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勇者ばんぱいあ  作者: NE
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第四十九話 鮮血連鎖

第一王子ナザレは聡明(そうめい)な子供だった。


王位を継ぐのは長子にして優れた才を持つ彼であろう。誰も彼もが そう言った。

文武に優れ、他者への気遣いを忘れず、しかし情に(かま)けて礼を失する事も無い。ナザレは出来た子供であった。父母は優秀な王子である彼を愛し、彼もまた両親を愛し敬い、よく(はげ)んだ。己もまた、父のような良き王と なるために。


ナザレ王子がアグラファと出会ったのは、彼が未だ幼く、最も輝いていた頃の事だった。


国王バプテスマの古馴染み。友人と呼んでも良い、とても近しい距離にある人物。

近衛騎士として王の傍に控え、他の官吏達の妬心(としん)を掻き立てぬためにも極希(ごくまれ)頻度(ひんど)ではあったが、苛烈なる王者が私室で酒を()()わそうと思える相手なぞ、(アグラファ)以外には居なかった。


アグラファは騎士らしい振る舞いを心得た、しかし内面は酷く粗雑な男である。

同時に、見る目の確かな人間でもあった。


――ナザレはきっと、今代(おまえ)よりも一層 覇気(はき)に満ちた王となるぞ。


(さかずき)を傾けながら そう零したアグラファに対し、国王は息子を褒められたと嬉しそうに笑っていた。


今はもう遠い記憶の彼方にある、未来に希望が満ちていた頃の話である。

ナザレが未だ人であった時代、アグラファが王城から逃げ出す前の事。国王バプテスマが狂気に走るよりも ずっと昔の一幕だ。


今は もう二度と戻らない、ただの思い出話に過ぎなかった。


吸血鬼の両眼が、ナザレの内心の動揺によって揺らめき躍る。

その姿を目にしたアグラファは即座に現状を把握した。把握して、それが出来てしまう己の知識と経験に心の底から絶望した。


最初に、ナザレが生きていたと思ってしまった。だが、違う。

アグラファが目を掛けていた息子のような彼は間違いなく死んでいた。

死んで、その後に不死種族として蘇ったのだ。吸血鬼と化して今、アグラファの目の前に立っている。王国が滅ぼすべき魔物となって、魔物を滅ぼさねば ならない騎士たる己の前に居る。


顔立ちと髪の色以外、生前のナザレを思い起こせるもの など残っていない。

輝く瞳も、青白い肌も、鋭く尖った爪も牙も不死者特有の恐ろしい気配も。――目に映る全てがナザレに対する印象を、かつてと違うもの へと変えていた。


「ナザレ、てめえは……っ」


呟く声音が震えてしまう。口調を取り繕うだけの余裕も無い。


幼き頃は尊敬し、慕っていた先達(アグラファ)。その声を聞いて青年(ナザレ)が思わず後ずさる。

何故、彼が此処に居るのか。

答えを得たところで(えき)など無いと分かっているが、それでも何故だと問いたかった。


何故、人だった頃のナザレを見知った人が、こんな所に居るのだろうか。

見られたく無かった。居て欲しくは なかった。魔物となった自分自身を、ナザレは誰にも知られたくなど無かったのだ。


対するアグラファの側とて冷静さ とは程遠い。

剣の振り方を教えた事があった。戦場の話を せがまれた事もあった。

妻も子も居ない彼にとって、古馴染みの息子であるナザレは、目に入れても痛くないほど可愛がっていた子供である。


彼が戦場で死んだと聞いて、第一王子死亡の報から徐々に荒れていく王城から逃げ出すほどに。友人であった筈のバプテスマを放って姿を晦ますほどに。ナザレの存在は、アグラファにとって唯一 未来へと(のこ)せる、己の生きた証だった。

自分の息子のように愛していたのだ。

何故、それが吸血鬼となって目の前に立っているのだ。


「ばっ、バプテスマああああ――ッ!!!!」


アグラファの怒号が玉座の間に響き渡った。

持て余した感情を、原因となったナザレでなく、傍らに立つ友へと ぶつける。


十数年前、吸血鬼の手によって殺されたと聞かされた。しかし当の本人が今、吸血鬼として目の前に居る。ならば、そうなるに至る答えなど分かりきった事だった。

殺されたのは本当だろう。

死んだ後に、生き返ったのだ。死を越える事で生まれてくる、不死種族の一員として。


吸血鬼となったナザレが今の今まで何処に居たのか。正確に知る術は無くとも予想は出来る。間違いなく、国王が手ずから(かくま)っていたのだろう。それが出来るほどの権力(ちから)を持っている男なのだ。

