第五十六話 傀儡母娘
十二王女とは、国王バプテスマが意図して生み出した道具に過ぎない。
国中から召喚執行師を産み出すに足る母体を選別、最終的に十一人の女性達が魔法陣の上にて国王と まぐわい、所定の手順を踏まえた結果、十二の王女が生まれたのだ。
出産が終われば母体は用済み、手切れ金を渡して元居た場所へと強制送還。――そんな生易しい対応のみで、国王バプテスマが満足する なぞ有り得なかった。
血の繋がりを他者に知られれば一族揃って皆殺し。そう脅し付けた からと言って、容易く禁を破る愚者も居よう。不測の事態なぞ有って当然。備える事こそ肝要だ。
家に帰した後は監視を付けて、適当な所で処分する。怪しまれようと どうにでもなるが、事故と偶然を装って皆殺し。
何が不利益となるのかが分からない なら、不確定要素は排除すべきだ。ゆえに国王は黒い鎧の騎士に命じて、十二王女の母親達を人知れず殺す事で後の憂いを取り除いた。
が、それが全てという わけでも無い。
母は母であり、子は子に過ぎぬ。それを判断するのは論理ではなく情である。
必要だからと城へと連れられ、物を言う枯れ木のような不気味な老人と肌を重ね、生まれてきたのは国の道具。――それでも、腹を痛めた子は愛しい。
この両手で抱き上げたのは自分の娘だ。
例え愛情の末に孕んだ赤子ではなくとも、己が腹の内で育み産まれた、血を分けた愛しい我が子であるのだ。
とある王女の母が願った。
――どうか この子の傍に私を置いて下さい。名乗り出る事は決して しません、如何なる責め苦をも受け入れましょう。だから、せめて傍に。私を この娘の傍に置いて下さいませ。
なんと美しい話だろうか。
愛の無い まぐわい から生まれてきた娘のために、所詮使い捨てられるだけの道具のために、彼女は己の未来を捨てると言ったのだ。
果たして国王は女の懇願を受け入れた。
――ただし母であるとは名乗り出ぬよう、お前の頭に術を刻むぞ。
十二王女に親は要らぬ。国王の望みを叶える為に、情なぞ むしろ邪魔なだけ。
己の幸福を捨て、未来を捨てて、それでも娘の傍に居たいと願った母親は。言葉を禁じ、行動を禁じ、決められた条件範囲を逸脱すれば命を失う、行き過ぎた呪いを その身に受けた。
彼女は拒まず、娘を見守り続けられる のならと、喜びさえ して受け入れた。
そして当然のように利用される。
使える駒は多いほど良い。国王バプテスマは既にして老齢、何時死んでも おかしくは無い。万が一の事態を考えて、行動を制限するための ものとは別に、女の頭に一つの術式を刷り込んだ。
それは傀儡と呼ばれる禁忌の魔法だ。
条件を満たした瞬間に、本来の人格を押し退けて国王の意識が浮上する。
彼女だけではなく王の私兵たる黒い騎士、命を賭して同胞達の安寧を願う魔物等の頭にも刻まれている、他者の尊厳を無視した邪法の一つ。
国王はナザレを王位に就けたかった。老人は青年の父親であり、間違いなく息子を愛していたからだ。
しかし同時に、今のナザレでは無理だとも理解していた。国王は確かに人間の国を吸血鬼に治めさせる という常軌を逸した案を講じる気狂い だったが、知恵の足りない阿呆では無い。正確に、ナザレという個人の人格と能力を評価していた。
国王は夢想を叶える為に、ナザレを王にする為にも、場合によっては己の命を消費する事さえ案の一つとして織り込んでいた。
しかし死ねば そこで終わる。
終わってしまえば見守る事さえ出来なく なるのだ。心弱ったナザレが王の死後、何か致命的な間違いを犯しても、それを正すための助けを出せない。それは困る。困るのなら、――予備を、用意しておけば良い。
国王バプテスマは現時点で死んでいる。それは確かな事実であった。
そして、死んだからこそ傀儡の魔法が起動した。そういう条件を刻んだからだ。
ソレは結局のところ国王の精神の操り人形。
魔物に例えるのなら、不死種族としての本能と主の命令に従い動き回るだけの動く死骸。傀儡の魔法で動き出した人間は、脳に刷り込まれた他者の記憶情報に操られるだけの粗悪な模造品だ。
死者が生き返るという事は無い。少なくとも、国王本人は間違いなく死んでいる。残されたのは それらしく動くだけの人形だ。事前に用意されていた傀儡の一つ一つが、物真似を しながら王の妄執を なぞるだけ。
侍女の意識を押し退けて、騎士の人格を押し込めて、王女の価値観を狂わせて。
夢を叶える為に動いている。そのため だけに、活動する。
あらゆる全てが破綻している事にさえ気付けずに。
さて、既に死んでいる老人の下らぬ願望、取るに足りない事情は省こう。
この場において一つだけ確かな事が あるとすれば――。
産まれたばかりの娘のために己の残された人生の全てを捧げ、挙句 国王の手駒の一つとして利用され、最期は盛大な火柱を上げて傍らに転がる灰色の少女と共に遺体も残らぬほど派手に砕け散った王の人形は――。
母として娘を見守り続け、手を触れる事も叶わず ただ一心に傍近くで仕え続けた、第二王女付きの一人のメイドは――。
