第四十一話 哨戒失敗
吸血鬼御一行が魔王近辺を目指している理由とは、暫しの潜伏というのが一番大きい。
吸血鬼は、人も獣も魔物も問わず、血の流れている他種族を食べる事で生きている。
その食性ゆえに彼等は他種族の恨みを買い易い。種族連合が決死の覚悟で敵の根城である地下深くまで攻め入ってきたのも、吸血鬼という上位の捕食者に対する恐れと怒りが原因だった。
例え自分が死のうとも、必ず奴らを殺さねば ならない。放っておけば喰われて滅ぶ。――そう考えたがゆえに、先の襲撃を決行したのだ。
共同体の残党たる吸血鬼三人、+一人。再度の襲撃を凌げる面子とは思えない。
正一の見せた常識外の力を思い返せば多少の希望も湧いては来るが、期待の新人を過信した結果が種の滅亡となれば、笑い話にしても場が冷える。
彼等は逃げるためにこそ進むのだ。
魔物同士の共食い、殺し合いが盛んな地域であれば、落ち延びてきた少数の吸血鬼に構うような暇な存在など そう居ない。極一部の本当に危険な魔物の縄張りを避けて、居住権の移り変わりが激しい地域を渡っていけば、少なくとも恨みを買って問題が起こるという事は無いだろう。仮に事が起こっても即座に逃げれば それで良い。
魔王に近付けば必然的に強者が増える。殺し殺されが日常的な土地で生きるというのは当然ながら危険であるが、彼等 吸血鬼とて優れた魔物、単純に四人で生き延びるだけなら方法は幾らでも思い付く。吸血鬼という種族そのものを執拗に付け狙う物好き さえ居なければ、危険を避けるのは容易かった。
弱点に関する種族的な制限は存在すれど、眷属たる動く死骸を生み出す事を許可すれば、減りに減った数の問題も解決出来る。
吸血鬼の王は此処で暫らく眷属を増やして、一定規模の勢力を築くつもりだった。
日光を浴びるだけで死んでしまう、という吸血鬼にとっての最たる脆弱性を考えれば、日中を無事に やり過ごすための拠点を持たないというのは致命的だ。日の差さぬ暗がりで夜までの時間を耐えねばならず、ゆえに彼等四人が身を潜められるだけの広さを持つ住居と、其処の守護役たる眷属が欲しい。
絶対に必要と言えるものが二つあり、そのために急がねばならないのだが、拠点の建設予定地への移動に その周辺調査と、事前に やらねばならない仕事が幾つか有る。彼等には若干の準備期間が必要だ。
王は必要となるだろう先の予定を立てていた。特に住居の有無は吸血鬼にとって命に関わる ものだからと、現状における最善を求めて必死になって考えた。
周辺に分布している魔物の種類が吸血鬼にとって与し易い類の相手か否か、今進んでいる経路で今後 問題は起きないか、旅そのもの が初めてであるマリアや、他二人の疲労は如何ほどか。本当に色々と考えながら王としての責務を果たすために努力していたのだ。日に日に疲弊していく王の姿を目にして、マリアの御目付け役であるナハシェが声を掛ける度に微笑み返しては「大丈夫だ」と繰り返すだけの毎日。
それを ぶち壊したのが正一である。
当然だが、彼に悪気は一切無かった。
彼等四人の内で唯一 日光を無害化出来る吸血鬼。彼等だけではなく吸血鬼の歴史においても史上初の希少存在だが、それに関しては脇に置く。
日光の有無に関わらず活動可能な正一は、率先して周囲への斥候役を引き受けた。王も正一の申し出を受け、有り難く頼る事にしたのだった。
本来ならば、人の指先に着地出来る程度の小さな羽虫に変身可能な王の方が、安全と隠密性を考えれば正一よりも適役だ。しかし王は未だ祝福魔法による負傷から完全に快復し切れていないため、昼夜問わず活動出来る正一に斥候役が割り振られた。
黒騎士を単身で討ち果たした正一を己よりも格上の存在と見なす吸血鬼、マリアとナハシェからは目上の存在である彼が雑兵の如き仕事を こなす事に少々不満の声が上がったが、だからと言って二人に任せても仕方が無い。適材適所、昼間でも自由に出歩ける正一以上の適任など彼等の中には居ないため、結局は渋々ながらも納得するに至る。