人を、民を守るべき国王陛下が、魔物と化した息子を、ずっと(ふところ)に抱えていたのだ。

誰にも知らせる事は無く。魔物であるナザレの命を絶つ事もせずに。


きっと、数多(あまた)の犠牲を生贄(いけにえ)にして。


「てめえ、」

「どうしたアグラファ。感動の再会ではないか? 何故お前は喜ばぬ」

「テメエえええッ!!!」


胸倉(むなぐら)を掴み上げれば、ただそれだけで王の身体が床から浮いた。

国王の姿は矮躯(わいく)の老人、枯れ木のように小さな男だ。対するアグラファは年に見合わぬ屈強な体格で、その差を見比べれば まるで大人と子供のよう。


騎士たる規範(きはん)、魔物に対する人としての正常な認識。

激昂して友を睨み付けるアグラファの感情は間違いではない。国王は人で無くなった息子を匿い、同族の生き血を与えてまで生き長らえさせた畜生だ。

だが半ば(ちゅう)()り となっている老人は、今にも己を食い殺しそうな程の激情を覗かせる古馴染みを前にしても、動揺の一つとして見せずに言葉を続ける。


「人間では無いからか? 人を喰らう魔物だからか? 余に お前の心を語ってみせよ」


ナザレが吸血鬼と化してからも、国王の息子に対する姿勢は変わらなかった。

変わらず接したがゆえに妻であった王妃を死なせ、彼を見殺す事も自ら手を下し処分する事も出来ずに食事()を与えて、後宮内で十年以上も生かし続ける結果に繋がった。


それは紛れも無い狂気である。


息子への愛情と言う言葉だけでは誤魔化しようのない、人として間違った行いだ。

騎士として生きてきたアグラファにとって、絶対に許容出来ない事だった。


「何を、考えていやがる」


死人が生き返った、などという簡単な話ではない。

今のナザレは魔物なのだ。それも、他者の血を啜らねば生きていけない、生存のためには絶対に何らかの犠牲を必要とする、おぞましい人喰いの魔物である。


アグラファが神父であった頃、そう遠くない ほんの数週間ほど前に、吸血鬼の手によって住んで居た街が滅んでしまった。

見知った街人が、面倒を見ていた若者が、一人残らず死んでしまった。

生き残ったのは己一人。身の危険を察して単身 逃げ出したアグラファだけだ。


恥知らずにも行き場を無くした老人が、今更になって王城へと帰ってきた。――そんな身の上で、何故 目の前の古馴染みは、アグラファがナザレの存在を受け入れられると口にする のだろうか。


「――ならば殺すか?」


淡々と語り掛ける国王が、国を守るべき近衛騎士に対して当然の言葉を投げ掛けた。


魔物が城内に居る。危険だ。ならば、滅ぼす。

それは騎士として、或いは人として考えるのならば当たり前の行動で、しかしアグラファにとっては狂おしいほどの難問だ。


「ナザレを殺すのか、アグラファよ」


問い掛けを受けるアグラファの頭の中はグチャグチャだった。

かつて騎士だった頃の記憶が蘇る。ナザレと言う未来への希望が失われ、心の痛みに耐え切れず逃げ出した事を思い出す。滅んだ街、死んでしまった知り合い(トマス)、吸血鬼の脅威。死んだと思っていたナザレとの再会、そして――。


震える両手が王の襟元(えりもと)を力無く手放した。

身体の自由を取り戻した国王が玉座に向かって歩き出し、ゆっくりと腰掛け息を吐く。


豪奢(ごうしゃ)な座席に深く身を沈めた国王の姿は玉座そのもの の大きさと比しても酷く小さく、趣味の悪い枯れた木乃伊(ミイラ)の置物か、はたまた臨終(りんじゅう)寸前の人を(かたど)った人形だ。

茫洋(ぼうよう)とした視線を室内の天井に向けた姿で、外見だけが頼りない。


「――この世界は余りに(もろ)い」


人は死ぬ、国は荒れる。

魔王は幾度 滅ぼそうとも必ずや次代が発生し、其処から這い出る魔物達は人の版図を侵して広がる。

賢君と讃えられるような素晴らしい王が現われて、しかし愚王(ぐおう)と呼ばわれる者も居る。


この世界はずっと、ただそれだけの繰り返しだ。


代わる代わる、常に流動(りゅうどう)し続けて安定しない。

良い事ばかりでは終わらぬし、悪い事だけとも言い切れない。栄光の時代と呼ばれるような治世(ちせい)を敷いても王が倒れれば終わりが訪れ、目の届かぬ場所では変わらず嘆きの声が上がる。


