ビリーブハート
あれからすでに2日がたった。
人間界では、何事もなかったかのように日常が過ぎていく。
紅島ほたるは、急な親の転勤と言うことで、生徒たちの前から姿を消していた。
実際は天空界へと連れて帰り、今はずっとほたるの処罰をどうするかが論議されているところだった。
そして、人間界でイアと雷雨に関わった人たちは、2人のことを完全に忘れていた。
ガブリエルが人間の記憶から、イアと雷雨を消したのだ。もともとそう言う手立てだったのだが。
大天使ミカエラの捜索を任務としていたのだ。
大天使ミカエラが見つかった以上、イアと雷雨は人間界に留まる理由を無くす。
2人とも今は、故郷である天空界に戻っていた。
そしてここ2日。イアはずっと、ぼんやりと人間界を眺めていた。
「またここにいたのか」
天空界の一角にある場所で人間界を見ていたイアに、雷雨がそっと声をかけた。
「いつまでそうしておくつもりなんだ?」
「...わからない」
「わからないって...」
「.........ねえ、雷雨」
イアはそっと、つぶやくように言う。
「人は.........寂しいのかな」
「...いきなりどうした?」
「わからないの。人が人を騙す理由が。どうして...同じ人なのに、違いがでたんだろう。とても天使の心に近い子もいれば、そうじゃない子もいる。なんでだろう...」
イアの投げ掛けた素朴な疑問に、雷雨はすぐに答えを返すことができなかった。
イアだって、人間に裏切られた1人だ。下手なことは言えない。
イアはそっと目を細めた。
「清き者、強き者、そして何より、人間に近い者。それが天使」
「え...?」
「昔、お母さんが言ってたの。天使とは、何より人間に近くて、決して人間とは交わらない者なんだって」
「.........どういうことだ?」
「天使の誇りは、それだけ高いってことだよ」
『...っ!』
2人ははっとして背後を振り返った。
そこには----。
「......あ」
「ここにいてくれてよかったよ、イア、雷雨」
イアと雷雨の背後には、ミカエラが。そして----。
「.........ほたる、ちゃん...」
紅島ほたるがたっていた。
「どうしたんですか、ミカエラ様」
「イアに用があってきたんだ、そこをどいてくれるかい?雷雨」
ミカエラは叫ぶでも怒るでもなくただそう行った。
だが、それは決して、有無を言わすことのない声だった。
雷雨は一瞬だけ悔しげな顔をしたが、黙って数歩下がる。
そして、イアの隣に並んだ。
イアは少しだけ驚いたが、何も言わなかった。
やがてミカエラは、そっとイアに微笑んだ。
「......どう、なさったんですか、ミカエラ様、ガブリエル様」
「すこし、君に聞きたいことがあったんだ」
「私に、ですか?」
イアの言葉に、ミカエラ様は黙ってうなずいた。
「実はこの子のことでさ」
ミカエラの言うこの子。それが誰かわかった途端、イアの体に緊張が走る。
ほたるは、一切顔をあげようとしなかった。
「実はさ、知っての通り、この子の処罰をどうするか悩んでるわけなんだけど、ちょっとね。君の意見が聞きたかったんだ。それに、どうやらこの子。君に話があるみたいだよ」
「え...?」
イアが驚くのも無理はないだろう。
「ほたるちゃんが...?」
イアが久々にその名を呼ぶ。
すると、ずっと視線を下げていたほたるが、ゆっくりと顔をあげた。
こんな形でほたると相対するのは久しぶりだった。
あのとき以来だが、あのもきとは明らかに違う。
ミカエラがそばにいるからか、それ以外の理由か。よくわからないが、今のほたるにからは、一切の敵意を感じなかった。
いや、実際はあのときも----。
イアがほたるからの言葉を待っていると、ほたるはミカエラに背を押され、急かされた。
ほたるは気まずげに、イアの数歩手前にくると、小さな声で言った。
「............たの」
「え...?」
「どうしてあのとき、目を閉じたの」
一瞬何のことだかわからなかったが、すこし前の事を思いだし、はっとした。
「...もしかして、あの森でのこと?」
イアの言葉に、ほたるはそっとうなずいた。
あの森で、イアはほたるに刃を向けられた。
けれど、イアは抵抗することも逃げることもしなかった。
ただそっと、目をとじたのだ。
「なんであのとき、目を閉じたの?あなたなら...避けられる範囲だったんじゃないの?なのになんで......目を、閉じたの?」
まるで全てを受け入れるかのように。
無抵抗に目を閉じた。
それが、ほたるには理解できなかったようだ。
何も言わないまま、ほたるはじっとイアを見つめる。イアは一瞬たじろいたものの----。
やがて、ふっと息を吐いた。
「なんで?なんて、今さらじゃない?」
「え......?」
「私はわかってたもん。ほたるちゃんは、私のこと傷つけないでしょう?」
「な......っ!?」
ほたるは信じられないと言った顔をした。
「そらがわからないって言ってるの!!なんで確信持ったような言い方...っ!」
「だって、確信だもん」
イアはそう言って久しぶりに笑顔を浮かべた。
「言ったじゃない...私は、あなたの全てが嘘だなんて思えない。あの優しさが...全部演技だなんて、思えないの...」
