第十二話 国家暗雲
銀色の光が青空を引き裂いた。
真っ直ぐに振るわれた勇者の剣から光が奔り、次から次へと魔物を滅ぼし駆逐していく。
大小問わず、強弱など知らず、魔物であるというだけで銀の光は全てを押し流す。
「恐ろしいな……!」
追従する騎士団の誰かが呟いた。
王城から出立した、名目上ではあるが勇者の率いている魔王討伐軍。集団を構成する彼等は等しく国の精鋭だが、魔王を滅ぼすとされる伝説の剣を自在に扱う勇者には到底及ばない。
相手が魔物であれば必ず滅ぼす、それはそういう武器だった。扱える者は召喚された勇者のみ。だからこそ十数年を掛けて、世界の壁を越え得る召喚執行師が製造されたのだ。
勇者の存在は魔王討伐のための唯一の希望。
如何に鍛え、如何に強く、如何に数を揃えようとも。
この世界の人間では勇者に届かない。勇者以外の者に魔王は倒せないのだから。
「勇壮たる戦いぶりでしたわ、勇者様!」
「……ああ、うん」
茶髪の勇者、鈴木雄二に精一杯の笑顔を振りまくのは王女ゼロテだ。
王命によって勇者の傍付きを命じられ、以来こうして彼の隣で甲斐甲斐しく世話を焼くのが彼女の日常。
対する雄二は気もそぞろ。ゼロテへの返答も雑だった。
第一王女イスカリオテの妹であると紹介されたゼロテだが、全くもって似ていない。
雄二と然して変わらぬ年だと聞いてはいるが、彼の胸元ほどの低身長と人形のような小柄な全身。元気で明るい女子小学生にしか見えなかった。ギリギリ発育の悪い中学生に届く可能性もあるが。
そんなゼロテ王女が傍付きとして何をしているかと言えば、――はっきり言おう、何もしていない。
勇者にとっては魔物に関する情報や この世界の常識等を教授してくれる便利な解説役とも呼べるだろうが、実態としては親戚の子供と世間話をしているような感覚だ。世間話の内容が実用的なものだった、というだけで。
日常会話の延長線上、堅苦しいものではないから雄二も気楽に聞いて知識を増やせる。ゼロテ王女は見た目の割には人に物を教える事に向いているのだろう。小さいのに感心な事だ、と彼は気楽に考えていた。
そしてそれ以外には何もしていない。
魔物との遭遇戦では雄二と騎士団が前に立ち、何度かテントを建てて野営もしたがゼロテが雑用を手伝う姿は見ていない。彼女の身の回りの世話も第二王女専属のメイド達が頑張って、王女は雄二との会話以外にする事が無いのかな、と首を傾げる。
雄二の疑問はもっともな事だ。
そもそもゼロテ達十二王女は召喚執行師。勇者を召喚する事が本来の御役目である。戦場に付いて行くなど姉妹達の用途外。国王が命じなければ今も変わらず城内に残り、第四号勇者の死を待ち次の勇者召喚を行うために、今か今かと王女の剣を見張る日々が待っていただろう。
ゼロテは魔王討伐に際した軍行動の役には立たない。それは考えるまでも無く当然の事。
勇者と御姫様という立場で見れば先々の未来図も妄想出来るが、見た目小学生のゼロテが相手だ、同年代の美少女イスカリオテに恋焦がれている雄二が第二王女相手に下心を抱く事は全く無かった。全く無かった。
国王の命令によって現状が仕組まれた事は知っているが、だからといって その裏にある思惑を察する事など不可能だ。鈴木雄二は頭が良くない。恐らく歴代勇者の内で最も学業成績が低く、思考能力に劣っている。そもそも勇者様相手の提案に裏があるとまでは考えない、前向きだが能天気な少年だった。
目指すは魔王討伐、そして吸血鬼から御姫様を取り戻す事。
彼は自分にはそれが出来ると信じていた。今現在、想い人たるイスカリオテが絶望に浸り切った元勇者の先達を誑し込んで共依存の泥沼に引き込もうとしているなんて、全くもって想像だにしていなかった。
