第六十一話 不死円舞
王子と勇者。本来ならば相争う立場に無い筈の両者が、微塵の躊躇も無く目の前の相手を殺しに掛かった。
腕を振るう。蹴りを見舞う。共に蝙蝠に変身して牽制する。城内の調度品を掴んで投げ付ける。砕いた瓦礫で撃ち落とす。
彼等の戦いの影響で、一秒ごとに城内の崩壊が進行していく。
何の意義も無い、ただ暴れ回るため だけの獣の闘争。そんなもの のために、権威あるシェオル王国の中枢を担う絢爛な城が、積み木細工のように容易く崩され瓦礫と化していった。
「――死ね」
悲嘆と憎悪に衝き動かされているナザレが冷たく呟く。
調度品として通路上に据え付けられた美しい鎧甲冑から装飾用の長剣を鞘ごと引き剥がし、吸血鬼の豪力と正規の騎士剣術をもって斬撃を見舞った。
「効くわけ、無えだろうがあ――!」
首を断たれ、片腕を斬り飛ばされ、なのに負傷を物ともせず正一が吼えた。
肉体に刻まれた負傷は すぐさま消え失せ、流れ落ちた血液だけが城内の床に跡を残して戦闘が続く。
効かない、と正一は言ったが、それは嘘だ。効果が無いわけが無かった。
吸血鬼という名の魔物は、体内の血液を消費して生きている。
動けば動くだけ消耗するし、斬られた傷口から外部へと流れ出せば当然 体内の保有量は減少する。即座に行動不能となる わけでは無いが、不死種族とて攻撃を受ければ その分だけ滅びに近付く。正一の吐き出す罵声は ただの挑発だ。
両者共に、それを理解した上で戦っている。
ナザレは このまま攻撃し続ければ勝てると踏んだ。
正一も言葉面だけは余裕ぶっていたが、互いの有する戦闘技術の格差に己の不利を悟っていた。
「ちぃ――っ!」
舌打ちを一つ。正一の右腕が白銀色に輝くと、変身した無数の蝙蝠が海中で列を成す魚群の如くに寄り集まり、光り輝く銀の巨腕を形成した。
今現在の戦場である、城内の通路を丸ごと埋め尽くすほど巨大な右手。
白銀の輝き、神聖光。神の祝福を表す色彩。
神の祝福と地上の魔物は相容れない。触れるだけでも苦痛と不快感に見舞われて、体内に浸透すれば内側から祝福という名の毒が回る。
正一の放つ白銀の一撃、仮に受ければ致命的な劣位を得るだろう。
ゆえにナザレの判断は迅速だった。
「――ソレを相手に、真面目に やり合う つもりは無いよ」
真横にある城の石壁を いとも容易く蹴り崩し、大量の瓦礫と砂埃の中に躊躇いも無く身を躍らせる。
的が居なければ、如何に大規模な攻撃手段を用い ようとも意味が無い。消えたナザレの背中を追って、正一は振りかぶった巨腕を そのまま真っ直ぐに真新しい壁の穴へと突き込んだ。
直接 拳で殴った場合とは全く異なり、神聖光と同化している だけの小柄な蝙蝠の群れでは城の壁面を打ち砕くには威力が足りない。ナザレを追って宙を駆け、穴を潜ると羽音と共に正一の視界から消えていく。
魔物相手ならば祝福は とても有効的だ。そういう意味で、戦闘面での相性に おいては正一の側に こそ分があった。
しかし同時に、たかが蝙蝠の大群程度では戦いに慣れた元王子を殺すには不足が過ぎる。
轟音と共に、近場の壁面ごと正一の身体が蹴り飛ばされた。
「がぁッ!? ――げっ、ぐぅ、う、ううう!!!」
「遅いよ、化け物」
薄っすらとした嘲笑さえ浮かべながら、壁を蹴り抜いたナザレの片脚が虚空を掻いて、再度 正一に襲い掛かる。
ナザレの側に十数年分の空白期間があってさえ、戦闘経験に差が有り過ぎた。
王族自らが戦場に立つという思い切った手段を選べるほどの、血気盛んな王子様だ。両者が積み重ねた技術の格差は比較するのも おこがましい。
かつて森の外で黒騎士を相手に戦った時と全く同じだ。
敵は強く、己は弱い。
神の恩恵による限定的な神聖光の発生、それは確かに魔物を相手に優位を築ける最高の手札だ。正一ではない他の誰かならば、このような手段は決して取れない。
しかし そもそもの問題として、実力の差が大き過ぎた。
