九十七話:三対三
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フィリシアは自分以外の五者の強さに翻弄されていた。敵だけではなく、味方にも。
ミコが背中のリングを全力で稼働させて縦横無尽に駆けまわる。最高速度はともかく、小回りが利かないはずなのに全身あらゆる箇所から炎のギフトを噴出させて無理やり軌道を変えていた。
急制止をしたミコは炎を纏う巨大な拳を振るう。カマキリの魔人、カセは鬱陶しそうに避けながら仲間に怒声を放った。
「ミズ! ヒだけでなくあたしも守りなさいよ!!」
「断る。……こちらも手ごわい」
亀の魔人の丸太のように太い腕から放つ拳が、ナギの小枝のような細い腕から繰り出された拳とぶつかって拮抗する。いつも余裕の笑顔を浮かべていた彼女だが、今はただ歯を食いしばって敵に対抗していた。
そして亀の魔人がいったん引き、入れ替わるように蛍の魔人が飛び、振り上げた炎の塊をナギへと投げつけた。フィリシアは大きくした風の弾丸をぶつけ、仲間の安全圏を確保する。
二つに割れた炎の間を、ナギは駆け抜けて光をまとう聖剣を魔人へと振るった。カァン、と甲高い金属音が響き渡る。再び前に出たミズが両腕でナギの一撃を受け止めて固まっていた。
「ぐっ……体力が……」
「まったく、虹夜の聖剣持ちはこれだからやっかいだよ」
ミズの発言を肯定するように、聖剣の力で軽いやけど跡の消えたナギが後退してフィリシアと並んだ。よく見ると亀の魔人の腕から血が流れ落ちている。頑丈そうな魔人だというのにさすがはナギであった。
ミコもナギも、伝説の魔人に引けを取らずに渡り合っている。一人だけ取り残された気がして、フィリシアはずっと焦っていた。
「ふふふ、弱い愛しい人……」
「アハハ、カセは失礼だねぇ。けどま、あんたらの中では一段劣るわ、偽勇者さん」
ヒに侮辱されてフィリシアは内心ほぞを噛んだ。この場で自分が一番劣っているのは明白だ。援護はしているものの、実質フィリシア以外の二人で魔人三人を相手してもらっている状況だ。
申し訳なく思っている彼女の前で、ミコとナギが不敵に笑って相手の言葉を否定する。
「なにを言っているかさっぱりわからんな。戦場に立ち自らの役割をこなしている。直接戦うことしか知らない無知な魔人よりも、何倍も立派なことをフィリシアはしている」
「ま、そういうことよね。えらそうにするなら、あたしらを倒してから言いなさいよ」
頼れる二人が堂々と啖呵を切って挑んできた。挑発された魔人の怒気が膨らんでも、そよ風のように流している。自然とフィリシアは笑い、そして気力が身体中に充実してきた。
呼応して風の精霊が集まり、無数の風の塊が生まれる。一つ一つがフィリシアの思い通りに動く風の暴力だ。
「ずいぶんはしゃいでいるな、フィリシア」
「大丈夫です。一発もナギと師匠さんに当てません。いえ、かすらせもしません」
「頼りになる。あいつらの動きを鈍らせるだけでいいからね。傷をつけようとか考えちゃだめだよ」
ミコの指示にフィリシアは無言でうなずく。天使の輪で強化されたとはいえ、風の精霊術では魔人である三人に傷を負わせることができない。だが、生み出す衝撃までは無視できるものではなかった。重量級の亀の魔人でさえも、三つ四つ風の塊をぶつければひるませることができる。
フィリシアは自分ができること強く再確認し、風の弾丸を放った。唸る空気の塊が三体の魔人の行動を制限する。嫌がらせのような働きだが、ナギとミコが仲間にいる以上、実に効果的だった。
風の塊を受けてカセとミズが衝撃でよろめき、その隙をナギがつく。傷を負わせる聖剣の一撃は確実に相手の体力を削っていった。
「調子に乗るんじゃないよ!」
ホタルの魔人であるヒが火の魔術を使って空気の弾丸を焼き尽くし、フィリシアに迫った。ミコがいち早く反応して割って入り、ガントレットを横っ腹に叩きつける。
素早い敵の動きが止まったのを認識してフィリシアは風をいくつか刃に転じさせ、ブーメランのように曲がった軌道で切り刻む。亀の魔人のように頑強でないとはいえ、やはり魔人の外皮は厚く浅い傷がせいぜいだった。
