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勇者ばんぱいあ  作者: NE
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第一話 勇者落第

――どうして、こうなったのだろうか。


少年、佐藤(さとう)正一(しょういち)は頭を抱え、光の射し込まぬ洞窟の奥深くで悄然(しょうぜん)として(あえ)いだ。


ひたひたと何処かで水の落ちる音がする。かさかさと足元を駆けて行く虫けらの気配を察する。

己が黒髪に添えていた右手を下ろし、そっと自身の口元まで運ぶ。

震える指先が触れたものは酷く硬質で、なのにどこか滑らかな感触。僅かに唾液で濡れている、記憶にあるよりもずっと長く伸びた犬歯(けんし)。それがまるで、漠然と思い描いた獣の牙のよりも鋭く尖っていた。


何を見れば良いのかも分からずに、不安感に泳ぎ続けていた視線を暗闇に向ける。

光源の存在しない、天然の洞窟。

灯り一つ存在しない真っ暗闇の中を、正一は一切の不便無く隅々まで見渡せた。

ひとつ、ひとつ。

岩肌の皺一つに至るまで生の視覚をもって正確に捉え、その事実に肩が震える。


「畜生――」


泣き出しそうな声音で呻く。

厄日なのか、厄年なのか。少なくとも、現状を幸福とは呼べないだろう。


学校からの帰り道、突然 正一の足元が光り輝いたかと思えば、よく見慣れた家路が神殿のような謎の場所に変化した。

何が起こったのかも分からずに、呆然と立ち尽くしていた正一の目の前には宝石のように輝く少女。掛けられた言葉は耳を疑うようなもの。


――異世界よりの勇者様、どうか魔王を倒して下さい。


バカか。

バカなのか。

出来るわけが無いだろう!


記憶にある真っ白な神殿とは異なった、真っ暗な洞窟で地団駄を踏む。


怒鳴り散らしてやれば良かったのだ。

あんな綺麗な御姫様に頭を下げられて、嬉しさと気恥ずかしさから緩みに緩んだ情けない顔で「任せて下さい!」などと言うべきではなかったのだ。

夢のような展開だった。使い古された設定だった。可もなく不可もない至極平凡な少年、佐藤正一に背負えるような軽いものではなかったのに。


異世界の勇者として(きら)びやかな鎧装束を身に纏い、盛大に送り出された洞窟の奥。

初めて握った本物の刀剣を乱暴に振り回していれば、ただそれだけで面白いように魔物が光へと還っていく。目の前の非現実に正一は舞い上がった。まさにファンタジー。まさに勇者。特別な世界、特別な境遇、特別な展開、特別な自分。

本来ならば彼如きの前には決して訪れる筈の無かった奇跡の最中、無性に嬉しくなって笑いながら突き進んだ先で――。


真っ赤に輝く瞳に出会った。


痛みがあったような気がする。地面に押し倒されて、肌に感じる誰かの冷たさに震え上がったようにも思う。今では全てが遠い過去のようだった。


「どうして」


頭を抱える。

先日になって綺麗に切り揃えたばかりの爪が、何故か頭皮に突き刺さる。

上下の顎から伸びた犬歯は、尖り過ぎていて牙のようだ。

暗闇でも明かりなど必要ない、今なら何処までも見渡せそうだ。


うわ言のように虚ろな声音で呟く正一の足元には、見開いた真っ赤な両目に青白い肌をした化け物の死骸が一人分だけ転がっている。


「どうしてだよっ!!」


喉が渇く。

酷く、喉が渇く。


足元に転がる死体の、周辺に撒き散らされた赤色の液体に舌を伸ばした。

嫌悪感などあるものか。今の正一は、喉が渇いて仕方が無い。何よりも、彼の目の前で無様に死に顔を晒している化け物のせいで こんな目にあっている。その血を下品に啜ったからと言って、彼の中には罪悪感など欠片も無い。


見開かれた死骸の両目は驚愕に染まりきっている。断末魔の叫びを上げていた口腔内には鋭い牙が。きっと今の正一の顔を鏡で見れば似通った特徴を見つけられるだろう、おぞましい化け物の姿。

そいつは、目を覚ました正一自身が何よりも先に、衝動的に殺してしまった相手だ。


傍らに転がる勇者の剣とやらは軽く握っただけでも彼の掌を強く焦がしてしまったけれど、その程度の苦痛で躊躇いを覚えよう筈もない。一息に憎たらしい化け物を斬り捨てて、すぐさま剣を放り捨てた。