イアの言葉に、ほたるは大きく目を見開いた。
そして、イアから気まずそうに視線を反らした。
イアが少しだけ寂しそうに眉を下げると、突然、イアの肩に手が乗った。
はっとしたイアが振り替えると、雷雨がその肩を支えていた。
「お前だって、わかってたんじゃないのか」
「雷雨...?」
「こいつがずっと、お前のこと信じてるって、わかってたんじゃないのかよ!」
イアはそっと息を呑んだ。
「イアはずっと信じてた!俺が何と言おうと、こいつはずっとお前のこと信じてたんだ!付き合いもパートナー歴も長い俺よりも、親友だと信じてたお前を優先したんだ!その理由は、お前が一番わかってるんじゃないのか!?」
雷雨の言葉に、ほたるはしっかりと反応していた。イアはそれを、なんとも言えない気持ちで見つめていた。
----ほたるの心が聞きたい
「...ほたるちゃん」
「............はじめは、単なる嫉妬だった」
ポツリと言われたその言葉。イアはしっかりと聞き取っていた。
「イアちゃんと天明君が天使だってすぐにわかって、多分ミカエラ様を探しにきたってこともすぐわかった。だから正直、憎たらしかった。たとえ何事も自分のせいだとしても、ただ...嫉妬したの」
「ほたるちゃん...」
「だから、騙して、傷つけてやろうと思ってたの......最初は」
ほたるはぎゅっと拳を握りしめた。
「なのに......あなたはそれを疑いもしなかった...っ!友達だって言った!......いつからか、あなたの隣にいることが...楽しくて、仕方なくなって...それが...嘘だって、言えなくなっていった...」
ほたるの瞳に、輝くものがみえた。
それを感じ、ほたるの想いを知ったイアも、思わず目頭か熱くなる。
「あなたを憎んでいたはずなのに...!あなたが、バカなほど純粋で...っ!傷つけたくないって、思うようになった......っ!天使なんて大嫌いなのに...嫌いって...言えなかった...っ!!」
ほたるはばっと、イアに駆け寄った。
「許してほしいだなんて言わないわ!あなたに刃を向けた事実は変わらないから!!でも...でも、言ったわよね!?まだ......間に合うって...」
それはあの森で、イアがほたるに向けた言葉だ。
――ほたるちゃんが望むならまだ...戻れるんじゃないかなぁ...?
「それが嘘じゃないなら、あたしにチャンスをちょうだい!!もう一回、あのときに戻るチャンスをちょうだい!!」
「ほたるちゃん...っ」
「あたしも戻りたいっ!!あのきの...神埼イアの、友達に戻りたい!!お願い!!戻らせて...っ!!」
ほたるは、半ばすでに懇願するようにイアに言った。ほたるが見せなかった新たな一面を、イアは初めて目の当たりにした。
変わらない。ほたるだって--------。
「ダメよ」
ほたるがはっと目を見開いた。一見聞くと、拒絶の言葉。でも----。
イアは、ほたるのことをぎゅっと抱き締めた。
「友達なんかには戻らない。.........親友じゃなきゃ嫌!!」
「--------え?」
ほたるは驚いて急いで顔を持ち上げた。
イアはしっかりとほたるを見つめて、言った。
「大丈夫。私はずっとわかってた。ほたるちゃんをずっと信じてたからね」
「イ...ア......」
「だからまた、帰っておいで?私、ずっと待ってるよ。親友の紅島ほたるが、またここに帰ってくることを」
ほたるは大きく目を見開き、やがてイアの胸で泣いた。イアはそっと、ほたるの背を撫でてやった。
2人はその光景を、微笑ましげに見ているのだった----。
「さて。じゃあ先は決まったね」
ミカエラの言葉に、イアとほたるはうなずいた。
「紅島ほたる。君を収牢の刑に処す。この天空界のために、そしてイアのために、しっかり善に生きること。いいね?」
「...はい」
「......さあ、行こう」
ミカエラに促され、ほたるはそっと歩き出す。
お互いに、言葉を掛け合うことはしなかった。
そんなことしなくても、2人の心は繋がっている。
信じた想いが消えることはない。
(信じてるよ...ほたるちゃん)
イアは、その背が見えなくなるまで見送った。
ほたるたちの背が見えなくなると、イアは再度人間界を見つめた。
「......ねぇ、雷雨」
「んー?」
「ありがとう。さっき、私の気持ちを代弁して言ってくれたでしょ?」
「そーだっけか?」
振り返り、雷雨を見つめるが、雷雨がこちらを見てくれることはなかった。
だが、イアにはわかっている。
その耳の赤さで。
心の中でもう一度礼を言い、イアはまた視線を戻す。
この世界から見える人間界は、わからないことが多い。それが天使と言う筋書きから来るものなのかはわからない。でも----。
「ねぇ、雷雨!!」
「どーした?」
「私さ、ちょっとだけ、人って言うものの心理がわかったかもしれない。少しだけ...近づけた気がするの!!」
イアが嬉しそうに言うと、雷雨の顔にも笑顔が浮かぶ。
雷雨もイアの隣に並び、同じように下を見て言った。
「...奇遇だな...俺もだ」
雷雨の言葉にイアはにっこりと微笑んだ。
そのとききっと、世界のどこかで----。
ほたるが飛んだ。
―END―




