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勇者ばんぱいあ  作者: NE
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第五十七話 暗黒行路

茶褐色の髪を伸ばした一人の少女が、穴が開くほどの力を篭めて己の頭皮(とうひ)を掻き毟っていた。


「レビ、ゼロテ、ユダ、イスカリオテ、ディディディディディ――ぎぃいいいい!!!!」


脳内に存在する個人名を思い至った順に音として吐き出し、己の名前に行き当たった所で壊れたような奇声(きせい)を上げる。その間も頭を掻き毟る少女の両手は休む事無く血を流させ、垂れ落ちた赤色が眼球を濡らしても当の本人は気にする余裕など無く延々と誰かの名前ばかりを吐き出し続けた。


茶褐色の髪の少女、第五号 召喚執行師ディディモ。

十二王女の一角が、明らかに正気を失った様子で のた打ち回っている。


「ナザレ、なざれ、なざれ、王に、だからっ、排除、しないと、あ、あああ、あああ゛――ッ」


十二王女は優れた人間、人工的に生み出された天才だ。

それは予備の予備に過ぎない第五号(ディディモ)であっても例外ではない。自然に生まれてくる者達と比較すれば、彼女もまた疑いようの無い傑物である。ただ、上には上が居るという だけだ。


国王バプテスマの意識、傀儡(ダビング)の魔法を脳内に仕掛けられた駒の一つ。


ディディモの中にも、使い潰されたゼロテの母親同様に魔法の術式が刻まれている。

ただし彼女(ディディモ)の場合は体内に保有している潤沢(じゅんたく)な魔力が無意識的に魔法の効果に抵抗し、それと反対に傀儡の魔法は意識の侵食を押し進め、国王とディディモ、両者の人格が少女の脳内にて拮抗(きっこう)、果ては記憶が混濁(こんだく)する。


頭が痛い。記憶が濁る。見知った名前が脳裏に幾つも並べられ、どれが誰だか分からない。

ディディモは今自分が何を言っているのか さえ分からなかった。混じり合った情報の中から印象深いものを取り上げて、口が勝手に単語を並べる。完全に正気の振る舞いではなかった。


そのまま()一時間、ようやくディディモの動きが止まる。


荒れた呼吸は そのままに、少女の瞳だけが ぐるぐると回って室内に備え付けられた机の上へと焦点を合わせた。

そこに あるのは幾つかの書簡(しょかん)、とも呼べない紙の束。


第五号ディディモが王城内に居残っている元王族達との密会(みっかい)によって得た情報の羅列(られつ)。城内に出回れば周囲に大小様々な不利益を与えるだろう ものばかり。

拙い知恵を振り絞ったディディモが集めた、数少ない彼女の手札。

召喚執行師になるために無理をして複数の派閥に出入りする事で得られた努力の果ての成果物であり、彼女(ディディモ)本懐(ほんかい)を遂げるには到底 足りない、ゴミの山。


彼女なりに頑張りは したが、結局目立った成果は何も無かった。派閥への参加で得られた情報なぞ、執行師の立場以外に価値を認めないディディモにとっては無価値なものだ。

無価値なもの、だった。


「――御苦労だったな、第五号(ディディモ)。これらは息子(ナザレ)のために使わせてもらおう」


各派閥 構成員の名簿、ディディモ個人の(おぼ)()き に目を通し、十二王女の第五号だった少女が平坦な声音で言葉を発した。

茶褐色の毛先を指で掴んで下へ引く。

先程とは全く異なる落ち着き払った様子で、己の顔を隠すように長髪を(いじ)る仕草だけが かつての彼女らしさの名残りを見せた。


他には誰一人として存在しない専用離宮の私室の中で、必死に足掻いた結果として何一つ確かなものを掴めなかった少女が、意識の大半を王の記憶に支配された状態で、とある老人の抱いた妄執を支えるためだけに動き出す。

