第三十一話 連合襲撃
吸血鬼達の住処である地下城内部。
多種多様な種族の連合が、地下に設けられた吸血鬼達の城に押し入り、揃って怒号を上げていた。
量に勝る連合と、質に勝る吸血鬼。
地下への扉を抉じ開け進入する多種族連合。日光を避ける吸血鬼達にとって、白昼の侵入者たる彼等は招かれざる客でしかない。
昼夜逆転した吸血鬼にとって、本来ならば揃って寝入るべき時間帯。僅かな動揺を挟みながら、それでも尚 地力に勝る吸血鬼が劣等種族を踏み躙っていく。
「――劣等種族が」
天性の貴種たる吸血鬼の居城に押し入る、汚らしい家畜の反抗。
如何に彼等 種族連合が己の怒りと行動を正しきものだと認めていても、同族以外を見下すしかない吸血鬼達にとっては、躾の足りない動物が家に上がり込み土足で暴れているのと変わらない。
連合側から まずは弓矢が射掛けられ、対する吸血鬼側は避ける素振りさえ見せず、真っ向から その攻撃を受け止める。
侵入者を迎え撃った吸血鬼達の肉体に次々と鏃が突き刺さり、皮膚の内側から赤い血を流して連合側に第一波の直撃を知らしめた。
僅かに沸き上がる種族連合、対する吸血鬼は自らが傷付いた事にも何ら反応を示さずに、一歩一歩、不埒な侵入者へ向かって歩を進める。
負傷など存在しないかのように、その足取りには淀みが無い。
「おい……?」
「効いてないのかっ」
「大丈夫だっ、射て! 射てぇ!」
地下城は吸血鬼の領域だ。当然、灯りなど必要としない彼等の居城は真っ暗闇の中にある。
連合が持ち込んだ灯りに照らされ輪郭を露わにする吸血鬼。
彼等の赤い両眼が、身体に幾本もの矢を通した上で、一際強く輝いた。
「――うっ」
誰か一人の、小さく呻く声が耳に届いた。
吸血鬼の恐ろしさは、何よりも その不死性にある。
首を斬り落とそうと、五体バラバラに分けようと、生きている限り滅びはしない。徹底的に弱らせたと思っても、生き血を啜るだけで瞬く間に傷を癒して立ち上がる。
世に在りて死からは程遠く。また、生の果てにて死者が成るもの。
迎え撃つ彼等の衣服に赤が滲み始め、その上で、微塵も挙動が鈍る事は無い。
弓矢を構えた者達の動きに躊躇いが生まれる。
勝てない、かもしれない。
そう思ってはいけないのに、ここで先制を取る自分達が手を止めてはいけないのに、それでも迫り来る恐怖を前に全身が震えて止まらない。
「ぁ――」
「逃げっ」
「待っ」
「ああああああ」
一人残らず、という事は全く無かった。
肉体に潜む根源的な恐怖に震えながら、それでも必死に弓を構えて矢を番え、更なる追撃の用意をした者達は確かに居た。
しかし種族連合の中で恐怖に耐えられなかった者達が悲鳴を上げて、その場から踵を返そうとした その刹那――。
一歩ずつ悠然と距離を詰めて来ていた血塗れの吸血鬼達が、突如 全身を爆発させた。
「痴れ者共を、喰らい尽くせ――ッッ!!!!」
人間大の体積が突如 大幅に膨れ上がり、巨大な狼へと化ける者。
肉体が無数のブロック状に崩壊し、その一つ一つが小さな野鼠に変わる者。
全身を赤色の霧に変じさせ、高く設けられた天井部付近まで、広く通路を覆い尽くす者。
誰一人として逃がすつもりは無い。
瞬く間に通路全体を覆い尽くした赤い霧。飲み込まれた者達は風が吹き抜けた程度の違和感しか感じなかったが、其処は既に吸血鬼の腹の中だ。
霧の一部が吸血鬼の身体部位を構築する。
人型の腕が一、二、三、四、――無数に生えて種族連合の襲撃者達を捕らえると、動きの止まった彼等 目掛けて、床を乱雑に埋め尽くす鼠の群れと巨大狼が飛び掛かった。
悲鳴と血飛沫が地下城の通路を染め上げる。
無意味に手傷を負った筈の吸血鬼達は攻勢に移って僅か数秒で血液の補給を済ませると、種族連合の先制攻撃によって刻まれたダメージの一切を回復させて、更に一方的な蹂躙を行っていた。
彼等吸血鬼が劣等種族に対して退く事など無い。
如何なる攻撃も真っ向から受け止めて、如何なる手傷も無意味と化して、当然の如く圧倒的な勝利を収めるだけ。
