一二二話:殺すべきだった男
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「そいつはイチジロー、お前さんが悪い」
これまでの話を聞いた海老澤は開口一番にそう言いきった。
今現在、サブローがピートに誘拐されて半日が経っている。一度旅館に戻されたフィリシアたちは落ち着かない気持ちを抱えたまま、イ・マッチが戻ってくるのを待った。彼が戻る前に、海老澤を始めとして、水の国に残っていた勇者たちも駆けつけてくれた。
到着した彼らに求められ、フィリシアたちは現状を説明していたのだ。
「俺が悪いって……そりゃピートの様子がおかしいのに気づかなかったのは悪かったけど……」
「まだ甘い。お前が最初にやり合ったとき、ピートを殺しておけばこんなことにはならなかった」
イチジローがギョッとする。海老澤は責めるような目をやめず、ドンモが二人に割って入って仲裁を始めた。
「まあまあ。そのピートって奴はイチジローの知り合いだったんでしょ? だったら命を奪いに行けないのも、仕方ないんじゃない?」
「……あいつにそういう態度で接しているということが、俺には信じられない。面倒を見てもらっていたサブローはともかく、イチジローは本気で倒しに行かないとダメだ。あいつはお前と殺し合うために逢魔に来た、頭がいっちゃっている奴だぞ」
海老澤のピートに対する評価は、フィリシアたちが抱いた得体のしれなさを言い当てていた。親しげにしているサブローとイチジローを前に言えなかったのだが、ピートの判断はおかしい。
イチジローと競い合いたいという気持ちはわからないでもない。『魔人を殺す魔人』の候補に選ばれたくらいだ。優秀かつプライドもあるだろう。
しかし、彼はイチジローを妬まなかった。別件で力を手に入れ、イチジローに挑んで超えるという、ある意味で前向きな道を選んでいる。
正直に言って異常だ。どうして妬まないのだろうか。どうしてイチジローを超えるために人とのかかわりを捨て、逢魔などに行けるのだろうか。
彼と出会ってから付きまとう違和感を、海老澤はきちんと持っていたようだ。
「兄貴は一度身内と認識しちゃうと、その関係から変えようとしないからね。今回は裏目に出ちゃったわけだけど」
「サブローもサブローだ。あいつ、わざとピートに連れて行かせたな」
「わざと……ですか?」
信じられず、フィリシアは思わず聞き返してしまった。海老澤は普段はゆるんでいる顔を引き締めたまま頷く。
「昔からピートに同情的な奴だったからな。兄であるイチジローのこともよく知っているから、手を貸したがっていたよ。それに……」
「サブローは竜妃とやらにもう一度会いたがっていた、かな」
腕を組んで壁に背を預けていたナギが、静かに断言をした。海老澤がため息をついて肯定する。
「まったく、男の子だよ。自らが決着をつけないと前に進めないと、サブローなら思い込むだろうな。そういう気性は好ましいが、無茶はいかん」
フィリシアはうっかりその可能性を失念していた。言われるままに大人しくしておくような人ではない。わかっていたはずなのに、女性であるというだけで怯える姿から、大人しくしていると思い込んでいたのだ。
とはいえ、別にフィリシアの見積もりが甘かったのではない。あれほどトラウマになりながらも、自ら会いに行くサブローの精神がおかしいのだ。
「帰ってきたらお話をしないといけませんね」
「おう、そーしろそーしろ。あいつフィリシアの説教はめっちゃ怖がっていたから効果的だぞ」
海老澤の発言は喜ぶべきかどうか、フィリシアは複雑であった。それに山小屋での出来事を思い出したのか、ドンモが吹きだして思い出し笑いをする。
不満で頬を膨らませていると、緊張した空気が若干弛んだようだった。
「あら、イ・マッチがようやく戻ってきたようよ」
ドンモの言う通り、肩をいからせながらイ・マッチが姿を見せた。あからさまに不機嫌な様子だ。
彼も自分以外の勇者を見つけ、どうにか態度を取り繕う。
「ラムカナさん、ナギ、ようこそおいでくださいました」
