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勇者ばんぱいあ  作者: NE
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第五十九話 英雄召喚

薄暗闇の王城内、血に濡れた廊下の一角に荒れた呼吸が木霊(こだま)していた。


常駐(じょうちゅう)の騎士、はっ、何を、やっているの、よ……っ!」


少女の声、途切(とぎ)れ途切れの悪態が、壁に背を擦り付ける音と一緒に聞こえてくる。


少女の足元には所々 肌が黒ずんだ人型の死骸。異様に青白い肌色の中に、(まだら)に這い回るような黒が目立った。

やがて黒い部分が乾いた砂のように崩れ出し、ごろりと耳に響く音を立てて、その頭部と片手が床へと落ちる。


「……ぅうっ!」


首の崩れた死体の頭部が少女と視線の合わさる位置まで転がって、両目と両目が真っ直ぐに見つめ合うと、細い悲鳴が引き攣ったように喉から零れた。


人死に とは無縁の生活を送ってきた少女だ。例え相手が真っ当な人間種族では無いと分かっていても、自分の手で活動を停止させ(ころし)た相手の死に(がお)()の当たりに すれば、生理的な恐怖心を覚えても仕方が無い。


(ピュリ)(ファイ)――!」


足元に転がる不自然な死体、動く死骸(リビング・デッド)に負わされた傷痕に手を当てて、少女――第六号レビは自身が魔物と化さぬ ようにと、恐怖に震えながら祝福の属性による浄化を用いて簡易(かんい)的な治療を行う。

しかし所詮は応急処置、(じか)に噛まれた わけでは無い のだから吸血鬼と化す心配は無用だろうが、真新しい傷痕から流れ続ける血を止める ためにも、治療行為が可能な誰かの元へと早急に向かわなければ ならないだろう。


今朝の彼女(レビ)は運が良かった。


城内の暗闇から突如襲い掛かってきた動く死骸を相手に、戦いの心得が無いレビでは身を守れる可能性は とても低い。だが、反射的に片手に持っていた予習用の教本を盾にして、初撃で即死する事だけは回避した。

続いて、赤く躍る両目の特徴から相手を吸血鬼だと判断、熱心に訓練を繰り返した神聖魔法が不死種族の肌を焼き、予期せぬ事態に半狂乱となったレビが連続で使用した魔法の幾つかが運良く魔物の頚部(けいぶ)に当たり、後は相手の動きが止まるまで延々と放たれた神聖光が動く死骸を滅ぼした。


レビの師事する近衛騎士アグラファは、かつて目を掛けていた第一王子が吸血鬼に殺されて、野に下った後も同種の魔物の手によって住んでいた街を滅ぼされた。

吸血鬼(ヴァンパイア)は彼女の師にとっての怨敵だ。決して許せない相手であった。


だからこそ、実際に出くわす機会など無かろうと考えながらも、弟子であるレビには(さか)ん に不死種族(きゅうけつき)に関する話題を振って、今、結果としてアグラファの無意味な気遣いが(こう)(そう)した。


第六号レビは戦士ではない。ゆえに本来ならば此処で死んでいた。

生き残れたのは、ただ運が良かったという それだけの理由だ。


そして幸運など というものは、そうそう何度も続かない。


一分にも満たない時間だった のだが、床に転がる動く死骸との戦闘音を聞き付けたのだろう、暗闇の中から赤く揺れる小さな光が二つ四つと姿を現し、レビの居る場所へと近付いて来るのが目に見えた。


「うっ、うぅぅうぅ……っ!!」


恐怖と嫌悪がレビの心を盛大に掻き乱す。

何時も通りの王城だと思っていた。

しかし現実は全く異なり、次から次へと予想出来ない事態が起こる。


城の中に吸血鬼が、魔物が居るなど有り得ない。イスカリオテ離宮への襲撃に際し かつて一度は あった事だが、レビの認識では夢の中でさえ起こり得ない筈の異常事態だ。

有り得ない。そう思って いても、目の前に あるものは変わらない。


逃げなければ。


レビは戦士ではない。戦うという選択肢は選べなかった。偶然、運に恵まれた結果として一匹目だけは倒せたが、二度三度と同じ事が出来るなんて思えない。何よりも、今のレビは己の想像の埒外(らちがい)を行く事態に直面したばかり、頭の中は恐怖で一杯だった。