真っ当に考えれば、相手の攻撃を無防備に受けるような戦い方など馬鹿のやる事だ。しかしその非効率性を許容するのが彼等の誇るべき支配者の在り方であり、優等種族として当然の振る舞いだと考えていた。
弱者の用いる全てを生まれ持った性能のみによって無価値に落とす、絶対的な力の格差を示す事こそが強者の務め。
趣味が悪い、と正一が見ていれば思うだろう。
相手の弱さを踏み躙り、互いの上下優劣を その精神に叩き込む。支配者と被支配者の明確な差は傲慢なる勝利をもってこそ証明され、誰も彼もが認めるに至るのだ。
「残らず殺せ。死体は後で晒せば良い」
霧の中から浮かび上がる、強く輝く両目が言った。
種族連合の先遣隊は早くも壊滅状態にあり、この状況だけを見れば もはや吸血鬼側の勝利は決定付けられている。
だが其処に、真新しい犠牲者共の死に様など目に入らぬとばかりに悠々と足を踏み入れる一団が居た。
所属を表わす意匠を削り取られた騎士甲冑。中身の見えない黒尽くめ。
視線の窺えぬ兜の裏側に、淡く金に輝く猫のような瞳があった。
「ふんっ、増援か」
口元を血と肉で汚した狼が呟くが早いか、一瞬にして最高速に達した獣の体躯が一団の先頭を歩く黒騎士目掛けて宙を駆ける。
ほぼ同時に、標的である黒騎士の背後、同じ黒い鎧を着た騎士の内二人ほどが両手を掲げて、魔法の詠唱を行った。
「墓標」
先んじて唱えられた神聖属性、鎮魂の祝福。
――不死者殺しの魔法だ。
「――っぐ、人間種族!?」
巨大狼が直前で床に爪を突き立て動きを止めた。
祝福は地上においては人間種族のみに許された特権だ。
魔物の類は神の加護たる祝福の効果を受け入れられず、無理に使えば多大な苦痛か或いは呪いにも似た不調が齎される。魔物では使用する事が叶わずに、他者に使って貰おうとも、その身が加護を得る事だけは絶対に無い。
墓標の魔法を騎士剣に使用すれば魔物であっても間接的に祝福の恩恵を利用する事は可能だが、魔法の使用だけは人間にしか出来ない事だ。
シェオル王国の国教、神に仕える人間種族のみが使用可能な神聖属性。
魔法を使った黒い騎士達は、このような国外の辺境部に居るべき存在ではない。
吸血鬼の居城に直接攻め入るような状況下に、神聖属性を使用可能な神官職が存在するなど、完全に予想の外にあった。
だが、まだ何も終わっていない。
不死者殺しは吸血鬼の天敵だ。しかしだからと言って、たったそれだけの理由で敗北するような雑魚が不相応にも支配者を気取っていたという わけではない。
「その程度で、勝てると思――」
狼に変じた吸血鬼が牙を むき出して威嚇する。
その最中。
まさしく弾けるような脅威の速さで、一団の先頭に立つ黒騎士が駆けた。
先程の巨大狼の疾走と同速か、それ以上。
振り下ろされた騎士剣は十字架型の光を幾つも纏い、不死者殺しの一撃が狼の毛皮を容易く斬り裂き、その刃を敵の内臓まで届かせる。
敵の口上など知った事か、と隙を見て取って即座に叩き込まれた一閃は、間違いなく致命の負傷を刻み付けた。
「――ぉ、っが」
「総員、備えろ」
「防盾」
「防盾」
「墓標」
「墓標」
兜の内側から這い出す くぐもった声が、背後に居並ぶ部下へと指示を与える。
十人にも満たない黒い騎士甲冑の集団が横に広がった隊列を組み立て、逃げ遅れた連合の人員を守るために構えられた盾と長槍にも、黒騎士の剣と同じように神聖魔法の効果が齎された。
まずい。
状況の推移を真っ先に認識したのは、赤い霧と化した吸血鬼。
神聖魔法程度ならば彼等にとっても許容範囲だ。この場に居る吸血鬼は いずれも十数年前から生き残っている者達、人魔相打つ戦争の経験は当然有ったし、魔法を使われた程度で敗北するほど知性に欠けた低脳では無い。
だが、あの黒騎士の動きは尋常なもの ではなかった。
自らを優等種族だと自称する吸血鬼と同等の身体能力、甲冑を着込んで尚 鈍る事の無い しなやかな身のこなし、武器を用いるための優れた技術。
