一話:カイジンくん異世界へ
その日は風が強く波が荒い日だった。
崖の上で男が二人、対峙していた。
「サブ……頼むからもうやめよう」
「申し訳ありません。兄さん、それは出来ません」
絞り出すように訴える西洋甲冑をアレンジしたかのようなヒーローに対し、サブと呼ばれたイカの怪物はそう答えた。
全身は傷を負い、触手は何本か千切れ、イカの怪物はほぼ戦闘力は失っている。
イカの怪物……海神三郎は血のつながらない兄を見据えて口を開いた。
「逢魔のために、僕ができることはもうあなたを殺すことしかありません。申し訳ありませんが死んでください」
あえて他人行儀に喋り、痛む胸を無視しながら自らの所属する組織に思いを馳せる。
逢魔は世界を支配する宣言をし、怪魔人と呼ばれる怪人を駆使するサブローの所属する組織だ。
世界最大の防衛隊『ガーデン』すらも子ども扱いであり、世界への侵攻を推し進めていた。
目の前の兄、ヒーローが現れるまでは。
ガーデンが生み出したただ一人の怪魔人が、次々と逢魔の侵攻を阻止してきた。
しかも怪魔人にならずとも対抗できる兵器も生み出し、組織は疲弊して滅ぶ一歩手前まで追い詰められていた。
そんな中、逢魔の首領はサブローに直々に命令を送り、同じ施設で兄とも慕った相手と殺し合うことになった。
悲しかったが、サブローがとっくに覚悟していた事態だった。
「サブ、お前は洗――されているんだ! 俺と一緒にガーデンへ戻ろう。今は怪魔人の――脳を解く手段は見つかっていないが、生きてさえいれば……」
「兄さん、僕はとてもいい気分です。落ちこぼれの僕が、最大の脅威である兄さんを殺せるかもしれないのですから」
兄の言葉をうまく聞き取れない部分があったが、ずっと変わらず想ってくれているのは理解した。
そのためサブローの胸が痛むが、それでも組織の役に立てる悦びが勝る。
人を殺すのが苦手で同類から臆病者、落ちこぼれと言われている自分を見捨てなかった組織に恩を返せる。
残った触手を束ね、兄を貫くために加速させた。
「くっ、サブ、すまない!」
相手は貫手を作り、急所を外した位置へと打ち込んできた。
中途半端な攻撃では止まらないと判断したのか必殺の勢いを持ち、それでいて無力化するための一撃だろう。
つくづく兄は甘いと思い、自らの体をずらした。
束ねた触手が弾かれ、自分の急所を貫手が貫く。
「サブ、なんで急所に飛び込んで……」
兄の疑問に、思わず自分で答えを見つけてしまった。結局敵対した兄をサブローは殺したくなかったのだ。
不倶戴天の敵なのに、組織に唯一恩を返せる機会を失うのに、それでも愛情が勝ってしまった。
兄を殺さずに済んだことにホッとし、組織に恩を返せないことをすまなく思いながらも、兄を突き飛ばして崖から足を踏み外す。
兄が装甲に包まれた腕を必死に伸ばした。何を叫んでいるか認識できないが、きっと掴まれとかそんな感じだろう。
最期まで優しい人だ。サブローは海に飛び込み暗闇に沈んでいくのを知覚した。
このまま海で終わるの悪くないと思っていると、光が身体を包みだす。
「これはいったい……?」
急な展開にサブローは戸惑うが、光は輝きを増していく。
やがて視界が白く染まったとき、彼は地球から姿を消した。
謎の発光が収まると、いつの間にかサブローは洞窟の中にいた。
周囲は薄暗かったが、怪魔人として向上した身体能力は岩肌の壁を視界に入れ、自分が何らかの祭壇の上に立っていることを把握する。
先ほどまで海中にいたのにいつの間に移動したのか理解が及ばなかった。
しかしサブローはその謎が全く気にならなかった。
霧が晴れたような思考の中、ただひたすらに混乱していたからである。
「なぜ僕は逢魔なんかのために……?」
口の中で消えた疑問に答える者はいない。
サブローは震える両手をじっと見つめる。白い、ヌメっとしたイカの皮膚をまとった化け物の腕だ。
不意に先ほどの兄の言葉が頭に響いた。
『サブ、お前は洗脳されているんだ! 俺と一緒にガーデンへ戻ろう。今は怪魔人の洗脳を解く手段は見つかっていないが、生きてさえいれば……』
ノイズによってさえぎられていた単語が鮮明に蘇る。
そうだ、自分は洗脳されていたのだ。
四年前、十五歳になった日に、ヒーローの兄が久々に施設に帰ってくることを知り、兄弟たちと一緒に祝おうと思った。
買い物を済ませ、兄の顔を思い浮かべていた帰り道に怪魔人と遭遇してしまった。
そのまま兄への人質として使われたならまだよかったが、どうやら自分は怪魔人へとなる素質を持っていたらしい。
逢魔は家族で殺し合わせるためにわざわざ改造し、落ちこぼれで人を殺すのを避ける自分でも手元に置いていたのだ。
吐き気がこみ上げてきた。
血がつながっていないが、優しく強い兄だった。
ヒーローになる前から自分たちを養うためにと必死に勉強し、体を鍛えていた。
ガーデンに就職してヒーローになったのもすべてはそのためだ。
大切な兄を裏切った事実に押しつぶされそうなサブローは、自らを呼ぶ声を聴いた。
「魔人さん!」
幼い声だった。聞こえた方向にサブローが振り向くと、はちみつ色の髪と瞳を持つ七、八歳くらいの女の子がいた。
