一一二話:最後のA級魔人ピエトロ・センチ
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大国アエリア王国。
豊かな土地と四季のはっきりした気候で、作物がよく取れ、貿易も盛んな発展した大国だ。
周辺国との仲もよく、長年平和な状態を続けていた。
しかし、そんな栄光も過去のこと。今は魔王が鎮座し、魔人と魔物に蹂躙される魔界へと変わりつつあった。
国の中心である王都は荒れ果て、魔王と魔人が無辜の民を苦しめ続けている。
かつては美しい城として称えられた王城――今は魔王城と呼ばれている――の玉座の間にて、無様に転がる五人の魔人がいた。
「カッカッカ……さすがやりおるわい」
床に転がって賞賛を送る男、ラセツはくぼんだ眼孔を見下す黒髪の女に向けていた。
鳶色の瞳にはまるで感情が乗っていない。藍色の着物姿の女は静かに玉座を見下ろしていた。
バサリ、と音をたてて竜の翼が横に目いっぱい広がる。先ほど七難とまで恐れられた五人を叩き潰した尻尾を、骨だけの怪物へと向けた。
「覚悟はできていますね。共犯者殿」
「ま、待て竜妃。話を聞いてくれ!」
スケルトンまで格を落とされた魔王が焦る。その姿は大国を支配し、人々を苦しめる悪の総帥とは思えない。
平伏をしかねないほどに怯えている魔王を、竜妃は冷たい目で見下した。
「わたくしがなぜ怒っているか、お分かりですか?」
「か、カイジン・サブローを無断で使用したからか……?」
「はい、ご存じのようですね。もういいですよ」
「ま、待て! ああするより他なかったのだ。鰐頭を失い、異世界に逃げる準備をしなければならなかった。弟に甘いアヤツなら生かし捕らえておくだろうと踏んだのだ。決して死なせようとしたわけではない!」
竜妃は聞く耳を持たず、炎のブレスを玉のように練り上げながら指先に手中させていく。ピンポン玉ほどの大きさに圧縮された炎の塊をゆっくりと向け始めた。
しかし、標的を隠すように一体の魔人が宙より振ってくる。
「……そこまでにしてもらおうか」
のっそりと、細身の魔人が低く告げた。全身白銀の外装に覆われ、西洋甲冑をよりシャープにした印象を与える。ただ顔から後頭部まで続く、ムカデを模した黒の細長い仮面がかぶせられ、弁髪のように尾を垂らしている。
ジャラジャラと鎖でつながれた蛇腹剣の刃を巻き戻し、一本の剣へと変形させてから竜妃へと向けた。
「こいつにはまだ生きてもらわないと困る」
「そ、そうだ。私が死んでは、キサマの願いはかなわないぞ。ピエトロ・センチ!」
「そうでしょうか?」
竜妃がふふ、と妖しく笑う。炎の塊をそっと握りしめ、霧散させた。
「まあ、今回の目的は別にあるので、そこには触れません。共犯者殿、センチ様を貸してください。それでチャラにします」
「ほ、本当か? なら、ピエトロ・センチよ。竜妃に手を――――」
「断る」
そっけない態度で断固拒否をされた。魔王が顎の骨を外したかと見まがうほど口を開く。
「理由を聞いてもよろしいですか?」
「キサマが気に入らないのが一つ。そして『魔人を殺す魔人』が、留守の間にこちらに来られたら困る」
剣を構え、ピートはより語気を強める。
「奴は俺が倒す。奴を俺こそが超える。それこそが我が宿命! 我が望み!! 邪魔をするなら首領だろうと、キサマだろうと斬って伏せる」
「相変わらず『魔人を殺す魔人』と決着をつけるのにこだわるのですね」
竜妃は口に手を当てて上品に笑う。もともとそういう男だとはよくわかっていた。これなら話を運びやすい、という意味での笑みだ。
「でしたら、わたくしから提案を述べさせてもらいます」
「提案だと?」
「はい。上手くいけばあなたは『魔人を殺す魔人』と立ち会えますよ」
