第一話
僕、つまり片山順は、朝食を終えると割り当てられた施設内の自室へと戻った。昨日で春休みはお終い、今日からは本業の学生生活の毎日が再開だ。
まずは鞄に持っていく物がきちんと入っているかどうか、確認した。安心と信頼のダブルチェックを済ませ、抜かりないようにしておく。いきなり二年生の初日から忘れ物をするなんていうのは、僕の気分的にもよろしくない。
それから部屋着を脱いで仕舞うと、クローゼットの中にハンガーで吊り下げられていた学生服の上下に着替える。きっちりと学生服を着込んだ後、机に向かう。
ま、ここまでは市内に数えるほどしかない高等学校に通っている学生達もやっていることだろう。そういった普通の高校生と僕が違うのは、ここからだ。
机の引き出しの中で唯一鍵がかかっているそこに手をかけた。なにしろ、中に入っているのは殺傷用の物騒な代物だ。施設の子供達が万が一勝手に持ち出しでもしたら大惨事になるので、ここだけは鍵をかけてある。
鍵を開けると、そこに収められていたのはアルミ製のフレームを黒で仕上げたアメリカ製の自動拳銃――スタームルガーP85だった。予備の弾倉と使用する九ミリ弾もまとめて仕舞われている。
一緒に収納されていたヒップホルスターを背中側の腰骨辺り、早い話がお尻の上の方に装着する。それからP85のスライドを軽く後ろに引いて、薬室に弾が入っていないことを確認した後、九ミリ弾が一五発詰まった弾倉を装填する。
掌にフィットするストライプが横に走っているグリップを握って手に取り、P85をホルスターに収納しておく。即応性には劣るが、安全のためにも薬室に初弾は装填しておかない。自分の尻や足を撃ち抜く羽目にはなりたくないからだ。
ズボンのベルトには、予備弾倉を携行するためにマガジンポーチも吊り下げておく。この制服はあらかじめ銃器を携行することを考えられてつくられているので、ベルトには厚みと幅がある。そのおかげで、拳銃やその弾倉をベルトにぶら下げても、恰好悪くずり下がったりすることはない。
学生服の上衣の裾にホルスターとマガジンポーチが隠れるように調整した後、鞄を持って部屋を出る。血縁こそないが弟妹も同然の施設の子供達とは、朝食の場ですでに挨拶を済ませているとはいえ、寂しがること間違いなしなので、こっそりと裏口から抜け出すことにした。春休みの間は施設に帰っていることもできたが、二年生の新学期が始まった以上、次の長期休みまでは寮生活となり、しばらくここには帰って来れないからだ。
裏口から無事に施設を抜け出した僕は、朝の御崎市の道を歩いていく。目的地は、僕が通っているちょっと以上に特別な高等学校――鳳凰学園だ。
鳳凰学園がどのような学校で、どうして御崎市がそんな学校を必要としているかを説明するためには、まず三〇年前に何があったかから説明しなければならないと思う。
三〇年前、日本の首都東京に突如として信じられないほど高い現代科学ではとても説明できない柱が現れた。これだけでは意味不明だろうが、とにかく今はダイジェストな説明だから、詳細は省く。で、それからまた現代科学では説明も理解も不可能な異常気象や怪奇現象が頻発するようになって、さらに怪異という未知の生物というか人を襲う化け物が現れるようになってからは、もう日本の治安は滅茶苦茶になって犯罪の発生率もうなぎ登りに。
そんな状況にあっても日本経済は奇跡の向上を見せていたらしい。別に狙ったつもりはないが、これは奇石と呼ばれるもののおかげだ。高熱や高電圧を放っていたり、なんと持っているだけで人体の治癒能力を高めたりする奇跡の石、それが奇石。繰り返すが、別にギャグを狙ったわけじゃないし、僕が名づけたわけでもないからね。
