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勇者ばんぱいあ  作者: NE
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第十話 現実無常

森に捨てられて早数日、ルカは今日も生きていた。


口にする食べ物は全て正一の運んできた肉と果物。衛生面に関しては動く死骸には一切触れさせないという以上の気遣いをせず、しかしそれでさえ彼女の生家での食事よりも恵まれていた。

水を加えて可能な限り かさ増しされた、色の濁った白湯(さゆ)のような野菜(がゆ)など、かつての彼女が口にしていた食事は胃が満ちれば それで良いとばかりの粗末な代物。栄養面に関しては、仕留めたばかりの野生動物を生食(せいしょく)しているだけの今の方が恵まれているという極貧ぶりだった。


動かず留まり続けていれば、ただそれだけで食事が用意される。

栄養バランスという意味では余り良い献立ではなかったが、飢える事の無い生活など彼女にとっては生まれて初めての事だった。


ゆえに、ルカは幸福だった。

一向に迎えに来てくれない両親の顔が幾度も脳裏を巡っていたが、言い付けに従い この場を動かず待ち続けている限り、飢えて死ぬ事だけは無い。少なくともルカ自身はそう思っていたし、正一としても見捨てる理由が思い付かない。


当然ながら、食事の配給を行ってくれている正一と彼女の両親の間に因果関係など何も無い。言い付けを守っているからこそ生きていられるという彼女の思考は、無知ゆえの妄信であると言えよう。


余裕が出来れば思考が回る。

何時しかルカは、自分を養ってくれる光る目の少年に対して色々と考えるようになっていた。


初めて会った時は意味も分からず恐怖に震え、幾度顔を合わせても腰が引ける事だけは避けられない。生者の本能に訴えかける、不死者特有の死の気配。弱者の感じる強者の威圧。出会って数日経った今、自分を害する事が無いと能天気に察していても、ルカは正一が怖かった。

怖いけれど、安全な相手。評価が矛盾しているが、幼い子供の持つ曖昧な価値感がそれを許容する。

近付くだけでも身体が震えるゆえに懐くような事は無かったが、幾度も食事を与えてもらったために無自覚な恩義を感じているルカは、正一の存在に興味津々だった。


一体何者なのだろうか。どうして目が光っているのか。連れている動物達は何故あんなに臭いのか。


何度も何度も考えたが、未だ ただの一度も質問を投げ掛けた事は無い。

安全だろうと、怖い。恩義があっても、怖い。気になってはいるが、それでも怖い。

幼すぎる年齢と無知ゆえの無邪気さがあるからこそルカは正一の存在を受け入れていたが、化け物を前にした際の恐怖は誤魔化せない。そして正一の側としても、たかだか餌を投げ与えてやった程度で懐かれては困るのだ。


ルカは人だ。人は吸血鬼の餌だ。そして正一は吸血鬼なのだ。

腹が減れば、うっかり殺してしまうかもしれない。そうでなくとも、魔物である自分に対して悪意を見せない彼女との距離を縮めたとして、何時かの王女のように己の気持ちを裏切られるかもしれないと怖がっている。

ただの子供を前にして、腕の一振りで相手を殺せる吸血鬼が尻込みしていた。


正一とて自分の抱えている感情を自覚している。

召喚されて僅か数日の内に沢山心が傷付いたから、これ以上はもう嫌だと言って逃げているのだ。

なのに何処かで期待もしている。


相手は小さな子供なのだ。圧倒的に格下の、正一に対して歯向かいようの無い無力な存在。彼が近付いても逃げたりしない、悪意を持たない無垢な生き物。

この子供なら大丈夫なのではないか。自分を傷付ける事などしないのではないか。そうやって楽観視した所で信用出来ない。一方的に恩を売っている正一の行いは、少しでも優位を得るための、無自覚ながらも自己の防衛意識によるものだ。


只の子供相手にさえ安心する事は出来なかった。

正一の中には、己は無価値な存在であると自覚させられた過去への恐怖がある。

勇者として、ずっと否定され続けてきた。身勝手な感情で人を殺した事を、彼の中の良識は許容しない。

最低で最悪な結果ばかりを積み重ねてきたのだ。暗闇で蹲ったまま何もしようとしないイスカリオテに世話を焼いている事だって、現実からの逃避と過去の行いへの許しを欲するがゆえ。彼の良心など欠片ほどしか介在しない。


目の前で果物を齧るルカを見遣る。

無邪気な子供だ。魔物である正一に対する怯えは見えるが、嫌われているわけでは無いだろう。

その事に救われている自分が居る。

幼い少女の悪意無き振る舞いを通して、正一はようやく自分の無価値を僅かながらに否定出来ているのだ。


セラピー手法のようなものだ。そうやって遠回りしながら、少しずつでも前を向いていければ、きっと彼は立ち直れる。

吸血鬼になって積み重ねたもの達が決して無かった事にはならなくとも、ルカの存在が正一にとっての救いとなれれば、遠からず悲観した意識は改善され、彼を取り巻く事態も好転していく筈だ。