仮面に隠れた瞳の色が変わったことを、竜妃は息を飲んだ様子から察した。
竜妃が王城を去ろうと背中の翼を生みだしたとき、声をかける者がいた。
振り返らなくても誰だかわかる。自分に話しかける変わり種など、五百年前から一人しかいない。
「なにか用ですか? ラセツ様」
「つれないのう。五百年ぶりの再会ぞ。もっとゆっくり話していかんか」
「他の方々はわたくしに死んでほしそうでしたけど」
嫌味を返すと、初老の男はより笑みを深めた。
「そんなもったいない。奴らとはつくづく相いれないのう。わしに勝てる相手がくたばることを望むなど」
「わたくしとしても、あまりあなたと話をしていたくありませんけどね。頭が痛くなりますので」
叩きのめしてもどれだけ痛めつけても、ラセツは態度を変えなかった唯一の魔人だ。強さに重きを置く男なので、話をしていて面白かった記憶はなかった。
「それで、ピートとかいう男、力を貸しそうかのう?」
「五分五分でしょう。欲求に従う性格なら、彼はもっと楽に生きられたでしょうに」
同情するように、しかしバカにするように竜妃は言い捨てた。鰐頭と同じく、根っこが善良であることが足を引っ張っている。ピートはそういうタイプの魔人だった。
「しかしカイジン・サブローの心を折ったのがおぬしとは……」
「折ったのではありません。旦那様は弱いお方なのです」
竜妃が夢見るような心地で断言すると、ラセツはしげしげと無遠慮に眺めた。
「それは真実というか……おぬしがそうあってほしいように聞こえるのう」
「そうなりますよ。そうして見せます。あの人に強さなんていりません。全部捨てさせます」
「カッカッカ。そいつはちと難儀よな。あやつ……相当に頑固ぞ」
からかうように言うラセツをじろっと睨む。竜妃を知っているたいていの魔人はそれだけで恐れおののくのだが、彼だけは昔から嬉しそうにしていた。被虐趣味なのだろうか。
「おぬしの趣味に付き合わされて、最後の一線を保っているのがその証拠だのう。ずいぶん苦労しているのが見える」
思わず窓枠を殴りつけ、破片が落下していった。竜妃は殺気立ち、ラセツを殺してしまおうか迷う。
だというのに、相手はまったくひるまなかった。
「さすがの殺戮姫も初恋には弱いと見える」
「またその名で呼んだら刻みますよ」
「気に入らなければすぐに刻めばよい。そうしないということは、創星の勇者について聞きたいことがあるからかの?」
竜妃は下唇を噛んだ。まともに会話が成り立つのが、この戦闘狂くらいだからだ。他は怯えられるか、敵意を向けられるかしかない。
脳裏に一人の女性が浮かんだが、すぐに消す。あずかり知らないところとはいえ、彼女――青空スズメはもう死んだ。見殺しにしたようなものだ。
本性を見せても態度を変えずに自分を説得しようとした女性に、今更頼りたくなるなど図々しい。さすがの竜妃でもその程度の分別はあった。
「最初の時点で間違えていないかの? 普通に趣味を抑えて恋愛しとけば落ちたろうに」
「そんなの痛いほど実感していますよ。でもそれではダメなんです。それではあの人は完全にわたくしの物にならない……」
「昔はもう少し話が通じたものだがのう。おぬし、恋愛するとダメになるタイプだったか」
笑い飛ばすのでもなく、呆れるでもなく、心配そうなラセツの態度が癪に障った。
期待するのではなかったと、竜妃は翼を動かして飛び出していく。
「ま、失ってみるのも経験の内だのう。存分に恋せよ若者」
ずっと寝ていたラセツより、時を重ねた竜妃の方が年上のはずだが、否定する気も起きなかった。
失恋前提の言葉にイラッときたので八つ裂きにしてもよかったが、厄介なことにこの男は生存能力が高い。
