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勇者ばんぱいあ  作者: NE
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第十六話 愚者狂乱

佐藤正一は勇者として召喚された。

――しかし勇者の試練さえ越えられずに死亡した。

佐藤正一は己の不幸を嘆き、その慰めとなるだろう王女に会いに向かった。

――そのために沢山の命を奪い、挙句の果てに王女を魔物の身へと堕とした。

佐藤正一は一人ぼっちで森に居た少女に、一欠けらの救いを見つけた。

――彼女は彼の怠慢によって命を落とし、もう二度と生を謳歌する事は無い。

佐藤正一は突如現われた騎士達からイスカリオテを守ろうとした。

――結果として守られたのは彼の方で、何をした所で彼女の役には立てなかった。


顎から首にかけてを濡らす鮮血を掌で拭う。

――ああ、また殺した。

これで何度目の事だろう。己の悪行に心が慣れてしまったのか、もはや自己嫌悪さえ湧いてこない。


不死者の嗅覚を刺激する血臭(けっしゅう)に気落ちするが今更だ。今までに何人殺してきたと思っているのか。善人ぶったところで そんなものは単なる言い訳に他ならず、犯した罪は絶対に消えない。


血の味、血の匂い、血の温かさ。


どれもこれもが吸血鬼の五感を心地よく刺激して、正一が人間ではない魔物となった現実を何度でも繰り返し自覚させる。

人の倫理(りんり)観など捨ててしまえ、と言われているかのようだ。


足元には動く死骸となった青年が跪いている。

部屋に置かれた粗末なベッドの傍らには、首から少量の血を流すイスカリオテが転がっていた。


「イスカ、……生きてるか」


返答は無い。が、赤い光が正一に向けられ、互いの視線が交わる事で その生存を確認する。

彼女の口元が薄っすらと笑っており、彼の暴挙に対して「気にするな」と言っているように錯覚した。

そう、錯覚だ、我が身可愛さの錯覚に決まっている。


守ろう、などと考えていた相手だ。


正一はイスカリオテを守るつもりで黒騎士達の眼前に躍り出し、だというのに容易く敗北、迫り来る死への恐怖に震えている所を彼女によって助けられた。助けられたのだろう、と考えている。離宮の霊廟内で茶髪の勇者が彼女と立ち位置を入れ替わり吸血死を免れた、あの光景を想起する急展開だった。だから恐らく、そうなのだろう。


「何が勇者だ」


当然、彼は勇者ではない。

試練に失敗し、魔物となり、人を襲って食べる吸血鬼だ。


「何を守る気だよ」


未だ誰一人守れやしない。

王女は彼が殺し、森で出会った少女も彼の怠慢が原因で死に、不意の敵対者と出会って敗北した正一を守ってくれたのは彼の被害者に過ぎないイスカリオテだ。


「化け物め」


佐藤正一は化け物だ。

紛う事無き人喰いの魔物が、今更、何を気にする必要があるのか。

体面など どうでも良いではないか。いくら表面を取り繕った所で、血を啜らなければ生きていけない現実に勝るものなど何も無い。今まで沢山殺してきた。これからも大量に殺しながら生きていくのだ。


ならば上辺を飾ったところで何になる。


魔物となった元人間が、かつてのように人の社会に溶け込めるわけが無い。

御伽噺(おとぎばなし)の中ではないのだ、人と怪物の友情物語など(たわ)けた妄想の中だけだ。今の正一が必死に手を伸ばしたところで、誰が握り返してくれるのか。ぬくもりを求めて人里に出張れば、(こぞ)って槍持て後を追われるのが関の山。殺されたところで誰が悲しむ。


