうが、もうその可能性はない。後は意気揚々と雑魚を散らし、サブローを手に入れるだけだ。
竜の翼を広げ、宙を舞う。胸の高鳴りが身体の重さを吹き飛ばし、速度を上げていった。
◆◆◆
フィリシアが必死に竜妃から離れ、十数分が経った。四聖月夜の光が現れ、作戦が最終段階に入ったことを確認する。
より加速を続け、必死にサブローを連れて逃げる。事前の打ち合わせでフィリシアには逃げる役割を与えられていた。
サブローはただ怯えている。こんな状態ではみなの言う通りにするしかない。
しかし、肝心のサブローがフィリシアの手を逃れ、地面に降りた。
「さ、サブローさん!」
慌てて追いかけ、ミコを地面に降ろしてから近寄った。サブローはというと着地した姿勢のまま、震えているだけだった。
声をかけるべきかどうか迷う光景だったが、相手は竜妃だ。すぐに連れて行こうと肩に手をかけたとき、ようやくサブローが喋った。
「僕を置いていってください。た、戦いに……戻ります」
「無理ですよ! 怯えていますのに」
フィリシアは説得をするが、違和感を覚える。
サブローは基本、言い出したら聞かない。強引に動くことだって厭わない。
だというのに、今はそんな気配が全くしない。まるで頭と心がバラバラのような印象だ。
「いかないと……助けないと……みんなが殺されてしまいます。約束の海老澤さんやナギはともかく、ラムカナさんとイ・マッチさんが……」
「アニキ、本当にそんなことが気になるのか?」
創星に静かに言われて、サブローがひるんだ。構わず彼の愛刀は続ける。
「あいつらはアニキを逃がすために戦っている。同時に、勝つことだって諦めていねえ。その意を汲んだうえで加勢したいっていうのなら、オレは止めねーよ? けどアニキは本当に、あいつらの厚意を無視してまで勝ちに行く気があるのか? オレにはどうにも、そう見えないんだよ」
心配そうな創星が違和感を言葉にしている。フィリシアもまた、同じ意見だった。
いつものサブローなら口に出す前に動いている。水の国のように率先して駆けつけに行っているはずだ。
もっとも調子を崩している理由はわかっている。いや、わかっているつもりだった。
「……でも戦わないと、僕の居場所がなくなってしまいます」
「アニキの居場所を奪う竜妃を倒すのは確かに必要だ。あいつらが無駄でも、お兄さんと合流できればなんとかなる。だからまずはガーデンと連絡を……」
「戦えない魔人である僕に、居場所なんてありません」
フィリシアは目を瞠った。暗い気持ちを打ち明けられたのは初めてで、困惑してしまう。
「そんなことはありません。園長先生もイチジローさんも、戦えないくらいでサブローさんの居場所を奪わせるような真似はさせません。私や師匠さんだって……」
「でもその分、僕の大切な人たちに無茶をさせてしまいます。僕のせいでみんなの立場が悪くなるのはとても嫌です。それに……」
サブローはグッと拳を握って、顔を上げる。歯を食いしばったつらそうな顔が、フィリシアの胸を打った。
「竜妃……いえ、ヒメだって、僕の居場所でした」
「アニキ、それは……」
「わかっています。もうあの場所はありません。海老澤さん以外の魔人で、僕の居場所となってくれた人たちは死んでしまいました。ヒメだって居場所を奪う怪物に変ってしまいました。でも、諦めきれなかった。今でもヒメに、僕の居場所に戻ってほしかった」
明かされた事実は、フィリシアにあまり驚きをもたらせなかった。予想はしていなかったはずなのに、なぜか納得が出来てしまったのだ。
「どんなに頑張っても、僕は居場所にいられなくなってしまいます。ずっと施設にいたかったのに、逢魔に連れていかれました。でも、あそこでも居場所ができると思って、頑張ってきました。おかげで僕が居てもいいって言ってくれる人たちを見つけたんです。生きて欲しかったのに……死んでしまいました」
王国軍から逃げる途中で、洗脳されていた逢魔の仲間に生きて欲しかったとサブローは言っていた。そのときの寂しそうな顔がフィリシアの脳裏に浮かぶ。
「もう失いたくありません。あのとき以上に頑張れば、もっと僕が努力すれば、いつかは報われるはずです。だから、だから……」
それ以上聞いていられなかった。フィリシアはサブローの正面に回り、頭を胸元に抱き寄せる。
「フィリシア、さん?」
「わかりました。もうサブローさんが頑張る必要はありません」
ギュッと、強く腕に力をこめる。弱々しい抵抗でサブローが引きはがそうとするが、逃がさない。
「私が戦います。竜妃を倒して、文句を言わせない実績をガーデンで作り、サブローさんの居場所を勝ち取ります」
