一二○話:竜たちの暗躍
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古代竜は機嫌よく勇者たちを送り出し、部屋で新たな紅茶を用意した。座席は一つ。次の客人のためだ。
今日は千客万来となることはこの目が知らせてくれた。可能性がつぶれないように慎重に事を運んできた。古代竜がここまでするのは、存外くだらない目的のためだったりする。
彼女が椅子に座ると、見計らったように扉が宙に現れた。唐突で不可思議な光景にも取り乱すことなく、開くのを待つ。渦巻く空間の中から、黒髪の少女が現れた。
いや、一見そう見えるだけで、重ねた年齢は数百を超える。古代竜はにっこりと笑みを浮かべて歓迎した。
「やあやあ、久しぶりだね。今は竜妃ちゃんと名乗っているんだっけ? 待っていたよ。ささ、お茶を一杯どうぞ」
「…………予想外の反応です」
竜妃の呆気にとられた顔を見れて、古代竜はしてやったりと気分が良くなった。警戒しながら席に着き、紅茶を口に運ぶ客の姿を見届ける。
中にどんなものを仕込まれても竜の魔人には通じないという自信の表れだ。もっとも古代竜に最初から薬を仕込む気などない。
「美味しいだろう?」
「……財宝を奪いに来たのに、持ち主にごちそうをされるとは思いませんでした」
「まあ君の目的はわかっているからね。これだろう」
テーブルの上に霊薬の入った小瓶を置く。竜妃は疑わしそうな視線を向けるが、古代竜としてはさほど惜しくはなかった。
「わたくしが使った不老長寿の霊薬と同じ物……本当にこれで間違いないのでしょうか?」
「疑うなら鑑定用の魔道具を使うと良いよ。貸してあげる」
モノクロの形をした魔道具を古代竜は差し出した。竜妃は受け取って使い、目的の物であると確認した後、急いで袖に入れてこちらを警戒する。
古代竜はその様子に思わず苦笑した。
「好意からプレゼントしたんだ。取り戻そうなんて考えていないよ」
「ですが、あなたは竜です。わたくしも主張の強い魔がついているからわかります。この種族は強欲です」
「ハッハッハ。君がいうと説得力が段違いだね。まあボクの場合、コレクションを集めることには熱心だけど、手に入れた物の管理は適当なんだ。創星くんにも呆れられたけどね。それに、財は天下の周り物、って言葉が日本にあるらしいよ。ボクも同意見だ」
「微妙に間違って使っているのが腹立たしいです。まあ構いません。わたくしはこれさえ手に入れば、あなた様をどうこうする気はありませんから」
「しかし五百年前からこの日を“見て”から、ずっと不思議だったんだけど、なんでそれなんだい? 一度その霊薬を使った君には効果がないし、不老不死の霊薬だってボクは持っているんだよ?」
「嫌味ですか? あなたならわかると思いますが。神に近いゆえに、いろんな目をお持ちなのでしょう」
「万能ってわけじゃないさ。特に君たち、運命力が強い相手にはね」
だからこそ古代竜はこの日を楽しみにしていた。彼女の答えが聞きたい。目を好奇心で輝かせながら、返答を待った。
呆れ顔の竜妃はため息をつき、袖の中の霊薬の小瓶をもてあそびながら遠い目をする。
「旦那様……サブロー様に飲んでいただくためです」
「彼を君みたいな身体にするのかい? 別にそんなことをしないでも、君より先に彼が死ぬことはない。なにせ君の寿命はあと三十年も残っていないだろうからね」
竜妃がこの霊薬を飲んだのは五百年前だ。個人差でいくらかズレがあるのだが、エルフの寿命もそれくらいである。目の前の竜妃とて逃れられない。
そのため、寿命の差でサブローが先に死ぬことを恐れるはずがないので、古代竜には不思議で仕方なかった。
そんな様子を見て竜妃は鬱陶しそうにした。
「あなた様にはたいした時間ではないのでしょうね。三十年もあれば人は……サブロー様は老い、衰えてしまいます」
「ふむ。となると不老が目的かな?」
「あの人がどんな姿であれ、わたくしは愛せます」
ますます古代竜は頭を悩ませる。縁や時間を見る力はこういう時は役立たずだ。なぞなぞの答えをねだる子どものように、拗ねた視線を竜妃に送る。
誰かを想うように竜妃は目を閉じて、優しい笑顔を浮かべた。古い付き合いの存在からは信じられないほどの、慈愛に満ちた笑みだ。
「あの人がわたしくしと居ることを苦痛に思っているのは、充分に存じております。しかし、それでもサブロー様が欲しい。たとえ壊しても手元に置きたいのです。ですが……」
竜妃の表情ががらりと変わる。壊れたような、疲れているような、難しい顔だ。
「わたくしがいなくなった後がとても怖い。誰もあの人を守れる人がいなくなる。ならば若さと力をあの人に贈って、永遠にわたくしを感じて欲しいのです」
「……彼のことを思いやっているようで、実に自分本位な理屈。しかも愛情からくるものなのがよけい救いのなさを感じさせるね」
古代竜の酷評にも竜妃は動じない。誰になにを言われてもやり遂げるという想いがあった。
ふぅ、とため息をついてかぶりを振る。古代竜は思った以上に自分の目的が困難であることを思い知らされた。
竜妃が席を立ち、部屋の出口に向かっていく。入るときと違い、出るときはダンジョンを経由するようだった。その背中に古代竜は声をかける。
「ボクとしては君を応援することはできないけど、それでも悔いのないように動いてほしいと思っている。君のことは気に入っているからね」
聞こえているだろうに竜妃は無視をし、部屋を出ていった。予想できたことなので、古代竜は腹を立てることもなく紅茶を片付け始める。
