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勇者ばんぱいあ  作者: NE
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第十五話 病床暴走

街の外れに住まう青年トマスは、騎士になる事が夢だった。


彼の生家はとても貧しく、トマスが畑仕事を出来る年齢になるまでは日々の食事にも事欠く始末。やがて働き手が一人増えて多少はマシになったとは言え、それでも毎日腹を空かせていた憶えがある。

トマスの両親は御世辞にも良い親とは言えず、彼が頑張る事で増えた畑の収穫物を、成長期の彼より多めに食べてはまだ足りないと悪態を吐く。悪態だけで済めば良い方で、時にはトマスに食料を分けているから自分達が目一杯食べる事が出来ないのだ、などと言い掛かりを付けては暴力を振るう事さえあった。


両親が良い人間で無い事は幼い彼にも理解出来ていた。

しかしトマスが彼等を恨む事は無かった。少なくとも、表面上は親を慕う良き子供で在り続けた。


父と母が優しくないのは、貧しいからだ。

飢える事の無い豊かな生活の中であれば、きっと彼等も良き親であれた筈。

貧しい中で育った彼はそう考えた。


追い詰められた時にこそ人の本性は現われる。豊かな環境でなければ血の繋がった息子に優しく出来ないというのであれば、その畜生の如き振る舞いこそが彼等の本質。

街に住む老神父は幼いトマスに そう言ったが、彼は首を振って否定する。


――いいや違う、貧しいからだ。自分がきっと、両親の中にある本当の優しさを見つけてみせよう。


国に仕える騎士になろう。国を守り、民を守り、誇りある仕事で稼いだ綺麗な お金で、両親の曇った心を輝かせよう。

貧しくとも優しさを忘れぬ年若いトマスの言葉を聞いた老神父は、彼の頭を撫でて微笑んだ。


――世の中そこまで甘く()えよ、と。


互いの頬を(つね)りながら微笑み合う彼等の姿は、血が繋がらぬとも仲の良い祖父と孫のよう。

まこと、心温まる話であった。


今のトマスが住む家は町外れに建っている。

幼い頃から家事に畑仕事に鍛錬にと忙しく働き続けていたトマスであるが、両親が流行り病で亡くなってからは彼の努力も(かげ)りを見せていた。


騎士になろう。騎士になって稼いだ給金で両親の生活を楽にして、それから――。などと考えていたのだが、そもそもの切っ掛けとなった毒親は揃ってあっさり死んでしまった。


理由が欠ければ目的意識も薄れてしまう。

今のトマスは一人きりの家に住んで のんびりと日々を過ごすだけ。

平凡な日常の中で、かつての夢すら忘れつつある。一人ぼっちで畑を耕し、数少ない知り合いの老神父と時に語らい、このまま当たり前に年を取って行くのだろう。

そう思っていた。


「――お湯を持ってきなさい、トマス」

「はいぃ……っ」


赤く輝く瞳が命じる。

異形の視線に射竦(いすく)められた哀れな人間(かちく)に出来る事は、ただただ その要求に応えるのみ。

せっせと沸かした湯を木製の(おけ)に移し、占領された自分のベッドの傍らまで急いで運ぶ。


そこには傷付いた少年が横たわっていた。


トマスの知る限り生まれて初めて目にする黒い髪の色。とても生きた人間とは思えない、真っ白な肌。力無く投げ出された両手の指には、通常の二倍ほどの長さまで伸びた爪が目立つ。

そして何より、黒ずんだ右腕の異様な傷。


人間ではない、と容易く判断できる異様な風体(ふうてい)

光る両目の少女が連れた相手なのだ、人でないのは当然かもしれないが、意識を失い眠りに就く姿を見ては僅かながらに人間性のようなものも感じてしまう。


彼の右腕は酷いものだった。

手首から先が斜めに切り裂かれ、傷痕から(さび)が広がるように、青白い肌が真っ黒な色に染まっている。

毒か呪いか。知識の乏しいトマスには判断出来ないが、真っ当な傷で無い事だけは確かだろう。


「結構です、下がりなさい」

「……はぁい」


じろじろと少年を観察していたのが不快だったのか、それとも言葉通り湯の入った木桶を運んで用済みになったのか。少女はトマスへ視線も向けず、冷然とした声で退室を促す。


どうして こうなったのだろうか。トマスは頭を悩ませる。

貧乏な一人暮らしの中で誰かの恨みを買うような事もせず、ひっそりのんびり畑を耕し生きてきた。


銀色に光る地面から湧いて出てきた二人組。

用を足す為に偶然 家の外へと出ていたトマスは即座に少女の魔法で捕らえられ、あれよあれよと言う間に我が家の居住権を彼女に握られ虜囚の身の上。何が何だか分からない内に小間使いのような扱いを受けてはいるが、どうにも彼女等を恨む気持ちが湧いてこない。


