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勇者ばんぱいあ  作者: NE
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第五十八話 勇者暗躍

遮るものの無い青空が広がっている。


遠目に見える純黒(じゅんこく)の大地を眺めながら、高橋恵三は この世界に召喚されて以来 初めて憂鬱そうに溜息を吐いた。常の能天気な振る舞い なぞ欠片も見えない。


王都から此処に至るまで ずっと彼女の傍らに居た王女ゼロテは もう居ない。

同郷である黒髪の吸血鬼から聞いた話のみが そう考える理由の全てではなく、彼女(えみ)なりに考えた果てに出た結論である。


ぐずぐずに崩れ落ちた銀色の土塊を掌で(もてあそ)び、指の隙間から零れるに任せた。

ソレは勇者の剣の、成れの果て。……らしい。

色合いは同じで、そう言われれば そうかもしれない と頷ける、剣一本分の銀の土。


魔王を滅ぼすために頑張った記憶は おぼろげだが、佐藤正一と名乗る黒髪の少年が言う事には、恵三が意識を失いながらも握り続けた勇者の剣が、彼女の寝ている間に形を崩して土に還ったのだ と説明された。

魔王を倒したから壊れたのだろうか、と恵三は考える。その内心では潜在的な敵対者である正一が勇者の剣を破壊した可能性も捨てられずに いたが、彼女(えみ)には現状において正答(せいとう)を導き出すための術が無かった。


実際には夫婦剣たる王女の剣を有するゼロテの死に影響を受けて、片割れである勇者の剣が朽ちたのだが、それを教える誰かが此処には居ない。知った所で何も変わらず、今の恵三は只の人間、戦う力を持たない一人の少女だ。


「魔王、倒したんだけどなぁ……」


内心の不満を小さく零す。


今、此処には誰も居ない。

彼女を勇者と呼んだ少女も、共に戦ってきた討伐軍の者達も。

魔王は倒した。空を見上げても黒い柱は何処にも見えない。

なのに恵三の胸の内には達成感が欠片も無かった。


魔王討伐を一番に喜んでくれる筈の小さな御姫様は死んでしまった。恵三以上に命を懸けて、お国のためだ と必死に戦っていた兵士も騎士も、周りを見渡したって姿を見せない。

勇者の旅路(たびじ)終焉(しゅうえん)にしては、夢も希望も残っていない。現実(リアル)なんて こんなものだ、と薄情な幻聴が聞こえる かのようだ。


魔王を倒した報告のため、出来るだけ早く王都へ帰還するべき なのだが、どうにも腰が重くて動けない。

積み重なった疲労で身体の動きが鈍いのも理由の一つ、しかし実際には恵三自身が思う以上に、多数の死者が精神的な負担となっている。彼女もまた、戦場以外では普通の少女に過ぎない のだ。


先輩(せんぱい)は どーすんの?」

「……さあなあ」


崩壊した勇者の剣を使って土遊びをしている恵三が声を掛けた先、暇を持て余した正一が、日中は外に出れない赤い粘体(マリア)の埋まった穴の周辺を更に(うずたか)()り ながら遊んでいた。

気絶から目が覚めたとはいえ未だ本調子ではない恵三と、何も目的が無いからと彼女の近くで寂しい一人遊びに興じている正一。見るからに暇そうな勇者二人組が、つい最近殺し合った間柄とは思えないほど(なご)やかな雰囲気で寛いでいる。


今現在、両者は互いに敵対する理由を持っていない。


恵三は そもそも勇者の剣が無ければ戦えない、なので目の前に魔物が居た所で無条件降伏が(せき)の山。

討伐軍の兵士達を殺して回った正一の姿を忘れた わけでは無いのだが、敵討(かたきう)ちを可能とするだけの力も無いのに血気に逸って自殺するような趣味は無い。ゆえに のんびりと言葉を交わせる。


正一は、自身が何を するまでも無く魔王が滅んだ為に、己を動かす漠然(ばくぜん)とした目的意識さえもが欠けてしまって、今しばらく は何をする気にも なれなかった。

ケジメを付ける、などと格好付けた事を考えていたのに、ようやく目にした魔王は黒い湯気(ゆげ)のような何かだけ、それさえも勇者の一太刀で追い詰められた結果である。


あんなもの のために召喚されて、魔物になって、―-と考えると、己の境遇が酷く(みじ)め に感じてしまう。感じるだけ ではなく実際に惨めな生き(ざま)なのだが、そこまで自虐(じぎゃく)するだけの余裕も無い。


