一一六話:月下の迷い
三つの月が並ぶ異世界の夜、フィリシアとミコの立会いのもと、サブローは魔人の姿で白銀の魔人と対峙をしていた。
正眼に剣を構える相手を前に、前傾姿勢をとる。緊張感が高まり、ピークを迎えた瞬間、二人は同時に距離を詰めた。
鋭く速い剣を、触腕で構えた創星で受け止める。触手を細かく操って衝撃を逃がし、二度三度と襲い掛かる剣閃を避け、懐に潜り込んだ。
堅い外皮にもダメージを浸透させるため、サブローは掌底打ちを放つ。あっさりと通ったことを意外に思いながら、触手のフェイントを織り交ぜて追撃を行う。
だがピートもただやられているだけではない。刀身をバラバラにほどき、ただの一振りで自らに迫る触手だけを切り払う。この鞭以上のリーチを持つ蛇腹剣こそ、最大の障害だ。
触手で絡み取ろうにも、高速で繰り出される斬撃を前にしては、やすやすと刻まれてしまう。硬さの差が恨めしい。
剣先がサブローに襲い掛かり、大きく飛びのいて避ける。以前紙一重で避けたところ、刀身をずらされて斬られたことがあった。自らが生みだした魔人の剣であるためか、彼はかなり細かいところまで操作できる。実に厄介であった。
しかし今は創星がいる。何度目かわからない斬撃を受け、鎖でつながれている刀身を創星で絡めとり、一気に接近する。
「むっ」
戦闘ではよりいっそう寡黙になるピートが珍しく呻く。サブローが逃がさないために、創星の光で足を止めた甲斐があった。
そのまま勢いを乗せた拳の一撃を敵の胸元へと放つ。サブローが持てる一番重い拳を、ピートは両手を重ねて受け止めた。
まずい、と思ったときには遅かった。そのまま腕をつかまれて地面に組み伏せられる。サブローはため息をつき、負けを認めた。
「ピートさん、負けです」
「……驚いた。ラセツの言う通り強くなっている」
起き上がるのを手助けされ、変身を解いたピートの表情をサブローはうかがう。イチジローの弟だと知られたとき以上に、興味深そうな目を向けられていた。
「そんなに驚くことですか?」
「お前は魔人としての性能は打ち止めだからな。ラセツいわく、下魔ゆえらしい」
「なるほど。まあ首領だって『魔人を殺す魔人』の弟に、性能の良いものを寄こそうなんて思わないでしょう」
サブローが冗談っぽく言うと、ピートは気落ちしたような顔になった。わずかな変化だが、気づいてしまう。
「ピートさん、どうしました?」
「『魔人を殺す魔人』か。いや、気にするな。俺は自分の宿に戻る」
「兄さんには顔を合わせていかないのですか?」
イチジローは今、泊まっている旅館でイ・マッチや伊賀見とともに酒を飲んでいる。なんでも儲けた分で豪勢な食事をとるとのことだ。
王子の割に金にがめついのかと疑問に思ったのだが、王族だからと言って表の金は自由に使えないと教えられた。基本的には彼個人の活動で稼いだ金を使う方針になっており、常に金欠だとぼやかれ、サブローは反応に困った。
それはさておき、そのイ・マッチと食事をとっているイチジローに声をかけないかとサブローは誘ったのだ。答えはわかっていても、確認がしたかった。
「よしておく。今あっても、あいつは本気で俺と殺しあわない」
「逢魔にいるころは洗脳されていたので、聞くことはありませんでしたが……訓練とか手合わせではダメですか?」
「わかっていて聞くのは、少し意地が悪い」
「……申し訳ありません」
サブローは反射的に謝罪をする。ピートはイチジローとの命がけの戦いを望んでいた。その結果負けても構わないと言ってたのを、よく覚えている。
「そんなに殺し合うことにこだわる必要がある? 兄貴より強いって証明したいのなら、別に命のやり取りじゃなくてもいいと思うけど」
「俺はあいつより優秀だと証明されたいわけではない。勝ちたいだけだ」
「それってどう違うのでしょうか?」
フィリシアが心の底から理解できないようであった。サブローも完全に同意できているわけではない。
ただ、ピートが本気のイチジローと戦いたいと望む姿はよく見てきた。ゆえに安易な否定は無理だった。
「サブロー、また会おう」
「兄さんでなく、僕にですか?」
「…………お前は一応、俺の友だから」
珍しいことを言われて、サブローは目を丸くする。嬉しさに照れながらも、頷いて肯定した。
ただ、ピートの暗い目が気になって仕方なかった。そのことを尋ねる間もなく、彼は離れていく。終始付きまとう違和感に戸惑いながらも、また会った時に聞けばいいかとサブローは楽観的に考えた。
不穏な気配に、少しだけ期待をしながら。
旅館に戻ると、酒瓶を抱えてぐいぐい飲むイチジローの姿が目に入った。悪のりをしているのか、イ・マッチがどんどん勧めていく。ミコが呆れた顔で自らの兄に注意をした。
「まーた悪酔いしている。イ・マッチさんもやめてよ。兄貴は酒に弱いんだから」
「いやいや、いい飲みっぷりでつい」
イ・マッチも酔っているのか、赤ら顔でご機嫌な様子であった。この勇者は初見の印象を裏切り、かなりいい加減なところを見せ始めている。