怖い、だから逃げよう。――頭の中には それしか無い。


動く死骸に負わされた傷痕が熱を発して、更に焦りを掻き立てる。

傷自体は そこまで深いものでは無いが、生まれて この方 魔法訓練以外での肉体的苦痛とは縁遠(えんどお)かった御姫様だ、十数年の生涯で初めて感じる類の痛みに、泣き出し たくなる程の不快感を覚えた。


壁に背を擦り付けるよう にして、ぎこちない仕草(しぐさ)で立ち上がる。

が、魔物の視線は既にレビの存在を捉えており、逃げ出すには少々 初動が遅過ぎた。


――死ぬ。


恐怖で(しび)れた思考の端に、血の繋がった姉妹達の顔が()ぎっては消えていく。

思い浮かべた十一人の顔の全てが落伍者(らくごしゃ)たる第六号(レビ)を冷たく見下ろして、肉体の痛みよりも姉妹の浮かべた笑顔を知らない事に こそ苦痛を感じた。


レビへの助けなど何処にも無い。彼女の後方 数十メートル先の門の向こう、朝日の差し込む王城と離宮を繋ぐ連絡通路までの距離を埋める事も叶わぬままに、動く死骸達が闇の中から襲い掛かろうと身体を沈めた、――その刹那。


「ナザレの眷属か。――しかし、邪魔だ」


少女の静かな独り言が廊下に響いた。


薄闇に()し込む光輝(こうき)の如く、こつこつと規則的な軽い足音が近付いてくる。

本能と主の命令に従い城内の人間に襲い掛かっていた動く死骸が、新たな獲物の出現に一時 動きを止めて、次の行動を再度 選択し直した。


獲物が増えた。ならば、ソレも纏めて殺せば良い。


真っ当な知恵さえ持たぬが故に迷いは無く、彼等の動きは迅速(じんそく)だった。

現われた ばかりで負傷の無い、つまりは先の相手より脅威度の高い相手、茶褐色の髪を(つま)んで顔を隠す、年若い少女の姿をした人間種族を殺害する。そのために目標を変えて再度 闇の中から飛び掛かり、――当然のように迎撃された。


浄火(クリメイト)。浄火。浄火。浄火。……ふむ。こうも魔法が使える、というのは新鮮な心地(ここち)だ」


一掴み程度の白い炎が詠唱の度に数と大きさを いや増して、徐々に規模を膨れ上がらせて いく攻撃系の神聖魔法が通路一帯を舐め尽くす。

真正面から叩きつけられる浄化の炎が魔物達の突進の勢いを相殺(そうさい)し、真っ白な灯りに照らされる無感情な少女の顔が暗闇の最中に浮かび上がった。


ディディモ(おねえちゃん)?」


恐怖も焦燥も一時忘れて、レビが少女の名前を呼んだ。

茶褐色の髪の少女、第五号ディディモからの返答は無い。何時もならば不愉快そうに睨み付けてくる筈の彼女らしからぬ無反応。好かれた記憶は無いが無視をされた覚えも無いレビは、しかしその あからさまな違和感には気付かなかった。


もう駄目だと思った。死んだと思った。とても、怖かったのだ。

なのに助かった。助けてくれた。血の繋がった姉が自分を助けてくれた と思った。

それが とてもとても嬉しくて、細かな差異など目に映らない。


無論、勘違いである。


彼女(レビ)が助かったのは所詮、この場限りの結果論に過ぎない。

国王の刷り込んだ人格、及び記憶情報に自我(じが)を乗っ取られたディディモの思考は単純だ。


吸血鬼らしい()り方で城内の掌握を推し進めているだろうナザレを支える。

それ以外は考えない。考えるだけの柔軟性が、今の彼女(ディディモ)には残っていない。


実父(おう)恩師(アグラファ)、両名の死によって人間らしい精神(こころ)()り減らされたナザレは、人である事に耐えられず、きっと、己に残された魔物としての部分に縋る。国王バプテスマの記憶が そう言っていた。

そこから先で(ナザレ)が とるだろう行動は読み易い。

極めて暴力的に、とことん まで魔物らしく。――父親(おう)遺言(ゆいごん)を守るだろう。


だって、それ以外の何物も、彼の手の中には残っていない。


血の繋がった初対面の妹、第十二号ケファの存在は、闇の中に居たナザレの心を動かした。しかし それだけだ。人で なくなった第一王子を十数年間ずっと守り続けた愛情深き父親には敵わない。ナザレの中での価値の優劣は決まっている。

