一一四話:ダンジョンと茶店と師匠
翌日、宣言通りにイ・マッチは姿を見せて、サブローの泊まっている部屋に全員を集めた。もったいぶらず、そのまま本題に入る。
「ではダンジョンに行きましょうか」
サブローは目を何度もまばたいた。時間をかけてゆっくり彼の言葉の意味を噛み砕き、右手を上げる。
「あの、エンシェントドラゴンさんのところに向かうのですよね? なぜダンジョンに……」
サブローの疑問に答えたのは、腰の創星であった。
「アニキ、ドラゴンってダンジョンとか、ちょっと複雑な洞窟とか、遺跡とかに住むんだ。この国には有名な遺跡があって、あいつそこに住んでんだよ」
「ゲームとかでもそんな感じだったな。けどまあ呼び出したのに、サブを連れて潜らないといけないのか?」
イチジローが責めるような視線をイ・マッチに向ける。受ける方はのほほんと茶をすすってから、説明に移った。
「エンシェントドラゴン様も会いに行きたいのは山々のようでしたが、さすがに野に降りさせて国民を驚かせるわけにはいきません」
「そりゃそうだ」
創星の同意を聞き、イチジローはため息を一つ吐いて納得をした。サブローも混乱をもたらせるのは本意ではない。
「……確かに仕方ない。もう一つ確認するけど、危険はないのか?」
「危険のないダンジョンって存在するのでしょうか?」
イチジローの確認に、フィリシアが思わず疑問をぶつけてしまい、鼻白む英雄の姿を一同は目撃してしまった。
「まあゲームでもだいたい敵がうようよいるようなもんだったけどさ、ダンジョンって……」
「危険は危険ですけど……皆さんならさほど苦も無く潜れると思いますよ」
イ・マッチが全員を見回して断言した。確かに、このメンツを傷つけられる魔物とはどんな存在になるのだろうか。少し想像がつかない。
「危険なトラップなどは私が把握していますし、安全だとは言えませんが、たどり着くだけならかなり楽です」
「この国のダンジョン……かなり難度が高いはずなんだけど、このメンツならそりゃ楽勝か。仮にも古代竜の作ったダンジョンなんだがな……」
創星が複雑そうに漏らす。ドラゴンが用意した、あるいは住み着いたダンジョンなら確かに攻略は難しいだろう。
しかし今回はメンツが誰も彼も一騎当千のつわものばかりだ。特に戦闘面に関しては、兄だけでも戦力として充分すぎる。ガーデンのエースを張っているのは伊達ではない。
そうなると不調のため足を引っ張る形になり、サブローはこの場にいる仲間たちに迷惑をかけてしまう。
「サブ、また暗い顔。どうした?」
「ミコ……僕は、戦えるのでしょうか?」
「訓練は上手くやっていたし、魔物程度ならどうにかなるんじゃないかな? サブなら大丈夫だって」
ミコが明るく言って背を叩く。少しだけサブローは気が楽になった。根拠はないのに、不思議なものである。
「さて……それでは詳しい打ち合わせに入りましょう」
イ・マッチが話を切り出し、眼前に紙を広げる。ダンジョン内のマップだという説明を受け、サブローたちはぞろぞろと集まった。
旅館を出て見覚えのあるような、ないような通りを歩く。なにしろ和服を着た獣人や半獣が道を行き通い、瓦屋根の建物ばかり目につくからだ。
まるで古い温泉街を歩いているような気分だ。あるいは時代劇のセットの中か。
しかし、ダンジョンが近づいてくると、ちらほら冒険者らしき人物が見えてくる。鎧姿や魔導士の姿を見て、ここは日本ではないと安心する自分を、サブローは感じていた。そしてふと思うことがある。
「考えてみれば、勇者になってから初めて冒険者らしいことをします」
「もともと、サブローさんはオーマを倒すために勇者になっただけですからね。そういえば、私たちは一応冒険者になるのでしょうか?」
「アネゴ二号、別に勇者だから強制的に冒険者にならないといけない、って決まりはありません」
「持ち主がいない状態の、聖剣の管理を冒険者ギルドが行っているだけですしね。私だって王子と勇者を兼任していますが、冒険者は遠慮しています」
イ・マッチは大口を開けて笑った。勇者と王族だけでも大変だから当然の処置だが、目の前の人物はところどころ抜け目ないのが見て取れる。なんらかの思惑があったのではないか、つい疑ってしまった。
「別に他意はありませんよ? 本当に現状の仕事が忙しく、冒険者をやっていられないだけです」
「え、心を読んだのですか?」