彼等は共に元人間の魔物、不死種族、強大なる吸血鬼である。ゆえに肉体の性能差は有って無いような ものなのだが、直前まで魔力が豊富な十二王女の生き血を啜っていたナザレと、魔王消滅 以後に食料を満足に確保出来ず、ようやく捕らえた数少ない獲物さえも未だ人型を取り戻せないマリアに優先して与えていた正一。
どちらに余裕が あるかなど、考えるまでも無い事だ。
飲んだ血の量が少ないために、正一の身体は未だ本調子とは程遠い。見た目こそ五体満足に取り繕ってはいたが、中身が伴っているとは到底 言えない。
更に言えば近接戦闘に要する技術も、王族自ら戦場に立つ事を許される文武に優れた元王子と、喧嘩も ろくにした事の無かった一般学生では比較対象が悪過ぎた。
喜び勇んで喧嘩を売って、なのに然程 時を要する事無く己の敗北が目に見えている。傍から見れば非常に格好悪い。――それを自覚した正一の精神状態は、徐々に負の方向へと傾いていく。
「ぐ、ぞ、があ――!!!」
負傷 度外視の突撃戦術は軽く いなされ、右半身に纏わり付く白銀の光も確実に当てなければ効果が無い。戦闘開始後、僅か一、二分で互いの実力差は明白だ。
血が足りない。
自分が劣勢に立たされて いる原因が分かっているのに、それを埋める為の手段が無かった。
城内の人間達は、今も必死に身を隠している者達を除けば皆悉く殺されており、周囲を見渡しても血の臭いばかりで死体も見えない。
ナザレに従う黒騎士達とて、今は城内の人間を外へ逃がさぬために王城を囲んでいる最中だ、ゆえに中には誰も居ない。玉座の間に居た僅か数名のみが、報告のために足を運んだ例外だった。
自分を召喚した金髪の少女を喰べて おけば良かった。――脳裏に浮かんだ魔物の思考を、歯を食い縛る事で無理矢理 追い出す。
正一の右目が輝きを増し、白銀色の光が一際 強く燃え上がる。
それを やってはいけない。それを やれば、此処に喚ばれた意味が無い。
自分を助けてくれる誰か――勇者を求めたが故の、此度の召喚。成し遂げた所で得られるもの の大半は正一個人の自己満足だが、助けを求めた当人を犠牲にする つもりは欠片も無い。血が足りなかろう が耐えるだけ。耐えた上で、勝利する。
――勇者になるのだ。
つまらない独り善がりの望みを抱き、元勇者の吸血鬼がもう一度 敵を睨み付けた。
「息が上がっている ようだね」
「――五月蝿え」
悠然と正一を見下ろす美貌の吸血鬼。消耗の度合いは歴然としていた。
互いの初期値に差が有る上に、戦闘の趨勢もナザレが圧倒的に圧している。
床に這い蹲って血を撒き散らす正一と、不意を打たれようと十分に対処可能な距離を開けた上で、更に相手の調子を崩すための軽い挑発さえ交えるナザレ。
このまま状況が進めば、正一の敗北は避けられない。
覆すために必要なものは何時かと同じ、外部からの影響以外に望めなかった。
第十二号ケファは荒れ果てた玉座の間にて立ち尽くし、呆然とした表情で腕の中の赤色を抱き締めていた。
状況の推移に、意識が全く追い付かない。
彼女の求めた存在、召喚された勇者の姿。一風変わった風貌の、黒髪に二色の瞳を持つ吸血鬼。
魔物が喚ばれた事も予想外だが、己の召喚が叶った事実の方が彼女にとっては衝撃が大きい。
何も持っていない、何も出来ない自分にも、出来る事が確かにあったのだ。
その事実だけで既に十分。吸血鬼に制圧された王城内、敵は所属不明の黒騎士が多数。八方塞がりの現状を、ケファの喚び出した吸血鬼が解決出来ようが出来なかろうが、もはや少女には どうでも良い。
価値が有った。意味が有った。絶望しか無い状況で、己の呼び掛けに応えてくれる勇者が居た。
それだけで彼女は嬉しかった。それ以上の何かを自分が手に入れられるなんて、欠片も想像出来なかった。
「勇者様――」