「どうしよう、かなあ――」


小さく呟く。その声が風に乗って恵三にも届いたが、彼女は何も言わずに聞き流した。


彼等とて、本来は殺し合う間柄(あいだがら)である。

正一と その同族である吸血鬼に殺された討伐軍の兵士達、その仇を討つ機会が巡ってくれば、恵三は躊躇い無く正一を殺す。こうして暢気に会話をしているのは、互いの有する戦力が不均衡(ふきんこう)状態を保っているからだ。恵三の側に戦える力が有れば人に迷惑しか掛けない吸血鬼を討伐するし、対等に戦える状況が整えば正一としても勇者の存在を捨て置かない。前者は冷徹な計算、後者は感情を理由に動くだろう。


恵三は あくまで溜まった疲労を抜くための小休止(しょうきゅうし)だが、正一は何も無いからサボっているだけだ。

マリアに我が儘を言って魔王を目指し、なのに何一つとして確かなものが手に入らず。次はどうしようか、なんて独り言を言っても、そんなものは只の迂遠(うえん)な弱音であった。


途方に暮れた元勇者(しょういち)には、帰る場所など何処にも無い。


「自業自得だと思うけどねー」


疲れの抜け切らない体調で気だるげに呟く恵三に対し、溜息一つで返答を濁す。

やった後に するから後悔、とは言うが、試練の洞窟で吸血鬼と出くわしたのは正一個人の責任ではない。その後の暴走にしても、今の今まで致命的な危機に陥る事も無く平凡に生きて来れた一般人なら、不意(ふい)の不幸に魔が差した、という言い訳も一応通る。


その結果として周囲に齎された被害が尋常では無いので所詮は言い訳に過ぎないのだが、恐らくは悪運強く生き延びた事こそが一番の問題。道半ばで死んでしまえば楽な ものを、しぶとく生き残った結果が身魂(しんこん) 燃え尽きたような現状だった。


佐藤正一には確たる目的なぞ存在しない。

そもそもが魔王を滅ぼす資質を有するというだけの凡俗だ。それ以外には優れた知性も類希(たぐいまれ)なる将の器も何も無い。縁も ゆかりも無い異世界に召喚される、という非日常的な状況に その身を投じ なければ、彼の中に眠る(はた)迷惑な才能も花開(はなひら)く事無く その生涯(しょうがい)を終えただろう。


神々の望んだ異界の生贄、悪意(まおう)を浄化する役目を背負った只の掃除夫。

召喚に際して彼に課せられた勇者の責務を果たしたのは無関係な赤の他人だ。魔王は確たる姿を目にする事もなく滅ぼされ、後に残ったのは人間で なくなった己自身。


押し流されるように行き着いた この場所、この状況で、これから先の未来に何を望めば良いと言うのか。

胸に熱を灯すような目的が無い。未来に繋がる希望も見えない。

此処から先は、ただ漫然(まんぜん)と生きるだけ。


此処は異世界で、彼は吸血鬼だ。何をすれば良いのかを教えてくれる ような他者は居ない。現代日本のように見識(けんしき)ある誰かの手で敷かれた軌条(レール)を歩くという甘えが許されない以上、佐藤正一という本質的に無軌道な少年は、(しるべ)の存在しない この世界では何を成すべきかも決められない。


魔物らしく、他者を喰らって(けだもの)のように生きていくか。

吸血鬼として、傍らに居る少女(マリア)の望むままに またも流され続けるのか。


理想が無い。夢が無い。熱意が無い。人として誇れる ものが何も無い。


今までだって惰性(だせい)で歩いて此処まで来たのだ。

結局のところ正一は、他者を踏み(にじ)(おとしめ)める以外には何一つとして能の無い、至極平凡で主体性の無い一般的な学生だ。

外部からの刺激が無ければ、きっと此処に留まったまま一歩だって動く事も出来ずに(あぐ)み続ける。


それを冷静に見て取って、佐藤正一という吸血鬼の人格を観察し終わった高橋恵三は、何でもない様子で口を開いた。


「――ねえ先輩、暇なら ちょっと頼みたいんだけど」


魔王討伐軍は既に壊滅状態と言っても良い。

しかし、魔王の目前まで攻め入った者達は ともかくとして、その途上における戦闘行為の中で勇者率いる本隊と離れ離れになった兵士達は、運に恵まれた幾人かが辛うじて生き延び合流していた。


空を見上げれば魔王が見えない。間違いなく、勇者様が成し遂げたのだ。

その事が誇らしく、そして少しだけ無念でもある。


此処に至るまでの数多(あまた)の戦い、その中で勇者の力に対する疑念さえ抱いてしまった愚か者(ぞろ)いだが、勇者の名の下に従軍して救国の一助となれた事だけは胸を張って誇れるものだ。