お前は本当に鈍感な人間だ、と老神父に言われた記憶を思い出す。

鈍感なのだろうか、と首を傾げる。


魔物の知識の足りないトマスも、目が光る相手が人間でない事くらいは分かる。あの二人が魔物かもしれない、という程度の認識は当たり前に持っていた。

しかし魔物達の支配圏から遠く離れた街の、更に(はし)っこに住む青年だ。人と魔物の違いなど、人間種族に敵対的か否か、という程度の判断基準しか持っていない。


赤目の少女が眠る少年を心配している事くらいは、鈍感らしいトマスにも はっきり理解出来るのだ。

だから、名も知らない少女を嫌う事も憎む事も出来なかった。


家中の主導権を奪われ、自分用のベッドを勝手に使われ、小間使いのように顎で使われ、控え目に言っても横暴な仕打ちを受けている。

しかしその程度だ。暴力を振るわれていない。今の今まで殺されていない。そこに加えて連れの少年を甲斐甲斐しく世話する様子を見れば、トマスの中に彼女への敵対心など生まれようが無かった。


「鈍感、だろうか……?」


口に出して考える。

元気になった二人組が、己の住む街や知り合いである老神父に害を為すというのならば話は別だが、現状においては只の怪我人と介護役の少女だ。種族は違うが人助けと思えば何もおかしな事は無い、とトマスは考えた。


危機意識の全く足りていない判断である。周囲に疎まれ町外れに追い遣られても仕方が無いとさえ言える、どこかネジの外れた温和な思考。


平和過ぎる街で育った、平和ボケした人間。それがトマスだ。

かつて騎士を志した理由とて己が両親のためであり、魔物憎しの感情など欠片も無い。そもそも街の立地的に見ても彼程度が出会える魔物など極めつけの小物に過ぎず、畑に現われる害獣と然して変わらない雑魚ばかり。生まれて初めて目にした吸血鬼に対して、本能的な恐ろしさを感じて唯々諾々と従う事はあっても、敵対的な感情など生まれ得ない。そうなる理由が、彼の中には一つも無い。


結果的に、トマスの家は吸血鬼コンビにとって最良の隠れ家(セーフハウス)となっていた。


「ふぅ、」


意識を失った正一の身体を軽く拭ったイスカリオテは、小さく息を吐いて目蓋を閉じる。

不死者対策の魔法を施された黒騎士の長剣は、吸血鬼である正一の肉体に おぞましい傷痕を刻み込んだ。

斬り裂かれた右拳は物理的に破壊されており、手首から先に辛うじて ぶら下がっているという状態だ。そこから侵食するように広がる不死者殺し、墓標(グレイヴ・マーカー)の魔法効果は吸血鬼の血肉を朽ちた金属塊のように硬化させ、やがては土へと還すだろう。


治す手段は存在しない。

一度乗り越えた死を再度取り戻し確定させる、鎮魂(ちんこん)の祝福による不可逆性の神聖属性魔法。

仮に胴体部分に受けていれば、墓標の魔法効果に体内の主要器官が残らず呑み込まれ、正一は既に死んでいる。

有り得ただろう可能性が脳裏を過ぎり、イスカリオテは全身を震わせた。


「正一様、失礼いたします――っ」


家の中に置いてあった(なた)を構えて、眠る正一の右肩に添える。

傷の治療は出来ない。祝福系統の魔法は呪いの類と違って、人間の用いる手段で取り払う事が不可能なのだ。


ならば患部を切り落とすしかない。蝕まれた部位の全てを切除し、吸血鬼の特性を用いる事で新たな腕を生やせば解決する、筈。祝福を受けた不死者に関する確かな知識など持たぬが故に、己の行いが目先の恐怖に踊らされ先走った末の愚行ではないかと幾度も胸中で思い悩む。

食器以外の刃物など握った事が無いが、吸血鬼の膂力(りょりょく)ならば同族の腕を切り落とすくらいは可能だろう。無理に使用すれば鉈の刃が痛むか或いは壊れてしまうだろうが、それに関してはイスカリオテの悩むような事柄ではない。