大きな目に涙をため、薄汚れた衣服をまとう子どもが叫ぶ。
「お願い、おねえちゃんを助けて!」
震えながらも必死に勇気を絞り出す少女の目線を追い、彼女の姉らしき存在を見つけた。
妹らしき少女と同じはちみつ色の髪をポニーテールにまとめ、同じ色の瞳を持つ綺麗な顔を苦痛にゆがめている。
彼女は革鎧の男たちに組み伏せられていたのだ。
サブローは再び助けを求めた子どもに視線を合わせ、大きくうなずいた。
「ええ、僕に任せてください」
サブローは混乱も後悔もひとまず置いて、地面を這うように駆ける。
兵士らしき男たちはうろたえているためか動きは遅い。
無防備な腹へと触手を打ち込み、姉である少女から離した。
意識を失った兵士を別の兵士が抱え、槍を向けているが狙いが定まっていない。
「今ここで逃げるのであれば追いません。やり合うなら容赦はしませんよ?」
言い終えると同時にサブローは兵士のそばの岩を触手で砕いた。
一気に兵士たちの顔が恐怖で染まり、我先にと逃げ始める。
その姿が見えなくなったのを見届け、サブローは少女たちを探した。
「おねえちゃん! よかった……よかったよ~」
「マリー、ごめんなさい、ごめんなさい!」
姉妹はお互いの無事を確かめて抱き合っていた。
よかった、とサブローは心の中でつぶやき、限界を迎えた身体が人間の姿に戻った。
さすがに貫かれた状態で無理をしすぎたのだろう。倒れ、このまま緩慢に死が訪れるのを待つ。
強化された身体は楽に死なせてくれないらしい。
兄を裏切った自分にはお似合いの最期だとサブローは自嘲しようとしたが、上手く笑みを作れない。
正直言って死にたくなかった。
兄との最期の思い出が殺し合い、後悔させて終わるなんて嫌だった。
洗脳されていたとはいえ、自分が作り出した罪を償いたかった。
施設の園長先生に恩を返していない。弟や妹たちに心配をかけっぱなしだ。未練が多すぎる。
どうにもならない現実に絶望し、身体が冷たくなるのを感じながらサブローは最期を待った。
唐突に身体が熱くなり始めた。
サブローが残った力を総動員して瞼を開くと、先ほど助けた姉妹が傍で手のひらをかざしていた。
彼女たちの周りで半透明の妖精らしき存在が光を送っている。
この幻想的な光景が最期に見る景色なら悪くない、とサブローが再び目を閉じようとして気づいた。
身体の傷がふさがって血が止まっているのだと。思わず魔人の内部検査機能を使う。
砕けたはずの骨も、傷ついた内臓も、完治とまではいかないが自然治癒が可能になる程度には回復していた。
サブローは上半身を起こし、不思議な光景をいまだ続けている姉妹を凝視する。
姉の方は急に起き上がった自分に対し身体を強張らせ、少し怯えていた。半透明の妖精らしき存在が彼女を心配そうに見ている。
まあその反応は仕方がない。サブローは世界規模でテロ行為を行っている怪魔人である。
警戒するなというほうが無理があるだろう。
それでも好奇心は抑えられず、サブローは半透明の妖精らしき存在をまじまじと見つめた。
サブローの世界には一般的に隠されているが、ギフトと呼ばれる超能力がある。
一人一種類、何らかの特殊能力があり、逢魔も研究していた謎の力だ。
実はサブローが育った施設もギフトによって不幸になった児童を保護していた。
もっともギフトを使える人間は少ないため、サブローをはじめとした普通の子どももたくさんいたのだが。
それはさておき、初めて見るこの癒しの力をギフトと呼ぶには違和感があった。
妖精が存在するなんて初めて知ったし、傷を癒してくれるなんて驚きだ。
いったいこれは何だろうか? サブローの思考が戸惑いに満ちたとき、
「魔人さん、けがはもういいの?」
心配そうな声がかかった。
サブローはハッとして姿勢を正し、姉妹に向き直す。
「助けていただきありがとうございます。僕は海神三郎と申します」
「カイジン? サブロー?」
「海神が姓で三郎が名前です。気軽に三郎とお呼びください」
「サブロー? 魔人さんはサブロー……サブロー……」
サブローは幼い舌で自分の名前を転がす少女に、施設の妹や弟たちを思い出して懐かしくなる。
しかしいつまでも和んでいるわけにはいかないだろう。
警戒と怯えを含んでいる姉と目を合わせて、なるべく友好的な笑みを浮かべた。
まあわざわざ作らなくても妹であろう少女の愛らしい様子で、自然と微笑んでしまうのだが。
「本当に助けていただいて……どれだけ感謝をしたらいいのか。僕に出来ることがありましたらなんでもおっしゃってください。力になりま……」
「なんでも……本当になんでも聞いてくれますか……?」
姉がこちらの言葉の途中で被せた声は震えていた。
恐怖によるものとはまた違う。渇望していたものをようやく探し当てた人間の声色だ。
整った顔だちの少女が絞り出すように言うとまた迫力がある。
サブローはやや気圧されながらも、しっかりうなずいた。
「お願いします……魔人サブロー様。私たちを……風の精霊術一族を王国軍の虐殺から助けてください!」
穏やかでない単語にサブローが目を見開く。
余裕がない姉はその様子に気づかず、状況の説明を始めた。