一二三話:魔人たちの動き
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話は竜妃が現れたころまでさかのぼる。
姿を見せた美女はピートを疑わしそうに見つめてから、サブローを発見して笑顔に変わる。
「ああ、旦那様。お会いしとうございました。……約束を反故にしなかったのですね。あなた様のことだから引き受けるか不安だったのですが」
竜妃の態度の切り替えが早かったが、ピートは慣れたものだった。ただ一つ気がかりがあるとすれば、引き渡すサブローの方だが、彼は青ざめてはいるものの、しっかりと竜妃と対峙していた。
基地だと取り乱していたので、なんらかの仕掛けがあるかもしれない。どうやらピートを利用するという発言は、全面的に嘘ではなかったようだ。
かといって一人置いていくのは罪悪感が残る。しかしそれでもピートは行くだろう。
この胸の内に燃え盛る、歓喜の炎に従って。
「これが約束の物です。わたくしオリジナルの物ですので、開いて『魔人を殺す魔人』を発見すれば発動します」
竜妃から丸まった紙を渡され、懐に収める。サブローが怪訝な顔でそのやりとりを見ていたが、真実を教える必要はない。
元凶の女もまた、同じ判断を下した。
「旦那様はお気になさらないでください。さあ、早く二人きりになりましょう」
後ろ髪を引かれる思いだが、ピートはあえて振り返らずにその場を離れた。中途半端な情けは侮辱に当たる。
もはや彼の友は名乗れないが、戦士としての矜持はずっと認めていた。もう自分がしてやれることは、武運を祈るだけだ。
ピートは自分の目的を果たしに、宿敵のもとに向かった。
そして現在、魔法陣が発して光が消え、どこかの砂浜に現れたピートは『魔人を殺す魔人』を睨みつける。
天気が崩れて土砂降りが続き、波が荒れ狂う中、片方は混乱し、片方は念願叶うと喜びに震えた。
「おい、ピート。お前……なにをした?」
「簡単なことだ。サブローを引き渡す見返りに、キサマと二人きりになれるスクロールをもらった。わざわざお前に反応して発動する、転移の術式だそうだ」
イチジローの殺気が膨れ上がる。ピートはこの時をずっと待っていた。逢魔で魔人になることを選んだ時からずっと。
いや、もっと前からかもしれない。ようやく生きている実感がわいてくる。
「俺を元の場所に戻せ!」
「不可能だ。俺にそんな力はないし、あの国から遠いところに設定しているそうだ。たとえ空を飛べるあの形態になったとしても、間に合うものではない」
「ピートぉぉぉぉぉ!!」
イチジローが珍しく取り乱し、怒りをぶつけてくる。ピートは静かに剣を構え、愉悦に仮面の下の顔を歪める。
「そうだ。もっと怒れ。もっと憎め! 俺はずっとお前に敵と見られたかった。殺し合いたかった」
胸の内からドロドロした感情が湧き出てくる。自制すら効かず、たまりにたまったものをピートはぶつけた。
「なぜ逢魔に行ったのに裏切者と責めない。なぜ魔人となって殺しに来たのに、敵だと認識しなかった。お前が俺に話しかけるたびに、殺し合う気がないと思うたびに、どれほどむなしい思いをしたか、わかるか!?」
「わかるか、んなもん! 手前勝手な理屈を言いやがって。それでサブを犠牲にしていいわけがないだろ!」
「そうだ、許すな。……もっと早くこうするべきだった。サブローでなくてもいい。誰か罪なき者を犠牲にし、他の魔人と同じように思わせる。それだけでよかったと、ようやく気付いた」
イチジローの雰囲気が変わり、ピートは少し焦る。しかし態度には見せず、煽り立てた。
「どうした? ここで俺を殺さなければ、サブローだけでなく人間を殺す。魔人らしく、目につくものをすべて殺していく」
「俺がお前を、そこまで追い詰めたのか?」
「くだらん。海老澤の言う通り、俺は元々おかしかっただけだ。キサマと殺しあえるなら何でもするべきだ。ただ気づくのが遅かっただけだ」
剣を強く握り、罪悪感すべてを忘れるほどの喜びで力がみなぎる。
白い魔人も構えを取り、覚悟を決めた。ずっとピートが望んでいた殺し合いが、ようやく始まったのだった。
◆◆◆
「ヒメ、話があります」
先ほどの上機嫌が鳴りを潜め、竜妃は怪訝な顔をした。
「また懐かしい名で呼びましたね。わたくしはその名を捨てました。あなた様の竜妃とお呼びください」
「……あなたは僕にとってはヒメです。いえ、ヒメに戻ってほしかった」
サブローは強く訴える。恐怖が先立つ状況でなければ、ずっと伝えたかった言葉だ。
一方竜妃は駄々をこねる子どもを前にしたように、困った笑顔を浮かべた。
「青空様も同じことを仰っていましたね……」