「挨拶はなしでいきましょう。それで、エンシェントドラゴン様はどうだった?」
「……あっさり白状しました。竜妃と会っていたようです」
フィリシアたちは目を瞠る。自分たちをこの国におびき寄せたのは罠ではないか、疑い始めた。
この手の善悪に一番敏感なナギが不可解な顔のまま発言する。
「わたしはあの人のこと、結構好きだったんだがな。わざわざ誰かを不幸にするお方には見えないのだが」
「いけいけしゃあしゃあと、サブローさんに必要なことだと仰っていました。……あのまま竜妃がサブローさんと会わず、イチジローさんたちと戦うとフィリシアさんかミコさん、どちらかを失う結果になるとも」
「…………それは信用できるのでしょうか。イ・マッチさんの面目を潰すようで申し訳ありませんが、私たちは騙された形をとられたので……少し……」
フィリシアが言いよどむが、イチジローたちも同意見であるのか目を鋭くした。そんな中、身内の中でただ一人――いや、ただ一振り、古代竜の人となりを知る創星がフォローに入った。
「アネゴ二号、あいつがそういうなら多分本当だと思います。人間が好きな奴ですから」
「創星さんが保証するなら……信じたいと、思います」
どうにか納得をするように自分に言い聞かせ、フィリシアは結論付けた。創星がサブローを大事に思っていることは、今までの旅で散々見ている。
主をだまし討ちにしたことに怒っていないということは、なんらかの意図があると信頼をしているのだろう。
「まああんにゃろーにはアニキが戻ってきてから、痛い目を見てもらいますけど。勇者だからって無茶が効くと勘違いしやがって……」
どうにも信頼してはしても、許すかどうかは別問題のようだ。珍しく落ち着いていると勘違いしていたが、静かに怒っているだけだった。
「それで、今すぐにでもサブを助けに行く?」
ミコが焦れたように切り出す。フィリシアも眼をすっと細め、臨戦態勢に入った。
いや、彼女たちだけではない。イ・マッチを除く全員が一瞬で戦う意識へと切り替えた。
「……どうしようか私も迷っています。エンシェントドラゴン様が言うには、昼が良いと仰っていました」
今現在は日付の変わる少し前である。エンシェントドラゴンの指定した昼まで半日はある。
それまでこの焦れた気持ちを抱えろというのだろうか。提案主が恨めしくなってきた。
「それがサブローさんに一番都合のいい時間だと仰っていました。事実正しいのかもしれませんが……さすがにこれ以上イチジローさんたちの気持ちを無視するわけにはいきません。いかがいたしますか?」
「今回は俺の失敗が原因だ。なにも要求する資格はない。だから判断はフィリシアちゃんとミコに委ねる」
「あたしはすぐに助けに行きたい。フィリシアは?」
「わたしは……」
意見を出そうとして、迷いを見せる。フィリシアだって今すぐ助けに行きたい。
イチジローを始めとして、頼りになる味方は万全の状態だ。長引けば長引くほど、サブローの状態は悪化する一方だろう。
なのになぜだか、今行くのは得策ではない気がした。創星を抱きしめ、フィリシアは結論を述べる。
「忠告に従いましょう。エンシェントドラゴン様がわざわざ忠告をしてきたということは、なにかあるはずです」
「……アネゴ二号、よろしいのですか? オレが言うのもなんだけど、あいつを信じてしまって」
「本当は今すぐ助けに行きたいです。ですけど、待つことがサブローさんのためになることなら、我慢をしたいと思います」
「そっか。わかった」
フィリシアの結論にミコがあっさりと理解を示して、他の仲間たちも気を静めた。それぞれ宿を堪能するために解散しようとするのを、慌てて止める。
「え? そんなにあっさりと同意してよろしいのですか? 反対意見はありませんか!?」
「一番助けに向かいたい君とミコが待つと言っているんだ。黙って従うのが筋ってものだろう」
カラッとナギが断言し、休む流れになった。自分が発言したことだが、途端にフィリシアは不安になる。その頼りない肩を、ミコがぽんと叩いた。
「ほら、焦ってことを仕損じる、みたいな言葉もあるし、落ち着いていこう」
