一一○話:異世界にINする『魔人を殺す魔人』(後半)
ドンモとの初顔合わせから数日が経った。相も変わらずイチジローはパトロールと訓練、そして書類仕事くらいしかやることがない。
今日はドンモ、ナギとそろって訓練をしていた。ちなみに海老澤はサボリである。
しばらくすると今まで避けられたのが嘘みたいに海老澤は馴れ馴れしかったが、快楽主義で常に遊びのことを考えているのは厄介だった。
なにせサブローと同程度の活躍をして、大きく伝えられているのにその評判が地に落ちるほどやらかし続けている。食事代のツケがたまってガーデンに抗議が来ることも多い。賭け事の負け分はゾウステが上手くやっているらしく、こちらまで話が来ることはなかった。
ドンモやインナの目は厳しいが、イチジローとしてはゾウステにどれだけ感謝してもし足りないくらいだ。
ただ、不思議なことに訓練は参加するとまじめにこなし、強くなりたいという想いが拳を通して伝わってきた。もしかしたら自分の知らないところで秘密の特訓をしているかもしれない。ゾウステがそれっぽいことをほのめかしていた。
「んー、エビサワがいるとありがたかったんだけどねー。アイツ、アタシと同程度の実力だし」
ドンモが両腕を組んで残念そうな顔を浮かべていた。イチジローの見立てではドンモの方が強い。手合わせ十回中、七~八回勝っているのがその証拠だ。
海老澤が負けるたびに悔しそうな顔をしていたことが、とても意外で印象に残っていた。魔人であることを鼻にかけないし、ひょうひょうとしているので勝ち負けにこだわると思っていなかったからだ。
理由を尋ねると曖昧に笑ってごまかす。あけっぴろげに見えて、謎が多いように思えた。
「ハハハ、ここのところ格上ばかりで休む暇がないな」
「アンタはアンタで……なんか強くなっていない?」
「そうか? 自分ではわからんな」
ドンモの疑問はイチジローも感じていた。手を合わせれば合わせるほどナギは強くなっていた。実力的についていけるものがいないため、訓練らしい訓練はサブローたちと行ったのが初めてだと聞いていたが、信じられないほどに吸収していく。
弟ではもう勝てないのではないだろうかと、思っていた。
イチジローはサブローに伸びしろがないというのを実感している。鰐頭に仕込まれたという基礎戦闘技術と一部分のみ変化という特殊性、十本の自在に動く触手と意外性をつく戦闘方法など強みはある。
しかしいずれも格上と戦うために必要なもので、魔人としての身体能力は限界に近い。報告にあった聖剣の活用法などもあるが、竜妃のように圧倒的身体能力の差があればどうしようもないだろう。
同時にイチジローは理解してしまった。弟が似合わないあの戦闘方法を磨いたのは、竜妃に勝とうとあがいた結果だ。ときおり見え隠れする女性への恐怖心といい、刻まれた心の傷は重い。
通じないと理解された今、イチジローは二度と戦場が似合わない弟に戦ってほしくなかった。
「おい、イチジロー、どうした?」
「ん? ああ、ナギちゃんか。ちょっとサブが心配でさ」
「わたしもだ。あれほどのどす黒い“灯り”にあてられて、サブローが参っていないか心配だ」
ナギの肩に乗っているおさげが揺れる。顎に手をやって難しい顔をする姿は子どもにしか見えず、施設の家族を思い出して微笑ましくなった。
そんなイチジローをナギは発見して、少し照れたように笑った。
「あーなんかすまない。まじまじと見てしまって」
「いや、別に構わないさ。ただ、いまの顔はサブローを思い出す。血はつながっていないと聞いていたが、ちゃんとした兄弟だ」
ドンモもうんうんとうなずいている。今度はイチジローが照れる番だった。
昔から仲が良く、妹にサブローとの仲を嫉妬されたくらいだ。逆ではないだろうかと疑問に思ったこともあったが、そんな昔も穏やかな気持ちで思い出せる。
すべてはサブローが助かったからだ。もう二度と、逢魔の、竜妃の元で理不尽な目に遭わせはしない。
「む、誰かが近づいてくる……インナとクルエ様たちか」
ナギの視線を追いかけると、ちょうど三人の女性が馬車から降りる場面だった。先ほどのナギのセリフ通り、黒髪美女のインナと侍女と姫様の組み合わせだ。
クルエはかまいたそうにうずうずしているインナを警戒し、ノアに引っ付いている。インナが頭を撫でようと右腕を少し上げると、敏感に反応されて距離を取られていた。がっくりと落ち込む仲間に苦笑するドンモが、三人を呼び寄せる。
「あら、みんなこっちよこっち」
「勇者ドンモ・ラムカナ様、お久しぶりです。そして初めまして。私はクルエ様付の侍女、ノアと申します。こちらは我が主、第四位王位継承権を持つクルエ・リスベツ・ウンディ様です。以後お見知りおきください」
寄ってきた侍女のノアが折り目正しく、初対面のイチジローに挨拶を始めた。人見知りなのか、クルエはノアの背中に隠れてしまう。このように、イチジローはこの国の姫様と会うのは初めてであった。
国王であるパルミロとは長官を交えて何度も会っていたが、王城に上がるのは気が引けて、専門の職員や長官に任せっきりだからだ。
