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勇者ばんぱいあ  作者: NE
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第四十八話 愚者敗走

月明かりの差し込む夜の王城を親子三人で歩いていた。


先頭に国王バプテスマ、続いて第一王子ナザレ、そして(ナザレ)の影に隠れるように第十二王女ケファが顔を俯けたまま追従する。

後宮の門前にて邂逅した王と王子。国王の誘いで王城に出向く事となったナザレは、実に十数年振りとなる城内の景観に懐かしさを感じながら口を開いた。


「変わりませんね、此処は」

「そうか」

「ええ。僕の記憶にあるままだ。本当に、あの頃のまま……」


ずっと霊廟に篭もり続けて、目に見えないこの世の全てに脅えるだけの日々だった。

母である王妃を殺して以降、ナザレは後宮最奥部の秘匿霊廟に己を閉じ込め、来る筈の無い救済(おわり)を待ちわびて延々と祈りを捧げていた。


死んでしまいたい、終わりたい、逃げ出したい、助けて欲しい。


そんな事ばかりを考えながら、それでも父たる国王から与えられる新鮮な誰かの血液を飲み干し、魔物としての生命を長らえ時間ばかりが過ぎていく。死にたいと考えながら生きるために血を啜った。矛盾していると自分自身で理解しており、だというのに父の差し出す狂った優しさに縋る事を止められない。


どれほどの量を飲み干しただろう。

どれだけの数が殺されただろうか。


もはや王子と名乗る事など叶う筈も無く、魔物に堕ちて民の血を啜ってまでも生き長らえた、闇を這いずる人喰いの化け物。ソレの正体が何かを知りつつも、赤く温かな生命の雫を享受し続けた十数年。

先の事など何一つとして考えられない。否、考えたくも無いと言うのが本音だった。


自分はもう終わっている。

ナザレはずっと そう考えていた。なのに在りもしない希望を求めて自死(じし)する事さえ選べぬまま、日々を無為(むい)に消費するだけ。


――次に目を覚ました時に、この世の全てが嘘に変わっていれば良いのに。


本当に下らない、弱者の戯言(たわごと)にしか成り得ぬ妄念(もうねん)を抱いて、毎夜 目蓋を閉じていた。人で あった頃のように、人ではない魔物としての身の上で。


吸血鬼を国の玉座に据えようと考える国王バプテスマは きっと狂っているのだろうが、息子であるナザレとて()の老人と変わらない。

若き日の夢に縋り付く国王と、弱さゆえに夢を見る事しか出来ない王子。

似た者同士だなどと笑えない。彼等の行いは余りにも人道を外れ過ぎているのだから。


青年(ナザレ)の服の(そで)幼い少女(ケファ)が指先で(つま)み、青年は己を見上げてくる真紅色の視線に微笑み返すと、ようやくナザレは国王に向けて言葉を発した。

先程までの独白染みた呟きとは全く異なる、自分自身の意志を篭めた、父への言葉。


「父上」


彼が声を掛けても、枯れ木のような矮躯(わいく)は足を止める事無く廊下を歩く。

吸血鬼であるナザレの姿を見られぬようにと、先んじて人払いをされた城内は静かなままで、かつりかつりと先を行く王の足音ばかりが木霊していた。


「ナザレよ」


国王の視線は未だ前方へと向けられたまま。背後からの呼び掛けへの返答ではなく、自ら会話を切り出すかのような物言いで父が息子の名を呼んだ。

(つね)と変わらぬ、波の無い平坦な声音だった。


ソレを耳にするだけで王の道具たる第十二号(ケファ)は全身を震わせ、小さく潜めた息を乱しながら必死になって兄の衣服に縋り付く。幼子が親に しがみ付くか のようにして。

実妹(ケファ)の震え様に、袖を摘んだ指先を優しく握り返す事で(ナザレ)が応える。


父に対する己の呼び掛けが無視された、とナザレは感じた。

まるで彼の言葉が耳に入らなかったかのように息子の名前を呼び返し、自分から会話の仕切り直しを行う事で、この場の主導権を握ろうとしている。少なくとも、ナザレは国王の()した内心を そう捉えた。


「――はい。何でしょうか、父上」


その上でナザレは、相手の思惑に乗った。


ケファと出会った事で、彼女の話を聞いた事で、ナザレは ようやく暗がりの外へと踏み出せた。

逃げては ならない。

これ以上 一歩でも退いてしまえば、きっと自分は二度と立ち上がる事が出来なく なってしまう。そうなればナザレは王の人形、老人の妄執を叶えるためだけの存在と化してしまうだろう。

