表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
勇者ばんぱいあ  作者: NE
32/64

第三十二話 危地葛藤

見覚えのある黒騎士が視界に入った その瞬間、佐藤正一は全速力で走り出した。

――後方に。


周囲への気遣いなど彼の中には存在しない。だって死ぬかもしれないのだ。ならば恥も外聞も無く逃げ出したとて、何を(はばか)る事がある。


動く死骸を長剣の一振りで斬り捨てた騎士の強さを憶えている。

拳から先を斬り裂かれた際に感じた、生涯最大の苦痛を今再び思い出していた。


右腕を左手で押さえ込み、胸中を埋め尽くしかねない大きな恐怖を押し殺す。

あの時は死ぬと思った。

次は、間違いなく殺される。


「イスカリオテ――っ?」


名乗った偽名を呼ぶ声を聞いたが、無視。

構う暇など有りはしない。今は一秒でも長く、彼等 吸血鬼が あの恐ろしい黒騎士を釘付けにしてくれる事を願うだけ。


新入り吸血鬼の唐突な敵前逃亡に目を丸くする若手集団。

しかし彼等には正一の後を追うだけの余裕など存在しない。


後方へ駆け出す少年の背中を目で追うマリア達の態度に構う事無く、黒騎士の掲げる長剣が再び十字架型の輝きに包まれた。


目付け役(ナハシェ)っ、貴様一体何をやっていた!!」

「申し訳ありません、(マリア)様に命じられて――」


これ以上無い程に心を乱した吸血鬼の王が、側近たる古参吸血鬼達と共に城内を走り回っていた。


地下城内部の様子を(くま)なく監視するような設備など存在しない。

此処は数の少ない吸血鬼達が心安らかに暮らすための場所だ。同族に対して警戒する理由など王には無く、同族に対して反意(はんい)を抱くような者も また居なかった。だから このような事態に都合良く子供等の位置を察知できる手段など用意されていない。


無駄に大きく無意味に広い、日の差し込まぬ、吸血鬼達の(つか)の間の楽園。

わざわざ城内の様子を つぶさに知らねばならない切迫した事態など、彼等の内 誰一人として想像だに していなかった。


自身が危地に陥るとは考えない、強者の傲慢。

自らの手で築いた城が火急の事態に見舞われるなどと考えたくも無かった、辺境に落ち延びて来た彼等の抱く敗北への恐怖、楽園への逃避を望む臆病な無意識。


外敵に対する準備の不足が彼等の首を絞めている。

強者たる事を自負する吸血鬼達は、目を逸らし続けてきた己自身の心の弱さがゆえに、今まさに存亡の危機を迎えつつあった。


それでもせめて、危機に見舞われたのが自分達ならば良かった。

砕け散った筈の己が誇りを掻き集め、きっと毅然と立ち向かえただろう。不埒な侵入者などではなく、王国から来た吸血鬼にとっての天敵が相手であろうとも、心の奥深くに潜む弱さを払拭する機会を力尽くで掴み取った筈だ。


若者達は彼等にとっての希望だった。


敗北を知ってしまった、偽りの支配者。かつての栄光を夢見て、血を流しながらも這い上がろうと気炎(きえん)を吐く老兵達。

そんな彼等とは全く異なる、未だ敗北を知らない、偽り無き勝利と栄光と支配者たる誇りを胸に抱く無垢な若人(わこうど)達。


既に一度 支配者の誇りを泥に(まみ)れさせた王や古参達と、マリア達は違う。

負け戦を知る吸血鬼なぞ、既に精神的な敗北者だ。己の信じる優等種族の絶対性が結果(はいぼく)を伴った現実によって否定され、今でも信じていると(うそぶ)きながら、心の内には間違いなく王国に住まう人間種族への恐れがある。


それでは いけない。

勝利のみ によって彩られてこそ、吸血鬼は真の強者足り得るのだ。


己の強さを疑わず、他者の劣等性を確信し、頂点に君臨する事を至極当然と考える絶対的な王者の思想。

口さがない言い方をすれば、これは只の親馬鹿なのだろう。自分達の手では叶わなかった夢を次代に押し付ける、傍迷惑な老人の我が儘なのかもしれない。

それでも、傷一つ無い栄光の時代を、子供達に手渡してあげたかった。


それは他種族全てを対等とは認められない高慢な彼等 吸血鬼の、唯一愛するに足る同胞へ送る、精一杯の愛情表現だ。

地上へ出る機会を制限するという過保護に過ぎた扱いも、ここ数年 周辺に住まう他種族へ行っている侵略行為も、力を蓄え王国への復讐を企む臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の十数年間も、全ては次代を生きる者達の為にしてきた事。


