一一九話:竜のお茶会
一番早く正気に戻ったのはフィリシアだった。彼女は素早くサブローの目を手のひらで覆い、古代竜に向かって叫ぶ。
「は、はやく服を着てください!」
「いやはや、風の精霊術族長の娘・フィリシアくん。この美しい身体を隠すなど世界の損失だとボクは考えるのだが」
「意味が分からないこと言っていないで、早く隠して! 兄貴……いや男どもはあっちを向く! 早く!!」
ミコが怒鳴り、イ・マッチとイチジローが素直に背を向けた気配を感じた。サブローもため息をつき、目と耳をふさいで身体を反転させる。こういう時は魔人によって強化された五感が疎ましい。
「お前……相変わらず突飛な奴だな。つーかなんだその姿。確か人間に化ける術を持っていなかっただろ」
「うむ、説明したくてうずうずしていたところだ、創星くん。いやね、とある錬金術師がダンジョンに来たことがあるんだよ。研究に必要だって素材を譲ってくれたらなんでも礼をすると言っていたから、ちょうどいいとホムンクルスボディを用意してもらったのさ。ボクの鱗を素材に使ってもらったから、意識をこちらに飛ばして使うことも簡単にできるんだ。おまけにとある霊薬につけておくだけで劣化しない。実にいい贈り物を頂いたよ。だから自慢がしたい!」
「おうそうか。わかったから服を着ろ、服を」
「その前に……」
そっとサブローの背中に柔らかく暖かい人肌を感じた。なんと彼女は生まれたままの姿で体重を預けてきたのだ。
ふっ、と耳にと息を吹きかけ、ささやいてくる。
「どうだい? この完璧なボディを抱いてみる気はないかい?」
「き、聞こえません! なにも聞こえません!!」
「無駄無駄。君の魔人としての高い身体能力は把握済みさ。どうだい。竜の魔人の次は、竜娘の身体を味わってみないかい?」
とたん、サブローの顔が青ざめる。わずかに震えた身体を古代竜に発見され、気まずそうに離れられた。
「すまない。そんなつもりはなかったんだが、傷つけてしまったようだ。まあそれに……」
彼女は苦笑して、殺気を全身から放つフィリシアとミコを見回した。
「これ以上お誘いをするとこのボディをボコボコにされそうだ。自重するから許してほしい」
「本当に迷惑ですからね、エンシェントドラゴン様!」
「とりあえず着替えに行くよ。服はどこにあるの!?」
ミコとフィリシアに腕をひかれ、古代竜の意識をもったホムンクルスが連行される。衣裳部屋と思われる場所の扉が閉められ、ようやく男性陣は前を向くことを許された。
「び、びっくりした~」
「まさかこんな行動に出るとは……エンシェントドラゴン様の非礼を代わってお詫びします」
「まあ俺には目の保養になったから、そんなに恐縮しなくてもいいけど……あれ? イ・マッチさんはその辺どうなんだ?」
「そういう趣味の同族もいますが、私はぜんぜんですね。そちら人族の基準で言うなら、ケモナーの素質みたいな物は私になかったのでしょう」
「ケモ……タマコみたいなことを言うな」
兄とイ・マッチが気の抜けた会話をするのを聞き届け、サブローはすっかり冷めた紅茶を飲む。先ほどから焦りすぎたので、喉が渇いた。
「それにしてもエンシェントドラゴン様、女性の方だったんですね」
「昔は性別なんて気にしていなかったけど、そういや卵産んでいたことがあったわ」
「ああ、その卵ならずいぶん昔に孵り、別の場所に旅だったそうですよ。時々連絡が来るそうです」
「さよか。元気でやっているといいなー」
どうもドラゴン事情も色々あるようだった。サブローはフィリシアたちが上手くやっていることを祈りつつ、しばらく待った。
意外と時間が必要になり、すっかり話題もなくなった頃、ようやく女性陣が戻ってきた。意気揚々と歩くエンシェントドラゴンの格好に、またもサブローとイチジローは目を見開く。
「やあやあ、待たせたね」
自信満々に彼女が胸を張ると、プルンと下半分がむき出しの大球が揺れた。なんというか、古代竜が来ている衣装はドレスのようなものなのだが、やたらと肌色の部分が多い。先に説明した胸の下半分と腹部の部分がほとんど露出している。短い白いスカートからは眩しい太ももが覗き、腰から伸びるヴェールがひらひらと舞っていた。
ブーツを小気味よく床に打ち鳴らしながら近づいた彼女は妖しく微笑んで、サブローと対面する席に座った。
一緒に戻ってきたフィリシアとミコがやたら疲れた顔でサブローの両隣に座る。そのまま紅茶を飲みほしてから、じろっと同時に古代竜を睨みつけた。
「なんで……なんでやたらと露出の高い物を着ようとするの!?」
「そうですよ。あれでは裸同然ではありませんか!!」
「えっ!? これもだいぶ露出が高いけど……」
イチジローが驚いて古代竜をじろじろ見る。視線を感じるたびに見られている方はポーズをとっていろいろ主張していた。
さすがの兄も鼻の下を伸ばしかけたが、イライラしているミコの姿を見て慌てて表情を引き締めた。
「このドレスでまだマシな方です。基本的に身体のラインを強調する服装ばかりで……」
「水着みたいのとか、ほぼ紐みたいなのとか、ちょっとサブの前には連れていけない」
「おーい。お兄ちゃんにはいいのかー?」
「……兄貴は少し興味を持て。やきもきしている周りの人だっているんだから」
えっ、と意外そうにするイチジローは置いておき、話をエンシェントドラゴンに戻す。彼女は自信満々な笑顔をこちらに向けて、両腕を組んだ。
