十話:狩りを手伝います
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フィリシアの雰囲気が戻ったことを、アリアは歓迎した。
彼女はもともと明るく笑顔の絶えない性格である。
里を滅ぼされ、族長の娘という重圧が彼女の笑顔を奪っていた。
急に笑顔を取り戻したフィリシアに対する仲間の反応は様々だ。
鈍感なアレスは変化に気づいていないが、聡いエリックやクレイは何があったのかと首をひねっている。
アイは慕っているフィリシアが元気になったことを純粋に喜んでいる。
そして肝心の笑顔を蘇らせた魔人サブローの反応は不可解なものだった。
「サブローさん、おはようございます」
「お、おはようございます。フィリシアさん……」
基本的に笑顔で挨拶を返していたはずのサブローは、ここ最近はなぜかフィリシアの前で戸惑うようになっていた。
彼の性格上ニコニコと明るく笑う彼女は喜ばしいはずなのに、なぜか心配でたまらないという表情をしていた。
それにしてもこの魔人、他人の心配ばかりしている。
「あの、フィリシアさん。無理はしていませんか? どこか辛くありませんか?」
「絶好調ですけど……サブローさんこそどうしたんですか?」
「いや、その、げ、元気ならいいんです。よかったー」
ぎこちない様子のサブローに対しフィリシアは釈然としない顔を浮かべている。
アリアとしてもよくわからない。最初はフィリシアを女として意識していたのかと思ったのだが、すぐに違うことに気づいた。
サブローの態度は年頃の娘とどう接していいかわからない男親、つまり一時期のアリアの父親そっくりなのだ。
少し話を聞き出す必要があるだろう。
アリアは面倒なことになったとため息をついたが、恩があることも理解しているため無碍には出来なかった。
アリアはフィリシアが再び笑うようになったきっかけを知っていた。
里を襲われて以来、すぐ起きられるように眠りを浅くする癖がついた。
そのためあの晩、起きていたフィリシアに気づき、不審に思ってこっそり後をついていったのだった。
正直夜中に女が男のもとに向かうのはいかがなものかと思う。
しかし、フィリシアは強い責任感でそのことを思い至る余裕がない。
あの人の好い魔人が何かをするとは思えないが、一応警戒はしておく。
鋭い感覚を持つサブローに気づかれないよう慎重に動きながら、アリアは二人の会話に聞き耳をたてた。
内容としては軽い世間話から入り、生存者を発見できなかったことや王の動き、そしてフィリシアたちの母の話へと移り変わっていた。
あの優しい族長夫人が亡くなったことはアリアも悲しい。当たり前だがフィリシアはより衝撃が大きく、今にも崩れ落ちそうだった。
青い顔で激しく震えているくせに、必死に強がって持ちなおそうと努力する姿は痛々しい。
里を出る直前、エリックとともに目撃したフィリシアも似たような状態だった。
彼女の生真面目な性格が悪い方向に出ている。アリアが飛び出して駆け寄ろうとする前に、サブローが動いた。
そこから先は傍から聞いているアリアの方が赤面するほど、優しい言葉で慰め始めた。
最初は口説こうとしているのかと思ったが、慰める手つきは幼子への対応に近く、マリーに対する態度と変わっていないことにあきれ果てた。
周りに言われるためアリアはませている自覚があるが、年頃の美しい娘を前にしても一貫した対応をする彼は本当に男なのかとすら疑う。
とはいえ今は非常事態である。サブローの男として疑わしい態度はとてもありがたかった。
アリアはため息をつき、気疲れしたため寝床へと戻った。
一度サブローが泣き疲れたフィリシアをマリーの隣の寝床に降ろしに来たため、薄目で様子をうかがう。
毛布を掛けながら心配そうにフィリシアの頭を撫でて去る姿は恋愛対象へのそれではなく、なんとも言い難いものがあった。
食料が残り少なくなったためエリックと相談し、早めに野営して狩りに出ることにした。
アリアはマリーの相手をしているサブローを誘いに向かう。
「サブローさん、狩りを手伝ってもらえない?」
「喜んで! でも魚とり以外は下手くそなんで指示をお願いします」
快諾しつつ指示を仰ぐ魔人に面喰う。出会ったときから思っていたのだが、彼は能力の高さの割にプライドがないようである。
