第四十四話 倒錯願望
ひょっとすると自分は呪われている のかもしれない。
共同体の生き残りである魔物三人を纏めて詰め込んだ大甕を背負い一人走らされている正一は、自らの身に襲い掛かる数々の不幸を嘆いて吐き捨てた。
「この世界に恐竜が居るなんて聞いてないぞ!!!」
彼が放った全霊の叫びは、大地竜の咆哮によって掻き消された。
魔王という名の黒い柱を目印に真っ直ぐ走っていた正一だが、今現在は百八十度 転身した上で再度疾走、先ほどまで進んで来た道を真逆に辿りながら走っている。
ちゃぷちゃぷ五月蝿い土甕を背負って走っていたが、気付かぬ間に竜達の住まう縄張りに足を踏み入れた挙句、正一の周囲を飛び回る妖精が彼等 大地竜を引き寄せた。
今の今まで忘れていたが、妖精は甘い。そして美味い。
魔物の味覚、固形物を口に出来ない吸血鬼の舌でさえ美味に感じる妖精の味わい。わざわざ飼育して数を増やそうと考える専用集落が在る程に、妖精というのは魔物にとって有用な種族。多方面に利用可能な生き物だ。
正一は そういった詳しい事情を知らなかった。しかし大鬼精が妖精の後を群れ成し追い駆けてまで食べようとする光景を見ていたし、実際に味わった経験もある、畜産対象となっている事実も確かに目にした。
何よりも、今現在 正一の背後へ走り寄って来る恐竜達は、妖精を見つけた途端に喜びの咆哮を上げて食い散らし、御代わりを寄越せ とばかりに生き残りの妖精に囲まれた正一へと襲い掛かって来たのである。
完全に目を付けられて しまった。
妖精と共に居る正一も、ついでのように被害を受ける。
とんだ災難、としか言いようが無い。
「妖精共っ、向こうに行け、向こうにい!!」
「死なば もろともー!」
「にがさーん!」
「あし食べられたー!」
恐竜達の目当ては妖精である。
現状においては単なる厄介事の種でしかない妖精を追い払おうにも、しつこく付きまとわれて逃げられない。妖精も自分達が狙われていると分かっているので、唯一の拠り所と為り得る正一に食らい付く勢いで後を追う。
互いに自分の命が大事、押し付けられるのならば押し付けたい。
言い争う姿からは相手に対する情の欠片も見当たらず、それは彼等の本性が窺い知れる、実に醜い光景だった。
口喧嘩では埒が明かない。そう悟った正一は口を閉じて考える。
非常食としての役割以外では雑音を吐き出す以外に能が無い、穀潰しの体現者たる妖精達を言葉によって説得する事は不可能だ。不可能と言うか、死ねと言われて素直に死ぬような生き物が魔物の犇めく人外魔境で生きていけるような道理も無い。――なので話をする事は諦めて、素直に走って速度でもって離脱する事を選択した。
「あっ!」
「にげた!」
「追えー!」
「はねが食われ」
「ぎゃーんっ!」
正一が吸血鬼としての全身全霊を振り絞って走り出す。
背後からは妖精達の阿鼻叫喚が伝わってくるが、佐藤正一は元より自身の生存こそを最優先とする少年だった。後悔とは、やってから するもの。切羽詰まった状況下で思い悩むような暇など無い。
躊躇いの一つも見せずに妖精を見捨てて、しかし妖精達も逃げ出す正一の背中に離されまい と必死になって空を飛ぶ。
背後からは発達した両脚で大地を踏み締める巨大な陸上生物が迫っている。
恐竜と正一と妖精達。吸血鬼となって人を超え、弱点である日光や祝福魔法さえ無効化した正一だが、余りにもサイズ差が大き過ぎた。
正一の持つ攻撃手段の一切が、見上げるほどの巨体を誇る大地竜相手では通じない。
蝙蝠となって姿を晦まそうにも、背には大甕を背負っているため人型を捨てるわけ にはいかなかった。
身を隠そうとも妖精達が騒がしいため隠れ潜むのは難度が高い。五月蝿い邪魔者達を走って引き離そうにも妖精側とて命が懸かっているのだ、無駄に目立つ羽根を光らせながら正一の背中に追い縋り、このままでは引き剥がすのに時間が掛かる。
恐竜を敵に回しても、戦いになど なるわけが無い。
だからと言って、逃げ続けるのも可能か どうか疑わしい。
ならばどうするか。
――他の奴らに押し付ける、だ。
「勇者かあ、お前え――」
見覚えのある銀色が、上空に飛び上がった正一の膝から下を舐め尽くす。
熱は全く感じなかった。痛みも一切 襲ってこない。顔の右半分が襲い掛かる神聖光に反応して輝き始め、光る視界の中で、少女の染めた金色の髪が風に靡く様を見下ろした。
正一の次の、更に次。
目の前の少女が新たな勇者。
都合 五人目の異世界人。魔王を倒すべく選ばれた英雄、その候補者。