息子が死んだ。吸血鬼となった。

妻が死んだ。殺したのは魔物と化した息子だった。

魔王が現われ、勇者を喚んで、魔王を滅ぼし平和な時代が やって来る。だが それさえ何時かは崩れると決まっているのだ。ずっと そうやって続いて来たのだ。


「余は永遠が欲しい。変わることの無い、揺らぐ事の無い世界を(つく)りたい」


――だから、吸血鬼(ナザレ)を王にする。


生に終わりの無い不死種族、倒れる事の無い永遠の王。

彼が穏やかな治世を敷けば、死ぬ事の無い王の下、永劫(えいごう)の平和が続くだろう。


「馬鹿なのかっ、テメエは」


アグラファが国王の独白を遮った。


そんな夢想を、実現出来るわけが無い。

誰が魔物の下につく。自分達を喰らう化け物、一匹の吸血鬼を王と仰いで、何処の誰が平和だ幸福だ良い国だと謳うのか。

土台からして破綻している。実現不可能な、老いた男の妄想だ。


「ならば受け入れられるように してやれば良い」


そのために沢山の官吏達を粛清してきた。血を分けた実の子達でさえも。

邪魔に なるのなら処分する。聞き入れぬのならば殺して埋めた。

逆に、受け入れられると言うのなら、魔物であっても正式な騎士(ナイト)爵として団の名簿に名を連ねさせ、異形たる彼等の素性を隠したまま、国王直轄(ちょっかつ)の私兵としての後ろ暗い戦働(いくさばたら)き と引き換えに、王国の民としての立場を与える。


人か魔物かという種族の差など関係無い。

従うのならば良し、そうでなければ排除する。排除してきたのが、国王の遣り方だ。


永遠が欲しい。

もう二度と、失わぬために。二度と、失くして涙する事の無いように。

そのためだけに、生きてきたのだ。情を捨てて、道理を排し、一心に求め続けて来たのだから。


「そんなものを、認められるわけが()えだろうが!!!」


――国王バプテスマは、もはや正気では無い。

少なくとも、アグラファには そう見えた。


王の言葉には嘘が無い。お互いに長い付き合いだ、それくらいは彼にも分かる。

吸血鬼と化したナザレが この場に居るのだから、尚更に説得力が増していた。

人と魔物は殺し合う関係にある。ずっと そうだった。これからも そうだろう。当たり前の世界の仕組みを、ほんの小さな国の中だけであろうとも、国王バプテスマは打ち崩したのだ。打ち崩して出来た新たな形を、国一つ分にまで広げようとしている。


それは、なんと恐ろしい事だろう。

教会に住まい、神に祈り、神父として生きた数年間を忘れられないアグラファには、受け入れられない事だった。


何よりも、魔物の存在こそがアグラファの希望であり生き甲斐だった第一王子を奪ったのだ。

蘇ったナザレが此処に居るとしても、人間種族に犠牲を強いねば生きていけない彼を、かつてと同じ存在(ひと)だと認める事が出来なかった。それはアグラファが王子の死によって城から逃げ出すような臆病者だからかも しれない。或いは胸の内に弱さを抱えていながら それでも正しさを捨てきれない、未練がましい男だからか。

どちらだろうと、変わらぬものがあった。譲れないものは誰にだって あるのだから。国王バプテスマが己の望みを叶えるため、人道を外れて生きたように、アグラファも人としての道を歩き続けるために否定しなければ ならなかった。