「いえいえ、サブローさんが分かりやすいだけです」
それとイ・マッチは多種多様な種族の表情を読み取る訓練をしていたのだ。確かにサブローにとって、表情が豊かなイ・マッチはともかく、他の半獣族は表情が読み取りにくかった。あちらも同じことを思っているのだろう。
サブローがそんなことを思考をしていると、横からミコがイ・マッチに疑問をぶつけた。
「それにしても、サブと話したいことってなんだろう?」
「私にもわかりません。なにせエンシェントドラゴン様は過去も未来も覗け、悠久の時を生きています。人の考えの及ぶものではありません」
結局、会ってからしか先には進めない。それ以降は黙々と目的のダンジョンへと向かった。
ダンジョン前は出店が並び、店員があちこち客引きをしていた。茶店で新作のダンゴの宣伝をしていたり、記念品メダルを売っていたり、土産物を勧めていたり、見覚えのありすぎる光景だった。
腰の創星が呆れかえる。
「しばらく見ないうちにダンジョンっぽくなくなっている」
「五百年前の情報は古すぎますよ。うちの観光名所ですからね。民も気合が入るってものです」
「しかしいろんな冒険者がいるあたりは変らんな。さすがは有名ダンジョンって奴か?」
「ここは財宝が消えませんからね。リピーターも多いのですよ」
一同がイ・マッチを凝視する。いや、創星だけは知っている様子で話し始めた。
「古代竜が遊び好きでな。常に財宝を補充し、ダンジョン内を操作して仕組みを変えて、魔物の強さを調節までして人を呼び込んでいるんだ。凝り性な奴だし」
「事実そうですね。ダンジョンに挑む人たちを眺めるのが楽しみで、気合が入ると言っていました」
はた迷惑なゲームマスターだった。イチジローがうろんげな視線をイ・マッチに向けた。
「トラップは把握したとか言っていたけど、ダンジョンをいじっているんだろう? 大丈夫なのか?」
「私は師匠にこのダンジョンのイロハを叩きこまれました。変化のパターンをすべて記憶しています」
平然と言ってのける目の前の勇者に驚愕する。彼はある茶店の前で足を止め、寄っていくように提案した。
誘いを受けた一行の疑問を、フィリシアが代表してぶつけた。
「エンシェントドラゴン様を待たせてよろしいのでしょうか?」
「まあガーデンをごまかすために招いたわけですし、急ぐ用事ではありません。エンシェントドラゴン様もいつでも構わないと仰っていましたし。それにここで顔を合わせると約束をした方がいます。もうすぐ来るはずです」
誰が、と尋ねる前に、一行に近づく影があった。イ・マッチがそちらを向いて顔を引き締め、頭を下げた。
「お久しぶりです、師匠。お会いしたがっていました、今代の創星を背負うもの……カイジン・サブロー殿です」
「マッチ、ご苦労さん。いやあ、初めまして。わたしがイ・マッチの師匠で、『名前はまだない』を組織した伊賀見雄三と申します」
そう名乗ってきた壮年の男は、にこにこと人の良さを醸し出しながら、手を差し出してきた。
サブローが代表して手を握り、挨拶をする。
「えーと、ご丁寧にありがとうございます。今ご紹介に預かりました、カイジン・サブローと申します」
サブローに続き、イチジロー、ミコ、フィリシアの順でそれぞれ名乗る。伊賀見はうんうん、と満足そうにうなずいた。
「いやはや、日本からこちらに来れるようになるとは、竹具志が聞いたらどう思うかな?」
「竹具志……あちらでのイ・マッチさんの動きを助けているという方々ですね」
「はい。元々は私の親友でしたが、再会させてくれたお礼としてこちらの王族に協力をしています」
「竹具志一族の方々のおかげで、私どもはより正確に竜妃を追いかけることができるようになりました。あちらの世界では見栄を張りましたが、あの女の情報を多く集められるようになったのはここ二十年になります」
サブローたちは新たな事実に感心する。異世界とガーデンのスポンサーの一つがどうしてつながったのか、ここで明かされるとは思わなかったからだ。
ガーデンに所属しているイチジローも思うところがあるようで、明るく声をかける。
「しかし親友と合わせてくれたから協力してくれるって、豪気な人たちなんだな」
「まあ、私と三十年ぶりに再会させてもらいましたからね」
「三十年……それは大変でしたね」
サブローが気を遣うと、伊賀見は少し困った顔をする。頬をかきながら話を続けた。
