わたくしの異変
転
こんばんは、皆々様、ご機嫌麗しゅう。
シファにございます。
前回でのお出かけ以降、なんと主が館内出勤の日は一緒に連れて行って下さるようになりました。
あの騒動でわたくしの存在が館内の人間に周知されたことにより、隠す必要がなくなったのだとか。
けれどやはり念には念を入れ、執務室も寝室と同じくらい強固な守りの施術をし、ごはんは手ずから。
当然移動は主の懐でございます。
尚、リュリさんのお仕事は主不在の間は継続となります。ありがたし。
…しかし、この状況をなんと申し上げれば良いのでしょう。
小鳥一羽ごときに、なんだか過保護の度合いを越えてきているような。
彼らのその執着がちょっとこわ………いえ、何でもございません。
とは言え、主はお忙しい方なのです。
領内出張は度々ありますし、毎日稽古や何やらで執務室に居られないほうが多いとか。
その間は執務室や寝室にてお留守番でございます。
特に執務室での場合、側にサイードさんがいらっしゃるので前より寂しくありません。
私室の場合でもリュリさんが日に3度は来てくださいますし。
…まぁ、もともと寂しさなんてそう感じませんけれど。
思い返してみれば、人であった頃から、その傾向はあったように思います。
周りの人と遊ぶのも好きだけれど、1人遊びも好きで、所謂ボッチでも気にならない性質でした。
わたくし、今世では生まれてからほとんど群れの中で過ごしてきたので、本来なら1人寂しくお留守番なんて出来るようには育たなかったでしょう。
夢見鳥は群れを形成するか、番と共に生きる種なのです。
一羽のみで生きている同種はたぶん今世では居ないのではないでしょうか。
でもきっとわたくしならそれも耐えられるのかもしれない、なんて思うこともないわけではありません。
人だった頃は故郷を離れて一人暮らしをしていたものです。
未知への恐怖はあれど、覚悟さえしてしまえば切り替えは可能でしょうし。
しかし主とお会いしたのも何かのご縁。
今はここで、主と共に生きていきたく思っております。
主と、サイードさんと、リュリさん。
普段お会いする人間は大体がこのお三方なのですが、最近新たな方が会いに来てくださるようになりました。
「やぁ、元気?」
「ちるる」
先日の騒動の原因である、ライドクリフ様です。
主の末弟であるライド様はあれから方々へ謝りに行き、正式にお許しを得たらしく、手が空いた時に会いに来てくださるようになりました。
ただ、主がいらっしゃる時しか来られないと悲しげに零しておりましたけれども。
その発言も、主の目の前で仰っていたのは勇者だなと思いつつ、ちょっとだけびくびくしながらなのがまた。
「ぴっ」
「あぁふわふわ…ふわふわぁあ…ちっこい…!」
おずおずと両手を合わせて差し出されたので、ご挨拶がてらその手にお邪魔してみました。
主のように頬擦りはされませんが、なにやらこれだけでお喜びいただけております。
あぁ、ライド様のお顔が…よくよく見れば整っておられるはずのお顔が…見るも無残な崩れ方を………あ、いえ、わたくし何も見ておりません。はい。
悲しいことに、こういうところは主ととてもよく似ておられるようです。
「ちー」
「ああぁ動きがっ足がっ羽がっ………!」
顔を赤くし、悶える弟君がとても残念に見えます。
しかし無駄に掌の上でわたくしが動くことも、お気に召したご様子。
ライド様は実は小動物がお好きなんだとか。道理で。
それにしてもわたくし、なんだか最近悟りを開いてきた気が致します…。
ご兄弟揃って、キャラ変わりすぎじゃないでしょうか。
「ライド、時間だ。もう戻れ」
「ああぁ兄上っ!そんな殺生な!!」
「約束を忘れたか。嫌なら来なくてもいいが」
「うぐぅ…!」
ただしこれも、10分ほど経ちますと、主から強制終了されます。
なにやら事前に取り決めがあったようなのですが、わたくしは存じ上げません。
弟君の手の内からわたくしをさりげなく、かつすばやく取り返し、何故か主の懐にINされて幕が下りるようなのです。
頭上での攻防を後目に懐から顔を出し、何気なくサイードさんのほうを伺いますと、完全にこちらの存在そのものを視界に入れないように仕事に没頭されている姿が見られました。
スルースキルがどんどん磨かれていく様子があまりにも顕著であるというその事実が、何故か涙を誘います。
それにしても、このようにしていつまでも日々が続いていくのだとわたくしは漠然と思っておりましたが、それが間違いであると後に知ることになります。
わたくしは、再三申し上げておりますが、夢見鳥という種なのです。
忘れてはならなかったのは、夢見鳥という種がどういうものなのかということもだったのに。
わたくしがきちんとその辺りを認識することがなかった為にその時になって我がことながらひどく驚かされる羽目に陥ることを、まだ知らぬままのわたくしはただ安穏と日々を享受していただけでございました。
運命のその日。
朝から主が領内査察へ行かれる日で、遠方の為一泊してからお帰りになるとのことでした。
それを、別れが名残惜しいと普段の2倍の時間をかけてスキンシップを取り、それでも離れがたいとわたくしを抱えて離さなかった為、終いにはサイードさんにきつく追い立てられながら渋々出ていく主を、疲れ切った体で見送りました。
主が抵抗している間も扉の横に座って待機し続けていたラタのほうが、よっぽど大人に思えましたとも。
お仕事はきちんとしてくださいまし、主。
もちろん、本日はわたくしがこの館に来て初めての1人寝ということになりますし、不安がないわけではございません。
