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勇者ばんぱいあ  作者: NE
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第三話 王女独白

王女イスカリオテは銀色の土塊(つちくれ)を手に取り瞼を下ろした。


「これで、もう、三人目……」


まるで宝石のような少女だった。

強く抱き締めれば折れてしまいそうなほどに細い肢体、長く美しい銀の髪。時節を逸すれば枯れ落ちてしまう花のように繊細な乙女の容貌は、彼女の浮かべた悲しげな表情と相俟って、思わず溜息を零してしまう美しさがある。


王女の細い手指(しゅし)が銀色の土を掴み上げ、水晶細工の器に落とす。


彼女の専用離宮に設けられた小さな秘匿霊廟(れいびょう)、その中央に並

べられた三つの水晶器。そのそれぞれに同質同量の土塊が納められていた。

王女は老人のように暗い瞳で右から順番に器を眺め、何かを振り切るように背を向ける。


「失敗した。また失敗した。次は、……次の勇者こそは」


うわ言のような呟きを零して、王女は霊廟を後にする。


「魔王を倒さないと。魔王を倒さないと。早く魔王を倒さないと――っ」


聞き届ける者など誰も居らず、ただ無意味に繰り返される王女の言葉。

僅かな狂気と吐き気のするような無力感を滲ませた彼女の後ろ姿は、その美しさゆえに壊れた人形のようにも見えた。


部屋の扉を開けて、王女の姿がその先の廊下へと消える。

しかし。並べられた三つの器以外に特筆すべきものなど何も無い、薄暗い空間の中心で。

器の一つ、左端に置かれた水晶細工の内側に盛られた銀色の土塊が僅かに動く。

その器の置かれた台座には、この国の言葉で とある少年の名前が刻まれていた。


――第三号勇者『佐藤(さとう)正一(しょういち)』。


土塊が蠢き、やがて力尽きるように その動きを止めてしまう。

(びょう)内にて動くものは最早何も無く、後に残るのは静寂のみ。


「イスカ!」


弾けるような元気な声音で、城内の廊下を歩いていたイスカリオテ王女に声を掛ける者が居た。


それは一人の少年であった。

日に透かせば赤毛に燃える、茶色の髪の少年。堀りの浅い顔立ちは年若い子供のようで、赤く頬を染めて王女に駆け寄る姿は飼い主を求めて吼え猛る元気な子犬か、はたまた恋する男子学生のようだった。


彼の声を聞いて、僅かに一拍。

花咲くような笑顔を浮かべた王女が少年に振り向き言葉を返す。


「まあ、勇者様! ――お身体はもう大丈夫なのですか?」


振り向きざま、笑顔と一緒に相手に呼び掛け、次いで不安そうな感情を浮かべて少年の身を心配する言葉を投げる。なんとも可憐な仕草であった。


「だ、大丈夫っ! あれくらい、なんて事無いさ!」


大きな声で答える少年は、傍から見ても分かるほど簡単に舞い上がっていた。

同年代の、とても美しい御姫様から己の身を案じる言葉を掛けられたのだ。ただそれだけで少年の心は躍っていた。こんな綺麗な女の子に心配をされた。すごく嬉しい。だから、――もっともっと頑張ろう、と。


相手は一国の姫君だ。勇者と呼ばれる立場に在る少年だが、恋をする相手として彼如きでは不相応が過ぎる。しかし、もしも魔王を倒せたのならば。国難を乗り越え民に平和を齎す、偉大なる英雄となれたのならば、もしかすると――。


淡い期待である。夢見るような想いであった。

だがそんな事を考えてしまうくらいに王女殿下は可憐で、美しく、何よりも少年に対して優しかった。


「勇者の試練も乗り越えた。毎日の訓練も頑張るよ。だから……っ」


だから、という言葉の先が口に出来ない。

明確な身分制度とは程遠い現代日本で生きてきた少年には、正真正銘、本物の御姫様を口説くというのは荷が重かった。続けるべき言葉に思い悩んでも答えが出ない。


「その、イスカも、頑張って……あはは」


ゆえに仕方なく、適当な言葉で、続く筈の言葉を誤魔化した。

彼には愛想笑いを浮かべて応援する事が精一杯。

当人から許可を得て王女の愛称である『イスカ』という名を呼ぶ栄誉を与えられたが、それとて彼が勇者として召喚された身の上だからだ。決して、彼と彼女が個人的に好き合っているわけではない。


至らぬ自分に向けた恥ずかしさを誤魔化すために、腰に吊るした勇者の剣を片手で弄る。


「――はい。勇者様も御無理をなさらないで下さい」


気の利かない言葉の遣り取りでさえ嫌がりもせずに笑って返してくれる、とても優しい御姫様。

そんな彼女の笑顔を見る度に、少年は努力しようと思えるのだ。魔王を倒そうと奮起するのだ。


やがて短い会話が終わり、勇者がこの場から離れていく。

彼の傍付きとして影ながら護衛していた二人組みの騎士達が、王女に小さく会釈をして その後に続いた。


廊下に一人残された王女は、長く、細く、息を吐き出して脱力する。


「……そういえば、何という名前だったかしら、あの方」


乾いた声音で呟く内容に意味は無い。

別に彼の名前が気になっているわけでも無かった。また失敗したとすれば、次に召喚される五人目の勇者の名前を憶え直さなければいけないのだ。彼個人を記憶する事に意味は無い。