「マッチが客人の前で、ここまでだらしなくなることは珍しく思います。よっぽどあなた方が気に入ったのでしょうね。許してあげてください」
伊賀見が穏やかに弟子を擁護した。彼がイ・マッチに向ける目は優しく、親が子に対するに情に近いものを感じた。
「しかし、伊賀見さんはイ・マッチさんのなにの師匠さんですか?」
「たいしたことは教えていません。ただ、公安だったころの経験を活かして、イルラン国の諜報機関を再編し、指揮を務める傍らマッチを鍛えていただけです」
「さらっとすごいことを仰っています。公安ということは元警察の方だったのですか」
「ええ。とはいえ、私にとってはもう二十年前の話です。……あなた方にとってはもっと昔の話になりますが」
サブローには想像のつかない話なので、思わず言葉を失ってしまった。伊賀見はその様子を見て、隣の席を勧める。
素直にサブローが従うと酒を注いできた。
「あまり気にしないでください。年上になってしまったとはいえ、妹と再会できましたから。その夫である竹具志も喜んでいましたし」
「夫……竹具志さんは義弟でもあったのですか」
「はい。あいつと妹の結婚を見届け、幸せにできると満足していた帰り道に転移してしまったのです。妹夫婦に迷惑をかけてしまったことは申し訳ないのですが、こちらで楽しくやっていることも伝えられましたし、イルラン国の王族にはとても感謝をしています」
「そうですか。ところで、どうやってこの国の王族と接触したのですか?」
「まあ簡単ですよ。最初にここに来たときは半獣の人や、獣人のおかしな格好に戸惑いましたが、親切だったので事情を話してもらえました。異邦人が頻繁に国にくることをそのときに知りましたが、日本に戻るにはそれなりに偉い人の懇意になる必要がある。なので自分を売り込もうと考えたのです」
平然と言ってのける伊賀見にサブローは驚かされた。すごい行動力である。
いつの間にか隣に座っていたフィリシアも話が気になったのか、続きを促した。
「それで、どう売り込んだのでしょうか?」
「とりあえずイルラン国を歩き回って、諜報員を募集していることを知りました。当時は知りませんでしたが、日本で竜の魔人を追うのに困っていたそうです」
「我が王家は代々、初代虹夜の勇者様との盟約に従っていたのですが、機動力の高い竜妃に、年々複雑になる日本と、父上はまいっていたそうです。そんな折、こんな話が聞こえてきます。魔物に遭遇せず、ダンジョンの最奥にたどり着いた日本人がいる、と」
「はあ!?」と驚きの声がサブローの腰元から聞こえてきた。どれだけ難しいダンジョンか知っている創星が、一番に反応したのだ。
「挑戦した方々の話を集め、どれが嘘か、どれが本当か自分の足で確かめ、危険そうなら退き、少しづつ少しづつ情報を確かめ、安全なルートを発見しただけです。根気があれば誰でもできますよ」
簡単そうに言ってくれるが、それが相当無茶なのは創星の様子や、イ・マッチの表情からうかがえる。穏やかそうに見えて、自然と思考がぶっ飛んでいるタイプのようだ。
「ダンジョン内部が変化するタイプで助かりました。安全なルートができる組み合わせが存在していましたし」
「それを実行されて相当悔しかったのか、エンシェントドラゴン様も変化パターンを増やしたそうです。……それでも師匠に攻略されたようですが」
サブローもフィリシアも互いに苦笑いを浮かべるしかなかった。
「それで私は自分の売り込みに成功し、見事日本に帰ることができたというわけです。……もっとも、三十年も経ってしまえば、ほぼ異国のようなものでしたが」
伊賀見は自虐のように言ってから、笑い飛ばした。内容が内容のためサブローたちは反応に困る。
自分の身だったらと思うと胸が痛い。
「まあ帰った後は竹具志と陛下を会せて、協力体制を整えさせ、イ・マッチの教育を一部任されたのです」
「いやあ、地獄のような日々でした。おかげで師匠の次にあのダンジョンを把握できましたよ」
イ・マッチの様子は明るいのだが、どこか声にただならぬ気配がこもっている。彼も彼でどんな過酷な訓練を潜り抜けたのか、サブローは気になって仕方がなかった。
しかし、二人の様子がまぶしい。鰐頭と過ごした日々を思い出させる。
「しかし、飲まないのですね」
「一応未成年ですし」
「ふむ……でも頻繁に飲んでいると話に聞いていたのですが、まあいいでしょう。料理を追加しますか? 仕事の話は明日に回して、今日は楽しみましょう」
「いいことを言いますね、師匠。どうせなら相手してくれる女性でも呼びましょうか? サブローさんの好みをぜひおきかせくださ……」
「イ・マッチ様、やめてください。サブローさんにそんなことを勧めるのは」
「だんだんわかってきたけど、ハメを外しすぎ。兄貴といい、サブの件といい」
フィリシアとミコに冷たい視線を浴びせられ、慌てて冗談だとイ・マッチは訂正した。二人の眼力は勇者すら屈するものであった。
サブロー本人としては、まだ親しくない女性を前にすると緊張するので、二人の対応はありがたかった。ひとまず刺身に手を付けて、目の前の食事を腹に収めていくのだった。