如何にも道具らしい その有り様を哀れんでくれる者は誰も居ない。ディディモの傍らには、結局のところ誰一人として彼女個人の気持ちを汲み取ってくれる人が居なかった。


己の駒として利用するか、敵と見なして いがみ合うか、無価値と切り捨て視界から追い出すか、或いは一方的に愛情を求めて不器用に擦り寄る誰かのみ。独りぼっちの第五号(ディディモ)の隣には誰も居らず、彼女の変貌(へんぼう)を異常と認めて奔走(ほんそう)するような優しさとは無縁であった。


やがて日が昇り、朝が訪れる。


執行師としての立場を失って以降も専用の離宮で夜を過ごしていた第六号レビは、離宮から王城に繋がる連絡通路を歩きながら、神聖魔法の教本を片手に本日の予習を行っていた。

ありもしない己の初陣を心待ちにしながら、彼女(レビ)は今日も直属の上司である近衛騎士アグラファに師事して魔法の練習を繰り返す。


その筈だった。


連絡通路の両端にある門は(つね)通りに開かれており、しかし門番の姿が何処にも無い。別に、それは構わないのだ。レビ自身も特に気にしては いなかった。


王城内に足を踏み入れた時、まず感じたのは余りの暗さだ。

王城とは即ち王族の住まう場所、国家の中心地。見栄えと格式を考えて昼夜問わず明かりが灯され、早朝である今の時間帯ならば朝日が差し込み、何をせずとも城内の視界は晴れている筈だ。

なのに それがない。覗き込んだ城内は、奥に進むほど暗かった。


違和感はあった。

しかし、レビには それ以上が分からない。


彼女も他の王女達と然して変わらぬ箱入り娘だ、魔物の住まう世界に生きる常人ならば備えていて当然の知識も経験も足りていない。常とは違う事態を認識する程度の知能は有るが、異常な事態に対処する際の基本的な思考能力を(つちか)う機会が今までに無かった。


だから判断を間違える。

第六号レビは不可解な現状に対する不安を覚えつつも、現状を脱するための行動を伴う、明確な警戒態勢には至らない。真っ直ぐに歩を進めて王城内へと進入した。


――暗い。


とても暗い。真っ暗だ。明らかに おかしい。常日頃(つねひごろ)の王城とは全く違う廊下の様子に、レビの中では違和感ばかり が膨れ上がり、けれど不可解な状況の原因を想像する事も叶わないため、僅かな不安と言い知れぬ恐怖ばかりが湧き上がる。

それでもレビに出来る事は変わらない。この国に居る限り、自発的な行動など彼女には許されて いないのだ。何時も通りの習慣に従い、師事している騎士(アグラファ)の元で神聖魔法の訓練をする。それだけだ。それだけ なのだ、と考えていた所で――。


赤い瞳が、視界に映った。


戦場において果たすべき役割を持たなかった第二号(ゼロテ)のように、第六号たるレビもまた、戦いに関して際立(きわだ)つ何かを持っていない。

神聖魔法を学びは したが、師であるアグラファからは剣の振り方一つとて習って おらず、執行師としての立場を失って以降、レビが手に入れたのは国王に命じられて習得した神聖魔法の基本のみ。彼女(レビ)は現時点において、戦士と呼ぶに足る技能を持ち合わせて などいなかった。


暗がりに揺れる幾つもの赤色が突如 尾を引き闇を駆け、レビを目掛けて襲い掛かる。

音が鳴り、血潮が舞い、僅かな時を置いて その場に静寂が広がった。


第五号勇者 高橋恵三が目を覚ました時、彼女の視界は真っ暗闇の中にあった。


「んー?」


目蓋を開いたのに視界が暗い。五指(ごし)を丸めた片手で目頭(めがしら)を擦って就寝中(しゅうしんちゅう)の汚れを落とし、再度 周囲を見渡した所で自身を見つめる視線に気付く。


赤く輝く二つの光。

吸血鬼の両目であった。


未だ意識の半分近くが寝惚けたままの状態で、恵三もまた じっと吸血鬼を見つめ返す。何か意図があったわけ ではなく、見られているから見つめ返す、という至極 動物的な反応だった。