その愛情が、気遣いが、受け取るべき相手の手に受け取られる事無く消えていく。


黒騎士の構えた長剣が翻る度に、長年 共に過ごしてきた友人達が一人、また一人と真っ黒な人型に変えられ床の上へと転がっていく。

余りにも現実感の無い、理解し難い断末魔。

勝利以外の何物をも許されない筈の絶対強者が、劣等種族を相手に抵抗さえ許されず、戦いと呼べるだけの過程も踏まえず、ただただ一方的に斬殺されていく。


王女マリアは、目の前で行われている一連の光景を全く理解出来なかった。


自分達は強い、筈だ。

負ける事など無い、筈だった。

黒く染まって転がる人形のような友人達は、きっと夢、――だったら良いと思った。


「ぁ、あ――」


惨劇を見上げる少女の顔には、血の一滴も落ちてこない。

肉体を構成する全ての要素が、金属を磨り潰したような黒土に変化して床の上へと降り積もっていく。

手を伸ばしても、指先で触れても。ソレからは生き物の熱が返ってこなかった。

もはや生きてはいないのだと、空洞と化した彼等の視線が物語る。


ただの暇潰しの筈だった。


地下城への侵入など、久しく無かった出来事だ。きっと七面倒な門番役を買って出ている古参の同族達が、華麗に手早く敵を滅ぼして終わるだろう。そう思って、彼等は愚か者の処刑を見物しに出向いたのだ。

少しくらいは自分達にも戦う機会があれば良いな、と。そんな気軽な考えで、行楽(こうらく)気分で足を運んだ。たったそれだけの事だった。


だというのに、彼女の目の前には友人達の死骸と煌く十字。何も楽しいものなど無い。

マリアの視界で、無数の小さな十字架が踊っている。


翳された長剣が僅かな灯りの中で鋭く輝き、呆然と床に座り込んだ王女目掛けて振り下ろされた。


全力で蹴り飛ばした大きな鳥篭が、部屋の壁に当たって弾け飛ぶ。


「しゃばの空気ー」

「いたい!」

「ちの臭いー?」

「うまかったよ!」


壊れた鳥篭から閉じ込められていた妖精達が飛び出して、色取り取りの光を散らせながら部屋中を好き放題に飛び回る。


一緒に地下城まで連行されてきた妖精達を開放した正一だが、当然ながら これは仲間意識からの行動では無い。城から逃げ出す際の陽動にでもなれば良いと考えて、彼等の無軌道 且つ派手な振る舞いに期待したのだ。

耳に騒がしく目に美しい、この妖精達が城内を飛び回っていれば多少は他者の目も引くだろう。それに乗じて無事に外まで逃げ出せれば、と考えてはいるのだが、恐らく そこまで上手くは いかない。


黒騎士について考える。

あれは、本当に森の外で出会った相手と同一の存在なのか。

別人だとするのなら、生き残る目がある。だがもしも同一人物ならば、今度こそ正一は殺されるだろう。

あの時と今とで、正一個人の出来る事は何も変わってなど いないのだ。向かい合っても戦いになど なりはしない。逃げる以外に生き延びられる道は無い。


思い起こすのは長剣を囲んで数多(あまた)に踊る墓標の魔法、十字の輝き。宗教事情の全く異なる この世界で見る筈の無い、意味不明な光の力。

吸血鬼には十字架が効く、などという話は子供だって知っているもの かもしれない。しかしそれは厳然(げんぜん)たる事実としてではなく、何処かの誰かが勝手に こじつけた屁理屈だ。魔物や魔法が実在する完全なる異世界で、正一の生まれた世界と全く同じ、十字架を象徴とする世界宗教が成立する事など有る筈が無い。


「っくそ、」


考えても仕方の無い事だ。考えた所で、逃げる選択に変わりは無い。


部屋に備え付けられたテーブルと椅子が視界に入る。

正一とマリアが腰掛け、一方的な会話を行っていた場所だ。


白い髪の、赤いドレスの少女。


黒騎士を見つけた事で即座に放置して来たが、きっと今頃は死んでいるだろう。

精々が一日二日の関係、加えて相手は吸血鬼。気遣ってやる理由は無い。


「御姫様と(えん)でもあるのかな……」


どうでも良い事を口にする。――そう、そんな事は、本当に どうでも良い事の筈だ。


白い髪、赤い瞳、ドレス姿、王女という立場。

何処かで聞いたような、何処かで見たような少女。似ていない筈だと自分に言い聞かせてみたが、自己に対する言い訳が必要になっている時点で、完全に否定出来ていない事が分かってしまう。


