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勇者ばんぱいあ  作者: NE
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第六十三話 王族悲嘆

少女が二人、王城内の暗闇を歩いていた。


己の頭部ほどの大きさ をした魔法の灯りを先頭に茶褐色の髪の少女、第五号ディディモが微塵の迷いも見えない足取りで通路を歩き、その後ろ を暗い金髪の第六号レビが(しき)りに周囲を見渡しながら、小走(こばし)り になって追い駆ける。

傀儡(ダビング)の魔法に(おか)されたディディモが息子(ナザレ)を目指して城内を進み、レビが勝手に付いて行く。ただ それだけの光景だ。


何処か遠くから響いてくる破壊音が彼女達の鼓膜を揺らし、城の内壁を通して僅かに足裏へと振動が伝わる。


――何か、予定外の事態が起こっている。


国王の意識を刷り込まれたディディモが両目を細めて歩きながら推測したが、些かも検討が付かなかった。

ナザレが黒騎士達を用いて城内の武力制圧を行っている今現在、シェオルの王城内部には ソレに対抗し得る程の戦力が存在しない、筈だった。


主要な役職に就く城勤めの騎士達は、魔王討伐軍に参戦させた。武官として一定以上の立場に在る以上、彼等個人に相応の武力が伴うのは当然だ。そういった力有る者ほど城外へ、魔王を目指して出征(しゅっせい)している。

そうなる ように国王が手配した。だから問題など起こり得ない。

なのに現状、何らかの変事が起きている。戦闘と呼べるだけの事態が、だ。それが酷く不思議で、同時に酷く不愉快だ、とディディモの心は感じていた。


「……」


考え込んでいたディディモが僅かに口を開き、しかし何も言わずに すぐに閉じる。

片手が前髪の毛先を掴み、千切れんばかりに強く下方へと引っ張った。

今はナザレとの合流が最優先、無駄な思索(しさく)で足を鈍らせる わけにもいかない。それが分かって いながらも、少女の瞳が ぐるぐる視線を巡らせて、無駄な思考に固執(こしつ)する。


国王バプテスマの冷静過ぎる計算が、第五号ディディモの未熟な精神に掻き乱される。

現状は あくまでも彼女の脳に国王の記憶と人格が刷り込まれたに過ぎず、精神の基礎部分はディディモのものだ。だからこそ都合良く事が進まない。合理的な思考によって為すべき事を理解出来ても、無駄な感情が心の底から湧き出て邪魔をする。


複数の人格情報が混ざり合った結果、その内面において価値観の統合が不十分なまま行動を開始。精神が分裂した かのように、行動規範を矛盾させながら動き続ける。この分裂症状が行き過ぎれば言動も思考も行動も、彼女の全てが支離滅裂たる有り様に堕ち、果ては文字通りの狂人だ。

傀儡の魔法が禁忌(きんき)の術たる所以(ゆえん)。優れた能力を持つ召喚執行師として飼育されてきたディディモを術式の対象とした からこその失敗である。


本来ならば設定された条件を満たし次第、他の十二王女達も国王の予備として起動(・・)する筈だったのだが、大半がナザレの食事に(きょう)されて、他は個別に設定された条件を満たす事無く今に至っている。


