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冬休みも終盤。一月に入り、クリスマスや大晦日、正月などのメインイベントは終わって。残されたのは寒さと冷たい風、澄んだ空気だけ。お正月気分が少々抜けきれてはいない、少し舞い上がった雰囲気が辺りを漂う。
「ああ~~むかつく!」
朝は寒い。昼も寒い。夜も寒い!
服を着ようにも、これ以上着ればデブ確定。いや、手足が服に埋もれぬいぐるみ同然となってしまう。そんな暴挙は自分のプライドが許さない。
「なんなの、何がしたいのお前は!」
空に向かって吠えた所で、この気候が変わってくれることもなく。完全な八つ当たりも苛立つほど澄んだ、蒼空へと吸い込まれていく。上はベアロ生地のピンクのキャミソールに白の総レーストップにグレイのコートを羽織り、下は紫の生地に黒のレースが段についたミニスカート、黒のニーハイにミルキー色のロングブーツに身をつつんだ女子高校生。金茶に染めた髪が何とも目に痛い、三年の伊澤彩香は今日も今日とて寒い冬空の下、冷たい風に身を吹かれながら彼氏に待ちぼうけをくらっている苛立ちを空へとぶつけている。
「今日はこの時間って言ったの、圭介じゃないのよ! 何でいっ――つも遅れるわけ!? 人をこんな寒空の中に待ちぼうけくらわせて! 寒い! 腹立つ! おなか減った!」
そこに自分のエナメルバックの中から着信音が響き、携帯を取り出せば画面には「圭介」の文字が。
「もしもし圭介? ちょっと、今何処よ! 今日誘ってきたのはあんたでしょ!」
『わりぃ、わりぃ。今日他の予定が入ってさ、悪いけど今日はパス』
「はっ!? ふざけたことぬかしてんじゃないわよ! 今日という今日は来てもらわないと、この煮えくり返った罵詈雑言の数々をぶつけられないでしょう!!?」
『だあからぁ、悪いって言ってんだろう。じゃあ、俺、予定あるから切るな』
「ちょっと、待ちなさいよ!」
『はいはい。また今度な――圭介?』
「あ、ちょ、圭介!」
ツーツーっと、無情な機械音が鼓膜を打つ。圭介が電話を切る直前に、小さかったが女の声が確かに聴こえた。
「ふざけんな―――!!」
ぎゃんぎゃんと空に向かって吠えても虚しいだけで、それでも八つ当たりをできるのは空だけしか今はない。
「やっぱり浮気してんじゃないの! どうせ今日だって、女に「一緒にでかけよ?」とか言われたから中止にしたんでしょ! わかってんのよ、このグズ野郎!!」
道行く人たちはみな、彼女を遠巻きにして去ってゆく。
「……何を、しているんですか」
そんな彩香の耳に、低い。穏やかな声が届いた。
「あぁん?」
不機嫌最高潮の彩香はどこぞのヤンキーか!とでもいうかのような荒んだ、ドスの聞いた声と表情で後ろを振り返った。
「……あんた、誰?」
そこには黒髪の長身、イケメンの見知らぬ男が立っていた。
「……一応。伊澤さんの学校で二年の数学を担当しています、藤峯朔夜と言います。一度、伊澤さんのクラスも受け持ったことがあるのですが……」
しばし機能性の悪い己の記憶中枢を探って行くと、容姿は全く似ても似つかないが同姓同名の人物が一人、探り当たった。そこに辿り着いて理解した途端、今度は今までとは違う意味の驚きのあまり絶叫していた。
「ええっ! あんた、あの藤峯? ビン底メガネの変人のレッテル貼られてる!!?」
「ええ、まぁ。――変人のレッテル、というのは今、知りましたが。多分それで間違いないと思います。ビン底眼鏡をかけているので」
「はあ――、人って、眼鏡一つでこうも変わるものなのね。うんうん、感心感心。女の化粧と同じくらいの化けようね」
彩香はしげしげと男、藤峯を上から下へと眺める。
「――で、何の用? 私、今、心底機嫌がマックス最高潮に悪いんだけど」
「……それは、重々承知しています」
「じゃあ何?」
彩香の凄味に少々怯みつつも、意を決して小声で言う。
「その……ただ、このような往来では、さっきまでのような言動は慎んだほうが良いのでは…と思いまして――」
「別に私は気にしないわよ。周りの目なんか気にしていられるほど余裕がないの。あんたこそ私なんか無視してればよかったのに。私と一緒にいれば、それこそあんたも私を見るのと同じ目で見られるわよ? ほら」
彩香の言うとおり彼らの周囲を通って行く人たちは遠巻きにしながらも、奇異の目を彼らに向けている。それにどこか居心地悪そうにしながらも、彼はこの場から去ろうとはしなかった。
「見知った、それも自分の勤める学校の生徒。自分も一度とはいえ受け持ったことのある生徒を、見ないふりをして他人としてやり過ごすのはどうしてもできなくて……」
「難儀な性格ね、あんた」
律儀と言うかなんというか。彩香にしてみれば馬鹿としか思えないが、彼の登場で怒りが少し治まった。意識が別の方へ向いたからだろう。
「とりあえず、私はグズで下種で最低なさっきの時点で元になったアホ彼氏の決定的な浮気発覚とドタキャンされて気分がほんっと――――に悪いの。傍にいると理不尽な八つ当たりするわよ?」
「それは……別にかまいません。このまま貴方を放っておいて、どこぞの輩に連れて行かれて取り返しのつかないことになるよりかは」
藤峯の発言の一部に、ピクリと彩香の眉間が反応して皺を作った。
「……ちょっと待って。それは私がどこの馬の骨ともわからないような奴にほいほいついて行くような奴に見えるってわけ?」
「え、あ、や、そういうことじゃ……」
自分の失言に気がついた藤峯は、おろおろと目に見えて狼狽えだす。第三者から見て、可哀想になるほどに。そんな態度に彩香も毒気を抜かれ、ふっと面白がるような笑みを浮かべた。
「じゃあ、先生が今から私と付き合ってくれる? 恋人気分に浸りたい私が、どこぞの馬の骨で妥協しないように」
「――わかりました」
からかわれていると、わかったがあえて「No」とは言わず大人しく頷くことにした。
「とりあえず、仮初めの恋人同士になるってことで。恋人ごっこだけど、異論はないわね?」
有無を言わせない圧倒的な圧力に、藤峯は力なく頷く。
「伊澤さんがよろしいなら……」
「ダメダメ。恋人同士になるなら、名前で呼ばないと」
明らかに面白がっている彩香の笑みに、戸惑いつつもどこか安心したように小さく笑ったあと彼女の名前を呟いた。
「彩香……」
藤峯…いや、朔夜のその応えに彩香は満足そうに頷いた。
「ふふふ。じゃあ、これからよろしくね、朔夜」
そこにはさっきまでの悪鬼のような形相ではなく、年相応に笑う彩香がいた。
そしてこの日、この時から二人の恋人ごっこが始まったのだ。