マリーの手を引くサブローを連れてフィリシアに報告すると、アレスが口を出してきた。
「なあ、魔人のにーちゃんが離れるのってあぶなくね?」
「そこまで遠くにはいかない。魔人の感覚は鋭いし、離れていてもここの危険は察知できると思う」
「まあアレスさんの意見はごもっともです。ですので、前々から考えていたこいつを使うとしましょう」
サブローがいつも使っている腰の袋を開け、卵型の何かを取り出した。
底の方に紐がついているが、全体的な大きさは手のひらに収まるほど小さく、どういう意図で出したのか理解できない。
渡されたフィリシアも同じ意見らしく、すぐ質問する。
「サブローさん、これなんですか?」
「防犯ブザーと言いまして大きな音を出すだけの道具です。下の紐を引っ張って取ると大きな音が鳴りますので、僕なら遠く離れても拾えるって寸法です」
「へー、マジか。どれどれ」
「……ん? もう一つ手元に……しまった。アレスさん、少し待って……」
アレスが試しにと紐を引っ張った。
瞬間、けたたましい音が暴れまわる。
アリアの全身の毛が逆立ち、防犯ブザーとやらにナイフを向ける。アレスは腰を抜かし座り込んでいた。
サブローが素早く紐をさし直すと、爆音をあげていた物体はぴたりと静まる。
「はうぅ……」
「お、おねえちゃんしっかり……」
音源に一番近いところにいたフィリシアは目を回して耳を押さえている。
音が鳴ってすぐ逃げたマリーはいち早く回復したらしく、姉の肩をゆすっていた。
離れて水の安全を確かめていたエリックを始め、クレイ、アイも何事かと注目している。
「申し訳ありません。間違えて改造した奴を渡してしまいました。こっちですこっち」
「おにいちゃんはわるくないよ。勝手にひっぱったバカアレスが全部わるい」
「うるせー、耳がまだキンキンする……つか改造ってなんでこんなもんを?」
「大きな音を無視できる人は滅多にいないので、投げつけると隙ができて便利ですよ」
「意外とこすい手をつかうのな!?」
「僕は魔人では弱い方でしたからね。工夫するしかありませんでした」
「は? にーちゃんで弱い方? どんだけ魔境なんだよ魔人界隈……」
アリアは珍しくアレスの意見に同意した。探索術を活用したこともあり、サブローの戦果を知っている。
遺跡からの道のりで王国兵の影も形もないのは、彼の活躍によるものだ。
そんな圧倒的なサブローという魔人でさえ弱い方だという。
つくづく凶悪な魔人が呼び出されないでよかったと精霊王に感謝を捧げた。
野営地をきめる前に狩場として目をつけていた林の中に入る。
通りがかりにウサギを見かけたので、どうにか手に入れたいと思ったのだ。
さっそく探そうと隣のサブローを見上げると、浮かない顔をしている。
原因は送り出すフィリシアの笑顔だろう。相変わらずこの魔人は心配性で、身体の調子を聞いてはフィリシアに首を傾げられていた。
「サブローさん、なにか気になることでもある?」
「そうですね。えーと、もうご存じだと思いますが、フィリシアさんが最近よく笑うじゃないですか」
「うん、それとごめん。そうなったきっかけ知ってる。夜にフィリシアさんと二人きりで話しているのを聞いていた」
「……え? 見抜けませんでした。すごいですねアリアさん。魔人の五感ですら捉えることで出来ないなんて」
「そこ? 勝手に聞いたし怒られると思ったんだけど」
「友人が夜中にどこか出かけるのを心配してついていくなんて、普通じゃないですか。……あれ? もしかしなくても、夜中に女性と二人っきりになるようにお願いしたのはまずいのでは? なにをやっているんですか僕は!?」
「今気づいたの……?」
頭を抱えてうずくまるサブローの姿に、アリアは絶句する。
いくらなんでもこの魔人は抜けすぎている。
「ハァ……話を戻すよ、サブローさん。それで笑顔が戻ったフィリシアさんになにか問題があるの?」
「その笑顔なんですがね、無理して作っているんじゃないかって心配なんですよ」
「なんでそんな結論に?!」
アリアは不可解すぎて思わず素でツッコミを入れてしまった。
サブローはあくまで真剣な表情だ。