それでもある程度の痛みはあるようで、追撃を炎で焼いて当たるのを避ける。その隙をミコがこじ開けてさらに打撃を加えていった。
「この……勇者でもないくせに……」
「でも魔人を倒すプロ」
言い切ったミコに大ぶりの一撃を与えられ、敵対していた魔人は吹き飛んでいった。その身体を弟であるミズが丁寧に受け止め、ナギと斬り結んでいたカセが一時退避する。
「……愛しい人に近づくのに、あの二人じゃま。ヒ、交代」
「その前に言いたいことがあるわ。正直ちょっと舐めていたわね。聖剣以外に魔人に対抗できる武器が生まれていたとか、知らなかったわ」
「本気、出そう」
ゆらり、と幽鬼のごとく三体の魔人が脱力した。フィリシアは嫌な予感がする。見回せば、ミコやナギも警戒を一段強めていた。
「カセ、あの小娘は好きにしな。私とミズであの生意気ガキ二人をとっちめる」
「うふふふ、ふふふふふふふ。ああ愛しい人……」
嫌な視線を送られてフィリシアの背中に悪寒が走った。亀の魔人の両手に魔法陣が生まれる。
「切り裂く」
男が低く呟くと、両腕からシーサーペントが放った水のブレスのような水流が発射された。地面を砕きながら進む水のカッターをフィリシアたち三人は飛び退いて回避する。霧状に散った水に細身のシルエットが浮かんだ。
「ほらほら、あんたの相手は私だよ!」
ヒが眼前にいたミコに組み付いて、フィリシアから離す。ナギは目の前をミズによって壁のように立ち塞がれていた。となると、最後の一人は必然こちらに向かってくることになる。フィリシアは風を放射状に放ち、霧を吹き飛ばして視界を確保した。
「ひゃぁぁああぁぁぁあぁっ!! 愛しい人、今そちらに行きます!!」
たまったものではない。フィリシアは自分が制御できるギリギリの大きさの空気弾を五つ練り上げ、外皮の薄そうな四肢を狙って撃ちだした。
強化された精霊術の威力で武器を取り落とさせたものの、敵の勢いは殺せず接近を許してしまう。
「抱きしめてあげる―!!」
両腕を広げる相手に、フィリシアはあえて近づいた。予想していなかったのか敵の反応が数瞬遅れる。いつかやったように翼を回転の勢いに乗せてぶつけ、弾き飛ばした。
予想外の行動で敵の隙を作り、そこを突く。サブローが得意としている手を再現できて、フィリシアはホッとするが油断はせずに次の手に移る。先ほどの大きさの空気弾を次々生みだしてはひたすら叩きつけた。
「くはぁ……モーレツ…………」
悦に入って身もだえするカセに嫌悪を抱いてしまう。やはり自分では決定打を与えられない。悔しさに歯ぎしりしながら、それでもできるだけ引きつけようと決意をした。
そんなフィリシアに、師匠と仰ぐ人から指示が飛んでくる。
「フィリシア、たつ巻をカメにぶつけて!」
疑うことなくフィリシアは実行する。迫ろうとするカセはミコが行き先を阻んだ。ヒと二対一になる形を受けて苦しそうだが、彼女ならなんとかすると信じる。
いつか水族館で行った規模のたつ巻を、ナギが距離を取ったことを確認してから一直線に放った。
「並の魔人ならひとたまりもないだろう。だが、俺には無意味だ」
亀の魔人は巨大な水の壁で風の侵攻を阻む。風と水が互いに削り合うが、フィリシアの方が分が悪い。今にも押し返されそうだが、これ以上は自らの風を強くすることは不可能だった。
「中途半端な風の精霊術じゃ、うちの弟の水魔法は崩せないよ!」
「……あんたもさ、火を使うならよくわかるでしょ。風はよく燃えるって!」
ミコが全身から絞り出すように炎をたつ巻に向けて放ち、たつ巻を食らって巨大な炎の竜となる。炎と風の暴力が水を蒸発させながら蹂躙していった。
フィリシアはその思い切りの良さに唖然とする。下手な方向に中途半端な炎を撃てばただ吹き散らされる結果になるのに、このぶっつけ本番でミコは成し遂げてしまった。訓練でこちらの精霊術を嫌ってほど見ていたとはいえ、恐ろしいセンスである。
「ぐっ、なっ!」
ついに水の壁を食い散らかし、炎のたつ巻が亀の魔人を飲み込んだ。
「あののろま! 使えないね!!」
「それはないんじゃない。あんたたちだって、いまからあそこに行くんだから」