「いけません。竜妃に勝てるわけありませんし、フィリシアさんを失いたくありません。大丈夫です。今はみっともないところをお見せしていますが、きっと、頑張れば、しっかりすれば、竜妃とだって戦えるはず、です」
「いえ、頑張らないでください。サブローさんは今、休まないといけません。そのためにみなさん戦っていますから」
「ダメです。許されません。僕は、魔人だから、甘えることは……」
「違います。甘えて欲しいわけではありません」
サブローが口をつぐんだ。これはいつか、彼がフィリシアに向かってかけてくれた言葉だ。
「故郷を焼かれて、なにもかも失った私たちに、あなたは居場所を与えてくれました。サブローさんが魔人で、本当に良かったと私たちは思っています。そんな温かい人が、魔人だから居場所がないなんて絶対に納得できません。許せません!」
サブローの両頬に優しく手を添え、フィリシアは目を合わせた。
「これは私の……いいえ、私たちのわがままです。みんな、自分のわがままであなたを助けたいと思っています。ですから、みんなのわがままのために、あなたの居場所を作らせてください」
フィリシアだけではない。園長もイチジローも、ドンモたち勇者も、海老澤も、サブローが好きだから頑張ろうとしていた。ここに居るのが自分でなく、師匠と呼び慕うミコでも同じことを言っただろうと、フィリシアはわかっていた。
それを出会った頃の彼が教えてくれた言葉で表すのなら、わがままだ。人に優しいわがままを言える彼が、優しいわがままを受けたっていいはずだ。
呆然としていたサブローはやがてこうべを垂れて、胸に顔を押し付ける。無防備な頭を、フィリシアは優しくなでた。
「ぼくは……施設でずっと暮らしたかった。せっかく合格していた高校にだって、通いたかった。魔人になんて、なりたくなかった!」
初めて聞けた弱音を、サブローの頭を撫でながら「当然です」と穏やかに返す。
「それでも頑張って逢魔で友達を作ったのに、みんな死んでいって、嫌だ。海老澤さんだって、今無茶をして、ぼくを置いていって欲しくない!」
「気を付けるように言いますね」とフィリシアは請け負う。
「またヒメに痛いことをされたくない。どうしてやさしかったのに、あんなに変れるのか、ぼくにはわからない。だけどそれでも、ヒメを信じたかった。でももうヒメじゃないって、怪物だって、そんなのおかしい!」
「理不尽です。もっと怒ってください」とサブローに同調する。
「ぼくばかり成長しない。強くなりたい。強くなっていると言われたって、魔人として伸びないから全然わからない。フィリシアさんのように、ぼくだって成長を実感したい」
初めて羨ましがられると、フィリシアはこの時に知った。背中を優しくたたき、「みんなと相談しましょう」と提案する。
「本当に魔人であるぼくがガーデンに居られるの? 勇者であっていいの? どれだけ頑張れば、みんな気にしなくなるのかな? もう嫌だ……頑張りたくない。疲れた……」
相づちを打っていたフィリシアを、サブローが抱き寄せる。縋り付く彼を受け止めて、静かに続きを促した。
「誰か……“フィリシア”、たすけて……」
「当たり前です。指一本、あなたに触れさせません」
断言されると、安心したのかサブローが力なく崩れた。男の子の意地か、辛うじて涙は堪えている。
フィリシアは初めて呼び捨てにしてくれた彼に微笑み、踵を返した。約束を果たしに行くのだ。
「“フィリアネゴ”、ちょっと待ってください!」
創星が飛び跳ね、フィリシアの腕に降りた。ずっしりとした剣の重みを感じながら、首をかしげる。
「オレも行きます、アニキを守ります! フィリアネゴの力になります!」
「……それはありがたいのですが、私では創星さんの力を使えませんよ」
「あれ? フィリアネゴに……は言っていないや。ミコには言ったんだがな……まあいい……じゃなかった。気にしないでください。オレなら持っていくだけで力になれます。五百年前だって、そいつでアネゴ以外の初代勇者の力になりました。天使の輪を使えるフィリアネゴたちなら、もっと効果があるはずです!」
たしかにフィリシアには初耳だった。ミコが起きていたら詳しいことを聞けたかもしれないが、ありがたく連れていくことにする。実は対して知識の差がないのだが、まだ知るすべはない。
フィリシアは一度サブローの方へ振り返り頭を下げる。
「サブローさん、創星さんをお借りします。師匠さんと一緒に待っていてください」
「パパッとやっつけて帰ってくるからよ、待っていなアニキ!」
一人と一振りはそう言い残し、来た道を戻る。
圧倒的力を持つ竜妃と戦うのは正直こわい。だけど、恐怖心すら吹き飛ぶほどフィリシアは高揚していた。
身体が軽い。ようやくサブローのために戦える。加速していき、敵を捉えるために五感が冴えわたった。