もう、自分は化け物なのだ。引き返せないのだ。後ろを振り返っても、退くべき道など残っていない。


「開き直れ」


顔に刻まれた文字列を指先で なぞりながら、己に言い聞かせるように呟く。


目的など何も無かった。

異世界に召喚されて、言われるままに勇者となった。吸血鬼と化してからも一時的な感情に後押しされた衝動的な行動に終始して、先への展望など何も無い。

森の中での生活は諦念からくる惰性の産物、そこから外へ歩き出したのも自分ではなくイスカリオテを だしに使った選択の結果だ。


全部、捨ててしまえ。


化け物が我が儘になって何が悪い。他人のために動くなどおかしな話だ。

自分自身のために、生無き道を生きても良いじゃないか。

だって――。


「――何をやったって、どうせ全部無駄なんだあ」


この世界に喚ばれて以来、何一つ成功して来なかった。失敗ばかりが積み重なって、奮起した所で空回る。

だからもう、我慢なんか止めてしまおう。躊躇う必要なんて何処にも無い。考えたって無駄なのだ。如何に足掻いたところで結果は出ないと決まっている。正一は自分が無価値だと知っていたが、じかに味わった現実は無価値である以上に悪かった。底辺より下があるなんて、この世界に来るまで知らなかった。


新たな眷属と化した青年を見下ろす。

家の外を見れば、日が昇るまでに若干以上の猶予があった。ならば今の内に出来る事をやっておこう。

床に転がるイスカリオテにしても、このまま放置すれば死んでしまう。それは良くない事だ。せっかく傍に有るものを無意味に廃棄するなんて、勿体無くて納得出来ない。


「食事が必要だな。……お前から話を聞ければ良かったんだが」


言葉を話せないトマスの膝を軽く蹴り飛ばし、この地での予定表を脳内で書き起こす。

まずは最初にイスカリオテのための血液補給。そこから先は、まだ現在地と周辺の情報を得ていないから分からない。


もうどうでも良い。

どうなろうと知った事か。

好きに振舞い、気の赴くままに食べ散らかし、身が腐ったように死んでやる。


開き直ったつもりで居る正一だが、その内面は自暴自棄になっただけ。未来への希望など何も無いから、無軌道に暴れる事で己の鬱憤を晴らしたがっている。


――俺の行いに報いてくれない世界が悪い。

それが本音。つまりは単なる八つ当たりだ。


動機は至極単純で、彼の意思も行動も、本質的には何一つ変わってなどいない。感情のままに暴れまわったところで未来に利するものは無く、そこに正当性など欠片も無い。

しかしこの場には彼を掣肘(せいちゅう)する何者も存在しなかった。ゆえに止まる事は無い。例え間違っていると自覚出来ても、佐藤正一の(すさ)みきった心は形を変えたりしないのだ。


嘲笑と憐憫と憤怒と悲嘆、様々な感情が入り混じった哄笑を上げる。

一匹の吸血鬼が笑っていた。

何の罪も無い人間達に、全力で当り散らしてやると笑っていた。


街に住まう老神父は晴れ渡った青空を仰ぎ、鼻筋をかすめながら落ちていく汗を拭う。


此処は国内の主要街道から外れた街だ。特別貧しいわけではないが、特別豊かなわけでもない。かつては国に仕えた事さえある とても有能な男だったが、今は日々を天に座す神に祈りながら額に汗して畑を耕す貧乏教会の一神父に過ぎない。


魔物による領土侵犯が問題となっている国ではあるが、魔王の居る位置からも国内の主要地域からも距離のある この街は至極平和だった。

平和な地域だからこそ、教会に住まう神父に実入(みい)りの良い仕事など回ってこない。

死に(まつ)わる事象こそが生業である彼が、食い扶持を肉体労働で賄わなければならない程度には仕事の当てが見つからない。とても良い事だ、と老神父は満足気に(くわ)を振るう。


朝方から教会裏の畑に掛かりきりの神父を目にして、街の住人が時折声を掛けてくる。

然程慕われているわけではないが、街に一つしかない教会の人間なのだ。積極的に関わるような用件は滅多に無いが、必要となる万が一の事態を打算的に考えつつ、おおむね好意的に見られていた。


彼が この街に居を移して以来、およそ十数年の時が流れていた。

今でも時折考える。あのまま王城に残っていれば どうなったのであろうかと。


幼少の頃より目を掛けていた第一王子ナザレが魔物によって命を落とし、失意に暮れた彼は王宮での職を辞して野に下った。かつての選択を仕方なかったと思いはするが、それを正しいと開き直っているわけでもない。


