第六十話 愚者闘争
高橋恵三は平凡な女子高生である。
実は小学生の彼氏が居たり、異世界に勇者として召喚されたり、己の命が関わる戦場に おいては絶命する最後の瞬間まで一切の冷静さを失わない鋼鉄の如き理性を有していたり するのだが、彼女を個人として評価するのならば、多少 能天気な面がある だけの極普通の少女であった。
王都への帰還に際して恵三が案じていた のは、この世界特有の裏事情に纏わり付く拭い切れない程の胡散臭さだ。
神々に関する古臭い昔話、その内容。
勇者の存在意義と、恵三の先代、第四号までの末路について。
最強の武器を くれるのに魔王は放置する神々の怠慢。
十二王女という不可解な存在と、その出生。
ほとんど全てがゼロテ経由の知識だが、知れば知るほど首を傾げて気分が どどんと沈んでしまう。特に魔王関係は「真面目に やれ」と怒鳴りたく なる程だ。十二王女に限っては真面目に やり過ぎて いっそ狂気さえ感じるが、今更言っても仕方が無い。
第四号勇者の遠征に関する情報を読み返してみても、遣り方が余りに半端過ぎる。
王国内の魔物を駆逐する ためのもの にしては、人里とは関係の無い地域を行ったり来たり。討伐軍に戦闘の経験を積ませるため と言うには雑魚しか出ない地域ばかりを回っていた上、一向に魔王の元へと向かおう とせず、延々と戦い続けて勇者が戦死。
馬鹿じゃ無いかな、と恵三は思わず呟いた。
挙句 第四号 鈴木雄二の最期は国王の出した不可解な進路変更 指示が遠因だ。街一つが滅んだという情報を得るには察知した時期が早過ぎるし、情報源も記載されず、王命である との一言のみで疑問の全てが一蹴されている。
幾ら魔物を倒しても元凶を止めねば やがては増える。件の滅んだ街が、国王が腰を上げる だけの重要拠点という事も無い。
まるで わざと死なせたか のようだった。
国王の動きも、王国の内情も、試練の洞窟で耳にした神々の声とやらも。全てが残らず信用ならない。魔王を討伐した栄えある英雄、高橋恵三は、自身が諸手を挙げて国に歓待して貰えるなどと楽観していなかった。
お疲れ様、もう用済みだから死ね!――という展開とて十分有り得る。そう考えてしまう程度には、王国の動きは怪しかった。
凱旋して、魔王討伐の報告を行い、戦死した皆の弔いを してあげたい。
自分を召喚した灰色の御姫様に、立派な御墓の一つも用意して あげたかった。
心残りを全て晴らして、元の世界に帰還する。
そのためにも、恵三は最後まで気を抜くつもりは一切無かった。
だから、正一に頼んで討伐軍の生き残りを探して貰った。だから、王都への旅路を共にして欲しいと彼に願ったのだ。
「そのつもり、だったんだけどねー……」
黒髪の吸血鬼、恵三の前任者たる第三号勇者。
彼の人となりは大よそ理解出来ていた。
本当に傍迷惑な事に、彼は平凡な人間だった。
力はある。悪運にも恵まれた。人を超越した吸血鬼の身の上であり、魔物の天敵である勇者の率いた軍勢を相手に敗北を喫して、尚 生き延びるような豪運の持ち主。
しかし戦う理由は非合理的で、およそ個人の衝動にのみ従って動き、明確な思想や理念なぞ持ち合わせていない凡俗だ。
計画的な犯罪者ではなく、カッとなって罪を犯す類の悪人。日常においては問題行動の兆しも見えない極々平凡な少年――に、見えるだろう。表面上では。
生まれて十数年の間に培われた社会性によって誤魔化されているが、彼の本性は追い詰められた際に見せるケダモノ染みた暴君の気質だ。追い詰められれば追い詰められるほど、失えば失うほど、極限状態では より強く激しく爆発する。
――所謂、キレるとヤバイ、という奴である。
佐藤正一は世にも恐ろしい勇者殺しの吸血鬼だが、その精神は成熟とは程遠い情緒不安定な子供の それだ。
それでも上っ面だけなら落ち着いている。感情が閾値を超えなければ問題無い。
アレは喋る爆弾だ。起爆しない よう適切に取り扱えば それで済む。その程度の存在だった。
現に恵三は正一と言葉を交わした結果、彼の側に明確な利益の発生しないだろう一方的な契約交渉を成立させている。
それが叶う程度には理性的で、そんな不平等極まりない口約束が交わせる程度には、彼の心には芯が無い。
恵三が頼んだのは生き残りの捜索と、王都近辺までの彼女の護衛。
対価は無い。面倒な損得勘定なぞ、正一は持ち合わせて いないからだ。それでも肯定の意を返したという事は、彼の中では何がしか納得出来る感情があったのだろう。
それで通ると恵三は思った。別に良いかと正一は受け入れた。ただ それだけの話である。
だと言うのに謎の召喚。
銀色の光に呑み込まれて姿を消した正一を遠目に捉え、恵三は肩を落として額を押さえた。
陰ながら自分を警護してくれる筈の大戦力が あっさりと消失。
頭の中で立てていた予定が あっさりと崩され、次の展開も読み切れない。
召喚魔法は希少属性、ゼロテが言うには十二王女以外で使える者は当代において存在しないと見なされている。