これでやるべきことはやった。後はサブローたちが頑張るのを祈るしかない。
古代竜は別に勇者たちを裏切ったわけではない。むしろ彼らを想っているからこそ、今回の行動は必要だった。
五百年前に見てしまった竜妃の未来。いくつにも分岐を見せるそれは、最悪の結末に行くことも多かった。
確実に逃れる手段は古代竜にすらわからなかった。比較的マシな可能性がそろっている現在に誘導させる必要があったのだ。それでも場合によっては、あの『魔人を殺す魔人』を始めとして、多くの人間に恨まれることにもなるだろう。
「やっぱ、ボクは殴られるかな……? あんまり痛くしないで欲しいんだけども」
人の身体で思わず古代竜は顔をしかめた。殴りかかる筆頭である、『魔人を殺す魔人』の拳は痛そうだ。
それでも竜妃へあの霊薬を渡すのは必要だった。薬を飲まそうと焦り、付け入る隙ができる。後はサブローたちがその隙を見いだせるかどうかであった。
見出してほしいと古代竜は思う。
「まあ仕方ないか。彼らのハッピーエンドな人生を“見”れるというのなら、お安い御用さ」
高揚している様子でひとりごちる。彼女は、人間の幸せな結末を見るのが、とても好きだった。
◆◆◆
サブローたちがダンジョンから外へ向かっていると、一室で魔物が戦っていた。他にもダンジョンに潜る人はいるので、戦闘に遭遇することは珍しくない。ただ、今回は知り合いが戦っていた。
「あれ、ピートじゃないか?」
イチジローがのんびりと言い、サブローもうなずく。巨大なムカデとピートは戦いを繰り広げていた。
生身であっても彼は強い。自ら生みだした蛇腹剣を上手く操り、敵の身体をそぎ落としていく。
やがて傷だらけの魔物は地響きをたてて崩れ落ち、泡へと変わって消えた。涼しい顔のピートがその様子を見届けている。サブローには少しだけ虚しそうに見えた。
「ピート、お見事」
相変わらず兄は親しげに話しかけに行く。それでひと騒動になったのに、まったく懲りていない。
だが、今日は珍しくピートは仕掛けてこなかった。イチジローの顔を一瞥し、暗い表情を浮かべる。
「ピートさん、どうかしましたか?」
「……サブロー、いまでも俺のことは友だと思ってくれているか?」
「なにを言っているんですか。当然ではありませんか」
一瞬の間も置かずにサブローは答えた。明らかにピートの様子がおかしく、心配になる。
「お、俺もお前のことを友人だと思っているぞ、ピート」
「兄貴は黙っていた方がいいんじゃないかな。けど、急に聞くなんておかしくない?」
ミコが兄を窘め、あまり好意的でない視線をピートに向けた。それらのすべてが目に入らない様子のピートは、空いている左手をポケットに突っ込んだ。
やがて覚悟を決めた顔になる。まるで自殺しかねない雰囲気に、サブローはより歩み寄った。
「変なことを考えていませんか? 自棄にならないでください、ピートさん」
「俺の表情はわかりにくいと言われるが……お前にはお見通しだな」
「そうなるのに時間がかかりました。本当にどうしたんですか?」
「俺はもう、お前の友ではない」
言うや否や、首がチクリと痛む。続けて身体が言うことを聞かなくなった。
「な……んだ、これ」
後ろのイチジローも同じように首に細い針が刺さっている。サブローはこの針に見覚えがあった。魔人すら動きを止めることのできる、ラセツの針だ。
気づくと同時に耳をつんざく音が鳴り、光が視界を白く染める。スタングレネードまで持ち出されて、サブローとイチジローはひたすら混乱をした。
ガチャ、と創星が地面に落ちた。鞘を支えている留め具が断ち切られ、自由の利かないサブローの身体が担ぎ上げられた。距離から考えると、相手はピートだろう。なぜこんなことをするのか、尋ねたいが口が上手く動かない。
「いかせるか!」
「そこまでです!」
ほぼ同時にミコとフィリシアが警告して立ちふさがる。サブローは回復しかけている目で、武装を展開している姿をなんとか捉えることができた。
サブローを抱えている白銀の魔人、ピートは感心の吐息を漏らす。
「よく勘付いた」
「様子がおかしかったからね。兄貴やサブほどあんたのことを信じていないから、なにかするかもと思った」
「師匠さんの言う通りです。それに……サブローさんには申し訳ありませんが、初対面の時から嫌な感じがしていました」
「……その通りだ。まったくもって、お前たちが見抜いた通りだ。だが悲しいかな」
ピートはサブローの身体を宙に放り投げる。一瞬、サブローを受け止めるか、それともピートと戦うか、と分担に二人は迷った。
その隙が致命的で、二人の間に滑り込んだピートは剣の柄尻と左拳で壁にたたきつける。そのまま落ちてくるサブローを回収、振り向かずに告げた。
「力が足りない。そして!」
後ろに向かってピートは剣を投げる。追いつこうと駆けていたイ・マッチは、フィリシアを狙った一投を防ぐため軌道修正を余儀なくされた。
「俺は魔人だ。薄汚い、あさましい真似もする、魔人でしかない」
「ピート……なん…………で……」
「イチジロー、俺はサブローを竜妃に渡す。それを阻止したければ、明日までに俺を殺しに来い。……早く来ないと、こいつがどうなるか俺にもわからんぞ」
走りながら後ろのイチジローに向かって、ピートは目的を明かした。サブローにとっては恐ろしい話で、どうしても避けたいと思うはずだった。
だというのに彼の声には深い喪失感を感じ取れた。
そちらのことが気になり、サブローは思わず自らの身の危険を後回しにしてしまった。