兄を名乗るナザレとの邂逅以後、或いは もっとずっと以前、十二王女の末番として生まれて以降、常に打ちのめされ続けていたケファの心は、一掬いの光明を手に出来ただけで完全に弛緩し切っていた。
少女の軽い身体が音も無く床へと崩れ落ち、ぎゅっと腕の中の赤を抱き締める。
そんな彼女に、黒い鎧姿が近付いた。
「ケファ様。此処は危険です、どうか こちらへ――」
土煙の舞う玉座の間に居残っていた黒騎士の一人が、ケファへ その手を差し出した。
彼等が新たな王と仰ぐナザレが、常に己の傍に置くようにと気遣っていた少女。王の係累たる第十二号ケファを守る事は、黒騎士達にとって重要な事だ。
ナザレの不興を買わぬために、騎士としての職責を果たす為に、純粋に彼女を守るために、黒い鎧の騎士が意識して穏やかな声を出す。
「――っう、ぅ」
だが、ケファにとっては彼等もまた加害者の一人。あのナザレに従っているのだ、とても味方とは思えなかった。
何よりも、彼女の姉達を吸血鬼の餌として差し出したのは他ならぬ黒騎士達自身である。どうして その手を取れようか。
黒い鎧を前に ぶり返した恐怖に身を縛られ、立ち上がり後ずさる事さえ出来ず、ケファは ただただ震えていた。再び涙が込み上げて、今にも叫びを上げんとする少女の姿に手を差し出した黒騎士も如何なる対処を するべきか、と僅かに悩んだ その刹那――。
ケファの腕の中で、赤い粘体が ぶるりと震えた。
差し出されていた騎士の腕、黒塗りの篭手。それを目掛けて赤が奔り、瞬く間に鎧の隙間、内側にある騎士の素肌に喰い付いた。
「――ぇ、」
「えっ?」
一瞬だけ、騎士と少女が共に呆けた。
気が付けば、ケファの腕の中から赤い何かが消え失せている。
粘液状の血液の塊、マリアの変身した姿。
変幻自在の赤い粘体が するりと内側に潜り込み、鎧に包まれた人型の魔物の皮膚を毟り取ると、その下にある血管ごと、体内を流れる新鮮な生き血を喰い漁った。
「あ゛あ゛ぁあああああああ――ッッ!!!!!」
形容しがたい未知の激痛が黒騎士を襲う。
赤い粘体の行うソレは、血を吸う、などと言う生易しいもの ではない。
それは捕食だ。
無理矢理 喰い破った皮膚の下へと不定形の肉体を薄く広く浸透させて、諸共 同化するが如くに対象の血と肉と体液を吸収する。
鎧に隠れた魔物の肉体が急速に体積を減らして凋み出す。
ケファが呆然と黒騎士を見上げて、玉座の間に残っていた他の黒騎士達は剣を構え、しかし それ以上の行動には出られない。
被害者の背後に位置する彼等には、突如 同僚が絶叫しながら棒立ちになった ようにしか見えないのだ。何らかの不測の事態が起こって いるとは察しても、適切な対応なぞ分かりはしない。攻撃しているマリアは鎧の内側、仮に剣で斬っても鎧に当たり、神聖魔法で攻撃しよう ものならば、当の黒騎士が魔物であるため同士討ちに なってしまう。
やがて悲鳴が完全に途絶え、鎧甲冑が部位ごとに分かれて床の上へと落ちていく。
現われたのは赤いドレスに銀髪の少女。
ナザレを害する日の光が差し込まぬようにと、完全に外部とは仕切られた玉座の間。
黒騎士の身に纏っていた鎧が ばらばらに なって崩れ落ちた後には、元は居た筈の鎧の中身なぞ何処にも見えず、美しくも恐ろしい吸血鬼の少女だけが立っていた。
「色々と予想外の事態だけど、イスカリオテが喜んでいるのなら私としては問題ないわね。――ああ、そういえば此処は何処かしら? 是非とも教えて欲しいわ」
独白染みた一人言。矢継ぎ早に次から次へと好き勝手な言葉を話す、彼女へ返る答えなぞ一つも無い。
突然現われた吸血鬼と友好的に接しよう などという奇特な感性を持つ人間も魔物も誰も居ないが、吸血鬼の少女には他者と接する際に有って当然の気遣いが全く見られず、尚も一人で言葉を続ける。
「そう。そうね、召喚者以外はいらないわ。とりあえず、貴方達。――死になさい」
荒れ果てた王城、玉座の間にて。
傲慢なる優等種族の、赤い瞳が輝いた。