未来を完全に予測する事など叶わない。

それは国王自身も既に理解していた事であり、今 此処にある歴然たる事実として、傀儡の魔法によって作り出した道具達は ただの失敗作。と、そういう事になる。

少なくとも、現状に限って(ひょう)するならば、だが。


「ディディモ?」


脳内の処理に思考の大半を囚われたディディモの足が、その動きを鈍らせる。


小走りで追従していたレビが彼女(ディディモ)の背後に追い付くが、姉に対する心配そうな内心を、生来(せいらい)の不器用さ ゆえ表に出せずに名前だけを口にした。

が、返答は無い。


今、ディディモの脳内では情報の再統合が行われていた。


中身が矛盾したままでは狂うだけ。(ひず)みが拡大して精神が崩壊するような事態を(まぬが)れる為には、人格と記憶の刷り合わせが急務である。

生物としての防衛本能によって父娘(おやこ)の思考が幾重(いくえ)にも重なり合いながら錯綜(さくそう)し、脳 以外の身体の動きが停止した。


どのような形に収まるにしろ、彼女という個体(せいぶつ)が生き続ける為には必要な事。

王と王女の どちらに傾くか、或いは完全に混ざり合って別物と化すのか。天秤(てんびん)が揺れる様に両者の情報の(せめ)ぎ合いが行われ――。


それを()ち壊す存在が城の天井部を打ち()いて、絶叫と共に現われた。


(さかのぼ)る事 僅か数分、召喚執行師 第十二号(ケファ)の血を飲んだ正一が戦線に復帰、ナザレとの戦闘を再開した。


戦況は――拮抗している。


吸血鬼(ヴァンパイア)め、化け物(ヴァンパイア)め、邪魔者(ヴァンパイア)めッッ!!!!」


両眼を(たぎ)らせてナザレが吼える。

国王(ちち)が死んでから僅か一日にも満たない時間で、自分(ナザレ)を取り巻く状況は次から次へと悪化していく。


――それも これも全て、吸血鬼が悪い。


自分が殺され魔物に なったのも、十年以上を暗がりの中で祈り続けた事も、母が死に、父が死に、恩師が死に、実妹さえも が己を見捨てた理由の全てが。――何もかもが、吸血鬼のせいだ。

激情に包まれたナザレは心の底から そう思った。目の前に居る黒髪の吸血鬼を殺して、その背後で うっそりと笑う銀髪の吸血鬼を更に殺して、自分を見捨てた薄情な妹も形さえ残らぬように殺してしまおう。


ケファが自身(ナザレ)から逃げた という当然の事実に対する動揺と、圧倒的な弱者たる正一を踏み(にじ)嗜虐(しぎゃく)行為に対する歓喜の念。その二つのみで埋め尽くされていたナザレの思考は、ここに至って吸血鬼に対する怨嗟(えんさ)一色に染め上げられた。


実に魔物らしい、完全なる力押し。(ちから)に満たされた吸血鬼の暴虐。

十数年分の(さび)を落としつつあった人の技術が、怒りに流され抜け落ちていた。


だからこそ、ナザレの激情が冷めるまでの僅かな時間に限り、新たに(ちから)を取り込んだ正一は、真っ向から彼と打ち合い拮抗する。


この時を(のが)せば勝機は無い。

押し切れなければ死ぬだけだ。


権能発動(アクセス)


顔に刻まれた碑文が輝き、何処か遠くで無機的な音声が木霊した。唯一ソレを聞き届けた正一は、幻聴であると切って捨てた。


正一の肉体が補給したばかりの魔力を根こそぎ吐き出し、吸血鬼(おのれ)の肉体は神聖光に侵されて、頭部 右側面から順に、白銀色の人型へと(へん)じていく。

もはや魔物が神の祝福を利用している、などという段階ではない。肉体そのものが祝福属性の魔法と化して、ただ強力過ぎるだけの筈の握り拳が魔物を滅ぼす兵器と成り果て、正面に立つナザレ目掛けて襲い掛かった。


正一が優れた執行師(ケファ)の血を啜って十分な補給を終えた直後とは言え、互いの魔力保有量には未だ歴然とした格差があった。

だが――。


拳を振りかぶった正一を躱し、ナザレの蹴り足が、神聖光の浸食が届いていない彼の左の膝を砕く。しかし血を撒き散らし ながら形を復元、すぐさま床を踏み締め前へと進む。

散々 使い潰した長剣は先程マリアに投げ付けており既に無く、ナザレの手元には武器なぞ己の五体のみ。蝙蝠如きに変身した所で、祝福の属性を前にしては痛打(つうだ)どころか無意味な消耗。


現状は一転、ナザレが不利だ。

だからと言って、目の前の怨敵から尻尾を巻いて逃げるなど(もっ)ての(ほか)の話である。到底 (ナザレ)には受け入れられない。


「っく、僕とした事が――!」


劣勢に立たされた事で、ナザレの思考が冷えていく。

だが状況を立て直すよりも尚 早く、白銀の吸血鬼が彼の目の前に踏み込んだ。


「逃がすと、思うのかあ――?」


突き出された正一の拳。矛先(ほこさき)を逸らそうとナザレの片手が咄嗟に伸びたが、人型の神聖光に焼かれて煙を上げた。

ナザレの抵抗は攻撃の勢いを殺すには全く至らず。正一は そのまま、握った拳を打ち下ろすように殴り付ける。


「たっぷり喰らえよお、糞野郎(やろ)お――ッッ!!!!」


分厚い石製(せきせい)の床がナザレという緩衝材(クッション)を間に挟んで、それでも打撃の勢いを押し殺せずに、限界まで()ぎ込まれた魔力と全力の一撃に耐える事など全く出来ず、爆発音にも似た無機の悲鳴を上げながら、下へと繋がる大穴を開けた。