と、なると下手人は王城に居残っているだろう十二王女の誰か となるが――。
「――よし、速度を緩めよう」
佐藤正一は世にも恐ろしい吸血鬼であり、凡そ関わる全てに被害ばかりを齎してきた。
彼が王城内部に召喚されれば、絶対に何か面倒臭い事が起こる。具体的に言えば噎せ返るほどに血生臭く、沢山の命が露と消えるような事態であろう。
高橋恵三は冷静だった。至極冷静に、城内にて生まれるだろう数多の犠牲を看過した。
「魔王倒したからね、アタシ。これ以上は無理。ホント無理だから」
言い訳のように口に すると、空を見上げて両手を合わせる。安らかに眠れ、という意思を篭めて。
どちらにしろ、今から徒歩で走ったとしても、正一の引き起こすだろう惨劇の開幕には間に合わない。沢山の負傷兵を抱えた現状で急げと言っても脱落者が増えるだけ。自身の対応次第で生存が確実となる人命、討伐軍の生き残りをこそ優先した恵三の判断は間違っていない。
勇者の剣という絶対的な武器が無い。守りたかった御姫様は死んでしまった。どれだけ急いでも間に合わない。――だから見捨てよう。
高橋恵三は そういった血の通わない判断を下せる類の人間であり、だからこそ魔王を目前とした討伐軍の決死行を止める事無く後押しし、勇者としての責務を果たし得た。
正一が召喚された場所が予想通りの王城なら、きっと大変な事になる。それが分かった上で、恵三は見捨てる。城内の平穏と一緒に、王城に居るだろう人々の命も全て余さず切り捨てた。
結果として元の世界に帰る術さえ失われる可能性が見えていたが、それでも彼女の判断は変わらない。
感情で動く正一とは正反対の、冷徹な損得勘定と可能性の高低のみに己の命を預けられる のが恵三の強味、魔王討伐を成し遂げた勇者の備えた資質であった。
此処で無理に急ぐより、事が終わってから悠々と王城に乗り込んだ方が利が大きい。事態が終息していれば良し、そうでなく とも戦える兵力は傍に有る。
だから共に帰還の途に就いている兵士達には何も告げずに、負傷兵を気遣う振りをして集団の進行速度を遅らせる ように命令した。
王城での犠牲は避けられない。だからせめて自分達が到着した際の生存率を上げるために、そのためだけに、到着までの時間を延ばして己に有利な条件を整える。嘘を吐くし隠し事もする。――全ては自身が勝つために。
人畜無害な顔の裏、それを当然のように出来るのが、高橋恵三という人間だった。
「出来れば帰りたいん だけどね――」
駄目だったら、その時は、その時だ。
諦めよう。
頑張っても無理なら、仕方ない。
一人呟く少女の顔は、何時も通りの能天気なものだった。
懐かしい銀の輝きが正一を包み込み、彼を遠い何処かへと運んでいく。
呼び掛けは確かに耳に届いた。
助けて欲しいと、勇者を望むと、ただ それだけを一心に望む少女の声だ。
誰かの流した大量の血臭が鼻腔を くすぐる。
血塗れの一室、赤い瞳の玉座の主、金色の髪の少女、跪く黒い鎧の騎士が複数。
佐藤正一が勇者として召喚された その日の内に、たった一度だけ玉座の間へと通された事がある。
正一個人としては印象の薄い、王冠を頭に乗せた矮躯の老人。部屋の両端に居並ぶ文武官。勇者たる己に集まる周囲の視線。勇者の傍に控える、――イスカリオテ王女の姿。
あの時と今とは全く違う。
かつて勇者だった少年は人を喰らう化け物と化しており、数多の罪を犯して尚 恥知らずにも王城へと帰還した。
目の前の玉座に座るのも、臨終間近の ご老人ではなく年若い姿の吸血鬼。
「ははっ」
そう考えると笑いが込み上げてくる。
助けを欲した誰かによって、勇者として召喚された。そこだけは変わらず同じなのに、周囲の状況も己自身も、まるっきり別物と化していた。
眼前の吸血鬼の両眼が その内心の動揺からか、ぐるぐると回って輝きを散らす。目の前に突然 同族が召喚された のだから、彼の反応も嘲笑には値しない至極当然のもの なのだろう。
玉座に腰掛けた姿勢のままで、金髪の吸血鬼が口を開いた。
「……なぜだ、」
ナザレの発する声音に憤りなどは全く無い。
彼が考えていたのは、今し方 召喚魔法を使用したばかりの妹の事だ。
済し崩し的に傍に置いて、国を滅茶苦茶にする己の行為、その共犯者としての役目を実妹たるケファに押し付けて精神の安定を図っていた。
何かを させるつもり なぞ毛頭無い。ただ傍で、見ていて欲しかったのだ。
父が死に、恩師を殺し、悲憤も後悔も慙愧の念も、際限なく内側から湧き出す事でナザレ自身を縛り付ける。決して逃げられは しないのだと、彼自身の価値観が彼を貶め傷付けていく。
こうなった原因、事の始まりである国王とアグラファの死を直に目にしたケファならば、ナザレ一人では抱え切れない胸の痛みも苦しみも、共有出来ると勝手に考え、ずっと傍らに置き続けた。
こんなに悪い事をしてしまった。
けれどずっと傍で見ていてだろう?