「まああの時の会話を耳にしているので知っていると思いますが、フィリシアさん胸の中にいろいろため込んでいました。最初に会ったときから無理しているとは思っていましたが、想像以上にまずい状態だったみたいです」
「……うん、みんな気づいてもなにもできなかった。いや、アレスだけは鈍いしそうでもないか」
そしてフィリシアの危うい状態は乗り越えた。アリアがそう結論を告げようとする前に、サブローが続ける。
「それなのに次の日は笑顔で挨拶してきました。これは思いましたね。優しいフィリシアさんが僕に気遣って、無理やり笑っているのだと!」
お前は何を言っているんだ、と返しそうになってアリアは急いで自重する。
サブローの思考回路が飛びすぎて理解できなかった。
「そんなことないと思うけど」
「いやー、あれだけため込んでいたのに愚痴を吐いただけで、スッキリ解決なんて都合が良すぎます。もっと僕に対して召喚主だと傲慢に振舞ってもいいのに、まじめすぎますよ彼女」
魔人だと傲慢に振舞っていない何かが言ってくる。
なんで話をしていてこんなに脱力しないといけないのだろうか。アリアは呆れて盛大に息を吐いた。
「なのであの話をアリアさんが知っているのは都合がいいです。フィリシアさんのフォローをお願いします。僕なんかより付き合い長いわけですし、細かいところにも気が利きますし、頼りにしています!」
「うん、いいよ。もうそれで……」
無邪気に頼み込むサブローを前に、アリアは投げやりになって流れに任せることにした。
これ以上面倒を見きれないのだ。フィリシアのためにも、出来れば早いうちに彼が納得して欲しいと願わずにはいられなかった。
「それで狩りをするのなら僕はなにをすればよろしいのですか? なんでもしますよ!」
やたら乗り気で指示を求めるサブローを前に、アリアは気を取り直して狩りに意識を切り替える。
魔人にして欲しいことがあったため、弓矢を手に要求を伝え始めた。
「まず魔人に変って食べられそうな獣を探して」
「探索術は使わないのですか?」
「複数で狩りに出たときはそうするけど、結構集中力を使うから弓矢を使っているときは危ない。だから今回精霊術は別のことに使う」
サブローは了承し、姿を変えて周囲を探る。父と狩りに出たときはアリアは逆の立場で探索術を使っていた。
観測者と狩りを行うものに分ける手法は、地と風の精霊術一族なら珍しくない。
いずれも探索能力に長けた術が使えるからだ。
「ふむ。ウサギを見つけました」
「どこ?」
「あそこです」と指をさされた場所は茂みの中であった。
アリアは弓を構えながら問いかけた。
「あの中が見えるの?」
「まさか。隙間があったのでその間から見つけました」
「隙間……」
アリアは視力がいいが、茂みの隙間とやらは見つからない。疑問に思っていると当事者の魔人が答えをくれた。
「僕は魔人の中でも特に視力に優れています。死角もありませんしね。目が大きいからですかねー」
のんびりした口調とは裏腹に、明かされた能力はとんでもなかった。
たしか夜目も利いたはずで、あの夜によく発見されなかったな、と内心舌を巻きつつアリアは矢に精霊をまとわりつかせた。
視界を狭め、狙い以外意識の外に追い出し、弓を引く。同時に精霊術を起動させた。
矢が軌道を安定させ、風を吹き出し加速する。茂みの中心に飛び込むと、獣の断末魔が聞こえた。
「おお、命中です。お見事!」
「ありがとう。じゃあ回収にいこうか」
「しかし矢が風を出して勢いを増したのですが、あれが今回使いたかった精霊術ですか?」
「うん。子ども用の弓だと威力も距離も限界があるから、それを補うために自分であみだした」
「オリジナル魔法! ワクワクする単語です。アリアさんはもうそんな高度なことができるのですか!?」
「高度なんてものじゃない。大人になったら使わなくなる精霊術よ。力がないのを誤魔化しているだけだし」
「いやいや、今こんなにすごい効果なのに、大人になって使えない魔法になるなんてあり得ません。今頑張っていることこそ、後で活きてくるものです。日々精進、きっとこの魔法もすごいものになりますよ」
サブローがやたら褒めてくるため、アリアは照れ臭くなった。
とりあえず礼を言い、赤くなった顔を誤魔化すために、獲物をとりに早足で向かった。