国を守らず、民を顧みず、下げ渡された玉座に座って人の生き血を啜るだけの怪物に なるのだ。


主導権の有無や、立場による有利不利なぞ関係無い。

父の行いを止めるのだ。

そのために外へと踏み出した。ずっとずっと脅えていたが、虚ろな瞳で涙を流す血の繋がった妹の姿を目にする事で、ようやく一掴みほどの勇気を振り絞るに至ったのだ。


ナザレは吸血鬼だ。化け物だ。そして何より汚らしい人喰いの魔物である。

そんな自分でも、最後に一つくらいは道を正して おかねばならない。人で無くなった己を、それでも守り慈しんでくれた愛すべき父、国王バプテスマを止めてみせると決めたのだ。

だから――。


「腹は減らぬか、ナザレよ」


だから、立ち向かわねば、ならない、のに。


「ち、ちう、え?」

「おお、そういえば其処に――新鮮な生き血(・・・・・・)()るな?」


国王の持つ熱の無い視線がケファの元へと ゆるりと滑り、吸血鬼である実の息子へと誘いを掛ける。


ナザレの呼吸が不規則に乱れ、父親の心無い暴言に怒鳴り返すべきだと訴える彼の心の優しい部分が、罅割れたように痛みを伝える。

だって、王の視線が言っているのだ。


――母である王妃を食ったのだから、妹である王女も食えるだろう、と。


「はは、う、え……うっ、うううううううう゛――っ」

「ははは、どうしたナザレよ。余はお前の腹が()いていないか心配をした だけであろう」


深い奈落のような父の瞳が実の息子を真っ直ぐに捉えた。

感情の一切が窺えない、磨き抜かれた鉱石の如き青色の両眼。笑っているのに肩も揺らさず、平坦なままの父の声音がナザレの心を刃のように切り刻む。


会話の主導権は、完全に王の掌上にあった。


国王は この場の全てを理解し尽している。

かつて人間であった頃より今まで、ずっと後継者たるナザレを見てきた。

闇の中で歪み果て、弱りに弱った息子の心を、国王バプテスマは手に取るように理解している。何を言えば何を感じ、何に対して何を想うか。だからこそ、ナザレが何のために離宮の外へと出て来たのかを、この老人は正しく把握出来ていた。


第十二号(ケファ)が共に居る事自体は、国王も意図せぬ予期し得なかった事態である。

だからと言って、その程度の変事一つで状況を上手く転がせぬ破目に陥るような阿呆ではない。全て万事抜かり無く、などと現実に叶わぬ事は知っている。第一王子の戦死にしても、妻である王妃の死にしても、国王が事前に知る事など全くもって出来なかった。


成程、これは予想外の事態だ。だが所詮は それだけの事。どうにでもなる。どうにでも、出来る。

今更、逃がすつもりなど毛頭(もうとう)無い。


今の臆病なナザレが己に逆らおうとするとは驚いた。本当に心底 驚いた。

王の思い描く未来図の中で最も必要な、吸血鬼の王。永遠の支配者。

ナザレには己の下げ渡す玉座に座って貰わなければ ならないのだから、十二個もある道具の一つに少々 影響された程度で機能を損なってしまうのは許し難い。


惑わぬように、逆らえぬように、今一度 刻み込まねば ならないようだ。


「おにいさま……?」

「ぅ、けっ、ケファ……ッ」


ナザレは吸血鬼だ。しかし、それ以上に罪人だった。

共に戦場に立った配下を、戦友を、自身を産み落とした実母を喰い殺した化け物だ。


多数の罪を重ね続けて、なのに自ら命を絶つ事すら選択出来ず、今の今まで生き長らえてきた。

ナザレは臆病な男であった。

実妹(ケファ)と出会って心を奮わせ、一掴みほどの勇気を振り絞る事が出来た。――だから何だと言うのだ。


それが どうした。今更、立ち向かうには遅過ぎる。ずっと見てみぬ振りをしてきた癖に、化け物が妹の前で格好付けて善人ぶった所で、国王の行いを正すにはナザレの心は余りにも弱い。

過去の罪を()し返された程度で震えている。母の血の味を思い出して舌が(うず)く。


国王がナザレから視線を逸らし、靴音が徐々に遠のいた。

ケファに手を引かれて、赤く輝く両目を揺らし、ナザレもまた後を追う。


辿り着いたのは玉座の間。

常ならば侍っている臣下の姿なぞ其処には見えず、しかし たった一人だけ男が居た。


総髪(そうはつ)は老いによって真っ白に色が抜け落ちて、顎には僅かながらの髭がある。屈強な体躯は年齢を感じさせぬ力に満ちており、とても枯れ木のような国王と同年代とは思えない。