「当然です。だってあの時のあなたは……」
人差し指を唇に当てられ、言葉をさえぎられた。サブローは竜妃の顔を覗き、悲しくなる。
確かな拒絶の意志をもって、竜妃は続けた。
「ヒメはわたくしの気まぐれで生まれた、人であればあったかもしれない女です。お忘れください」
「……忘れられるわけがありません」
サブローは飛び退いて距離を置き、触手を呼び出す。気を抜けば震えそうになる身体に活を入れて、竜妃を真正面から睨みつけた。
彼女はただ静かに笑顔を浮かべている。
「かわいいですね。首にかけた魔道具で正気を保っていられる、わずかな間でわたくしを力で押さえつけようだなんて。女冥利につきます」
竜妃は右手だけを魔人に変えて、サブローへと向けた。蕩けるような笑顔を浮かべ、謳うように誘う。
「いらっしゃい、旦那様。あなた様の健気な全力を、わたくしが受け止めて差し上げます」
宣言を受けて、サブローはイカの魔人に変って触手を叩きこむ。間断なく、隙間なく、ひたすらに叩きこんだ。
恐怖で萎えそうになる心を、“殺意”で震え立たせる。殺せるとは考えていないが、そうでもなければ自分が逃げ出すとサブローは思い込んでいた。
相変わらず竜妃は触手の連撃を余裕で捌いている。諦めが常にサブローの心を折りに来ているが、ここで踏ん張らなければ機会は二度と訪れない。
触手を標的にぶつける直前で地面へと軌道を変え、土埃を起こす。四肢に力込めてサブローは接近し、喉へとつかみかかった。
しかし、指先はむなしく空を切る。身をかがめた竜妃が跳ね上がり、サブローの両肩をつかもうとした。
地面に突き刺していた触手で自らの身体を引き寄せ、辛うじて避ける。先ほどから背筋がぞわぞわして落ち着かない。それでも相手は待ってくれないので、戦うしかなかった。
三本の触手を駆使し、土砂を巻き上げて視界を遮る。自ら作った死角から触手を潜り込ませ、打ち据えようとするが巻き上がった風にすべて吹き飛ばされた。
晴れた視界の先には、竜の翼を生やした竜妃が微笑んでいた。わずかに翼が震えたのを発見したサブローは即座に身構える。
次の瞬間には、胸元に竜妃が飛び込んできた。息が詰まるサブローを、彼女は容赦なく捕まえた。
「はい、頑張りました。魔道具を使っているとはいえ、及第点ではないでしょうか?」
「くっ!」
サブローは必死に抜け出そうともがくが、伸し掛かる相手はびくともしない。圧倒的な魔人としての力の差に泣きたくなる。
そっと頬に小さな手が添えられた。サブローは恐怖に震えながら竜妃の顔を覗くと、なぜか悲しそうな顔が視界に入った。
「…………どうしてあなた様は、もっと早くわたくしと出会ってくれなかったのですか?」
「ヒメ?」
「わたくしが人であるときに……人の心を持っているときに、会ってくだされば、いくらでもヒメに戻れたのに…………」
泣きそうな声にサブローは恐怖も忘れ、力を抜いてしまう。
「そう思えるなら、まだ間に合うと思います」
「無理ですよ。もうわたくし、怪物の愛し方しか知りません」
首にかけたお守りを彼女は握りしめる。泣いているような、笑っているような、どちらにも見える顔で迫る。
「愛してくれとは言いません。二人分、わたくしが愛します。だからあなた様のすべてを奪わせてください。それが無理なら、残りのわたくしの人生に付き合ってください」
竜妃は小瓶を取り出し、サブローに向ける。
「わたくしが昔飲んだ、不老長寿の霊薬です。旦那様のために手に入れました」
サブローはぞっとする。まさかとは思うが、おそらくその予想は当たっているだろう。
「今日から長い時を生きて、わたくしに付き合ってください。もう人と居られない身体になってください。怪物になってください」
竜妃は言いきると同時にお守りを燃やす。全身から嫌な汗が吹き出し、吐き気が訪れる。
離れようとより激しく抵抗するサブローを、身体に食い込む竜の爪が許さなかった。
「辛い時間は少しの間だけです。どこまでも……どこまでも、わたくしと一緒に堕ちましょう」
妖しく竜妃は誘う。とても淫靡な光景だというのに、サブローは恐怖で歯の根が合わない。
辛うじて保っていた心の均衡が崩れ、涙がみるみるこみあげてくる。助けを求めても無駄だと、思い知った心が折れ始めた。
差し出された小瓶に視線を注ぐ。あれを飲めば、この苦痛から逃れられるだろうか。
あの部屋にいたころのように、心折れて頷こうとしたサブローの耳に、かつては聞こえなかった救いの声が訪れる。
「サブから離れろ!」
炎のギフトが正確無比に竜妃だけを狙い、続けて巨大な機械拳を伴ってミコが殴りつける。彼女はサブローをかばうように、竜妃との間に割って入ったのだった。