間違いなく手練れの類だ。
それも戦場において英雄と称されるやも知れぬ程の。
周辺の他種族に あれほどの手合いが居るなど、今の今まで聞いた憶えが欠片も無い。知っていれば名前ぐらいは検討が付く筈だ。
今更になって表に出て来た隠者の類。それとも他から やって来たか。
どちらだとしても、強者にして支配者であると自称する以上、吸血鬼側には逃走するという選択肢は許されない。彼等自身が、許しはしない。
吸血鬼の戦いとは勝って当然のもの なのだ。
敗北など有り得ない。有ってはならない。
そんなものは――。
十数年前の敗走以来、ただの一度も無かった事だ。
「まさ、か、シェオ、ル、――の」
神々の祝福は決して相手を逃さない。神の瞳は遍く全てを捉えるものだ。
例え本来の形を失った、霧に変じた吸血鬼であろうとも。
攻め入ってきた侵入者を逃がさないための変身だったが、通路全体に広がった霧状の肉体ならば空間内の何処を斬ろうと必ず当たる。そして当たりさえすれば鎮魂の墓標が その魂に突き立てられる。
彼は状況の移り変わりを認識するのは早かったが、行動に移すのが遅かった。
宙空から黒ずんだ土が小雨のように降り注ぎ、それを目にした黒騎士は軽く剣を振るって刃先に落ちてくる塵を払う。
場に居合わせた種族連合の生き残りが、眼前で繰り広げられた戦いの結果に小さく喜びの声を上げ始めた
先程までは死ぬしか無いと思っていたが、彼等が居れば勝てるかもしれない。
余りにも考えの甘い、自身の無力を棚に上げた無責任な期待感。しかし尻込みしていた者達が束の間の勝利を前にして、掻き消える寸前だった士気を高められたのは確かな事だ。
「な、人獅子の方……」
「すぐに突入部隊の再編を。此処からは我らが先陣を切る」
「あ、ああっ!!」
声を掛けた森妖精の男性を一顧だにせず、剣を握ったままで言葉を遮る。
完全に、場の主導権は黒騎士達の手に握られていた。
ここまで全てが予定通り。事前に引いた絵図面に則した流れのままだ。
地上にナザレ以外の吸血鬼は要らない。それが国王の決定なのだ。ならば忠実なる騎士は王命に従い、全ての吸血鬼を一匹残らず滅ぼさねばならない。
部下の騎士達に目配せを行い、新たな魔法の準備を促す。
未だ、戦いは始まったばかりなのだ。
束の間の戦場から姿を晦ませた鼠の一匹が、共同体の王の下まで走っていた。
彼の脳裏を埋め尽くすのは、予想も出来ない結果だった。
勝つ事が当然と考えていた吸血鬼達にとって、実に十数年振りの敗北。
他者の上に立つべき吸血鬼が、まさか劣等種族の連合の内でも両手の指で余る小数の敵に討たれて一目散に逃げている。王へ重要情報の報告を行うという言い訳があっても、逃げている事実は変わらない。彼は必死に歯を食い縛って走り続けた。
一団のリーダー格である黒騎士は、疑いようの無い強者だった。
その背後に控える同色の鎧を纏った者達もまた、吸血鬼に最も有効な神聖属性を習得している難敵だ。
吸血鬼の被害者である魔物達が寄り集まっただけの種族連合に、こんなにも都合の良い人材が複数人、同時に属しているなど有り得ない。
噂を全く聞かない以上、黒尽くめの一団は周辺国家に属する者ではない筈だ。真っ当な傭兵でも無いだろう。ならば何処の誰か、と考えるのなら――。
「――忌々しい黄泉の遣いかッ!!」
彼の齎した報告と同時期、城内は俄かに騒がしくなっていた。
外部から地下城内部に攻め入った、不届き者が存在する。
その話は日頃から退屈を持て余していた若い吸血鬼達の耳にも入っていた。
「へえ、面白そうだな」
「どうせ私達若手の出番なんか無いのでしょう?」
「そうだね、たまには良いだろうに」
「あら、マリア様が いらっしゃったわ――?」
耳には入っていた、しかし自分達が押されているなど若い彼等は知らなかった。知ったとしても、何かの冗談だと笑うだろう。
戦場における苦戦も敗北も、彼等は何一つ知らないのだ。
