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それはある日の悪夢の話

作者: 衣桜 ふゆ

 



 目を開けたら、私は暗闇の中にいた。

 呆然としていると、突然視界が真っ白になった。そして聞こえる、異常に明るい声。

「ようこそおいでくださいました!」

「……は?」

 真っ白になった、というのは、どうやら明かりがついただけらしい。

 そして目に入ったのは、黒のタキシードにシルクハット、顔には奇妙な笑顔を浮かべる仮面。とても珍しい格好をした人だった。

「えっと……どちらさまで?」

 さっきの声はこの人のようだった。

 私が疑問を口に出すと、仮面の人は軽く首を傾げるだけで受け流す。

「さてお客様、ここからは私の言うとおりに。勝手な行動はお控えください」

 仮面の笑顔に負けるように、私はその場に立ち尽くす。仮面の人は満足そうに頷いた。

「では、この部屋を見渡してみてください」

 さっきは仮面の人に目が行き、部屋をちゃんと見渡せなかった。言われたとおりに見渡すと、その部屋もやはり変。

「……扉?」

「その通り。よくお気づきで」

 その部屋は二つの扉しかなかった。わざとらしく拍手する仮面の人を軽く睨む。

「この扉は何の扉だと思います?」

「……はぁ?」

 始めて来た知らないところのことを聞かれても、何とも言えない。

「知りませんよそんなの」

「まぁ、そうですよね」

「……馬鹿にしてます?」

 仮面の人は無視して続ける。

「扉の向こうは入らないとわからないものです。……というわけで入ってください」

 その言葉は、途中から耳元で聞こえた。慌てて振り返る。私の正面にいたはずなのに。

「い、いつのまに後ろに」

「お気になさらず」

 いや、無理だ。

「ではこの扉から、いってらっしゃいませ」

「は!?」

 わざとらしく礼をする仮面の人は、慌てる私を強く押した。私の前には開かれた扉。他人によって押された勢いは止まらなくて。

「ちょっと待っ……!」

 私は扉の中に、吸い込まれるようにして入っていった。


 つん、と鼻を突く匂いがした。消毒剤のような匂いだ。……ここはどこだろう。ゆっくりと目を開け、そして硬直した。

「あんたのせいで……! あんたのせいで、うちの娘が!」

 目の前にあったのは、怒りと悲しみに満ちた女性の泣き顔だった。それを確認した瞬間、私の口から意志と関係なく言葉がでる。

「申し訳ありません。私では力不足でして」

「ふざけるんじゃないわよ!!」

 女性は怒鳴り、こちらに身を乗り出した。

「私の娘を返して!」

「……本当に申し訳ありません」

 再び私は謝罪し、頭を深く下げた。

「……あんたなんかに」

 女性の声が、私の頭上から聞こえる。

「あんたなんかに任せるんじゃなかったわ、この藪医者!!」

 その言葉は胸どころか全身に突き刺さった。足がふるえる。立っていられなくなる。

「……申し訳ありません」

 私は再度そう謝って、むせび泣く女性の声を聞いていた。


「……まったく、ドラマの見すぎですね」

 呆れたような声と誰かの拍手で私は瞬きをした。消毒剤の匂い、無機質な建物の中が一瞬にして変わる。

 私は、最初の扉の部屋にいた。

「……え? さっきの、は」

「この扉の向こうですよ。あなたたちの言う、進路というやつです」

 仮面の人はゆっくりと言う。

「人生というのは分岐点がありましてね。この扉が多くある場所がその分岐点なのです。あなたの場合、二つの道で迷っている、といったところでしょうか」

「二つの、道……」

 仮面の人はくすりと笑うと、『doctor』とかかれたプレートを取り出し、さっき私が入った扉にかけた。

「サクサク行きましょうか。次の扉へ」

 仮面の人はまた私の背を押した。私はまだ呆然としていて、あまり抵抗することなく扉の前へと連れ出される。