次から次へと。失敗する度に繰り返すのだから、彼個人に意識を割くなど どう考えても不毛過ぎる。

ならば名前など どうでも良い。王女が名を憶える相手は、魔王を倒して国を救う、本物の勇者だけで良い。


王女イスカリオテは英雄への供物なのだ。

生まれてからずっと磨き続けた その美しい容姿も、王族らしく洗練された立ち居振る舞いも、言動の一つ一つに至るまで、全ては やがて現われるだろう勇者に捧げるためのものだった。

イスカリオテという名前の少女は、ただそれだけのモノ。


問題は、己を捧げるべき相手がことごとく勇者としての責務を果たせず道半ばで死んでいる、という一点のみ。


この国で、既に三人の勇者が死んだ。


第一号勇者は、魔王討伐後の権勢を欲して相争っていた貴族達の、権力闘争の過程で暗殺された。

第二号勇者は、女性であった故に夫婦として添い遂げる事の出来ない王女イスカリオテと接する機会は非常に少なく、死亡の確認のみを行って、後は詳しく知りもしない。

第三号勇者は、……何だったのだろうか、アレは。


「まさか勇者の試練さえ越えられないなんて……!」


悲痛な声を上げ、王女が両手で顔を覆う。先程までの勇者に対する演技とは違い、心の底から嘆いていた。


王家の直轄地に在る試練の洞窟。

ほぼ一本道の洞窟内部を歩いて、最奥部に建てられた石碑の碑文を読み上げるという、ただそれだけの、勇者のための伝統行事。どう考えても失敗しようのない、子供のお使い同然の安全な道行きである。


勇者に渡される剣は本来、二対一組の夫婦剣。

一振りを勇者に、そしてもう一振りを王女が持つ。所持者である勇者の生命力が尽きれば剣は朽ちて、互いに霊的な繋がりを持つ王女の剣も土へと還るのだ。その変化を見て取って、今までに三度、勇者達の死を確認してきた。

王女の剣が朽ちた以上、勇者の剣もまた朽ちている。


――つまり第三号勇者、佐藤正一は単なる お使いの道中で死んだのだ。


小さく息を吐き出すと、それだけの動作で王女は心を切り替える。

考えるべきは失敗した勇者に関する情報ではない。今を生き、やがて魔王を倒す勇者、王女イスカリオテを娶る救国の英雄だ。彼女はそのために生まれ、そのために生き、そのために死ぬと決まっているのだから。


だから、勇者が誰であろうと関係無い。

この国さえ救えるのならば、如何なる非道外道も受け入れよう。求めるものは魔王討伐ただ一つ。


一号、二号、と二人続いて試練さえ受けずに死んでしまった。

第一号の死因は欲に駆られた宮廷貴族の行いゆえ。勇者の死亡は国の責任、自業自得ではあるが、下手人は爵位剥奪の上で密かに処刑されている。

それが良い見せしめになったのか、第三号勇者の頃には貴族達も表面上は大人しかった。

第二号勇者に関しては女性であるという事と、異様に躁鬱気味だった事くらいしか王女は知らない。

勇者への供物として用意されたイスカリオテは同性相手にも媚を売るつもりで居たのだが、勇者が女性であるのならば別に(あて)がう男を見繕うと国王から命じられれば反論も出来ない。結果として、ろくに相手を知る事も無く、王女の剣の崩壊によって その死亡を知っただけ。


二人続けて完全な失敗。だからこそ第三号には期待したのだ。

だというのに結果は召喚初日に死亡である。


剣が朽ちる事によって彼の死を知り、王女からの通達によって、洞窟前に待機していた騎士達も城へ引き返した。

あの洞窟内に勇者を害する事の可能な魔物は居ない筈なのに、一体どうやって彼が死んだのか、王女には全く想像出来なかった。死体の回収に関して彼女は一切聞いていないが、国としても魔王を倒せない人間に用は無い。召喚された勇者に墓が無いのは当然の事だった。


先程まで王女が会話をしていた相手、茶髪の少年、第四号勇者。

立て続けに三度の失敗を繰り返したのだ、もはや王女は個人としての勇者に期待など一切していない。その点に関しては、きっと王室に属する ほぼ全員の意見が一致している。

魔王を倒せるまで何度でも召喚すれば良い。常に一人の勇者しか召喚出来ないという制約さえなければ、国王は きっと雲霞(うんか)の如き勇者の軍勢を()び出しただろう。


魔王の手によって魔物が生み出され、生み出された魔物達が自然繁殖を繰り返して数を増やし、遂には人々の生活圏を侵すようになった。


魔王を滅ぼせるのは、召喚された勇者と、その生命力を喰らった勇者の剣のみ。

自分達のみでは どうやっても解決できない危急の事態。国家防衛を旨とする生真面目な者ほど、異世界から訪れた勇者の存在を疎ましく思うだろう。どうして自分では駄目なのだ、と。


だが勇者は必要だ。国のために民の為に、せめて勇者の邪魔をせぬようにと、真っ当な人間は己の感情に蓋をして距離を置く。そうなれば必然的に、率先して勇者に近付く者は下心を秘めた人間だけになる。

第一号勇者の死因は正にそこにあった。


新たな第四号勇者には騎士団の人員と、勇者に気に入られるためだけに生きてきたイスカリオテ王女のみが近付ける。国王でさえ、勇者との接触を必要最低限に抑えていた。

彼に多くは望まない。全ての元凶たる魔王さえ倒してくれたのならば、王女は自分が捧げられるものを何であろうと捧げるつもりだ。

人格も能力も性別も容姿も何もかも、関係無い。


「勇者様、貴方が魔王を倒せるのなら――」


磨き上げた この身を捧げよう。他者を厭う心さえ捨てよう。死ねと命じられれば己が命も(なげう)とう。


王女イスカリオテは、そのためだけに生きているのだから。

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