吸血鬼独自の文化、習性。自身より上と認めた相手に対する敬いの姿勢を少々面倒に感じる正一だが、どうせ長く付き合う つもりも無い。適当に聞き流している内に王様が対処してくれたので深く考えずに放置した。それを後悔するのは少しだけ先の話となる。
さて、正一の役目は斥候である。
進行方向の偵察。地形情報を収集し敵性対象の有無を調べるという、要するに転ばぬ先の杖、危険が無いかを調べるための調査要員だ。
最初は特に問題無かった。
何処に どんな魔物が居たか、周囲は森か山か或いは平野か、川が有ったか無かったか、見たままを報告すれば王が勝手に判断する。とても忙しくて外に出る度 疲労も溜まり、使い走りのような扱いではあるが、正一が不満に思う事も無い。彼は これが必要な行為だと理解しており、責任を負うべき判断の全ては経験豊富そうな吸血鬼に丸投げだ。一人で全てを こなしていた頃に比べれば気楽なもの。
いざとなれば、自分一人で逃げても良い。
今の正一にとって彼等 吸血鬼は魔王に近付く為の案内役、縁あって同行している一時の連れ合いだ。状況の推移次第で離れる事も視野に入れる、その程度の相手だった。
その程度の相手だ、と内心で己に言い聞かせていたのだが、彼自身の失態によって そうも言えなくなって しまう。
本当に、ただ見物して終わるだけのつもり だった。
昼の最中の自由時間。周囲の哨戒と称して出歩いた先で戦闘音を聞き付けた正一は、好奇心から足を運ぶ。
向かった先では、何時か何処かで見たような鎧甲冑の集団が戦っていた。
巨大な牛頭の魔物と戦う軍人達。盾を構えて一斉に受け止め、魔法で怯んだ隙を突き、複数人で運用しなければ動かせないほど長大な槍を突き立てて敵を葬る。
正直に言おう、見惚れてしまった。
正一の目から見た戦場は、とても幻想的な光景だった。少なくとも、彼にとっては。
騎士が、兵士が、槍や剣や魔法で武装した軍集団が、一目で見て分かるような文字通りの怪物の群れを相手に、必死になって戦っている。
血と汗と涙を流して戦う彼等の、地に伏して声を上げる姿さえもが輝いて見えた。
余りにも非現実的で、どうしようもなく生命力に満ち溢れた、救国の刃。第五号勇者率いる魔王討伐軍。かつて人間だった頃の佐藤正一が夢見たような、異なる世界の幻想譚。見物気分だった視線も やがては熱を帯び始め、食い入るように目の前の光景に囚われた。
向けられる視線に気付けたのは、鋭く研ぎ澄まされた優等種族の性能ゆえだ。
熱の無い瞳。焦げ茶色の観察眼。
――見られた、と気付いたときには駆け出していた。
正一自身の思考に基づく状況判断が早かったわけではない。咄嗟の行動、度重なる潜伏生活で身に付いた、反射的な逃走だった。
白系統を主色とした全身鎧の軍集団。第四号勇者が死んだ直後、自棄になった正一が好き放題に荒らし回った相手と同様の外見だ。
恐らくは あの時の相手と同一、つまりは王国所属の兵士達。
「不味い……っ!」
走りながら喉奥で呻く。
王城襲撃の一件と滅んだ街の外周部にて、正一は彼等を殺して回った。
そうそう忘れはしないだろう。真っ当な動機も持たない加害者側である正一が はっきりと憶えているのだから、被害者側である彼等としては恨み骨髄に徹する筈だ。きっと、間違いなく、相手にとっての正一は優先的な殲滅対象。
見つかった、と思った。ならば敵対は避けられない。
彼等は敵だ。数が多くて勝てそうに無い。
――よし、逃げよう。
早々に結論を出した正一は、今も太陽から身を隠しているだろう吸血鬼達の下へと全速力で舞い戻る。
彼等を見捨てても良かった。見捨てる事は、不可能では無かった。
しかし此度の原因は間違いなく正一にあり、知らせもせずに一人身を隠した結果あの三人が正一の身代わりに討伐されたとなれば、多少なりとも罪悪感が身を擡げる。