傷痕への処置を手早く施し、先程の青年を血液補給の(にえ)として消費すれば事は済む。


朝になればトマスは吸血鬼の存在を外に触れ回るだろう。今この瞬間さえ危ういのだ。イスカリオテはそう考えており、当然の事ながら初対面の人間であるトマスの事を彼女は全く信用していなかった。人と魔物の相克(そうこく)関係を前提とすれば当然の思考だが、当のトマスはそんな事をするつもりが欠片も無い。控え目に言っても阿呆な人間だからである。


正一への処置が終わり次第 命潰える運命を背負う、薄幸の青年。

魔物に占領された己の自室で、自身を対象とした殺害計画どころか捕食の予定が立てられているとは露知らず、部屋を追い出されたトマスは鼻歌を歌いながら粗末な台所に立っていた。


怪我人の世話を献身的に行う少女イスカリオテに、簡単な食事でも食べさせてあげようという親切心が働いたためだ。

(ねぎら)いは大事だ。頑張って畑の世話をしても理不尽な理由で家庭内暴力に見舞われていた過去を持つトマスは、人は苦労した分だけ報われるべきだと思っている。相手が魔物であるという事実など、能天気な彼の脳味噌からは半ば消え失せつつあった。


「嫌いな食べ物とかあるのかな?」


暢気な独り言を口にしながら食材の選定を行う。

余り良い物は無いが、それに関しては仕方が無い。畑仕事のみで日々を賄う事の出来る一人暮らし、食事に関する量も質も、過ぎた贅沢を知らぬトマスでは街の一般水準にも届かぬもので満足出来てしまうのだから。


先日収穫したばかりの野菜に手を伸ばし、お粥でも大丈夫かな、などと考えながら包丁を取り出して。


家中に響き渡る絶叫に、思わず全てを取り落とす。


「っな、何、なにぃ!?」


トマスの自室で右腕を肩口から切り落とされた吸血鬼が、天を仰いで絶叫していた。


――痛い。痛い。痛い!!!


死なせぬ為に必要な処置とはいえ、眠る正一を襲った激痛は悲鳴を上げずには居られない程のものだった。

見開かれた真紅の瞳が壊れた機械のように激しく明滅し、上下左右に乱れる視界に一人の少女の姿が映る。


「ぃぃぃいっ、ぅぐぃあああぐぐう、ちち゛ち血イ゛ィイ――ッッ!!!!」


既に抜き取られてはいるが、森から足を踏み出した直後に襲い掛かった一斉射撃の傷。

今しがた腕ごと切り落とされたが、吸血鬼にとって致命傷に至り得る不死者殺しの祝福の(あと)

体外へと流れ出した血液(いのち)の補充と、肉体の喪失を埋めるための活力の補填(ほてん)。そして何より、祝福によって絶望的な死に晒された事からこそ強く願う、生への渇望。


右腕を切り落とす痛みによって意識を復活させた吸血鬼の少年にとって、新鮮な血液の摂取は急務だった。それこそ、かつてのように正気を失うほどまでに。


廊下を走って自室の扉を開け放ったトマスが目にしたのは、床に押し倒された銀髪の少女と、彼女の首に噛み付き血を啜り取る少年の姿だった。


「なっ、え!?」


同族である事など関係無い。少女の存在が少年にとって如何なる価値を持つかも忘却していた。

血が欲しい。死にたくない。だから血が欲しい。何時か味わった芳醇な魔力の香りと、極上とは言えないが溢れんばかりの血の臭い。飢えた獣よりも尚醜く、正一はイスカリオテの体内から一滴でも多くの血液を搾り出そうと必死に喰らい付き、部屋中に音が聞こえるほど強く中身を吸い上げた。


「ああ――!」


一方、血を吸われているイスカリオテは、己の身を襲う惨劇(さんげき)恍惚(こうこつ)としていた。


――今、自分は必要とされている!!!!