騎士たる身であるアグラファは、当然ながら城内においても帯剣(たいけん)している。

その抜き放たれた長剣が、音も無く国王の胸元へと突き立てられた。


「――あ」


呆けたような声を発したのは、ずっと立ち尽くしていたナザレだった。

心臓を貫かれた国王ではなく、古い友人の命を奪うという選択をした騎士でもない。

何も出来ず、ただ二人の会話を聞き続ける事しか出来なかった、吸血鬼の声だった。


衣服に赤い染みが広がり、やがて傷口から溢れ出した血液が玉座に零れて滴り落ちる。

国王の顔には、一欠けらの動揺さえ生まれていない。

対するアグラファの表情は、まるで自分が刺されたかのような苦痛に満ちていた。


「分かって、いたぞ、アグラファよ」

「何をだ」

「お前ならば、きっと、こうしてくれる、と。余は知って、いた――」


理解出来ない言葉だった。

刺されると知っていた。否、分かっていたと言うのなら、刺されるためにこそ会話をしていた、そう教えるかのような物言いだ。


国王は、眉根を顰めたアグラファでなく、輝く両目を見開きながら驚愕に喘ぐナザレを見た。彼を見て、小さく微笑みかけた。

まるで、平凡な家庭に居る父親のように。まるで、愛する息子を想うかのように。


「なざ、れ」

「父上っ、こんな、でも、ああああ」


王子の端正(たんせい)な容貌が哀れにも崩れて、尚も支離滅裂な言葉を吐き出す事しか出来ない。

彼の傍らに立つ金髪の妹は何も言えずに、ずっと兄に縋り付いている。


そんな二人を視界に収め、国王が優しげに手を伸ばした。


「国、を。永遠の国を、ナザレ。どうか、お前が――」


血の繋がった偉大な父。人では無くなった自分をずっと守り続けてくれた、優しい家族。

そんな存在を失ったナザレが顔を頭を掻き毟り、――絶叫した。


それは呪いだ。


そもそも、誰も居ない玉座の間に近衛騎士の立場とはいえアグラファ一人が存在するという おかしな状況、仕組んだのは国王だ。他の誰かに出来る事ではない。

彼等四人しか居ない密室で、内心の全てを把握できている者達ばかりを一度に集め、わざとアグラファを激昂させて、心弱い息子の目の前で父が死ぬ。


さて、実際にやれば どうなるだろうか?

国王バプテスマは、どうなるのかを知っていたのか?


知っていたに決まっている。


「あああああああああああああ――!!!!!!!」


ナザレの両目から、激情に応じて真紅色の輝きが立ち昇る。

絶叫する勢いを そのままに、父を殺した男、――アグラファに飛び掛かって爪を振るう。


「ナザレ――っ」


国王を殺した下手人は、諦めたような顔をしていた。


吸血鬼を王に据えようなどと、騎士であるアグラファには到底 認められる事ではない。

だが第一王子の公的な死亡より十数年、どうやってナザレが生き延びたかなど分かりきった状況で、人の間に魔物を潜ませ、己の夢想を叶えるためだけに各種官吏や貴族達、果ては血を受け継いだ子供達さえ殺したと語る男が、己の言葉で止まるだろうか。


止まらない、と(アグラファ)は思った。

だから殺した。

明らかに狂っていたからだ。自分では止められないと思ったからだ。だから、最も手早く、最も確実な手段をもって彼の凶行を止めたのだ。その後どうするかなんて考えられず、グチャグチャになった頭で必死に考えて実行した。


息子(ナザレ)(ケファ)の目の前で、父親たる国王を殺した。


「ちくしょう」


自分は、早まったのだろうか。他にもっと、出来る事があったのだろうか。

アグラファの頭の中には もはや後悔しか残っていない。


だから甘んじて受け入れた。


号泣(ごうきゅう)する吸血鬼の振るった爪を、彼は抵抗もせずに その身で受けた。

後に残ったのは血塗れの玉座と死体が二つ、床に座り込んで震える少女の目の前には吸血鬼。惨劇の後と言うには荒れた痕跡も ろくに見えず、荒い呼吸だけが室内に響く。


「ア゛ーっ、ア゛ーっ、ア゛ア゛ア゛ア゛――ッッッ!!!!!」


狂った獣のようにナザレが吼えた。

それを聞き付けた城内の者達が踏み込むには、未だ若干の時を必要とする。

何も持たない無能な第十二号(ケファ)が、死体を前に泣き暮れる兄を前にして どうすれば良いのか分からずに泣き出した。


何故こうなったのか、彼女には何一つとして理解出来ない。

血の繋がった兄に会えた。自分の話を聞いてもらった。

ただそれだけの筈だった。


ケファは兄に国王の行いを止めて欲しいなんて頼んでいないし、それを考えるだけの知能も足りない。ずっと流されるままに追従して、気が付けば目の前には真っ赤な景色。

何も分からず、彼女は泣いた。泣く以外に何も出来ずに蹲る。


玉座の上で微笑みながら事切れた国王バプテスマ。

父の遺体を前にナザレが涙する。その最中、衝動的に殺してしまった恩師たるアグラファの遺体を目にして更に泣く。目にする全てが彼にとっての悲劇であった。


――国を。永遠の国を。ナザレ。どうか、お前が築いてくれ。


狂乱の中でナザレの脳内に木霊(こだま)するのは父の言葉。最期の言葉だ。

繰り返し繰り返し、同じ言葉ばかりが巡っていく。

何時しか、泣きながらナザレは笑っていた。


国を築けば許されるのだろうか。永遠があれば良いのだろうか。


罪深い魔物の身の上で、縋るべきものを見付けられたと王子が一人で笑っていた。

泣き笑う兄を呆然と見つめる妹の前で、狂った吸血鬼が道を見つけたと笑っていた。


それら全てが、国王バプテスマの掌の上での出来事だった。

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