しかしここは住み慣れた主の主寝室。
守りは鉄壁、許可なく踏み入られることはあり得ないとの主の言、わたくし信用しております。
リュリさんですらご飯の時間帯のみしか入室できないのだと朝ごはんの時にお話ししてくださいました。
リュリさんに、せっかくのチャンスでしたのに…としょんぼりされてしまい、何故だかわたくしが申し訳なくなるほど。
儚げ美女のしょんぼり顔の威力はなんと恐ろしいのでしょう…。
わたくしは朝ごはんを頂いたあと、いつものごとく棲家である籠の中で転寝を始めました。
やるべきことはありませんし、リュリさんはお昼までいらっしゃいませんし、サイードさんは主の執務室で缶詰だそうですので、わたくしの頭の中では当然寝る一択でございます。
止まり木の上で座り込み寝る体勢に入ると、わたくしはあまりにもすばやく夢の世界へ旅立ったのでございました。
眠っている間に、あまりにも懐かしい夢を見ました。
気が付けばわたくしの目線は普段よりも高く、それでいてとても馴染んだ位置にありました。
体は羽毛もない代わりに衣服を纏い、両の耳にはちりちりと揺れる小さなピアスがついていて。
風になびく髪の毛が顔にかかり、わたくしは人の身で道を歩いていたことに気づいたのです。
ただし意識はあれど体の自由がなく、まるで誰かの視点での動画を見ているかのようでした。
わたくしは片手でショルダーバックを軽く押さえながらどこかへ向かっていて、かつ何やら少し焦っているように、身に馴染んだ駅までの通い道を時に小走りになりながら進んでおりました。
何か約束があったのに、ハプニングにより想定していた時間よりも家を出る時間が遅くなってしまったせいで、約束の時間にも遅れてしまいそうだったのです。
あと少しというところ、駅を目前にして横断歩道に捕まってしまいました。
わたくしは電車の時間を確かめつつ、ホームまでにかかる時間を考え、乗りたい電車は今のままではギリギリのところであると予想をつけました。
焦りは油断を、油断は慢心を引き起こすものです。
わたくしは、普段なら守るその赤信号を、この時だけ大丈夫だろうと無視することにして。
左右を一度確認しただけで、横断歩道を急いで渡り始めました。
この時、もう一度だけでも右を向いていたら。
もう少しだけ、周りに意識を向けることが出来ていたならば。
今のわたくしはなく、主と出会うこともなかったのかもしれません。
そうして、わたくしは、わたくしの目線で、己の死因を知ることとなりました。
唐突に切り替わる視界。
ジェットコースターよりも勢いよく吹っ飛ぶ体。
体が打ち付けられた瞬間から息が満足に吸えず、続く衝撃に脳内は揺れ、気が付いたらわたくしは地面に転がっておりました。
今のわたくしではない当時の『わたし』が、何が起きたかもわからず、体が動かないことに動揺し、赤くぼやける視界に焦りを募らせていくのを、逐一感じ取りながら。
何もできない現在のわたくしは、かつてのわたくしの命が潰えるその時まで、ただひたすらその光景を見つめ続けたのでした。
ふ、と目が覚めて。
わたくしは自分がどこにいるのかわからなくなりました。
目に映る美しくも簡素な檻を見て、ようやく現実に戻ったことを悟ります。
わたくしはシファ、マリアテレス家に飼われている夢見鳥。
自己の確認の為にそう脳内で繰返し、夢の残滓を振り払おうとしてみましたが、小さな心臓が忙しなく鼓動を打っていることを認識してしまったら、結局思い出さずにはいられませんでした。
あの日、あの時。
わたくしは己の慢心によって、この命を落としたこと。
どうして忘れていられたのでしょうか。
故郷には。
祖父母も、両親も、少し年の離れた弟も居りました。
社会人として故郷を離れて独り立ちをし、会社に勤めて5年が経ち。
上司や先輩から信頼して頂けるようになるまで、どれほど苦労したことか。
任されている立場も責任も増え、そろそろ中堅と言われるようになり、これからもっとキャリアを積んでいくところでした。
友人では、既に遊びに行く約束をしている子が数人いて。
それから、入社してからずっと片思いしていた人も居て――――――――――あぁ、そうだ、その日ようやく、会う約束を取り付けていたのに。
忘れていたはずの未練が、恐怖が、悲哀が、思慕が、痛みが、後悔が。
怒涛のように記憶と共に蘇り、わたくしに押し寄せました。
その衝撃は、わたくしにはまるで脳内が沸騰して爆発してしまうかのように思えた程。
耐え切れなくなったわたくしは、止まり木に居続けることも出来ず、ころりと下へ転がり落ちました。
全身が引き裂かれてしまいそうな痛みに、体が勝手に痙攣を起こしているようです。
脳内麻薬による錯覚と思い込もうとしても上手くいかず、更には発熱しているような気すらしてくる始末。
助けて、と声になることはなく、耐え抜く気力もなく。
わたくしが、このままでは頭が可笑しくなる、と発狂しかけたときでした。
かしゃん、 ぽてっ
何故か、華奢で美しい鳥かごが瞬く間もなくガラスのように崩れ、塵すら空気に溶けてしまいました。
宙に浮いていたところから突然地面がなくなり、わたくしを支えてくれているものが何もなくなってしまったが為に、あっけなく地面へ落下。
当然羽ばたく気力も体力もございませんので、そのまま落ちた次第にございます。
体重が軽いおかげでそう大した被害もなく済みましたが、やはり受ける衝撃はそれなり。
わたくしはあっけなく、意識を手放してしまったのでございます。