戦い終わって剣を手放すと、途端に訪れた疲労感で膝が崩れる。
戦いの後は何時もこうだ。剣を振るうだけで魔物は倒れ、鎧を纏って得物を振り回す以外に特別な運動もしていないが、きっと戦場とは気付かぬ内に疲れが溜まるものなのだろう。そう納得して深呼吸する。
「勇者様、お飲み物をどうぞ」
「ああ、うん。……ありがとう」
微笑みながらグラスを差し出すゼロテに礼を言う。
行軍中の戦場跡地に、何故割れ易いガラス製食器が用意されているのか。汗を掻いた透明色の器を手にして、雄二は少しだけ眉を顰めた。目の前の子供は王族なのだ、こういった場にそぐわない浪費も叶うのだろう。離れた位置で忙しげに動き回る騎士達に若干の申し訳なさを感じながら、よく冷えた果汁水を飲み干した。
その様子を見守るゼロテは、最初からずっと上機嫌なままだ。
魔王の発生地点に向けて行軍する最中、己に出来る仕事が何も無い事など どうでも良い。
国王が勇者の傍に居ろと命じた。ならば傍に居る事そのものが己の役割。他の事など必要無い。だから今日も明日もその先も、ゼロテは勇者の隣に侍る。
軟禁同然のゼロテ専用離宮の外、血生臭い戦場である事さえ関係無い。目にする全てが新鮮だった。
人前で王女として敬われる事がこんなにも誇らしく感じるなんて、生まれて初めて知った事だ。教わった知識を開陳するだけの拙いものだったが、殿方と沢山の会話が出来て楽しかった。
全てが輝かしく、何もかもが素晴らしい。
彼女の視界には魔物との戦闘における軽重問わぬ犠牲者の姿など映りもしない。イスカリオテのように魔王討伐に関さぬものを無価値だと斬り捨てているのではなく、それ以上に強く目を奪われる眼前の幸福に囚われていたからだ。
社会で生きていくには狭過ぎる視野。見た目通りの幼い精神。足りないものばかりの人生経験。しかし彼女には己の欠点に対する自覚が無い。
今のゼロテは、自分こそが世界で一番幸福な人間だと思っていた。
討伐軍は王城から真っ直ぐに魔王の居る座標を目指し、その途上に蔓延る魔物の駆除を行いながら進軍している。
どう考えても無駄な行動だった。
道中における魔物の駆除など、国民に対する人気取り以外の何物でもない。
魔王は魔物を生み出す天災、自然現象の類なのだ。魔物を殺したとして、如何なる痛痒を感じる事も無い。際限無く生み出し続ける魔王現象を取り除かなければ、幾ら数を減らしたとしても魔物は順調に増え続けるだけ。
だというのに日々の無意味な戦闘によって、討伐軍には犠牲者が増えていく。
魔物と違って一朝一夕で数が増えない兵士戦力、貴重な国家資源の損失だ。
「国王陛下は何を考えておいでなのだ……」
第二騎士団の団長が沈痛な面持ちで小さく呻いた。
第一、及び第二騎士団の役割は近衛、つまり王族の警護役として城内に詰める事が本来の職務である。
しかし魔王討伐のための軍編成において、国王バプテスマは躊躇い無く彼等を組み込んだ。並み居る武官や貴族達の言葉を残らず一蹴。結果として前線に立つ筈の無かった近衛軍の七割が今も戦闘跡で後処理を行っていた。
国王バプテスマは痩せ細った枯れ木のような外見とは裏腹に、苛烈なる王者として国家の頂点に君臨している。
妻である王妃は既に亡くなっており、次代の王として順調に年を重ねていた第一王子も魔物の手に掛かって死亡した。第二以降の王子王女は残らず無能とは言わないが、第一王子ほどとは到底言えず。王家の直轄地を各々のために切り取り最低限の食い扶持を与えてはいるが、公式の場で王族を名乗る事さえ許されていない。
無論そのような待遇に彼等が納得する筈もなく、第一号勇者の謀殺は並み居る王族達と その下に就く貴族連中の不満が噴出した結果である事は疑えない。