ミコががっちりとヒとカセの腕を捕まえている。肘のあたりから炎を吹きだして加速して、二人の魔人を強引に投げた。
「……はあああぁぁ、あの人から、離れたくなぁぁい!」
カセがカマキリのような羽を動かし、減速を試みる。それでも勢いは殺せず、たつ巻に引き寄せられていた。しかし、この魔人の目的はもう一つあった。
なんと一緒に飛んでいたヒの胴体を踏みつけ、蹴った勢いで難を逃れる。
「カセ、あんたぁああぁぁ!」
「アハハ、愛しい人ぉぉぉぉっ!」
仲間すらまったくの躊躇もなく踏みにじり、カセがフィリシアへ跳びよってきた。その一連の様子を見て、フィリシアはもう怖くなくなっていた。
「通すわけが……」
「ないでしょ!!」
ナギとミコがカセを斬り、殴り飛ばした。こちらには心から信頼している仲間がいる。仲間すら使い捨てにする敵なんかに、負ける気はしなかった。
油断なく聖剣と拳を構える二人と並び、フィリシアも風の精霊を周囲に浮かばせる。生まれたての小鹿のようにがくがくと身体を震わせるカセを前に、油断なく警戒をしているとナギが視線を移動させた。
「姉さん!!」
今にも飲み込まれそうなヒを、全身炎に包まれたミズが炎のたつ巻から脱出して助け出した。暴風の中を強引に進んだせいか外装はあちこちひび割れ、自慢の甲羅も半壊し、炎に焼かれ続け、血まみれになっている。
傷だらけの魔人はせき込み、血を吐き出してから姉に自分の火が移らないように丁寧に降ろした。
「ふふ、ミズ。あんたはやっぱり頼りになるねえ」
あまりの調子の良さにミコが思わずツッコんでしまう。
「…………さっきと言っていることが違う」
「おだまり。とはいえ、さすがにこのままあんたたちと続ける元気はないね。悔しいけど、今回は負けを認めてあげる」
「逃がすと思うか?」
ナギが聖剣を下段に構え、ミコが拳を構えた。退路を断つためフィリシアも風の塊を生みだした。
「ま、犠牲は必要だろうね。ミズ、頼んだよ」
「もちろんだよ姉さん」
陶酔したように亀の魔人が応え、両手から濁流を放った。ナギをつかんで空を飛び避けながら、フィリシアは血を吐き出し、ひび割れた外装が剥がれながらも奮闘する敵を目撃する。
ミコが見ていられないという表情を浮かべながら、鋭く問うた。
「あいつ、あんたを使いつぶすことしか考えていないよ。どうしてそこまで……」
「関係、ない。俺にとって姉さんがすべて! それ以外の人間など知ったことではない!!」
ミズはそう言い切ると、せき込んで血を吐き出しながら殺意を向けてきた。
「俺と姉さん以外の人間は、みんな殺してやる! 七難とか呼ばれて馴れ馴れしくするあいつらだって邪魔だ! 俺と姉さんさえいればそれでいいっ!! いいんだ!!」
ポロポロとひび割れた外装を落としながら、亀の魔人は己の目的を呪詛のように吐き出した。全身に浮かび上がらせた魔法陣から渦を呼び出し四方に展開する。
うねり狂う水柱を見てから、ナギがこのままではまずいと勘付いた。
「いかんな。あいつ水の国を沈める気だぞ」
「そ、そんなことが可能なんですか!?」
「わからん。だが、少なくともこの一帯は奴の水魔法で破壊されている。これほどの魔力を所持していながら、魔人であるとは恐れいる。だからこそやるぞ」
感心しながらも、ナギは冷静に敵をしとめることを宣言した。隣に浮かんでいたミコもうなずいて指示を飛ばす。
「フィリシア、風の刃を。あたしが燃やす」
先ほどの炎と風の組み合わせを、今度は風の刃で行うことをミコは宣言した。フィリシアは滑るように相手に向かい、ミコの指示に従って風の刃を敵に射出した。
隣を飛ぶミコが炎をまとわせ、燃える風の刃が敵を切り裂きながら焼いていく。すさまじい痛みに呻きながらも、亀の魔人はなりふり構わず突進して拳を繰り出してきた。
「なっ!」
ミコが受け止めたのを確認し、敵の魔人は咆哮をあげて左拳も繰り出そうと構えた。その腕をフィリシアから飛び出したナギが光をまとう聖剣で斬り飛ばす。
血の尾を引いて離れる自らの腕に一瞥すらせず、大口を開けて剣を振り下ろした姿勢の勇者に食らいつこうとした。すかさずフィリシアはミコと視線を通わせ、炎をまとわせた空気弾を口内に送り込む。