嘲笑(あざわら)い ながらの打ち下ろし。

あからさまに悪役の台詞だったが、口にした正一は己の言動の不味(まず)さ に気付かぬまま、瓦礫を伴いナザレと共に下の階層へと落ちていく。


「……ぐええっ、苦し(きっつ)いなあ」


体内のエネルギーを根こそぎ(しぼ)り取られた かのような倦怠(けんたい)感。

白銀色の光が徐々に顔の文字列へと引き戻されて、全身に(みなぎ)っていた力が()れていく。

床に転がり立ち上がろうと もがいてみたが、生まれたて の小鹿も驚くような緩慢(かんまん)さ。全身が震えて今にも意識が落ちてしまい そうだった。


そして殴られた胸部(きょうぶ)から見る間に塵と化しつつあるナザレもまた瓦礫に包まれ床に転がり、身を起こす事さえ出来ずに浅い呼吸を繰り返していた。


「ナザレ」


(ナザレ)に呼び掛ける平坦な声音に、赤く輝く視線を向ける。

其処に居たのは茶褐色の髪を伸ばした一人の少女。本来ならば第五号ディディモと呼ばれるべき人物だったが、ナザレは彼女の名前を知らない。知る必要も無い。


何よりも、――彼女(ディディモ)の声音は とても聞き憶えの あるものだ。


少女が吸血鬼(ナザレ)の傍らに膝を突き、髪を()き上げ首筋を(さら)した。

何をしようと しているかなど、考えるまでも無い事だ。


消耗したナザレの、吸血鬼の舌が疼き、乾いた喉が熱を発する。彼の中の魔物としての本能が、緩やかに滅びつつある肉体が、目の前の生物の生き血を欲して声無き叫びを上げていた。


「でぃっ、ディディモ! 何を やっているの!?」


ディディモの背後から掛けられた鋭い声音に一瞥(いちべつ)さえも与える事無く、平坦な声の少女(ディディモ)が飢えた吸血鬼(ナザレ)に己を捧げる。

それを見て、死に瀕した己が現状を振り返り。――ナザレの(まなじり)から涙が零れた。


「ちちうえ」


似ても似つかぬ少女の姿。しかしナザレには判別出来る。


十数年間、ずっと。国王(ちちおや)の顔しか見ていなかった。

人に会えば喰ってしまうと脅えて(すく)み、暗がりの中で定期的に訪れ新鮮な血液を与えてくれる老人とだけ顔を合わせて過ごして来たのだ。

ずっと。ナザレの味方は父だけだった。


「――どうして、僕なのですか」


そしてナザレを追い込んだ人も、暗闇の十数年間においては国王バプテスマ一人だけ。


「なんで、っ」

「……ナザレ? どうした、早く血を飲まぬか」


友を殺し、部下を殺し、挙句の果てには母親までも吸い殺し。なのに生き長らえる未来を押し付けた。

それが国王の見せた父親としての愛情であり、ナザレが苦しむ最大の理由(げんいん)


殺してくれれば、逃げられたのに。


そう思っても、口に出した事など一度も無かった。

自分で自分に幕を引く勇気さえ消え失せ、ずっと祈るばかりで引き篭って。そんな臆病者に「王になれ」などと無茶な言葉を口にする。


「父上が やれば良いじゃないか」


ずっと、言いたかった事だった。


「僕じゃなくて父上が、ちちうえがっ、吸血鬼に なれば良かったのに!!!!!!」


言ってはいけない、とナザレの中の人の部分が ずっと我慢していた言葉。

心の弱った化け物(むすこ)でなく、苛烈にして賢明なる国王バプテスマが永遠の王と なれば良い。夢があるのならば他者に押し付けずに自らの手で叶えて しまえ、と。

それはきっとナザレだけでなく、王に仕える騎士達も一度ならず考えた事だろう。


何故ナザレなのだ。何故、自分で やらない。どうして、嫌だ。――やりたくない。


「いやだっ、もう、嫌だ……。僕、は」


子供のように泣き叫びながら、ナザレの肉体が崩壊していく。

首筋を晒したままのディディモ。彼女の瞳が ぐるぐると混乱するように視線を巡らせ、音の出ない口元ばかりが頻りに開閉しては歯を打ち鳴らす。


「僕は、――ごめん、なさい、ははうえ」


声を最後に、大量の黒い塵が通路上にて舞い上がった。


残った物は薄汚れた衣服のみ。

第五号(ディディモ)第六号(レビ)元勇者(しょういち)の目の前で、かつての第一王子ナザレが、自責の念に押し潰されるかのような形で全身を塵と化して完全に滅びた。


「なざ、れ――」


先程からずっと同じ、目の前に居た息子(ナザレ)へ首を晒したままの体勢で、ディディモの口から老木(ろうぼく)が圧し折れる ような声音が漏れた。


それっきり、その場には静寂のみが広がっていた。

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