ケファ程度の小さ過ぎる存在価値では、今の彼の視界には入らない。


だから変わらない。

吸血鬼ナザレは国王バプテスマの目論見に沿って、今は亡き老人の夢想を叶える為に動くだけ。


国家としての大方針を決定する、死する事無き吸血鬼の王。

王を守るべく周囲を固める、人魔混在する死角(じゃくてん)無き近衛騎士団。

民に関しては国王ナザレの食料として飼育するか、或いは完全に見放すか。そこまで先の事を視野の(せば)まった今のナザレが考えていよう筈も無い。


「――王城内部の掌握は どうだい?」


血塗れの玉座。

生乾きの父の血痕(けっこん)を気にする事無く、王のみが許される場所に深く腰掛けたナザレが己の臣下へと問い掛けた。

彼の傍らには金色の髪の幼い少女。鼻腔(びこう)に届く血の臭いと間近に居座る不死種族の気配に震えながら、胸中を埋め尽くす恐怖と嫌悪に耐え続けるだけの第十二号ケファが立っている。


黒い鎧の騎士達が、玉座に座る吸血鬼(ナザレ)へ状況の進捗(しんちょく)を報告する。


王城内部の武力制圧。

凶行と呼んで差し支えない、まさしく人間の敵対者たる魔物らしい行いだ。

従う側たる黒騎士達も己の行動への嫌悪と抵抗感を隠し切れない。その上で、それでも彼等はナザレの命令に従っていた。


そうする事で得られる利益(もの)があり、そうしなければ得られない幸福(もの)があるからだ。


人である騎士達はナザレの発する狂気に影響されて、歪な忠誠に酔いつつあった。

魔物である騎士達は同胞の安住(あんじゅう)を求めるが故、支配階級である人間の死は望む所だ。


(おびただ)しい程の血臭(けっしゅう)香る王城の只中(ただなか)で、玉座に腰掛けた狂える美貌の吸血鬼(ナザレ)を止められる者は誰も居ない。

(かろ)うじて生き残っている者達も我先にと逃げ出した先で、待ち構えていた黒騎士達に一人残らず殺されてしまった。

逃げ出すさえ出来なかった、或いは逃げようとして殺された他者の姿を目にして踏み(とど)まった者達も、このまま時が過ぎれば やがて追い詰められて殺される。


常の職務を果たすために城内へと踏み込んだ人間達を、誰一人として逃がす つもりは無い。外部に情報が漏れた所で王国以上の戦力を有する国なぞ存在しないのだが、王都に住まう国民に混乱が広がれば後々の行動に支障を来たす。

特に、勇者にだけは知られるわけには いかなかった。


魔物を滅ぼす絶対兵器、勇者の剣の力は絶大だ。地上に姿を見せる事の無い神々の力の一端、ナザレが魔物である限り、勇者の存在は天敵である。彼女(えみ)の殺害に際しても必ず手勢(てぜい)の人間のみで囲い殺して しまわねばならない。


敵対する前に、先手を打つ。

先手を打つためには、状況を意のままに操れる立場を確保する事こそが最も肝要(かんよう)


勇者(てき)が如何に強大だろうと、力を振るう機会が無ければ意味は無い。何もさせる事無く殺してみせる。

そのためにも、今日この日、王城を掌中に収める必要があった。


既に勇者の剣は崩壊し、現状唯一の勇者、高橋恵三を警戒する理由なぞ完全に消失しているのだが、勇者の墓にて稼動し続ける記録()の存在を知らないナザレには、勇者を取り巻く現状を把握する事は叶わない。

よって彼の警戒心は無駄に空回っていたのだが、この時点では何の問題も無く城内の制圧が進行していた。


――どうにかしなければ ならない。


ずっと、ケファの頭の中には同じ言葉ばかりが繰り返されていた。


国王が死んだ。その犯人も死んだ。

今は吸血鬼が王様(づら)をして笑いながら、城(づと)め の人間達を殺している。

どうにか、しなければ ならない。それが分かっているのに、ケファは ただただ震えていた。


恐ろしい。おぞましい。気持ちが悪い。今すぐにでも逃げ出したい。


逃げれば殺される。立ち向かっても殺される。己の感情に身を縛られたまま、震えるケファの目の前で、同じ十二王女の姉達が吸血鬼に喰べられていた。

ケファよりも先に生まれ、執行師となる可能性を より大きく持っており、末妹の彼女よりも ずっと優れている筈の姉妹達が、優しい笑顔で兄と名乗って くれた筈の吸血鬼の手によって、()(すべ)も無く血を吸われて渇き死ぬ。