老いては居れど、ナザレの見知った人だった。


「あ――、」

「――ナザ、レ?」


近衛騎士、アグラファ。

人であった頃の王子ナザレを息子のように見守って、しかし(ナザレ)の死により野に下り、つい先頃になって王城へと帰還したばかりの老人だ。


彼の所在を、ナザレは全く知らなかった。

そしてアグラファもまた、死んだ筈のナザレの存命なぞ知りもしないで此処に居る。

本来ならば感動すべき、十数年振りの再会だ。

互いに二度と(まみ)える事は無いと思っていた相手。それが目の前に現われた。


動揺に瞳を揺らす両者と、ナザレの傍に縋り付く事しか出来ない無能な王女。

三者の様子を視界に収めた国王は、小さく小さく笑っていた。


まるで悪魔の浮かべるような、歪に狂った笑みだった。


視界を焼いた神聖光が晴れていく。

頭部から首、胸から腹部に至るまで、右半身を白銀色に輝かせる吸血鬼が立ち尽くしている姿が光の向こうから現われた。

正一の全身には複数人で運用するような大型の槍が四方から打ち込まれ、滴る血潮(ちしお)が明確な負傷の有無を知らしめる。


それでも、赤と銀の視線が真っ直ぐ勇者へと向けられた。


当然ながら生きている。戦意も未だ、()えていない。

ならば やるべき事は決まっている。


「もう、一発――っ!!!」


恵三は最初から、たった一撃で目の前の戦場を(おさ)められるとは思っていない。

防ぐか避けるか。選択肢は本来ならば二択になるが、全て切り捨て自分(えみ)を殺しに来る可能性さえも()()み済みだ。もっとも、その場合は高確率で自分が死ぬから勘弁願いたいというのが本音であったが。

ともかく、当初より彼女の内で予定されていた追撃が、再度 正一に叩き付けられる。


寸前、銀色に輝く肉体が千切り取られるように散らばって、数を増やし続ける蝙蝠の群れが一箇所に寄り集まると、まるで銀色の影絵(かげえ)のように巨大な蝙蝠の翼が構築された。

勇者の剣から放たれる神聖光は、広範囲の光の奔流(ほんりゅう)だ。背後の吸血鬼達を守るためには正一の体躯では防御するための必要面積が足りない。だから己の肉体をバラバラに崩して、防げる形に変身する。


だが、先ほど防いだばかりなのに何故 今になって盾を作っているのだろうか。

その答えは簡単だ。


「こっちが全力ならっ、防ぎ、切れないっ」


弾む呼吸を整える暇さえ惜しんだ恵三が、確認するように呟いた。

正一に聞こえていようと構わない。むしろ聞こえていれば自身の内情を知られていると自覚した彼に対する牽制になる。


恵三の全身全霊、大量の生命力を注ぎ込んだ先の斬撃は祝福を無効化する正一に対してさえ、その防御を打ち抜くほどの痛手を与えた。与えたのだろう、と恵三は目の前の状況から見て取った。

彼女(えみ)の攻撃は通じている。防がせる事で相手の隙を作るだけでなく、このまま撃ち続ければ正一を倒す事さえ不可能ではない。

白銀の()(さき)が血を流す正一に向けられる。


恵三の行動と前後するように、吸血鬼達も各々 行動を開始した。


勇者の初撃は正一が身を挺して防ぎ切った。痛手を負ったのは正一だけ。背後で戦っていた吸血鬼達には届いていない。

そして周囲からの攻撃も、彼等を傷付けるには至らなかった。


眩いばかりの光の奔流を前にして、人間種族である自分には害が無いからと その身を躍らせる事の出来る人間が どれほどの数居るだろう。

つい先ほど、勇者の絶対性が揺らいだばかり。前線で必死に命を賭ける兵士達に先の手順を通達するだけの暇も無く、突然の事態を目にして、それでも冷静に最善手(さいぜんしゅ)を打てるような傑物(けつぶつ)が、最も死亡率の高い末端(まったん)の立場に居るわけが無い。