勇者である弟と違い、この世界ではガーデンの一隊員にすぎない。
「これはご丁寧にありがとうございます。自分はガーデン特務部隊隊長、明光寺一治郎です」
「……ミョウコウジ? ミコと同じ」
「ミコは妹ですよ、クルエ様」
ノアの身体からひょっこりと顔を出した彼女に優しく声をかける。少しだけ興味がわいたような瞳が確認できた。
「というかうちは児童養護施設……まあ孤児や親元から離れなければならない特殊な事情を持つ子どもたちの集まりでして、ミコだけでなくサブやフィリシアちゃんも家族ということになります」
「そうでしたか。勇者カイジン・サブロー様や妹様もそうですが、とてもそうは思えないほど礼儀正しいお方ですね」
「うちの方針でしてね」
イチジローはハハ、と明るく笑い飛ばす。ノアとそんな話をしていると、クルエが彼女の裾を引っ張った。
「ノア、聞けるかな?」
「ミョウコウ……ではミコ様と紛らわしいですね。失礼して、イチジロー様ならご存知かもしれません。お尋ねしますが……」
「いい、わたくしが聞く。サブローたちはまだ大変?」
心配そうに見上げるクルエにイチジローは目を丸くする。気難しい子だと施設のマリーに聞かされていたが、この短時間で弟は心を開いたようだ。
施設に帰ったような気分になり、イチジローは満面の笑顔を浮かべて答える。
「うん、まだしばらくはかかると思う。だけど安心してくれ。俺が必ず、あいつを苦しめている魔人を倒す。そいつさえいなくなれば、君にだって会いに来れるさ」
自然と頭を撫でてから、まずいと気付いた。つい施設の妹弟たちのように接してしまったが、相手は王侯貴族だ。日本で生まれ育ったイチジローには縁の遠い話だが、これは失礼だろうと慌てて離れた。
しかしクルエは不思議そうにはしているものの、特に不快に思っている様子はない。
「……ミコやサブローとおんなじ撫で方」
「す、すみません。つい、妹たちのように感じてしまって……」
「構いません。それに私どもに対しても、気安く接してもらって結構ですよ。エビサワ様なんてすごい様子ですし」
「あ――――! 思い出した、あのバカ魔人がいない! せっかくノアのこと自慢してやろうと思ったのに!」
「……エビサワ様に会うたびにああいうことをするのはやめてください。他の方の目があると恥ずかしいのですよ」
より抱き着いてノアに甘える姿が微笑ましく、仲良くやっている海老澤をイチジローは羨ましく思った。
しかしそんな自分を恨めしそうな目で見る者がいる。インナがを指をくわえて、思わずと言った様子で呟く。
「いいなぁ……私もクルエ様撫でたい……」
そもそもなんでこの子に警戒されているのだろうか。仲間であるドンモはさもあらん、と言わんばかりに肩をすくめている。
そんな賑やかなやりとりも一段落し、長官に用事があると言われて見送る。クルエたちが離れてから、ナギを相手に組手を再開した。
◆◆◆
「――――と、言うことがあってさ」
イチジローが本当に楽しそうに語り終え、病室のサブローたちは苦笑していた。話にあったそれぞれの動向について思うところがあるようだ。
「海老澤さんとは一度話し合わないといけません」
サブローが呆れた様子でぼやいていた。そのまま今までどれだけだらしなかったのか、手綱を握っていないと次々やらかす奴だとか、珍しく人のことを悪く言っていた。
しかしその顔はとても楽しげで、二人の仲の良さを感じ取れる。
続けてこれまたミコが話題を継いだ。
「それにしてもオコーさん、クルエ様に警戒されていたんだ」
「まあ私たちのように構い倒して警戒をされるようになったのだと思います。オコーさん、女の子好きですよね」
「同性が恋愛対象ってのはまた違うんだろうけど」
ミコが結論を述べると、フィリシアがジトーと責めるような目つきをする。
「オコーさんはお姉さんぶりたいってのが大きいと思いますが、師匠さんもですよ」
「え? あ、あたし?」
「三人と並ぶと、一番年下になる私の苦労を少しは思い知ってください」
ぷんぷん、と可愛らしくすねるフィリシアを前にミコが焦った。そんな家族同士の微笑ましいやりとりにイ・マッチが優しい表情を浮かべている。
「なるほど。これを守りたいから、イチジローさんはああまで感情的になっていたのですね」
「…………俺は一度、守れなかったからな」
心底後悔をしながらイチジローはうつむいた。とはいえフォローしようとして思い浮かばずに困っているサブローが視界に入ったので、すぐに明るさを取り戻す。
イ・マッチに右手を差し出し、握手を求めた。
「だから今度は守りたい。竜妃を倒す手助けをしてくれ」
「もちろんです。私はそのために、ようやくあなた方に直接接触をしたのですから」
ニィ、と挑戦的な笑顔を浮かべるイ・マッチは、獲物を前にした獰猛な獣に見えるほどの凄みを感じた。
竜妃は逢魔の支援を受けることなく、単独でガーデンと対立し、時には逢魔の情報を流すなど、力だけでなく頭も回る難敵だ。
逢魔の首領以上に厄介な敵を前に、頼りになる味方が出来たことをイチジローは歓迎した。