「コレクションの自慢癖は相変わらずか。自分の意識を移せるホムンクルスもコレクションとか、趣味悪いわ」
「そう呆れないでくれたまえ、創星くん。宝を集めるのはドラゴンの本能だよ。神獣と崇められるボクだって抗えないさ」
「その割には管理が雑だよな」
創星と笑ってごまかす古代竜のやり取りを見届け、サブローたちは盛大なため息をつく。あまり長く対応したくないというフィリシアとミコの意思を感じ取ったため、サブローは本題に入ることにした。
「それで、どのような理由で僕を呼んだのでしょうか?」
「マッチに借りた漫画にハマってね。君を中心にハーレムでも形成させようか……冗談冗談! 帰ろうとしないで話を聞いてくれ!」
肌色の多い女の子が表紙を飾っている漫画を取り出したので帰ろうとするサブローたちを、古代竜は必死に呼び止める。いい加減真面目に話してほしいと視線で抗議した。
ただ一人、イ・マッチがすごく申し訳なさそうにしていたのが印象的だった。
「で、実際どうなんだ? お前さんのことだから、なにか見えたんだろう?」
「見えた、とはどういうことですか?」
サブローが意味深な発言をする創星に尋ねる。頷くような動作をした剣が、説明に入った。
「ナギと同じで、特殊な目をこいつはいくつか持っているんだ。未来を見る目か、縁故を見る目か、あるいは両方かまた別のか……オレらを呼んだのはその辺が関係あるんじゃないかって」
「さすが付き合いが長いだけはあるね。創星くんの言う通り、サブローくんがここに来ることが必要だったのさ」
頬に手をやりつつ、古代竜は妖艶な目つきでサブローを見た。竜妃の件があったのでドキドキするより、緊張の方が大きい。胸にぶら下げているお守りをぎゅっと握る。
「その様子なら昔、竜妃と戦った甲斐があったかな」
「あの女と戦ったことがあるのか?」
真っ先に反応したイチジローに、創星が彼女の言葉を肯定した。
「お兄さん、本当だよ。この国に攻めてきた竜妃……当時は殺戮姫と呼ばれていたあいつをアネゴたちが迎撃していたけど、途中こいつが参戦して助けてもらった」
「まあダンジョンの最奥でないボクはドラゴンとして弱い方だから、勇者たちを支援することしかしなかったけどね」
「……謙遜するとかお前らしくない。下手な奴だと色んな手で動けない状態にできるじゃないか。それにあのときの助けがなかったらこの国は滅んでいたし、アネゴたちも誰か欠けていたかもしれない」
「そうですね。私の祖先はそのことを感謝し、できる限りのお返しを勇者とエンシェントドラゴン様に贈ったと聞いています」
「うん、当時の王様にはいろいろもらったね。一番よかったのは、この遺跡に住み着く許可をもらったことかな。家があるっていいねー。当時のボクはホームレスだったし」
笑い飛ばした古代竜が再びサブローと目を合わせる。赤い瞳が妖しく輝き、細められた。
「それでまあ……その時から君が来ることはわかっていたんだよね。竜妃と濃い縁を持っていたから」
「そいつはあまりうれしくない情報だな。サブにとっても、俺たちにとっても」
イチジローがムッとした様子で返す。受ける古代竜の方は微笑ましそうな態度を崩さない。
「そうだろうねえ。けどさ、ボクはあまり彼女のことを嫌っていないんだ。ああなったのは環境が悪かったことが大きいし」
「だからと言って人を傷つけていいわけじゃない。あいつを俺は許せないし、サブだってそうだ」
「ふむ、それはそうだね。彼女は罰を受けるべきだとボクも思うよ。君の意志はともかく、ね」
古代竜が意味深な視線をサブローに送った。胸がチクリと痛む。その理由がわからず、サブローはただ下唇を噛んだ。
「さて、話を戻そう。この目で未来と竜妃に連なる縁を見たものの、下手に話すと結果がぶれる可能性が大きかったから創星くんにも教えず、ただ待っていたのさ。運命力が強い者ばかり絡んでくるからね。こちらに来る結果がつぶれるのが怖かったのさ」
「未来を見ることができるのに、変わることもあるのですか?」
「うん。普通の人間ならそうもいかないけど、竜妃も勇者に選ばれるほどの君も、そこのイチジローくんも運命力がケタ違いだからね。ボクの目で見た未来すらブレさせ、確定させてもらえないのさ。いやはや、誇っていいよ」
答えをもらったサブローは褒められているのかどうか、判断がつかなかった。なにしろ運命力という単語もよくわからないし、そのせいで未来が読み切れないとも言われたのだ。不安が大きく、コメントがしづらい。
「まあ運命なんて自分でつかみ取るもんだからな。見ただけで全部わかると言われるよりはいいさ」
「さすが異世界の英雄は言うことが違うね。マッチも似たようなことを言っていたけど」
イ・マッチは自信満々の動作で紅茶を口に運ぶ。兄や彼と同じことをサブローは言えなかった。
ずっと自分は翻弄されてばかりで、運命に抗うこともつかむことも、なにひとつなかったからだ。
「気に病むことはないさ、サブローくん。君は充分戦ってきたし、いてくれないと困る。今後のためにもね」
「そうでしょうか……」
「うん。それを確かめるためにまた、今日見たかったのさ。大丈夫。あの日見た通り、君は期待通りの人物だよ。ボクが保証しよう」
彼女は笑いかけてこの話題の終わりを宣言した。後は珍しいコレクションの自慢を始められ、ドラゴンの宝にかける情熱はすごいという感想を抱いて締めた。