そうでなくとも、視界全てを埋め尽くすほどの輝きだ。視界を塗り潰され、驚きで動きを止めても おかしくは なかった。


だが吸血鬼達は違う。

彼等には手段を選ぶだけの余裕が無い。戦い続ければ数の差によって押し潰されると知っている。

特に王と目付け役(ナハシェ)は己の命すら捨てる覚悟だ。不測の事態に怯む事など有り得ない。至極冷静に勇者の行いを見て取って、遅滞(ちたい)無く次の行動に移った。


つまり、逃走だ。


「「「「――怒涛(ガッシュ)」」」」


戦場の混乱、神聖光の放出。姿を隠すための要因(よういん)は幾らでも あった。

正一の足元まで見事 這い寄った羽虫の群れが、地中の表層(ひょうそう)から地形操作の魔法を唱える。


恵三の放った銀の光剣(こうけん)と同時同瞬、王の唱えた魔法によって、大地が爆発するように遥か上方へと噴き上がった。

蟲達が王の左腕を形作り、立ち尽くす正一の肉体を土砂の中へと押し倒す。


「マリア――!」


噴出する大地の陰に隠れて少年の身体を少女の元へと運び込むと、赤いドレスの少女が人としての形を崩し、鮮血のように赤い粘液状の何かへと変身した。


正一の全身を包み込むように赤色が覆い、彼の発する神聖光に触れた部分が僅かに熱せられたような異音を発する。攻撃のためのもの ではなくとも、魔物にとって祝福は毒だ。皮膚を()(むし)られるような痛みを耐えて、マリアが正一ごと地面の中へと水が染み込むようにして沈んでいく。


「お父様、後は」

「ああ、任せておけ」

「ナハシェ、お父様を――」

(かしこ)まりました」


会話の途中で、最後まで聞き取る事無く赤い粘体が姿を消した。


お互いに、分かっている。

これが最期に なるだろう事を。この場に残る二人が生き延びられる可能性は無きに等しいという現実を。

それを理解した上で、二重(にじゅう)三重(さんじゅう)に取り囲まれた今の状況から無事 逃げ(おお)せる事の可能な能力の持ち主はマリア一人しか居なかった。


粘液状の血液の塊と化した王女マリアが、地中を食い荒らしながら底へと向かう。

彼女の身体に包まれた正一は未だ幾つかの大槍を肉の内側に通したままで、正確な状況の把握さえ覚束無(おぼつかな)い。

ただ一つ、自分が助けられているという事だけは理解していた。


「あ゛あ……っ」


痛みに喘ぐ。肉体の傷と心の痛みに、狂人が不相応(ふそうおう)にも苦しんでいる。


また負けた。また、誰かが死んだ。

地下城では確かに守ると思った筈なのに、結局は 無意味に終わってしまった。

感情に任せて動いた結果、また、正一は失うのだ。


「くっ、そ、お」


悪態に伴い、血の混じった泡を吹く。

幾度 自分を(なじ)っても、どれだけ現状を否定しても、決定された現実は変わらない。正一は負けて、吸血鬼も負けて、今の彼は守る筈だった誰かに守られるだけの無力な御荷物だ。

顔の右半分が熱かった。負けた事実に胸の奥が()(たぎ)るように荒れ狂う。


『ERROR』

『ERROR』

『ERR――』


地中深くの暗闇で、佐藤正一は ただひたすらに無駄な悪態ばかりを吐いていた。

唯一言葉の届く位置に居るマリアは何も言わず、こうして二人は逃げ延びた。

二人だけが、生き延びた。


「――恵三様、お身体はっ」

「大丈夫ー。ただ、ちょっと疲れたかなぁ……」


吸血鬼二体が滅ぶ姿を目にして、剣を鞘に(おさ)めた恵三が疲れたように呟いた。


結局、最大の敵である黒髪の吸血鬼の死亡は確認出来ていないままだ。

出来れば仕留めて おきたかった。次の機会があったなら、その時は どうなるのか分からない。確実に勝てると思った今回、殺せていれば楽だったのだが――。


「しょうがない、か」


勇者の剣の威力に耐える、明らかに異常な吸血鬼。

黒い髪色を この世界で目にしていない事実に、恵三は しっかりと気付いている。気付いた上で、己の推測が当たっていた場合の不都合を考え、軽い頭を悩ませた。


人間に似た姿の吸血鬼は殺せたし、あの黒髪が同郷の誰かであっても恵三には殺せる。それはきっと間違い無い。躊躇う事無く戦えたのだ、次があっても手加減はしない。

それでも思い悩むのは、彼女にも確かに人間らしい部分があるからだ。


頭を振って、思考を追い出す。

有るか無いかも分からない未来の可能性は さて置いて、考えるべき事は他にある。


勇者の剣を衆目の前で(しの)がれた。


討伐軍内の士気が これから先どうなるか、想像もしたくないな、と恵三は思う。

軍内の規律(きりつ)が保てている内に魔王を倒さなければ、中途で崩壊する事も無くは無い。


未だ日が昇るには遠い時間帯。疲弊した軍の頭上では、正一に置いていかれた妖精達が けらけらと物も考えずに笑っている。

月の下で色取り取りに輝く羽根の色を見上げながら、恵三は小さく肩を竦めた。


魔王の目前、到達まで僅か数日の事だった。

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