「う゛ぐぅ――っ!」


極まった恐怖と嫌悪で腹の内側が掻き混ぜられ、堪え切れなくなったケファが床の上へと胃液ばかりを吐き出した。


ずっと(うらや)んでいた、(ねた)ましい と見上げ続けた、己よりも上等な存在である姉が泣き叫びながら死んでいく。

姉達が死に、ケファは生きている。

上下優劣の差ではなく、もっと別の何かによって隔てられた生と死の違い、その格差。考えた所で どうしようも無いのに、十二王女の内で最も価値が無い筈の自分が生きている という事実が、酷く気持ち悪かった。


本来ならば無価値な(ケファ)が死ぬべき なのに、価値のある姉が死んでいる。

両者を分けたのは化け物(ナザレ)個人の気紛れだ。


今の自分の全ては、目の前で笑いながら実妹の血を啜る吸血鬼の手に こそ握られている。

それ自体は、国王の道具だった頃と変わらない。

所有権を保持している相手が人間から魔物に変わっただけだ。なのに酷く苦しかった。神聖なる玉座の間で吐瀉物(としゃぶつ)を ぶち()ける という暴挙(ぼうきょ)を我慢出来なくなるくらいに、ケファの心は打ちのめ された。


「たすけて」


顎が震えて上下の歯列(しれつ)が かちかち音を鳴らしている。

音が止まらない。止めなければ雑音を聞き付けた吸血鬼が腹立ち混じりにケファを殺して しまうかも しれないのに、怖くて不快で全てが辛くて止められない。


恐ろしい吸血鬼が赤く輝く瞳でケファを見下ろしていた。


「たすけて、たすけて、くださ……っ」


心の底から懇願(こんがん)する。目の前の化け物にではなく、彼女(ケファ)が思い描いた、何処とも知れない誰かの背中に縋り付く。


ケファの足元、床の上に、白銀色の飛沫(しぶき)が撒き散らされた。

神の与えた神聖属性、黄泉(シェオル)において最も(とうい)い光の奔流(ほんりゅう)


「たすけ、てっ、――勇者様(・・・)


第十二号ケファは、召喚執行師の候補である。

ゆえに当然ながら、彼女には召喚魔法の適正と、ソレを使用可能な性能(ちから)が備わっていた。


未だ勇者は この地に居合(いあ)わせ、魔王の存在も既に無い。此処は王城内の玉座の間であり、勇者召喚を行うに適した勇者の墳墓では ないために、異界からの選定召喚は不可能だ。


だが魔法は行使(こうし)された。


召喚自体は異世界が関わらず とも可能な事象(じしょう)で、実際にイスカリオテも召喚魔法によって第三号、及び第四号勇者の危地を救った事がある。

ケファ自身、半ば暴走していた とは言え召喚魔法の結果としてナザレの潜む後宮内の秘匿霊廟に転移した。


召喚魔法の行使は可能。求めるものは勇者の存在。

この絶望的な現状を打ち破る、救いの御手(みて)。ケファが求めるものは それしか無い。


よって、この場にて()ばれ得る相手は ただ一人。


「――クッソ懐かしいなあ、この、玉座の、()あ」


一語(いちご)一語を無駄に区切って強調し、わざとらしく相手を煽るような口調で姫君(ケファ)の求めた勇者様(バケモノ)が姿を現す。


玉座の間の磨き抜かれた床一面から立ち昇る銀の飛沫を踏み越えて、両眼を真紅と白銀の双色(そうしょく)に輝かせる黒髪の少年が、突然の事態に目を見開いた その場の全員を 悠然と見渡し ほくそ笑む。

彼の姿を呆然と見上げるケファを見下ろし、両手で大事そうに抱えていた赤い ぷるぷるとした何かを手渡して大仰(おおぎょう)な仕草で肩を竦めると、玉座のナザレを見て言った。


「お邪魔しまあす。――帰れ、なんて言うなよお兄弟(ヴァンパイア)?」


酷く邪悪な笑みだった。

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