そう、――好転する筈だったのだ。


森の中を、一軒の家が歩いていた。

長方形が横に二つ並んだような、僅かに罅割れた石造りの二階建て。ソレは己の身体を左右に大きく揺らしながら、家屋の基礎部分に取って付けたような足を生やし、一歩一歩、ガタゴトと五月蝿い足音を鳴り響かせて とても(せわ)しげに歩いている。

壁面に開いた四角形の穴の奥からは洞窟内部を流れる風のような音が断続的に鳴り響き、家が歩くという非常識な光景を より一層不気味なものにしていた。


――傾いた家(ペンダント・ハウス)

そう呼ばれる魔物が、木々などの障害物を不器用に避けながら暗い森の中を歩いていた。


地面から突き出した木の根に(つまず)き腐葉土を荒らし、家の壁面で木々を傷付け屋根に引っ掛かった枝葉(えだは)()し折る。家屋のサイズで傍迷惑な振る舞いを繰り返しながら、傾いた家は足を止める事無く進み続けていた。


ソレ自身に明確な目的意識は無い。

分類としては人形種族(ゴーレム)の仲間に数えられるが、思考能力に関しては魔物の中でも最低位。本能で生きる昆虫と然して変わらない彼等は、家屋の形をした体内に生物を放り込み、ゆっくりと溶かすように捕食する。


傾いた家は旅する魔物だ。個々によって明確に分かたれた順路を辿り、一生を歩き続けて終えるもの。

うまく獲物を捕らえられず、道の半ばで廃墟と化す間抜けな個体も居る。奇妙で不気味で滑稽で、およそ生き物として見なす事は難しい。放置した所で人間にとっては不慮の事故以外に被害は無いのだ。何のために生まれてきたのか全く分からない、自然繁殖さえ不可能とされている不出来な魔物。


それでも、事故は起こり得る。

森に生える木々などの明確な障害物ならば衝突しながらも避けて歩くが、ぶつかる相手が家屋サイズの傾いた家より遥かに小さな生き物なら、本能で動き前へ進む事のみを優先する この魔物は、一顧だにせず()き潰す。運が良ければ窓から中に入って生き延びれるが、それとて遠からず溶かされ死ぬだけだ。


傾いた家は、森の中を歩いていた。

正一達と同じ森の中を歩いていた。

その進路上には、座り込んでいるルカが居た。


ルカは幸運な少女だった。

吸血鬼の存在によって森に住まう獣達は周辺地域から他へと移り、都合良く魔物を目にする事は無く、彼女以外の人間が森に足を踏み入れる事も無い。食事に関しても施す理由はどうあれ、正一が毎日運んで食べさせてくれる。

だから、ルカは間違いなく幸運だった。それは間違い無い。


今この瞬間、その幸運が尽きただけ。


傾いた家は彼女の存在になど気付かない。気付いたところで、ソレにとっては順路を辿る事こそ優先される。きっと真っ直ぐに轢き潰す。或いは跳ね飛ばされてバラバラ死体だ。


迫る魔物に気付いても、ルカはその場を動かなかった。

父親から「その場を動くな」と言われたのだ。動かなかったからこそ、光る目の少年に出会えた。お腹一杯食べる事が出来た。だから、動いてはいけないのだ。留まり続ければ、きっと今夜も彼が来る。この場から動けば彼女の幸福は終わってしまう。――それがルカにとっての真実で、今までは間違いなくそうだった。


一軒家が歩いてくる。真っ直ぐに、進路上の少女を目掛けて激しく傾き揺れながら。


家屋の魔物は歩いていた。少女はその場を動かなかった。

日が中天に昇る時間の事だった。


夜が訪れて暫らくの後、ようやく目を覚ました正一は洞穴の中を見渡した。

相変わらずの姿勢で動きの見えないイスカリオテ。変化の無い事に小さな溜息を零して、互いの食べ残しを拾い上げると外へと出向く。


地上に出ると、近場に掘った穴や木の(うろ)から眷属達が次々と姿を現した。

彼等は動く死骸ゆえ、若干の腐臭が吸血鬼の鼻腔に届く。その臭いのせいもあって、同じ洞穴での生活は出来ないのだ。基本的には日中を始終待機して過ごし、正一が森の中を移動する夜間のみ付き従う。