「それではどうぞ。次の道を見てきてください」

 私は何も言わずに扉の中へ。気づけば、手足がふるえていた。


 目の前にあったのはパソコンだった。どこかのホームページを見ているらしい。

『小説大賞最終選考通過作品の発表』

 その文字を見てため息をついた。

 私はゆっくりと立ち上がる。やけにのどが渇いていた。

 小さい冷蔵庫に狭い部屋。典型的な貧乏暮らしだ。いつになればそんな生活を抜け出せるのだろう。

 小説は難しい。自由気ままに書けば読者を置いていってしまい、読者の気持ちを考えて書けば、読者に媚びすぎていると敬遠される。……いつの間に、小説を書くのがつらくなったのか。

 私はため息をついて、濁った瞳でパソコンの画面を見つめ続けた。


「ふむ……まぁ、これはある話でしょうね。小説家など食べていくのにはつらい職業でしょう」

 また拍手の音。納得するように話すのは仮面の人だ。私はまた、気づいたら部屋の中心にいた。

 今度は『novelist』とかかれたプレートを扉にかけながら、仮面の人は聞く。

「どうでしたか、お客様? 小説家という二つ目の道は」

 私は答えなかった。悪夢以外の何物でもない。……そう、これは夢だ。悪夢だ。

 答えない私に、やれやれと仮面の人は肩をすくめる。その態度がひどく苛ついた。それが引き金となって、黒い感情がわき起こる。

「……なによ、ただの夢でしょ? 夢のくせに何で、こんな暗いもの見せるわけ? 医者も小説家も、私がやってみたい職業なのに」

 わき起こるものをそのまま吐き出した。

「もっと進路って楽しいものじゃないの? 将来ってきれいなものなんじゃないの? 何でつらいものしかないのよ、そんな職業やりたくない! 私、もう医者も小説家も目指さない!」

 私は拒むように大きく首を振って、その場にしゃがみ込んだ。心の中でこの悪夢が覚めることだけを願って。

 ……しばらく、静かだった。仮面の人は何も言わないでいた。

 まだ、悪夢は覚めない。早く覚めてよ、こんな夢見たくない。早く、早く早く―――

 カラン、と、音がした。

「……え?」

 わずかに顔を上げると、目の前に仮面の人の足が見えた。そしてそのすぐ横に落ちているのは、奇妙な笑いを浮かべた、白い仮面。

「ねぇ、いつまでそうやってるつもり?」

 仮面の人の静かな声。はじかれるようにして顔を上げて、私は息を飲んだ。

「あなた……私?」

 仮面の人の素顔は、私と同じ顔だった。

「いつまでそうやって、つらいことから逃げて、怖がって、楽な方に逃げてるつもり?」

 彼女は、目を細めて私を見ていた。

「楽な方、楽な方……医者も小説家も、思ったよりずっとつらくて、自分はつらい目に遭いたくないから諦めるんでしょ?」

 ねぇ、それでいいの?

「私、は……」

 わかってる、つもり、だった。

 こうやって突きつけられると、すごく苦しい。今まで目を背けてた、自分が見える。

「あなたは何がしたいの? 楽がしたの?」

 真剣な目をしている彼女と目を合わせるのが怖い。けど、そらせなかった。

「楽な仕事なんてないのよ。楽な生き方なんてないのよ。みんなつらいと思って、何かを背負って生きてる」

 もう一人の私は笑顔で言った。


「つらいのなんて当たり前。だったら本当に好きなことを楽しみながらやるしかないんじゃないの?」


 ……ねぇ、私は、何がしたい?

 私が本当に好きなことって何?

 

 私は立ち上がって、ぼんやりと二つだけの扉を眺めた。心の中で自問自答を重ねる。その中での私の答えは、たった一つだった。

 二つだけだった扉。今はその間に、三つ目の扉がある。

 何のプレートもついていないその扉は、私の答えだ。医者じゃなくて、小説家でもなくて。本当に好きなことを楽しむんだ。


『enjoy!』


 その扉を開けて、私は一歩踏み出した。




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