昔馴染みの国王陛下は元気だろうか、と枯れ木のような男の姿を思い返す。

老神父と同年代の国王は、未だ現役であると聞く。老いて益々(ますます)とは言うが、大変結構な事だ。しかし年が年なので心配にもなる。次期国王として期待されていたナザレ王子が逝去(せいきょ)して以降十数年、今でも彼以上に優れた後継者の誕生を諦めきれていないのだろうか。


新たに生まれたらしい王女の話を聞いた。最近になって、魔王を討伐する勇者を召喚したらしい。

全て伝聞、噂話だ。

王都を離れて以来、老神父は王宮内の事情を知る特別な伝手(つて)を持っていない。だからあの場所で何が起こっているのか、その詳細を知る事など出来なかった。知らないからこそ、無闇に心配してしまう。


「なあ陛下、もういい加減 隠居すべきじゃ()えのか……?」


土に汚れた右手で真っ白な顎髭を撫で付ける。

届くわけも無い独り言だった。


国のために奔走し続けた古い知り合いが、老齢に差し掛かっても未だ政治の中心に居る。果たして彼の負担は どれ程のものだろうか。きっと老神父が知るよりも更に痩せ細って不健康な有り様を晒しているだろうに、怠けるという事を知らない国王陛下は、神父が全てを投げ出してからも ずっと一人で頑張っている。


――永遠に続く国が欲しい。私はそのために王となるのだ。


それは幼い頃の思い出だった。老いによる心の衰えには勝てず、自分にとっても息子に等しかったナザレの死に耐えられずに逃げ出した老神父は、身分違いの昔馴染みが今でも あの頃の夢を追っているように思えてならない。


苛烈なる国王陛下は、次代に引き継ぐという事を知っていた。

しかし夢見がちな理想を引き継いでくれる筈だった第一王子は、魔物の手に掛かって亡くなった。希望が潰えた、と当時の神父は思ったものだ。


ナザレ以外の王子王女は万が一の予備に過ぎない。

王族の血が絶えてはならぬと王が産ませた子供達だが、誰も彼もが第一王子とは比較にならない凡才だ。


それでも平時の王としては十分だっただろうが、今の時代は魔王の時代。勇者が首尾良く討伐行を成功させても、王や官吏には荒れた国を建て直す仕事が待っている。

魔王を倒せば全てが終わるわけでもないのだ。既に生まれている魔物達は消える事無く生き続け、自然繁殖で増えゆく敵対種族を最後の一匹に至るまで駆逐し続ける使命が彼等にはあった。


果たして凡庸な人間が国を背負って、延々と続く浄化作業を休む事無く成し遂げられるだろうか。

玉座を欲して権力闘争に(うつつ)を抜かす馬鹿者共に国を継がせても、国王バプテスマは我慢出来るのか。


きっと出来ないだろう、と老神父は溜息を吐く。

若き日の国王陛下は妥協の出来ない男だった。年を取って頭が固くなっていれば、尚更無理な事だろう。


「わしの言える事じゃ無えがなあ……」


職務も責任も全て放り出して失意に暮れた挙句、今は貧乏教会の老神父だ。

国の未来を(うれ)える資格など彼には無い。難しい事は偉い立場の人に任せて、一平民として生を まっとうするだけだ。それが己には似合いだと、僅かに自嘲して笑う。如何に無責任であろうとも、己が分際を弁える彼に他の選択肢など存在しない。


此処は平和な街だった。

余程の駄目人間でなければ飢える事無く平凡な一生を過ごせてしまえる、魔物の脅威とも国の暗雲とも程遠い、老神父にとって絶好の隠居先。

数年前から気に掛けている街の外れに住む小僧(トマス)のように、老後の楽しみと言える人間とも知り合えた。


このまま何の起伏も無く、年を重ねて死ぬのだろう。きっと、昔馴染みと再会する事も二度と無い。

それで良い。老神父は己の余生に満足していた。


そう考えた夜の内に、街の全てが滅ぶ事など予想も出来ず。


かくして一つの街が滅ぶ。

そうなった理由が子供の抱いた下らぬ癇癪だったなどと、きっと殺された誰もが知らなかった。

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