周囲に存在する他の騎士達など目に入らない。因果と呼ぶべき縁など持たず、かと言って いざ目の前に己の後釜に座った誰かが居るとなれば、無視をする気にも なれなかった。
能動的な理由は無い。何かを してやろう、という敵意も悪意も存在しない。
完全なる赤の他人。第四号勇者とは違って、今が初対面である勇者の少女に対しては個人的に執着するような過去が無かった。しかし特別な理由が何も無くとも、正一は勇者であるというだけで視線を向けてしまう。意識を囚われてしまう。
過去を完全に捨て去る事など不可能だ。
彼女を意識したのは単なる未練、生ま育った元の世界に対する心残りが原因だろう。
召喚された新たな勇者が彼女と異なる別の誰かで あったとしても、きっと同じように視線を向けて、個人の感傷で頭を悩ませ苦しんだ筈。それを自覚した上で、胸に蟠る葛藤を消化しきれずに舌を打った。
この場で殺す事は可能だった。勇者の剣が通じなければ、彼女は只の人間だ。
しかし殺す理由が思い付かない。殺したいとさえ思わない。本当に無関係な、完全なる赤の他人であるからだ。
だから逃げた。また逃げた。大地竜の群れから逃れた時よりも、より一層速度を増して、固い地面を捲り上げるかのように勢い良く走り出した。
どうでも良いとは言い切れず、かと言って関わりを持つだけの理由も薄い。
今の正一は吸血鬼だ。人間種族の敵であり、勇者にとっても敵だった。王城や滅んだ街で沢山の人間を殺しておいて、ちょっと郷愁に駆られたからと仲良く お話をしよう なんて虫が良いにも程がある。
――そうやって考え込んだ事が悪かった。
乳白色の何かが正一の全身を通り抜け、大きな泡の表面に触れたかのような違和感を与えた、しかし それ以外には何も起こらず現われない。
はっと息を呑んで遅まきながらに身構えたが、周囲は相変わらず静かなままだ。過ぎ去った背後からは大地竜と勇者達の戦闘音が聞こえるが、それさえ遠く離れている。
気のせいだったか、と楽観したくなった正一の耳に、甕の中から王の言葉が注意を促す。
『イスカリオテ、逃げろっ! ――索敵魔法だ!!』
「……はっ?」
何故此処で既に死んだ筈の御姫様の名前が出るのだ。――そんな事を考えて、僅かな間を置いた後に ソレが己の偽名である事を思い出す。
自分で名乗った偽名を忘れるとは、本当に間の抜けた話だった。
そんな間の抜けた反応に続くように、新たな魔物の接近を察知した魔王討伐軍 本隊は正一を包囲する動きをもって前進する。
「対象は人間型……! しかし数は、四です!」
索敵魔法に引っ掛かった魔物に関する詳細な情報は得られないが、対象の数と相対座標、そして体躯の大きさなどの曖昧な種族的特徴は しっかり分かる。
森妖精や人獅子を始めとした人間型の魔物の所在が、近辺においては確認されていない。今し方 察知した相手こそが、捜索中の吸血鬼である可能性があった。
「勇者様は、今――?」
「索敵魔法の範囲外です」
「通信によって、戦闘中である、と!」
部下達の報告を聞く限りでは、討伐軍から離れて派遣された捜索部隊を掻い潜り、より数の多い本隊の元へと やって来たという事になる。
キナ臭い話だ。その行動は不可解に過ぎる。
しかし仮に何かを企んでいようと、彼等には退くつもりなど全く無かった。
雪辱を晴らさねばならない。
近衛の任に就いておきながら、まんまと守るべき王族の命を奪われた。
第一、第二騎士団が少数を除いて遠征予定のある討伐軍へと追い遣られたのも、きっと不甲斐ない騎士達に対する王の怒りの表れだ。
近衛として王城に詰めるべき者達を、不適格であると罵って、遠い戦場へと追い出した。果たして王の内心は どれ程の激情を堪えているのか。
猛省せねばならない。積み重なった汚名を返上出来るだけの働きを示さねば、このままでは王城への帰還も叶わぬ。
第二騎士団の団長は そう考えていた。
当然ながら、的外れ な考えだった。
しかし彼の中では先の妄想こそが真実であり、無情なる国王バプテスマの本心を窺い知るための術も無い。よって胸の内には戦意ばかりが いや増して、非常に攻撃的 且つ後の悲劇の引き金と成り得る選択を してしまった。
「左翼、対象を包囲しろ。重装歩兵で前方を固め、魔法兵による祝福の援護を――」
正一を始めとする吸血鬼一行は、戦う意思など持っていない。
騎士団が片手で余る程度の小数を無価値と見なして無視してくれれば逃げていた。
しかし討伐軍側にも退けない理由がある。
かつての汚名を雪ぎたい。今ある立場を失わぬためにも手柄を立てたい。機会があるのならば、王国の怨敵たる吸血鬼を討たねば ならない。
諌める者は誰も居ない。腹の底に抱える理由は違えど、皆が皆、吸血鬼を討てるものならば討ちたかった。