王女マリアは、イスカリオテとは別人だ。

白い髪が あの銀色の髪を思い起こすからと言って、それが何だと言うのだろうか。

似ていない、筈だ。しかし想起させる何かがあるのも確かな事だ。


――異世界よりの勇者様、どうか魔王を倒して下さい。


「……出来るわけ、無いだろう」


あの時 言えなかった言葉を口にする。


一番最初にイスカリオテと出会った時、きっと正一は酷く みっともない顔をしていた。

異世界への召喚。目の前には綺麗な御姫様。勇者扱いに魔王討伐。

舞い上がって失敗して、有りもしない優しさを求めて離宮に忍び込んで彼女を殺し、挙句の果てには吸血鬼にする始末。そこから先も、何かをしてあげられた記憶が無い。ずっとずっと、正一自身の自業自得で悪い結果ばかりを重ねてきた。

彼女が死んで、身が軽くなったのは本当だ。清々しい開放感が全身を包んで嬉しかった。自分を縛る全てが消えたと、心の底から そう思った。


だったら、どうして偽名に彼女の名前を使ったのだろう。


何の意味も無い行為だと分かっていたが、それでも無意味な行為の中で その名を口にしてしまう程度には、死んでしまったイスカリオテの事を引き摺っている。


どうして今になって、こんな事を考えているのだろう。

置いて来たマリアを助けに行けとでも言うのか。

どうせ、もう死んでいるのに。また、死ぬだけなのに。失くしてしまうと知っているのに。


「何をやったって、結局は また後悔するんだろう――?」


開け放したままの部屋の扉から、妖精達が(こぞ)って飛び出す。

正一も彼等の後を追うように足を動かしたが、一向に前へと進めない。

力の入らない両脚で廊下を歩いて、俯いたまま陰鬱な溜息を大きく零した。


「ちくしょう」


弱々しく言い捨てると、正一は その場から勢い良く走り出す。

あらゆる葛藤を振り切るように、脇目も振らず、真っ直ぐに。


佐藤正一は逃げ出した。


「マリアァ――ッッ!!!!」


悲鳴のような怒号と共に、黒騎士を目掛けて無数の(むし)達が宙を駆けた。

種々様々な、雲霞(うんか)の如き羽虫(はむし)の集団。

犇めき合う蟲達の影が真っ黒な(もや)のように黒騎士の身体を包み込むと、小さな蟲と人型の、互いの重量差を覆して黒色の敵対者を押し倒した。


「――燃やせ」


蟲が全身を覆い尽くして、鎧の隙間から内側に入り込む。

鎧の内側、獣人の毛皮に齧り付いた蟲達には構う事無く、聴覚を占領する羽音に紛れて黒騎士の指示が部下へと飛んだ。


羽音が大き過ぎて命令の内容が聞き取れない。しかし同色の鎧を身に纏う彼等とて、王命によって派遣された歴戦の手練(てだ)れ。状況に(そく)した呪文詠唱が開始され、魔法を専門とする騎士達の掌に白い炎が灯された。


「おとうさま?」

「無事か、マリア……っ!」


共同体の王が(マリア)の肩を抱き締めると、共に駆け付けた古参の吸血鬼達が黒騎士達の前に立って一時的な壁となる。

床に転がる黒ずんだ人型を見下ろし、皆が奥歯を食い縛った。

十数年前にも王国を相手に幾度も目にした犠牲者の姿。神聖魔法の輝きに晒された不死種族のみに訪れる、艶めいた石塊(いしくれ)と化す無慈悲な末路。


ずっと守り続けた子供等が、いとも容易く殺された。


墓標の祝福。二度と蘇える事の無い、不死者にとっての永遠の終わり。

生き残ったのはマリア一人。他は全て残らず、土へと還った。


「貴様等ァ――!!!!」

「絶対にっ、許さぬ!!!」


吸血鬼達が怒りに任せて気炎を上げる。

その正面には蟲の群れから解放された黒騎士と その部下達、更に後方には油断無く武器を構えて戦いに備える種族連合。


誰一人として敵を逃がすつもりは無い。


吸血鬼側には慈悲の心など一切無く、黒騎士達もまた殲滅こそが王命だ。

種族連合は元より復讐を望んで参戦した者が大多数。地下城への侵入以降、勝利を重ね続けた彼等の士気は留まるところを知らなかった。

向かい合う者達が戦意に満ちた視線を絡ませ、やがて互いの緊張が爆発するかのように前へと踏み出す。


両軍が真っ向から激突した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