「これでろくでもない結果になったら、あの野郎に痛い目を見せましょうぜ」
創星が物騒なことを口走るが、心情としてはフィリシアたちも似たような物だ。ただでさえ裏で動いていたエンシェントドラゴンには言いたいことが山ほどある。これで助言がよけいな真似だったら覚悟しておいてほしい。
フィリシアはささくれた気持ちを抱えながら、ただ時を待った。
どうやらピートはさほど遠くまで逃げているわけではないらしく、魔人の気配をたどってイチジローと海老澤が案内をすることができた。
「気配がピートしかないということは、サブはまだ制御装置をつけて、竜妃と合流していないということだ。なるべく急いで助けに向かおう」
イチジローの発言で基本を確認する。ピートが潜伏している場所は山の中腹の辺りである。
身を隠すような性格ではないため、待ち構えているだろうとイチジローと海老澤は結論付けた。ピートの性格をよく知る二人だから、ほぼ間違いはない。魔人の存在が野生の魔物を散らし、人気のない山道を歩く。
一時間ほど状況は動かなかったが、唐突に海老澤とイチジローの雰囲気が変わった。
「ついにきやがったな……ドンモのおっさん、ナギ。準備をしろ、魔人の気配が三つになりやがった」
「しかもうち一つが恐ろしく速く迫ってくる。なんのつもりだピート?」
イチジローの疑問に答えるように、白銀の魔人が降ってくる。最初に出会った時を思い出しながら、フィリシアは警戒して天使の輪を展開させた。
「よう、久しぶりだな」
海老澤は黒い鎧武者の魔人へと変わり、声をかけた。だが、ピートはただイチジローに視線を注ぐ。
フィリシアは酷く嫌な予感がした。これは思いつめた人間の気配だ。ピートが一歩踏み出したと同時に、海老澤が吐き捨てる。
「おいおい、俺のことなんか興味もないってか」
「……俺はサブローを売った外道だ。話をする必要はない」
「外道? それは違う」
海老澤が油断なくすり足でにじり寄る。対し、ピートはまったく警戒をしないで近寄ってくる。
「お前さんは善良で常識があって、ストイックで優秀だ。俺なんかよりこっち側にいるのが似合っている奴だよ。けどな……」
海老澤から殺気が放たれる。警戒心をあらわにし、両手を握っては開いた。
「『魔人を殺す魔人』と戦うためなら、盲目的に全部を捨てられるお前が、俺は怖かった。そういう奴を狂っているというんだ」
言い終えて海老澤が全身のバネを活かし、ピートにつかみかかった。だが白銀の魔人はただ歩いているだけなのに、あっさりとすり抜ける。
フィリシアは急いで風の弾丸を生みだし、隙間なくピートに向かって放った。だというのに、苦も無く避け進む。
ナギが彼の行う高度な歩法に興味を奪われた。
「ふむ。面白い奴だ。こんな時でなければ一手頼んだが……サブローが待っている。数で押すぞ、ドンモ、イ・マッチ」
三人の勇者はほぼ同時に斬りかかった。またもピートは高速の移動術ですり抜け、一直線にイチジローに迫る。
しかし、やり過ごすと読んでいたミコがその道を遮った。
「甘い!」
巨大な機械拳を、ピートがそっと撫でたかと思うと、ミコが一回転して投げ飛ばされる。背中のリングで体勢を立て直そうとした隙をついて、ピートはとうとうイチジローの元へとたどり着いた。
「どけ、ピート。これが終わったら相手をしてやる。今度は本気で……だから!」
「悪いが、約束でな」
「じゃあ俺は数で押させてもらうぞ。サブローの危険に、タイマンを張っている暇はないからな」
イチジローが白い魔人へと変わり、構えをとる。対するピートはどこからか丸めた紙を取り出した。
「ゲっ、まずい。あれはスクロールだ、みんな!」
焦る創星が忠告するが、一瞬遅かった。スクロールに刻まれた術式が輝き、込められた魔法を起動する。
いったいどんな魔法が発動するのか、フィリシアたちは警戒するしかなかった。
「ピート、お前!」
「付き合ってもらうぞ。イチジロー!」
魔法陣が宙に浮かぶ。フィリシアたちにも見覚えのある、転移の術式であった。
白い光がイチジローとピートを包む。目を焼きかねないほどの光量を前に、見届けられる者は誰一人としていなかった。