道中で獣を探させたが見つからず、首を傾げる。

正一は己の無作為な乱獲と吸血鬼としての気配が森の獣達を遠ざけている事に気付かない。最近は動物が減ったようだ、と曖昧に理解しているだけだ。

結局いつもより遠出をして獲物を捕らえ、都合三人分を抱えてルカに会うため何時もの場所へと足を向ける。


そこには誰も居なかった。


獲った獲物が無駄になったかと溜息を付く。

荒れ果てた腐葉土が周囲に散らばり、乱雑に掘り返されてデコボコになった地面は酷く歩きにくい。

土に混じって圧し折られた木の枝や葉っぱが埋まり、周囲の木々にも擦過傷(さっかしょう)に似た傷痕が刻まれていた。


「……何時までも居るわけ無いよな」


これ見よがしに呟いて見せた、正一の声音が少しだけ震えている。

柔らかな地面には、足跡のようなものが残されていた。

正一の頭よりも大きな足跡。大きさから見ても人間のものでは無いし獣でも無い、つまりは魔物の類であろう。それくらいしか分からない。彼には魔物に関する知識が備わっていないのだから当然だ。


その場には誰も居ない。正一以外には人っ子一人存在しない。


きっと、親が迎えに来たのだろう。

きっと、この森を無事に出た筈だ。


「まったく、これじゃあ無駄足だったなあ!」


無理に明るく振舞って、馬鹿みたいに笑って言った。

少女のために獲物を獲って来たが無駄だった。何日も面倒を見てやったのに居なくなった。――ああ、無駄足だった。当たり前だ、仕方ない。赤の他人で、自分は魔物。何時までも此処に居るわけが無い。居なくなったのは当然の事で、むしろ姿を消すのが遅かったぐらいなのだ。


きっとあの子は、自分の知らない何処かで生きているのだろう。だから何も残念な事は無い。親しいわけではないのだから、食べるつもりなんか最初から無かったのだから、執着する理由なんて、何処にも無かった筈だから。


だから、僅かに香る血の匂いは きっと気のせいだ。


死体が無いのだから生きている。何時も何時も変わらぬ位置に座り込んでいた律儀な子供の姿が見えないからと、安易な答えを出してしまう事は怠慢と呼ぶべき悪徳だ。下らない、世の中はそう単純ではない筈だ。


「あー」


身体の力が抜ける。何もしたいと思えない。

どれだけ多くの言い訳を積み重ねても、どんなに言葉を連ねて誤魔化しても、本当は正一にも分かっている。


「あああああ」


あの少女は死んだのだ。

状況がそれを示している。


「あああああああああああ――」


死んでいない、と無意味な嘘を吐く自分が居た。

やっぱりこうなった、と薄情にも言い捨てる自分が居る。

考えもしなかった、と呆然と呟く自分もまた。


最初は気紛れによる施しだった。

何度も回数を重ねる事で、名も知らぬ少女の存在は徐々に正一の中で大きくなっていった。

まかり間違って殺したくはないからと距離を取ったが、本当に死なせたくなければ手ずから保護してやるべきだったのだ。明るい内は眷族による護衛も無くなる。少女が不意に死んでしまう可能性は正一にも見えていた。


それでも距離を縮める事が出来なかったのは、結局のところ彼個人の臆病さが原因だ。


殺したくない、嫌われたくない。今一度、己の無価値を突き付けられる事が恐ろしい。

だから現状に甘えていた。自分にとって都合の良い状況が何時までも続かないと知りつつも、失う可能性から目を背けて、曖昧な距離感に満足していた。

その結果が目の前にある。


「もういやだ」


頑張ったところで結果が伴うわけではない。

意思が伴おうとも状況は悪化するばかり。

惰性に身を任せてみても、結局は消えて無くなるだけではないか。


「もう、いやだよお……!」


勇者じゃない。人間じゃない。誰も助けられない。勇気が無い。失くしてばかりで手に入らない。


哀れな哀れな吸血鬼が、一人ぼっちで泣いていた。もはや我慢の限界だった。

どうして こうなってしまったのだ。己に対して問い掛けるが、答えなど返ってくるわけが無い。彼は己の行いに多大な非がある事を理解していたが、だからと言って失うばかりの現状は心が耐えられる限界値を超えていた。


泣いて、泣いて、濁りに濁った呻き声を上げながら地面を叩く。駄々を捏ねる赤子のように、しかし魔物の膂力をもって暴れ回った。

それ以外に、誰も何も言わなかった。


眷属達に意思は無く、物音一つ立てず主の傍らに侍るのみ。

僅かに離れた木陰からは、銀髪の吸血鬼が静かに彼を見つめている。


暗闇に飲まれた森の中で、正一は一人孤独に泣き喚いていた。

彼の元に幸運など訪れない。ただ延々と転げ落ちる以外に道は無い。

まるで奈落の底のよう。

それを嫌だと声を上げても、変えられるものなど何も無かった。

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