ソレは、煤を被ったような灰色の髪の女であった。
「……う゛ええっ、顔が半分無くなったぞ糞があ」
「む傷!」
「ありがとー!」
「いけめん!」
「五月蝿えぞ糞妖精!!」
庇う つもりなど全く無かった のに、正一の陰に居た為に無事 生き残った妖精達が挙って騒いだ。
白銀色の蝙蝠の群れを一箇所に集めて己の身体を取り戻す。
徐々に形を取り戻す、銀色に輝く右上半身。ただ それだけとなった肉体を動かし、佐藤正一は至極 非人間的な悪態を吐いていた。脳味噌が半分になっても物を考え言葉を話せる、今現在の自身の化け物っぷり には もはや感嘆しか湧いて来ない。
先の発言内容 とは全く異なり、実際には顔面どころか全身の半分以上が無くなっていた。
傍らには赤い粘液の塊となって ぷるぷる震えているマリアと、意識を失ったままの少女勇者が転がっている。後は ついでに妖精が三匹。
――メイドと話をしていたら、メイドが目の前で爆発した。
改めて思い返しても全くもって意味が分からない、本当に意味不明な話である。
咄嗟に蝙蝠へと変身し、彼女達二人を包み込む事で守り切った。反射的な行動だったが、正一自身 自画自賛したいくらいに上手く行った。
ただの偶然、本当に予期し得ない事態に対する、奇跡のような防衛行為。
周囲を見渡せば、焼き尽くされた黒色の焦土が広がっていた。そこら中に倒れ伏していた筈の鎧姿も一つ たりとて目に見えない。先程の爆発メイドが原因で残らず消えたか吹き飛んだのか。一人くらい齧って おけば良かった、と正一は吸血鬼らしい事を考えた。
「おい、大丈夫か?」
正一が赤い粘体に話しかけたが、口も喉も持たない血液の塊は何も言わない。
咄嗟に庇ったが、それでも完全に守れた わけでは なかったらしい。何らかの手傷を負ったのか、一向に人型を取り戻さないマリアを見れば不安が頭を擡げてしまう。
現状は万全とは程遠い。一先ず この場を離れるべきだと理性が告げている。
かと言って今の正一は肉体の半分以上を失った状態、脚は無くなり ついでに服も着ていない。マリアを抱えて移動する事は出来ないし、横に転がる勇者に至っては片手で持ち上げる事が精一杯。妖精は多分勝手に付いて来る上に死んだ所で どうでも良い。
僅かな地響きが正一の耳に届き、上空で風が渦を巻くのを感じ取った。
音の発生源が何かなど考えるまでも無い。魔物が近付いているのだろう。そもそも魔王の傍で生きた魔物の姿を目にしていない現状こそが異常なのだ。今すぐ逃げなければ、新たに姿を現す何者かに見つかって殺される。
このまま では危ない、移動しなければ。しかし足が無いので動けない。
なので、正一は勇者の首に齧り付いた。
「あんまり美味くない なあ……」
勝手に喰い付いた癖に酷い物言いである。王国一の魔力量を誇る人造の天才、イスカリオテ第一王女という極上の味を知る正一からすれば仕方の無い感想だったが、血を吸われている恵三が聞けば勇者の剣を振り下ろされても仕方無い。
ずるずると音を立てて同郷の少女の血を啜る。
見る間に吸血鬼の肉体が再構築されていき、しかし全身を作り上げる前に口を離した。
腰から下、移動に必要な脚部のみを取り戻した時点で吸血を止める。未だ頭部は半分のみで、左腕も生えていない。が、これ以上 血を吸えば目の前の勇者が死んでしまう。
気絶するほど疲弊した状態で吸血されたのだ、今でさえ瀕死と言っても良いような有り様だが、このまま吸い続ければ確実に絶命する。
勇者が死んだからといって何が変わる わけでも無いが、殺したいとも思っていない。
「……話ぐらいは、してみたい からな」
誰かに対する言い訳のように口にする。
生きていようが死んでしまおうが、正一自身は変わらない。話をしても きっと同じ。目に見えるような利益は無い。
彼自身 明確な自覚があるわけでは なかったのだが、自分に出来なかった勇者としての役目を果たした少女に対し、心の底には僅かな嫉妬と羨望が息衝いていた。
だから殺さないし、殺したいとも思っていない。
――だったら血を吸うなよ、と言ってくれる良識的な誰かは この場に居ない。所詮 正一は感情に従って動くだけの精神狂人な吸血鬼、食欲と生存欲には勝てなかった。
自己への認識が若干不足している元勇者は、人助けって大変だな、と恩着せがましい事を考えながら、ぷるぷる震える赤い粘液と半死半生の少女勇者を片手で担いで移動を開始する。全裸で。
後に残ったのは魔王の痕跡一つ見えない爆心地、ただ黒いばかりの荒野だけ。
見上げるような体躯の九尾の獣が のんびり歩き、空には飛竜が飛んでいる。
勇者が魔王を滅ぼしても変わらない、数万年以上ずっと続いた黄泉の姿。
その生命の根源たる魔王現象が消失しても、魔物の存在は消えはしない。これから先も ずっと、命ある限り生き続け、自然に子を成し、やがては摂理に従い死んでいく。
そんな、当たり前の世界だけが広がっていた。
母に恵まれ、勇者に恵まれた第二王女の終わり。