次代の王は未だ決定されておらず、年老いた国王の崩御と共に王位を巡る内乱が引き起こされるだろうと王宮の皆が予測している。
第一王女イスカリオテが死んだ今、正式に王室と呼べる人員は国王陛下と十一人の召喚執行師のみ。数は多くとも実質的に国王一人が王室内での決定権を有していた。
王城に勤める上級貴族と近衛軍の責任者層は知っているが、十一王女は残らず王の傀儡で、魔王討伐のための消耗品に過ぎないのだ。
ゆえにイスカリオテ第一王女の死亡発表から即座にゼロテが台頭し、第三以降の王女衆も己の出番を今か今かと待ち構えている。
彼女達は紛れも無く王の実娘。しかしその実態は魔王討伐のために十一人の母胎を選別して産ませた道具。結果、国王自身の口からは製造という言葉が出てくる始末。個人として見ていない以上、王位継承の意思が有るかさえ疑わしい。
ならば実質的に、王族として数えられるのは齢六十を越えた国王一人。
これでは魔王を討伐せしめたとしても、国体を無事次代へと繋げられるかさえ不明瞭。未来を憂う愛国の徒であるがゆえに国王の真意を問い質さずには居られなかった。
――案ずるな、と一蹴されたが。
国王バプテスマは常に結果を出し続けてきた。
かつて他の兄弟達を押し退けて彼が玉座に座った理由も、血筋以上に能力が大きい。苛烈な政治手腕、粛清を厭わぬ鉄の意志、情を捨てて国家の利益を追求する悪魔の如き合理性。どれもが国を富ませ、民を幸福に導いてきたのだ。ああ言われれば、疑いの言葉など口には出来ない。
騎士団長とはいえ担当は近衛第二軍、貴族でも無く幅広い権力を振るえぬ彼に出来る事は、王命に背かぬ範囲で部下達の犠牲が僅かでも少なく済むよう、立場に則った努力を行う以外に何も無かった。
そして同じく戦場跡地、己が望みゆえに従軍せずには居られなかった元王族が、二人揃って歯噛みしていた。
「……あの人形めが」
「やめろ。勇者に聞こえるかも知れんぞ」
太った王族の男性はゼロテを視界に映して唾を吐き、もう一人の男もまた顔を歪めて勇者を睨む。
王命によって公的に王族を名乗る事も出来ず、今は只の貴族に過ぎない男が二人。彼等は少しでも王の歓心を得るためにと魔王討伐軍に志願した内の一部である。
それとて本当に意味があるのかと言えば、二人共が心の底から信じてはいない。
国の中枢は今や完全に国王バプテスマの掌中に握られている。
第一号勇者の謀殺に際し、処罰を受けて死亡した関係者の中には元王族とて存在したのだ。
国王は血縁であろうと国の害となる者を許さず、躊躇う事無く死刑に処した。血を分けた子供だからという言い訳を信じて今の今まで与えられた領地に引き篭もって安穏と過ごしていたが、このままでは自分達の命さえ どうなるものかと気が気でない。
彼等にも野心はある。王位に対する興味も当然の事。
しかし実際はもっと切羽詰まっているかもしれないのだ。そんな夢を見る余裕など残されていないと思えたのだ。
魔王を倒す為に勇者を召喚すると言い出した時は実父の正気を疑いさえしたが、愛妾に子供を産ませてまで召喚儀式を成し遂げた時、彼等は何か恐ろしい事態が進行しているのではないかと被害妄想染みた恐怖に身を震わせた。
もしかすると異世界の餓鬼に王女を娶らせ、次代の国王にするつもりなのかも知れない。
或いは自分達には想像も出来ない何かを知っており、あの恐ろしい国王陛下はもっとずっと大きな計画を推し進めているのではないか。
分からない。血の繋がった あの老人が何を考え何を望んでいるのかが、彼等には全く理解出来なかった。
討伐軍への志願も半ば以上、命乞いの意味合いを含んでいる。