間をおかずミコが巨大な機械の拳を魔人の口へと叩きこみ、ナギに届くのを阻止した。堅い魔人の外装を砕かれるが、敵は傷だらけのクチバシをさらに食い込ませて巨大な拳を噛み切った。
初めて天使の輪が傷ついたのを目撃したフィリシアは目を瞠るが、ミコは冷静に残った手甲部分を前に出して追撃を防ぐ。弾き飛ばされる彼女と入れ替わるようにナギが踏み込んで加速し、輝く聖剣の刃を首に食い込ませた。
「いか、せない!」
敵の殺意の意志によって首の筋肉が収縮し、半ばまで食い込んだ刃をぴたりと止めた。
「姉さんのところにはいかせない。たとえ一人でも、道連れにしてやるぅぅぅ!!」
喉を内側から焼かれ、半ばまで首を斬られた状態で魔人は吠えた。凄まじい執念を前にフィリシアは恐ろしくなる。しかし、恐怖による硬直は一瞬だけで済んだ。続けてナギを殺さんとする一撃を目にして彼女は動いた。
巨大な真空の刃を刹那の間で三つ生みだして、聖剣が食い込んでいる傷口の反対方向に向かわせた。殺到する風の刃が残りの肉を断ち、首なし魔人の拳がナギの眼前でぴたりと止まる。炎のたつ巻で脆くなっていなければ、こんなことはできなかっただろう。
どうにか仲間の無事を確認してフィリシアは安堵のため息をついた。そのため視線が下がり、地面を転がり止まった魔人の頭と目が合ってしまった。
「あっ――」
直前での彼の呪詛を思い出し、すべてをぶつけられたような気がしてフィリシアは一歩後ろに下がった。戦っている最中は無我夢中であったが、初めて人を殺してしまったのだ。
これは命のやり取りであって、フィリシアがやらなければナギがやられたのだと頭ではわかっている。それでもこみあげてくる恨み言への恐怖と、自己嫌悪からは逃れられなかった。
「フィリシア、助かった。それと切り替えろ。まだ敵は残っている」
ナギがそっけなくも、気遣うように声をかけてきた。おかげでどうにかフィリシアは正気に戻り、まだ青ざめたままだがどうにか次の行動に移れた。
「フィリシアはすごいね。あたしなんて初めて殺したときは一日中引きずったよ」
「初めての殺害はさほど堪えなかったが、いい“灯り”を持つ者を殺さないといけないときはきつかった。……善良な相手でも、殺し合わなければならないこともあるとあのとき知ったからな。こればかりは慣れろとしか言えない」
ミコとナギがそれぞれの体験談を語る。サブローのこともあってか、人間でなく魔人であると誤魔化さず、だけど慰めにきてくれた。心づかいがとてもありがたい。
二人に応えるため、フィリシアは無理やり微笑んで風の探索術を起動する。天使の輪で強化された術が広範囲の状況を伝えるが、女の魔人二人の姿を見つけることはできなかった。転移の祭壇の方面を探っても見つからないため、本気で逃げたようだ。あんなにフィリシアに執着していたカセでさえも。
そのことを報告するとミコは苦い顔をする。
「弟だっていうのに、置いて逃げたんだ。あんなに命を張っていたのに、あいつ……」
「一方通行の想いとは哀れだったが、破滅的な愛情に他人を巻き込もうとした悪党だ。わたしが言うことではないかもしれんがな」
和ませようとした冗談なのかナギは自虐を混ぜた。一応自覚があったことに驚き、幾分冷静さが戻ってきたとフィリシアは理解する。我ながらげんきんなものだ。
まだ罪悪感で心臓が大きく鼓動を刻み、油断すると膝が笑いそうになる。それでも休んでいる暇はなく、フィリシアは深呼吸をして二人を正面に捉えた。
「サブローさんたちのところに行きましょう。あちらには四体の魔人が残っているはずです!」
「そうだな。しかしその前に……ミコ、それで戦えるのか?」
ナギが半壊したミコの右手甲を指して尋ねた。フィリシアも心配そうに初めて目撃した壊れた武具を見た。
「後で修理に出さないとなー……また大目玉食らっちゃう。ま、この状態で戦うのは初めてじゃないしどうにかなるよ」
慣れた様子で言いきるミコを見て、フィリシアは直せるんだと密かに安堵した。いつか自分が壊しても、度合いによっては力を失うということは避けられそうだったからだ。
ミコの発言を受けて納得したナギは行き先に視線を向ける。フィリシアは唯一飛べない彼女をつかまえて、サブローたちの元へと急いだ。