理性など知らぬとケダモノの如く飛び掛り、情など要らぬと無遠慮な所作でイスカリオテの生命を啜って止まらない。佐藤正一の有する感情の中で何よりも強い、迫り来る己の死を忌避する生存欲求の発露。


彼の全身全霊が求めている。その手で殺されようとしている。

これ程までに強い感情を向けられた事は一度も無かった。王女イスカリオテが背負わされていた崇敬と嫉妬と召喚執行師としての利用価値、その(いず)れもが、目の前の飢えた吸血鬼の抱く激情には届かない。


今の彼女は、殺されそうなほどに求められている。たった一つしかない生命の保存を度外視するほどの強い欲求が叩き付けられているのだ。

イスカリオテにとっては、それだけで良い。


敢えて控え目に表現すれば、彼女は極めて狂っていた。

殺される事に喜びを感じるなど、決して正常な価値観ではない。己には価値があるのだと実感するという以上の喜びを知らないイスカリオテの精神は、間違いなく異常者に分類されるものだ。


吸血行為には性的な結合にも等しい快感が伴う。

吸血鬼にとっては血を吸う事こそが子を生み出すための接触交渉、動物的に例えれば交尾であり、ゆえに種族的性質として吸血行為を好ましく感じるようにと肉体精神共に他の一切とは比較出来ない気持ち良さを感じるのだ。


彼女自身の歪んだ意識と肉体面での至上の快楽。双方合わさった結果、イスカリオテは未だかつて無い幸福の只中にあった。


「う、ううおおおおおおっっ!!!」


そして目の前の光景を おぞましい惨劇として捉えたトマスは、己が魂の底から勇気を振り絞り、少女を傷付ける忌まわしい吸血鬼に立ち向かう。


眼前のソレは、彼にとって理解し難い行為だった。

懸命に世話をしていた少女を組み敷き、首筋に齧り付いて血を飲み干す。なんと恐ろしい、怪物の所業。


――助けなければ。


トマスは正しい精神の持ち主だった。

少年に押し倒されて死に瀕している悲劇の少女が、まさかこの上ない喜びを感じているなんて想像出来ない。出来るわけが無い。出来る人間は変態か異常者の類である。


だから立ち向かった。

自分が勝てるか どうかなど気にならない。死ぬかも知れないと考える余地も存在しなかった。

危ないと思ったら、気が付けば走り出していた。


尊ぶべき勇気、真っ直ぐな心根。人として沢山の欠点を抱えた青年だが、それでもトマスは清らかな心の持ち主であり、他者のために己に鞭打つ事を厭わない、格好の良い男だった。


「ははひっ。御代わりかあ、お前え――?」


無論、その正しい努力が実を結ぶとは限らないのだが。


笑う少年がイスカリオテの首元から顔を上げ、どろどろと輝く赤色の両眼が哀れな青年を捉えて(わら)う。

とても嬉しそうな笑みだった。

少年の顔の右半分に刻まれた火傷が、文字が、淡く光って揺らめいた。


一瞬の後には走り出したトマスの身体が殴り飛ばされ宙を舞い、その影を追い駆けるように少年の身体が無数の蝙蝠に変じて、部屋中を埋め尽くす羽音(はおと)が互いの耳朶を打った。

血を啜る音が再び響き、ゆっくりと起き上がった正一は笑って足元の青年を見下ろす。


室内に、六つの赤色が踊っていた。


「はははっ」


十分な血液を摂取した正一は満足気な吐息を落とし、差し出された少年の手を下から掬い取る動きがあった。

痛んだ木製の床に膝を付いて、主を見上げる赤色の視線を揺ら揺らと動かし、人でなくなった青年は知性の薄い表情で広く大きく口を開く。


「うぐががああ……っ」


吐き出す声は言葉にならなかった。彼にはもはや言葉を話すだけの知性も無い。

動く死骸となった者が何を考えているのかは、生み出した側の吸血鬼にさえ理解出来ない。理解せずとも命令に従い動くだけの消耗品に、何を(おもんばか)る必要がある。


トマスは騎士になる事が夢だった。


夢など叶うものではない。かつての想い出は彼の中で薄れていき、やがて完全に忘れ去るのも遠くは無かった。だがそれでも、トマスには確かに夢があったのだ。

人間だったモノを笑って見下ろす吸血鬼が、彼の過去を知っていたとしても何を思うのかは分からないが。


差し出された主の手を取り、膝を突いて新たな生みの親たる吸血鬼を見上げる姿は、知恵の足りない人間達が見れば主と騎士のようだと笑ったかもしれない。


主たる吸血鬼に(なら)うように、動く死骸となったトマスも笑う。

生前にあった彼自身の人格など欠片も残さない、知性の欠けた(いや)しい獣の如き笑みだった。

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