「のど渇いた……」


あまつさえ魔物を相手に寝起きの飲み物を要求する。本当に図太い少女であった。


この時点で、謎のメイドが爆発してから(およ)そ一日の時間が経っている。

自身とゼロテの生命力を振り絞って魔王を滅ぼし、正一の負傷を治す為に血を吸われ、周辺の魔物から逃れる為に走り出す吸血鬼に抱えられたまま魔王近辺から逃れて まる一日が経過。ずっと意識不明だった恵三が生きているのは運が良い、――というだけ では無い。

当然だ。運もあったが、それだけで生き残れるほど生易しい状況ではなかった。


ゼロテの献身(けんしん)。生命力の枯渇で絶命するほどの強い願いを受けた王女の剣が、恵三の命を脅かすより早く浄化の権能を発動するための必要量を満たし、魔王と呼ばれる悪意の大半を消し飛ばした。

勇者の固有魔法。強化の恩恵は、討伐軍に属する総員の肉体に効果を及ぼしていた。勇者である恵三とて例外ではない。彼女もまた、自身の祈りで守られていたのだ。


正一による吸血(げどう)行為の影響に関しては完全に運である。運だけでは無いが、運もあった。恵三は辛うじて生き延び、「皆が無事 国に帰れれば良い」という願いから生まれた強化の恩恵が、衰弱(すいじゃく)した彼女の命を絶やす事無く繋ぎ切った。


そんな二重三重の幸運を知る由も無い暢気な少女(えみ)は、ぐぐっと全身で伸びをして寝ている間に凝り固まった身体を解す。豊かな胸部が持ち主の動きに沿って柔らかく形を変えて、恵三と視線を合わせていた筈の赤い瞳が そっと他へと向けられた。


「――で、アタシ、生きてるの?」


軽い運動一つで生来の冷静さを取り戻した高橋恵三は、暗がりの中で全体像も見えない赤い瞳の持ち主を相手に率直な疑問を投げ掛ける。


目の前の赤い光は、まず間違い無く討伐軍と殺し合った黒髪の吸血鬼、恵三と同郷の少年だ。

そう結論付けたのは論理的な推測ではなく彼女の勘だが、外れていようと当たっていようと、自意識を持って己の言葉を話せる時点で この場での活路は目に見えている。敵対するために勇者(じぶん)(さら)う魔物は居ない、と恵三は判断していた。

ゆえに対話を。

そして当然の如く相手も恵三の切り出した会話の切っ掛けに乗ってきた。


「ああ、生きてるさ。……少しは動揺しろよお」

「や、死んでない なら別に良いし」


彼女の冷静な振る舞いが不満なのか、不貞腐(ふてくさ)れたような声音で言葉を返す暗がりの中の吸血鬼、――元第三号勇者 佐藤正一は、能天気な後輩勇者を相手に頭を掻いた。


目が覚めた時には真っ暗闇の中に居て、傍らには赤く輝く魔物の視線。


何故それで動揺一つ無く自分に話し掛けて来れるのか、と。少女の(きも)(たま)の太さに僅かに苛立ち、ほんの少しだけ呆れていた。


正一の傍らには暗闇で目立たないが、未だ赤い粘体に変身したままのマリアが居る。

まる一日経っても このままなのだ、彼女(マリア)は人型に戻らない のではなく、戻れないと考えるべきだ。


思い悩むべき事は幾つか あるが、今は目先の相手を どうにかしよう。

指先で軽く赤色の表面を(つつ)いて息を吐く。


「ちょっとだけ、訊きたい事が あるんだ。なあ、勇者様?」


場の主導権を握るため、()えて皮肉気に笑って正一が言えば、闇の中で目に見えず とも含み笑いを聞き取ったのだろう、恵三もまた肩を竦めて小さく笑った。


「アタシも訊きたい事が あるんだよねー、――勇者様(せんぱい)?」


掛けられた呼称に動揺を隠せず、正一の片方しかない肩が跳ねた。

闇を見通す吸血鬼の視界を持たない恵三には見えなかっただろうが、動揺だけは確かに不足無く伝わった。


金髪の少女が意地悪く笑い、それを目にした少年は またやられたか、と酷く苦々(にがにが)しい顔で眉根を寄せる。

赤い粘液の塊だけが、傍目からは仲良さげ に見える男女の姿に不満を覚えて身を震わせていた。

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