全く知らない赤の他人が相手ではないのだ。正一に他者を見捨てて喜ぶ趣味は無い。
無実の相手を嬉々として踏み躙る事はあったが、あれはあれで理由あっての行いだ。後ろ暗い喜びの感情が無かったと言えば嘘になるが、今は それを論じる だけの暇も無い
王と御目付け役が魔法で造った、日の差さない地下の空洞。
正一が「邪魔になるから」と置いていった小五月蝿い妖精達と戯れながら、吸血鬼の王女マリアは ぼんやりと土の天井を見上げて口を開いた。
「……遅いですね、イスカリオテ」
それは、もはや何度目の呟きだろうか。
王は己の顔を掌で押さえ、ナハシェは相変わらずの寡黙な様子で口を噤む。
吸血鬼にとっての就寝時間、日が中天に昇る真っ昼間だと言うのに起きっ放しの三人組。哨戒すると言って外へと出向いた黒髪の少年を待ち焦がれるマリアの姿に、最近忙しくて娘に構う暇の無かった王様も、彼女が何を想っているのかを察してしまった。
「ま、マリアっ。今夜も沢山 歩く事になる、そろそろ眠っては どうだろう?」
「イスカリオテが帰って来るまで待ちますわ」
「……そうか。うん、そうかぁ」
滅びを目前とした吸血鬼達。
産めよ増やせよ、とまでは言わないが、個体数が増えるのは喜ばしい。
組織的な都合だけでなく好意的な感情まで伴うとあれば、男女の契りを阻む理由は存在しないし、してはならない。諸手を挙げて応援してあげるべきだ。
頭では分かっているのだが、王とて親だ、娘が可愛い。手放したくない。
黒髪の少年。外から やって来た吸血鬼。
鎮魂の祝福による不可逆の損傷を無視してしまえる、異質な存在。
王は彼が何者なのかを、不確かながらも理解していた。理解していた、つもりだった。
神の祝福は あらゆる呪いを払い退け、魔物を傷付け討ち滅ぼす。それは地上における絶対法則、覆す事の叶わない現実だ。否定できるものなど存在しなかった。
常識、現実、法則、条理。ソレ等を超えられるもの を生物とは呼べない。
地上に秩序を敷ける のは神々だけだ。人では無いし魔物でも無い。例外と呼べるものが あるとしたら、王に想像出来る可能性は ただ一つ。
魔王だ。
天と地と海と、それらの各所に住まう生物達、神の被造物たるもの のみが生きていた時代。――かつての古き秩序を終わらせた渦巻く柱。正体不明の黒の塊。
魔物と言う存在が生み出された事で、間違いなく世界は変わった。
魔王の出現さえもが神々の思惑だったとは思えない。もしも そうならば、何故 神々は人間種族に魔王を滅ぼすための術を与えたのか、と言う疑問が残るからだ。少なくとも、吸血鬼の王は魔王という現象を神とは関わりの無いものだと考えている。
神の秩序を超える存在、それは ある意味において魔王と同じだ。
「……ふぅ、」
王は眉根を寄せて己の思考を否定する。
ただ魔物を生み出すことしか しない自然現象と、黒髪の少年。同じ黒色を持つもの同士という共通点はあるが、余りにも思考が飛躍し過ぎていると自身の予測を戒めた。
王は一つ見落としをしている。
秩序とは神が敷くものだ。ならば既存の秩序を超えるには、裁定者たる神に頼むのが最も確実。
意思ある魔王現象という妄想甚だしい考えも突飛なものだが、真実は彼の考える以上に常識と言うものを逸脱していた。見透かせぬのも無理は無い。
王は優秀な吸血鬼だが、それだけだ。同族として無事に迎え入れたと思っている新参の少年が、まさか元とはいえ勇者だなどと。容易く予想出来るような男ではなかった。神々から直接の祝福を授けられた魔物であるなど、思い至れる筈が無かった。
数分毎に想い人の名を呟く王女、物思いに耽りながら顔を歪める王、そして仕えるべき上役二人の姿を視界に捉えながら息を潜めて面倒事を回避する、王女個人の御目付け役。
彼等の元に火急の知らせが届くのは、この数十分後の事だった。