だから、――君も僕と同じだ、と。
苦しいのならば やらなければ良い。だがナザレには逃げ出す事など出来なかった。
国王の遺言が、恩師を死に至らしめた己の罪が、歪みに歪んだ臆病な彼の心根が、前に進み続ける事を強要する。
逃げられないから道連れを望んだのだ。
積み重なり続ける罪の重みを誤魔化すために、そのためだけに、何の力も無い幼い妹を、己の隣に縛り付けたのだ。
「ケファ、どうして……?」
呆然と問い掛けても、彼と同じ髪色の少女は涙を流して震えるだけだ。
勝手に押し付けたくせに、勝手に裏切られたと傷付いている。
召喚された黒髪の少年。二つの色を宿した輝く両眼。吸血鬼であるという事くらいしか分からない、ケファが求めた誰かの姿。
拒絶された、と感じた。
「――ッ!!!!」
ナザレの中には憤りは無い。
ただ動揺だけがある。
彼は弱く、臆病だ。
人をやめ、友を殺し、部下を殺し、血の繋がった母を殺した事で罅が入った。暗闇で過ごした十数年が かつての王子を狂わせ続け、最後の一押しは父の死だ。
そうなる ように仕組んだ人でなしが居た事をナザレ自身は知りもしない。
もはや彼には逃げ場など無かった。
進み続けるしか無い。なのに、進み続けるために実妹でさえ利用したのに、心の支えとなっていた共犯者が己を裏切った。誰とも知れない吸血鬼を、よりにも よってナザレと同じ存在を呼び寄せ、助けて欲しいと叫んだのだ。
魔物となった事を後悔し尽くしたナザレの前に、皆を殺し母を殺し父が死んだ遠因となった吸血鬼が――己の仇が現われた。
「そうだ、――殺そう」
虚ろに呟き、耳に届いた己の言葉に頷いた。
縋る相手が消えてしまえば、ナザレの心の拠り所は相も変わらず傍に残る。
邪魔だから、殺そう。悲しいから、殺そう。寂しくなるから、殺そう。
――目の前の吸血鬼を、殺そう。
笑いながらナザレが言った。
奇しくも目の前に居る黒髪の少年が かつて やって来た事と同じように、それは ただの八つ当たりだった。
あからさまな悪者を目にして、正一の視界が白銀色に染まっていく。
魔物の身で、人喰いの分際で、誰かを踏み躙る事しか出来ない化け物だというのに、酷く恥知らずな事では あるが――。
「助けを求められたのなら、応えないとなあ――ッ!!!!」
勇者と呼ばれ、求められた事が嬉しくて。
たったそれだけの理由で、佐藤正一は誰とも知れない金髪の吸血鬼との戦端を開いた。
轟音と共に、玉座の間にて吸血鬼同士が激突する。
この場の誰もが知らない事だが。
正一が吸血鬼となった直接の原因、試練の洞窟にて彼を襲った吸血鬼は、ナザレ自身が生み出した眷属である。
それを望んだのは彼ではなく国王であり、生み出された理由も吸血鬼の生態に関する情報を得るための実験体、洞窟内に放されたのも その一環。他は既に処分されて正一とナザレを繋ぐ物証なぞ この世界の何処にも残っては いなかったが。
今 殺し合っている吸血鬼こそが、正一の不幸の元凶だ。
己の不幸を嘆くあまり、周囲に当たり散らして被害ばかりを無駄に広げて、もはや何処にも居ないと思っていた、正一が最も殺したいと願うべき相手である。
それを知らずに、彼は御姫様を守る勇者気取りで戦っていた。
完全に その場のノリと勢いのみ で。恨みも誇りも因果も正義も、何一つとして頓着せずに、何時も通り、佐藤正一は暴れたいから という理由だけで怨敵との殺し合いに全力で臨んだ。
城内の壁が、床が、天井が、人外同士の ぶつかり合いによって土煙と化して砕け散る。
武器も魔法も使わない、極めて原始的な殴り合い。それゆえにナザレを守ろうと身を起こした黒騎士達も手を出しあぐね、一対一の泥臭い喧嘩が繰り広げられていた。