叶うならば自分達も最後まで共に戦いたかった。そう歯噛みしながらも笑みが浮かぶ。


この場には無傷な者など誰も居ない。


疲労した誰かが より深い傷を負った負傷兵の手当てを行い、比較的 体力に余裕のある者達が周囲の警戒に あたって本隊の到着を待ち望む。

戦える者の方が多くはあるが、戦力として数えるなら近場に住まう魔物の群れに出くわした時点で全滅は必至。魔王を倒して帰還の()()く討伐軍 本隊と合流出来なければ、遠からず彼等は死に絶えるだろう。


現時点で魔物に見つからずに息を潜められている事こそが僥倖(ぎょうこう)なのだ、これ以上は持ち堪えられない。時間が経てば傷は悪化し、水と食料も やがては尽きる。討伐達成の喜びに(ひた)ってばかり では居られない。


胸の内で膨れ上がる不安感に苛まされながら空を見上げた一人の騎士が、色取り取りの光を目にして顔色を変えた。


「ひとー」

「ひとー」

「みつけたー!」


光る羽根を持つ小人型の魔物、妖精(フェアリー)

王国内では あまり見かける事も無いが、無邪気な外見とは裏腹に、紛れも無い魔物の一種だ。


知恵が回る類の魔物では ないが、人間種族と同様の言語を用い、耳に届いた内容から推測すれば何らかの斥候役を務めている。


「まずいっ、見つかった……!」

「なにっ!?」


身の安全を考慮して構成された複数人規模の警邏(けいら)部隊。その内の一人が声を上げれば、他の者達も焦った様子で空を見上げた。


魔物に発見された以上、()れる手段は逃走のみ。

戦えるだけの戦力が無い事は寄り集まった皆が皆 理解出来ていた。戦えば死ぬだけ。せっかく魔王討伐を成し遂げた というのに、ようやく国に帰れるという所で、死んでしまうなど絶対に御免だ。


息せき切って伝令(でんれい)役の一人が走る。残りは この場に残って攻めて来る魔物の数を確認しなければ ならない。そのための警邏部隊なのだ。

出来れば今すぐに だって逃げ出したいが、この場の皆も、簡易陣地で負傷を抱えて苦しんでいる者達も、共に戦場を駆けて生き残った大切な同胞だ。彼等の連帯(れんたい)意識は かつての行軍中よりも ずっと強く結ばれており、仲間を見捨てる ような薄情さ とは無縁であった。


――もっとも、その覚悟とて この場に限っては少々先走った ものであり、彼等の輝くのような覚悟も誇りも、結果として空回(からまわ)る事となる のだが。


「やっほー、お疲れ様でーす」


能天気に笑う第五号勇者、高橋恵三の姿を目にして、彼等の誰もが肩透(かたす)かしを食らったような驚愕(きょうがく)安堵(あんど)に全身から力を抜いた。

()いで、勇者様の無事の生還に喜びの声を上げながら、本隊の全滅という事実に涙を流し、改めて魔王討伐達成の事実を確認する事で消沈しかけた気を持ち直す。


()き上がる兵士や騎士達の姿を見回しながら、恵三は彼等の数を数える。


正一から聞いた意味不明なメイドの話、そして何より、恵三自身が召喚以降に この国で目にした数々の出来事、ゼロテ経由の多くの情報。――魔王を倒しただけで めでたしめでたし とは行かないだろうな、と面倒臭い予感に身を震わせる ような ものばかり。

あの干物(ひもの)みたいな国王陛下が大人しく恵三を元の世界に帰してくれる のならば問題無いが、そうで無かった場合の身の守り(ほけん)くらいは欲しかった。


その点、共に死線を潜り抜けた英雄達(とうばつぐん)ならば不足は無い。

少なくとも、裏切りだけは防げる筈だ。国王と勇者の両天秤(てんびん)と なれば立場上 迷いも するだろうが、勇者の剣を失った今の恵三では これ以上の高望み なぞ――元勇者の吸血鬼くらいしか()てが無い。


「何も無ければ、それが一番良いんだけどね――」


(かわ)いた唇に指先を当てて、今も尚 身を潜めて恵三達を見ているだろう正一へ語り掛けるように、一人で こっそり呟いた。


魔王討伐を成した英雄、勇者の凱旋(がいせん)

古き王国の終わりが訪れる、ほんの少しだけ前の話だ。

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