「どうしてっ、どうして俺がこんな目に遭わなくちゃいけないんだよ!」


喉が渇く。舌で舐める。

冷え切った化け物の血を啜り上げ、喉の渇きを必死に誤魔化した。

真っ赤な瞳をした化け物の血を、真っ赤な瞳をした黒髪の少年が野良犬のように舐めとっている。

どちらが化け物か分からない。きっと、どちらもが既に化け物なのだ。


喉が渇く。


死体から流れ出す冷たい赤色では全く足りない。

正一の肉体が欲しがっているものは、きっと生きた人間の血液なのだ。

刃物のように尖った爪は、きっと獲物を捕まえるため。

杭のように研ぎ澄まされた牙は、きっと人の持つ皮と肉を突き破る為にこそあるものだ。


彼は化け物になったのだ。


自分を襲った赤目の化け物の手によって、化け物と同じ、吸血鬼と呼ばれる魔物になったのだ。


「ちくしょう、ちくしょうっ、ちくしょう!!」


打ち捨てられた鎧と剣には、もはや布地越しでさえ触れる事が出来なくなった。

召喚された勇者のみが扱える、あらゆる魔物を滅すると言われた その聖性ゆえに。


だから、今の彼には使えない。

佐藤正一という、勇者であった筈の少年はもう、人間では無いのだから。


魔物になってしまったのだから。


「――くそおっ!!」


足元に転がる死体、その頭部を踏み潰した。

口に合わない冷めた血の味だったが、僅かながらに飢えを満たした事で魔物としての力が湧き上がる。

酷く納得がいかない。召喚された勇者が一番最初のダンジョンで魔物にされるなんて、どこのどんな作品にも語られていないのではなかろうか。


それは、なんと情けない話だろうか。


降って湧いた非現実に浮かれ、あっさりと人としての命を終わらせてしまった役立たず。

これから、どうすれば良いのだろう。

魔物になってしまった勇者の事を、魔王を倒して欲しいと伏して願った国の御姫様が温かく迎え入れてくれるだろうか?

――馬鹿な、そこまで甘い筈が無い。


今更ながらに、己を召喚した姫君への不満が生まれてくる。

どうして自分を選んだのか。どうして単独で洞窟に送り出したのか。どうして洞窟の魔物に関する詳細を教えてくれなかったのか。どうして、どうして、どうして。


どうして、自分はこんな目に遭っているんだ。


「あああああああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」


意味の無い叫び声が洞窟内に反響する。それさえも、仮に人目があれば魔物の雄叫びに聞こえるのかも知れない。思い至った可能性に正一の心がささくれ立つ。感情を持て余して叫びを上げる。

やがて彼は、ふらふらと生きた死骸のように覚束(おぼつか)ない足取りで走り出した。


これからの自分がどうすれば良いのか。正一には全く分からない。

いきなりの異世界で、突然勇者にされて、馬鹿みたいに喜んで、なのに魔物に襲われ吸血鬼なんてものになっている。


どうすれば良い。

どうすれば、良いのだろう。


行き詰った思考が回り回って、答えの出ないまま勢い余って壁に頭を叩きつける。


「だれかっ」


洞窟から出れば、誰か人間に見つかれば、魔物となった自分は殺されるかもしれない。

万が一、事情を斟酌して保護されたとして、そこから先はどうなるのだろう。

今の正一は魔物だ。人の生き血を啜りたいと願う吸血鬼だ。自意識のみでは制御出来ない、自身の生態そのものが人間達の敵なのだ。ならば保護するよりも殺してしまった方が安全であるし、もしも正一が吸血鬼となった元人間に出会ったと仮定しても、笑顔で接する自信など持てなかった。


殺される。きっと殺される。

そう考えるだけで身体が震えた。もしもの可能性だと鼻で笑う事など出来ない。

既に死んだも同然の身で、既に人間でさえ無い化け物なのに、それでも正一は己に訪れるかもしれない死の恐怖に勝てなかった。


「だれかっ、たすけてくれ……っ!」


悲痛な叫びに答える者は誰も居ない。必死に助けを求めても、彼に救いは訪れない。

一人の勇者が召喚され、さして間を置かずに死を迎えた その日。灯り一つない洞窟の暗がりで、一匹の化け物がずっとずっと泣き叫んでいた。

人も、魔物も、誰一人として、彼の声を聞き届ける者など居なかった。


魔物の死骸の傍らに転がった、勇者の剣。

遠く反響する吸血鬼の嘆きの中で、徐々に形が崩れて土へと(かえ)っていく聖なる輝き。ただそれだけが勇者だった少年の声を聞いていた。

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