事実として、吸血鬼は優れた種族だ。
他の魔物達と戦っても、基本 優位に立つのは彼等の側で、敵の攻撃を わざと受けた上で己の不死性を見せつける。そうして相手の心を折ることによって敵対勢力の無力化を図るだけの余裕があった。
負ける事無く、保有戦力の一切を減らす事無く。――かつて失った勢力図を取り戻すために力を蓄え、間違いなく勝てるだろう戦いのみを選び続けた結果である。
敗北を知らない若者達は、勝てる勝負しか知らなかった。
共同体の上位に立つ者達は、負けぬ勝負を積み重ねるために、王国の手の届かないだろう辺境に身を潜めて勝ち続けた。
過去の敗戦で失った数を取り戻しきれていない今、自分達の居城、懐深くに不死者殺しの手練れを複数招き入れてしまったのだ。物を知らぬ若い彼等は話を聞いても理解しないだろうが、戦況は吸血鬼にとって徐々に劣勢へと傾きつつある。
共同体の王は、それでも若者達へ避難を指示する事を躊躇った。
敵の戦力が完全には分かっていない。ならば勝てるかもしれない。勝てる、と言い切らねば彼等が支配者であり続ける事は出来ない。
未だ年若い己の娘には、栄光ある時代を生きて欲しかった。
そのために このような辺境の地で細々と数を増やし続け、ここ数年で ようやく他種族への侵攻が叶うようになったのだ。此処で逃げれば今まで積み重ねてきたもの全てが無意味になってしまう。
自らが強者たる事を知っていると言うのに、敵が かつて敗北したシェオルの遣いかもしれないと知っただけで、王の胸の内には不安が渦巻く。
劣っている筈の者達に、優れている吸血鬼が負けた過去。忘れようにも忘れられない、あの時代を生き延びた者達皆にとっての人生の汚点。
「払拭せねば ならない」
威厳に満ちた声音で宣言する。
吸血鬼こそが至高。他は全て下位に位置する家畜に過ぎない。
それは証明するまでもない事実だ。現実が己の信仰と異なるのであれば、手ずから正してやらねば支配者としての矜持に関わる。
周囲に集った古参の吸血鬼達が頭を垂れて、王の言葉に肯定の意を示した。
彼等とて、過去の屈辱を雪ぐ為に生きてきたのだ。優等種族たる吸血鬼の居城に土足で踏み入った痴れ者共を放置するなど、彼等の誇りが許さない。ましてや敵が不死者殺しだからと己の劣位に脅えて逃げ出すくらいなら、この地で潰えた方がマシだとさえ考えている。
だが若者達は別だ。
彼等を死なせる事は、すなわち吸血鬼の歴史の終わりと等しく繋がる。
「――陛下っ、若者達が侵入者の下へ!!!」
自身の勝利を当然と考える、経験の浅い吸血鬼達。
着実に成長し続けてきた、しかし未だ一人前の吸血鬼と見なすには不十分な力しか持たない息子や娘、或いは孫達。
当然ながら、辺境での戦いしか知らない彼等には、祝福に対して有効な戦術など備わっていない。
「さあイスカリオテ、私達の戦いを特等席で見ていると良いわ!」
「……そうですね、本当に ありがたい事ですう」
自分勝手な御姫様の命令で引き摺られてきた正一。その周囲には容易い獲物を狩る為の行楽気分で寄り集まった、若い吸血鬼の集団が歩いていた。
「君が新入りかい? よく見ていると良いよ、本当の吸血鬼というものをさ!」
「変わった色の髪ね。少し貰っても良い?」
「ははは、姫様が昨日 顔を見せなかったのは そういう事か」
非常に友好的な者達だった。
同族に甘く、共同体における新参者である正一を己の下位に当たると見なしていた彼等は、上から目線であるからこそ、一切の裏表無く親切心に満ちた言葉を掛けては無警戒な笑顔を見せる。
誰一人として、自分達が負けると思っていない。
吸血鬼の住処に押し入ってきた馬鹿な相手、身の程知らずの愚か者共を暇潰しがてらに殺しに行こう。そういった気軽な気持ちで肩を並べて歩いていた。
負けた経験の無い、若者特有の無鉄砲。考えの浅い、好奇心ゆえの軽挙妄動。
そんな彼等の正面から、黒尽くめの騎士達が姿を現した。




