一○八話:猫の見舞いとファンタジー
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「ジュートーホー違反とかこっちの世界は面倒くさい」
ロッドケースの中から創星が愚痴りだした。フィリシアは担いでいるミコの方を向き、苦笑いをする。今、彼女はタマコとミコの三人で病院の廊下を歩いていた。
こちらはガーデンとつながりの深い病院で、サブローは一人部屋で療養していた。本人の状態もあるが、魔人であるために少々特殊な扱いをしないといけない。これはイチジローもそうだと説明された。
ガーデン――いや、上井のことは信頼しているので、いまさら思うところはない。きっとサブローに必要な処置だと信じて病室へと向かった。
「うぅ、緊張してきた」
「師匠さんもですか……」
どうにも足取りが鈍くなってしまう。青ざめて引きつった顔のサブローが頭に浮かんでは消える。
「まあまあ、二人ともしっかり顔を見に行こうよ。会いに来たかったんでしょう?」
明るく促すタマコにミコは「それはそうだけど」とため息をつく。やがて短い距離は進み終え、サブローの部屋の前に到達する。
「……ん? 誰かと話している」
「先客でしょうか?」
言いながらもフィリシアは不思議に思った。園長とは道中すれ違っており、他に誰か来ると知らされていない。
とりあえずドアを軽くたたくと、サブローに入室を許可されたので遠慮なく入っていく。扉を開くとベッドのサブローと椅子に座る黒猫の半獣が三人を出迎えた。
「えっ!? あれ……あの!」
半獣族を目にしていたミコや、もともと異世界の住民であるフィリシアはともかく、タマコは非現実的な光景にうろたえた。大声出しそうになった親友に、音もなく忍び寄った黒い毛皮の人物がそっと人差し指を当てた。
「これは驚かせてすみません。私はフィリシアさんと同じ世界の住民で、怪しい者ではありません。病院ですのでどうか落ち着いてください」
「は、はい……」
優雅な所作で頭を下げてから、タマコの手を取って事前に用意されていた椅子に座らせた。彼がもともと座っていたものも含めて四つ用意されており、事前に準備していたようだ。
「お、イ・マッチじゃねえか! お前、なんで青の世界にきてんの?」
「我らイルラン国は青の世界とつながりが深く、ある程度行き来が可能になっています。創星様、今まで黙っていて申し訳ありません」
「え!? い、いや別にいいけど……そりゃ教えてほしかったけど……」
創星が複雑そうにブツブツ呟いている。放置して互いに自己紹介を終え、イ・マッチに椅子を勧められたが、フィリシアとミコはサブローとの距離の近さが気になっていた。不用意に彼を怯えさせるのは本意ではない。
しかし肝心のサブローはじっとフィリシアとミコを見てから、安心したように息をついた。
「大丈夫そうです……」
「とはいえ魔道具頼りのままではいけません。医師と相談し、本格的に治療に入ってくださいよ」
イ・マッチの忠告を聞いてフィリシアたちは目を見開いた。涌いた疑問を創星が解消し始める。
「あーアニキが首にかけている袋? なんと言えばいいかよーわからんけどそいつが魔道具か。精神状態をある程度正常に戻す奴だな。考えたもんだ」
「神社で売られているお守りっぽい。書いている文字は向こうの世界のだけど……」
「私の国でもお守りと言います。ちなみに神社も存在します。いろんな異邦人が日本の文化を伝えて再現していったら、イルラン国の文化と混ざってしまいました」
それはいいのだろうかと、フィリシアは疑問だった。しかしながら、魔道具のおかげだろうがなんだろうが、久しぶりにサブローとまともに顔を合わせられるのは嬉しい。
喜んでいるミコやフィリシアをよそに、タマコはイ・マッチに熱い視線を送っていた。
「それにしてもフィリちゃんたちの精霊術や、創星くんみたいなファンタジーなものを見てきたけど、獣人まで目にするなんて……」
「おっと、細かいようですが私は半獣族で獣人族とはまた別です。こちらで言いますとネコ耳イヌ耳といったいわゆるケモミミが獣人。我ら半獣は……ケモ度がより高くなる、と言ったところでしょうか。ここでケモ度が通じる人はいますか?」
「はい、はい! わたしわかります。もしかして漫画とかアニメが好きですか?」
「ふふふ、その通りです。同好の士に会えたようですね。サブローさんには通じなくて困っていたところです」
タマコとイ・マッチが意外な話題で盛り上がり始めた。勇者であるのにずいぶんと子どもっぽい趣味がある物だとフィリシアは感想を抱く。