「まあ、あいつにとってはそうでしょうけど、私にとっては二年ぶりだったので実感がわきませんでしたね」
「え? 先ほど三十年ぶりと……」
「あー……そいつはお気の毒だな。アニキ、たまに時間がずれて召喚されることがあるんだよ」
「そんなバカな……いや、逢魔と僕で半年ほど召喚期間が違うことがありました。それと関係しますか?」
創星とイ・マッチが同時に頷く。
「昔はもっとバラバラの時間に召喚されていたから、正直アニキたちが安定した時間に行き来しているのは疑問に思っていたところだ」
「そのあたりを我が国は研究をしていたのですが、どうやら観測されているとつながる時間が安定するようです。世界を頻繁に行き来している……竜妃や私どもの視点が基準になっている、というのが今主流の仮説ですね。ガーデンが今の時間に行き来できるのは、観測者であるサブローさんの時間の流れに合わせたからでしょう。技術提供していた我々の魔法陣も、その影響を受けているようです」
サブローはなるほどと思うとともに、ぞっとした。少し歯車が違えば、自分も歳をとった家族と再会するところだったからだ。
「僕は運が良かったということでしょうか?」
「いえ……必然だと思います。不本意だと思いますが、サブローさんの場合、竜妃と縁が深いことが原因です。異世界を行き来できる人物に近しければ近しいほど、縁者の観測した時間に合わせるようになっています」
納得しつつ、サブローはイ・マッチに気を遣う必要がないことを伝えた。
竜妃本人を前にしたのならいざ知らず、名前程度では心にも身体にも影響はない。ただ、イチジローが強がりではないか、心配そうだった。
「うーん……もしかしてここの召喚を利用したら、タイムスリップとか出来ちゃうかな?」
ミコがとんでもないことを質問してきた。受けるイ・マッチはいい発想だと褒めてから、やんわりと人の手に余ると話し始める。
「どうにも時間違いの召喚は人為的に発生させることは不可能らしく、自然現象……私たちは消失と呼んでいるのですが、それでしか起きないそうです。しかもこちらから青の世界への消失はおきず、あなた方の世界でしか発生しないようです」
そこまで説明してから、イ・マッチはダンゴに手を付けた。絶品だと賞賛してから、サブローたちにも食べるように勧める。
「うむ、やはりダンゴは外で食べるのが一番。それでですね、あちらの世界で私たち白の世界の人間が消失に遭うとどうなるか、エンシェントドラゴン様に尋ねたことがあります。あのお方は時間を見ることができますからね」
「そのせいであいつ、どういう理由で動くかわからねーんだよな。顔を合わせるたびにひっかきまわすから、正直会いたくない」
「ハハハ。創星様もさすがに振り回されていますか。それで話の続きですが、どう出るかわからないそうです」
イ・マッチがその理由を並べる。
エンシェントドラゴンが言うには、未来や過去に行った場合の法則が読めないとのことだった。例えば過去に自分がいる時間軸に向かうと、魂だけ戻るのか、同一人物が二人になるのか、片方が消滅するのか、すべては移動した世界の法則しだいであった。
どうにも未来や過去に行くことは、平行世界への移動に近く、時間のルールも多くが違うらしい。
人には容易につかめない法則だと、笑って告げられたとイ・マッチが話し終える。
「そっか……ありがとう」
「師匠さん、未来や過去に行きたかったのですか?」
「…………いつも思っているよ。サブがさらわれた日に戻りたいって」
サブローは軽く目を瞠った。ミコがあの日を悔いているのはよくわかっているつもりだった。しかし自分の見積もりが甘かったことを実感する。
フィリシアも押し黙り、自然と湿っぽい空気が流れ始めた。
「ま、無理なものは無理。こういうのはあきらめが肝心ってね。ダンジョンの話をしよう」
彼女本人が話を変えて、サブローも笑顔が浮かぶ。まぶしそうにその様子を観察していた伊賀見が、口を開いた。
「さて、ここの近況を話しましょうか。最近、話題になっている人物がいるんですよ」
「師匠、どんな方でしょうか?」
「マッチの資料に乗っていた人物ですよ。ピエトロ・センチ……あなた方も知っている人物が、ここ最近ダンジョンに潜っているそうです」
サブローたちは驚愕する。伊賀見はただ穏やかに笑って、皆が落ち着くのを待った。