そして四人という少数を相手に、日々その戦力を磨き続けてきた討伐軍が負けると考えるような者が、居る筈も無かった。
正一側も王の言葉によって動き出し、逃走に移りはしたが間に合わない。
急ぎの捜索は先行した勇者達に任せ、討伐軍の本隊は着実に周囲の地形を探り、複数の斥候部隊で周囲を固めながら丁寧に進軍して来たのだ。遠く離れた位置ならば ともかく、正一達の現在地は既に討伐軍の射程圏内。今更 焦っても逃げられる筈が無かった。
索敵魔法の範囲内に足を踏み入れた時点で手遅れだ。
墓標の魔法を纏わり付かせた鉄の鏃が、輝きながら降り落ちる。
「く、そ――っ!!!」
堪えきれずに悪態を吐いた。
逃げる事にばかり夢中だったから、恐竜達を無事 押し付けた後の事を全く考えていなかった。
勇者と擦れ違い、そのまま真っ直ぐ走った先に、軍が控えている事など当たり前だ。
考え事をしていて気付かなかったと、そんな言葉では言い訳にも なりはしない。
牽制のために放たれた矢の雨は、正一を傷付けるには少々 重さが足りていない。祝福の魔法は彼の素肌を傷付けず、単純な鏃の傷なぞ吸血鬼の再生能力で無意味と化した。
背負っている土甕も分厚い作りが幸いして、矢の一、二本ならば問題無い。ついでのように巻き込まれた妖精達も、的が小さ過ぎて未だ一匹も死んでいなかった。
問題は、包囲されつつある事だ。
逃げ道が無い。
正一達を囲い込む兵士達は大盾を構えて列を成し、迂闊に近付けば細かな矢玉とは危険度の異なる槍や剣が襲ってくる。
正一だけなら多少の傷など無視が出来るが、甕が壊れれば中の三人が死んでしまう。
日は未だ沈んでいないのだ。夕焼けに照らされた この場において、背の荷を守り続けなければならない不利は大きい。時間を稼ぐにも包囲された この状況で、一体どこまで耐えられるのか。
『イスカリオテ――』
背負った土甕から声が聞こえる。
五月蝿い、と怒鳴りつけたくなった。どうして自分が こんな目に、と。
語り掛けてくる言葉の中身を残らず無視して、焦燥感に包まれた正一の脳が無駄に回転し続ける。
上方から落ちてくる矢の雨、矢の群れ、その先端。十字架が踊る忌々しい輝きを目にして、黒ずんだ吸血鬼達の死に様を思い出す。
己の右腕、イスカリオテの死に顔、地下城に転がっていた土塊。
またコレが、この輝きが殺しに来ている。
吸血鬼だから。人間種族の敵だから。守るために頑張っている正一の意志になど目もくれず、当たり前のように死を奉ずるための祝福が――。
「くそ、くそ、くそ、くそっ、くそがあああああ――!!!!!」
どろどろと右目が輝いた。
白銀色の光が迸り、叫びを上げる吸血鬼の、顔の右半分が真っ白に染め上げられて形を崩す。
銀色の蝙蝠が群れを成し、前方にて盾を構えた歩兵たち目掛けて殺到する。
「変身したぞ」
「なんだアレは――」
「あの光は魔法か?」
騎士達の内 幾人かが驚きに呻く。
そもそも包囲した時点で おかしかった。
今は夕暮れ、日の差す時間だ。
吸血鬼が、太陽の下で生きていられるわけが無い。姿を現す事など不可能だ。
ならばアレは何なのか。
赤く輝く左目と、何処かで見たような銀の光を吐き出す右目。
吸血鬼ではない。あんなものが、吸血鬼であろう筈が無い。
ならば――。
「アレは、何だっ!?」
甕を背負ったままの状態で、己の頭部を人の形から無数の蝙蝠へと変身させた化け物が、盾を構える歩兵部隊 目掛けて駆け出した。
「ぐっ、があ、ああああ!!!!」
「怯むなっ、前衛を崩されれば――」
「俺達には勇者様の加護がある! この程度ならっ!!」
――守らなければ ならない。
前衛が崩れれば後ろに居る同胞達に被害が及ぶ。だからこそ盾を構える歩兵の皆は、謎の発光現象を伴う蝙蝠達に襲われながらも、陣形を保って守りを固めた。
――守らなければ ならない。
此処で囲い殺されれば、正一が背負っている三人分の命が散ってしまう。
吸血鬼だろうと、人喰いの魔物だろうと、深い付き合いの無い相手だろうと、そんな瑣末な事情なぞ、己の知った事では無い。
守らなければ ならないのだ。
「だから、死ねえ」
白銀に輝く蝙蝠達が僅かな時間、標的となった歩兵達の視界を奪う。
一息に踏み込んだ正一が構えた盾ごと重装備の歩兵を吹き飛ばし、宙を舞う幾人かの影の下で、銀と赤の二色に輝く魔物の視線が にんまり笑った。
『ERROR』
『ERROR』
『ERROR』
「邪魔だあ、お前らあ――」
太陽が徐々に地平線へと その身を隠し、吸血鬼達の時間が迫る。
戦いが、始まった。