この程度の強さで見事逃げ切れる巧みさがあったので、苦々しさを噛みしめるしかなかった。
◆◆◆
かつては騎士が訓練を続けていた王城の一室、一人ピートは一心不乱に剣を振っていた。
姿は魔人。力を増すのが目的なら、こちらの姿で訓練した方が早い。鰐頭が提唱したとおりだった。
「お相手は必要かのう?」
音もたてずに忍び寄ったラセツが問う。魔人の気配がなければA級魔人の面々でも気づけるかどうか。
しかし七難という連中にピートはさほどいい印象を持っていない。他の魔人と同じく欲望に忠実に生きている。
ゆえに一人で五人全員を叩き伏せた。圧倒的力を示し、我が前では無力であると思い知らせた。
それでも絡んでくるラセツという男は変わり種ではあるが、魔人の基本からブレていない。ただ欲望が他より特殊というだけだ。
「頼む」
とはいえ、ピートの目的は『魔人を殺す魔人』を倒すこと。実になるのなら気に食わない相手の提案でも、利用しないといけない。
変化したラセツは愛用している鉄棍を構え、喜びに満ちた顔を向けた。
最初に仕掛けたのはピートだった。距離を縮め、三度の刺突をほぼ一瞬で行う。そのすべてを受けきりながら、ラセツは相手の頭上から毒針を使って襲い掛かった。
銀の魔人は返す刀で毒針を叩き落とし、柄尻で敵の胸を打った。たまらず後退した相手に向かって、刀身を伸ばした蛇腹剣を鞭のように振るう。
宙から隙を伺っていた毒触手をすべて打ち据え、鉄棍を絡めとって空手にし、空いた懐を蹴りつける。
尻もちをついたラセツの胸元を踏みつけ、刀身を戻した剣を肩に担いだ。
「……降参だのう。やれやれ、一人では相手になりませんのう」
「ほざけ。勝ったと油断したところを毒針で突くつもりだったくせに」
剣を肩に担いだのは、毒針から首筋を隠すためだ。巧みに操作しており、気づかなければ身体をマヒさせられていた。
「そこまで気づかれたから、負けを認めたまで」
「……しかし、その歳でまだ伸びるのか」
ラセツはここにきて強くなっていた。来た当初は一合で決着のついた相手だが、じわじわと戦う時間が増えていく。
同時に一人の男が脳裏に浮かんだ。強くなったラセツを相手に、その男、カイジン・サブローは勝てるのだろうかと。
「サブローなんてもう、伸びることはないのに」
「下魔と上魔の違いですのう。伸びしろはこっちのほうがある。しかし、本当にそうお思いか?」
ピートは疑問符を浮かべた。ラセツはカッカと明るく笑う。
「おそらくだが、おぬしが会った頃より創星の勇者は強くなっとるぞ」
「なに?」
「強さとは魔人の力がすべてではありますまい。状況判断、使う武器、覚悟、心の強さ、すべてが己が血肉となる。そう考えると奴は……カイジン・サブローは恐ろしいほど強い。おぬし以上に怖いわい」
今度は低く笑いながら、ラセツは瞳に不気味な色を宿す。
「過去からの心の枷がなければ、さつりく……いや今は竜妃か。あやつ相手にどこまで渡り合えるか……もしかしたら倒してしまうのではないか、興味がありますのう」
なるほど、とピートは納得した。サブローは『魔人を殺す魔人』の弟として興味があったので、何度か接したことがある。
竜妃の悪趣味の犠牲になりながらも、正気を保っていた姿は、さすが目標の弟だと感心して尊敬したものだ。
ふぅ、とため息をつき、ピートは魔人の姿を捨てる。淡い金髪が風に吹かれて舞い上がる中、整った顔立ちを出口に向けた。
「行きますかの?」
「今の奴に会ってみたくなった。……竜妃の要求に応えるかどうかは、そのあとに決める」
ラセツが「寂しくなるのう」などと言っているが、捨て置いた。足は竜妃に教えられた、イルラン国に向かっている。
常に無表情な顔に影がさす。ピートは己が宿敵である『魔人を殺す魔人』のことを思い、奥歯を噛みしめた。