「けどイ・マッチがこういうことで魔道具を貸すとか珍しいな。魔法使うよりしっかり治した方がいいって言うタイプだろ?」
「まあそうですが……我が国に来てもらうには魔道具に頼ってでも、体調を整えてもらう必要がありますので、仕方ないかと」
「国……イルラン国にですか? それはまたどうして?」
フィリシアが問うと、イ・マッチは難しい顔をした。なにか無理難題を頼もうというのだろうか不安になる。
「エンシェントドラゴン様がサブローさんに会いたいと仰ってきました。無碍にすることも出来ず、こうして御頼み申しに来たしだいです」
「エンシェントドラゴンってーと……○△×◆か」
「え? 創星さん、今なんと仰ったのですか?」
「アネゴ二号、エンシェントドラゴンの本名は人には発音できない音なんです。まああいつもエンシェントドラゴンって名前で呼ばれるのに満足していましたが」
「ふはー、ドラゴン。今日はファンタジーの大盛りだ……」
タマコがうっとりとしながらつぶやいた。ドラゴンも多種多様であり、凶暴で強大な魔物扱いだったり、理性的で人語も理解する神獣だったり様々だ。エンシェントドラゴンなら後者で間違いないだろう。
「ハハハ、面白いお嬢さんだ。いっそのこと私の国に来てみますか?」
「イ・マッチさん。その、魔道具を貸したことは感謝をしていますが、タマコを連れて行きたいというのは困ります」
「わかっています。すべては逢魔を倒してから、ということですね。私も連中を倒してから、招待したいと思っています」
サブローとイ・マッチは真剣な表情を交わしてから確認を終えた。タマコは残念そうだが、フィリシアは二人の勇者と同意見だ。
「それでは私はお暇させていただきます。大事な方々との時間を邪魔して申し訳ありません」
「いえ、気にしないでください。助けていただいたわけですし」
サブローの返答を確認し、イ・マッチは「また来ます」とだけ告げてから布のようなものを羽織った。すると半獣族の姿が一転、中年男性の姿に変わった。不思議に思ってフィリシアはつい質問する。
「魔法ですか?」
「いえ、我々ケットシー族に伝わる秘術です」
ケットシー族とは半獣族の中でも猫の姿をしている一族を指す。イルラン国だけでの呼び名で、王族に連なるために特別な呼び名を名乗ったと司祭の授業で習った。風の里の、懐かしい思い出の一つだ。
王族らしく気品を感じさせる手振りで別れを告げ、半獣族の王子様は去っていった。
園長に今回の一件を報告すると、涙まで浮かべて背もたれに体重を預けてから放心をした。
サブローに避けられて一番衝撃を受けていた人である。近づいても大丈夫だと保証されて泣くほどうれしいのだろう。フィリシアも思わず鼻の奥がツーンと痛くなり、彼女を強く抱きしめる。
これからサブローは仮初の健康で体調を整えていかないといけない。今後も見舞いに来るイ・マッチと相談しながらスケジュールを調整する予定になっていた。彼との出会いが救いになることを、フィリシアは精霊王に祈った。
そのまま施設の広間に向かい、待機していたエリックたちにも教えた。
「それにしても勇者イ・マッチ様がこちらの世界で活動していたなんて、すごい話ですね」
「けどさ、知っていたなら逢魔が動いたときに手を貸してくれてもよかったんじゃねーの?」
ケンジが口を尖らせて不満を述べる。アレスやクレイも微妙な顔をしていた。唯一接したタマコは擁護したいが、その材料がなくて困っている様子だった。
しかし、エリックがケンジの言葉にやんわりと反論する。
「いえ、竹具志一族の話は聞いたことがあります。ガーデンへ多大な出資をしている方々で、充分なほど力を貸していると言えます」
「いやなんでお前、そんなことを知っているんだよ。いつの間にかこっちの世界に来ていた勇者よりよっぽど怖いわ」
クレイとアレスがケンジの発言に同意の頷きをしたので、エリックはショックを受けた。仲良くなった職員からいろいろ教えてもらっているようだが、どこまで知っているのやら。
「けどこれで食べ物の差し入れとかできるようになるんだな。今度新しいお菓子を持って行きたいんだな」
「ちゃんとお医者様の許可が下りてからです。しばらくは食事制限を受けるようですし」
「なにはともあれ、サブローにいちゃんが回復しそうで良かった。……おれたちを助けたにいちゃんがあんな状態になるのは、正直きつかった」
アレスが落ち込んで本音を漏らした。サブローやみんなの前では明るく振舞っていた彼だが、やはり衝撃を受けていたらしい。
サブローが不調だといろんなところで影響が出る。完治するのはまだ無理でも、良くなってほしいとフィリシアは願わずにはいられなかった。