貢献しよう。従順であろう。望みがあるならば叶えるために支えよう。――だから殺さないで下さい。奪わないで下さい。
それが本音だ。一番大事な、彼等にとっての最優先事項。
王族の中でも彼等二人は無能の類だ。
生まれに見合った教育を受けたが、頭の不出来は変えられない。処刑された兄弟達の方がまだ優秀だっただろう。優秀だったがために勇者に近付き、失敗した挙句に命を失ったのだ。己の無能を弁え、食い扶持の維持と生命の保証を望む彼等は、まだ現実が見えている。
勇者として持て囃される異世界の小僧と、公的に王女として振舞える消耗品その二。
陰で こそこそと罵りはするが、直接手を出すほど怖いもの知らずにもなれはしない。こうやって兄弟揃って愚痴を言い合うのが精一杯だ。
「……ふんっ」
誰に対してのものでもないが、誰が見ても分かるよう、不遜に振る舞い鼻で笑う。ただのポーズに過ぎなくとも、王族らしく格好を付けていなければ恐ろしくて膝を折ってしまいそうだった。
少しでも良いから国家に対する有用性を示さなければ、何時処分されるか分からない。必死に従順な振りをしなければ、自分も家族も王の命令で殺されるかもしれないのだ。
王城に残った兄弟達は、もしかすると未だに諦めていないのだろうか。
あの老人は愚か、今は亡き長兄ナザレにさえ敵わないのに。政治的な勝利によって玉座に座ろうと目論んで、今も知恵を絞り合いながら次なる好機を窺っているのかもしれない。
彼等二人はもう諦めていた。
最低限 生活の保障さえしてくれれば、国王陛下にも次代の国主殿にも逆らう心積もりなど毛頭無い。
今は「魔王討伐のために命を賭けて従軍した」という名分を得る事のみを重視して、軍事行動が終わってからは領地で大人しくしていれば大丈夫。大丈夫だ、と自分に言い聞かせて不安を誤魔化す。
討伐軍の動向に関しては心配などしていない。どうせ魔王など討伐される。勇者に対する期待ではなく、国王バプテスマならば成し遂げるだろうという恐怖の入り混じった信頼である。血の通わぬ、実力のみによって下した評価だった。
「早く家に帰りたいな……」
「まったくだ……」
二人並んで黄昏れて、深く大きな溜息を零す。
雄二とゼロテは そんな王族二人に気付きもせず、世間話に花を咲かせて笑っていた。暢気な彼等を妬ましく思い、明日をも知れない兄弟達は小さく愚痴を吐いて心を誤魔化す。
やがて戦闘の後処理が終わり、声を掛けられるまで ずっとそうして暇を潰していた。
人の減った王城の一角、国主の住まうべき後宮内部に国王バプテスマの姿があった。
その奥まった場所に設けられた秘匿霊廟。イスカリオテ離宮に在るものと然して変わらぬ、自然光の差し込まない薄闇の中に平然と足を踏み入れる。
「食事を持ってきたぞ、ナザレ」
食事の配膳なぞ、本来ならば王が行うべき事ではない。しかし老人は気にもせずに そう言った。それも、どこか慈愛さえ篭った声音でだ。
しわがれた両手が銀盆を運び、その上に乗せられた深い器の中には真紅色の滑らかな水が なみなみと注がれ、湯気と共に鉄錆の香りを立ちのぼらせる。
「――ちちうえ?」
「ああ、たんと飲むと良い。お前のために用意された物だ」
暗闇の中に赤の光が二つ灯された。
確かな笑みを浮かべた国王が、光の灯る位置へと近付く。
ごくりと大きく唾を飲み込む音が鳴り、暗闇から差し伸ばされる青白い両腕が銀盆を掴んで引き寄せた。
「もうすぐだぞ、ナザレ。じきにお前の時代が来よう――」
呟く老人の目の前で、王の言葉を耳にした何者かが小さく頷く。
本当に美味そうに赤い水を飲み干すソイツは、赤い視線を細く薄めて笑みを返した。
ソレは人間では無い。
それだけは確かな事だった。