そんな奇石が日本のあちこちに出現するようになって、化石燃料やレアメタルの減少やらなんやらで必死の模索が続いていた新エネルギーあるいは資源の代用として大注目され、日本以外の国々も奇石の恩恵を欲した。なにしろ発電機に使えば奇石だけで電力を賄えたりするのだ。誰だって欲しがるのも無理はない。
とはいえ、相変わらずの異常現象や怪異のせいで日に日に治安は悪化していて、各地方の政府に対する不満は高まっていた。そこに便乗する形で反日国家の方々が武器や兵員のサービスなんぞを始めてしまったのだから、日本国内で政府と地方との内戦が勃発するのも当然といえた。
それでまあ、結局は奇石を巡った争いが第三次世界大戦の引き金を引くことになってしまった。今までの反日教育のせいで素直にそれくださいと言えなかった中国とか韓国とかが、お前達それ寄こせアル、ニダ的な感じで、日本相手に戦争を始めてしまったのだ。日本からの奇石の恩恵を横取りされてたまるかと、アメリカやヨーロッパの国々も派遣していた平和維持軍なんかで戦争に参加し、事態はどんどん悪化していった。
終いには狂った極右勢力に支配された中国が全面戦争を勃発させてしまい、アメリカ本土攻撃や周辺国への侵略が行われ、世界中の国々が巻き込まれた大戦の再来となってしまった。そのうちにさらに異常現象が世界中に拡大して、各国ともに戦争どころではなくなってしまって第三次大戦は自然に終わったが、戦争のおかげで文明社会はズタボロ。日本も昔からの正当な政府とやらは、今では東北地方より北を支配しているに過ぎない。
一連の戦禍による被害が大き過ぎて、今では大崩壊と呼ばれることになったそれが収束したとはいえ、政府が支配していない地域ではさまざまな勢力が各地で覇権を巡って争い続けている。代表的なのが、独立都市だ。
独立都市を別の言葉に置き換えるとすれば、簡易な都市国家だろうか。古代ギリシャじゃあるまいしと思うかもしれないが、今の日本は戦国時代のようなもの。各独立都市ではある程度の治安が維持され、生活水準も高い。といっても大崩壊前程ではないが、化け物や盗賊にいつ殺されるかわからず、食うや食わずの生活を送っている人々と比べれば、ずっと恵まれているのは間違いない。
今僕が住んでいる御崎市も、そんな独立都市のひとつ。他と変わっているのは、完全な中立を表明している点だ。もちろん中立だからといって、脆弱なわけではない。むしろ逆だ。中立ということは味方もいないというわけだから、自主防衛のためにも軍備は強力となる。
そして御崎市が生き残るために活用しているのが、傭兵戦力の派遣。傭兵は金のある側に立って戦うという、ある意味で非常にシンプルでわかりやすい存在だ。
独立都市でも奇石を産出する地域を勢力圏に治めていれば豊かだが、貧しい独立都市も多い。それで結局、争いが起きる。そういった争いに依頼されて傭兵を派遣し、対価を得ることで御崎市は成り立っているわけだ。
御崎市の戦力は、防衛軍と傭兵とに大別されると思う。後者の傭兵戦力で代表的なのが、PMCのヤタガラス。PMCすなわちプライベート・ミリタリー・カンパニーは、日本語で訳すならば民間軍事会社。その名の通り簡単に言えば、民間の軍隊だ。公的機関などでは手が届かない分野の仕事をしたり、軍や警察のサポートをするのが主な業務内容。
御崎市の大手PMCのヤタガラスが出資して設立されたのが、鳳凰学園だ。ここは一言で言えば、傭兵育成専門校といったところだろうか。生徒は在学中に軍事知識を学び、戦闘訓練を受け、一人前の傭兵になる。もちろん一般教養も身につける。常識が無い奴は困るし、そもそも弾道計算などで数学の知識は必須だし、その他軍事は教養を必要とする分野なのだ。
そして卒業後は、PMCヤタガラスの社員、つまり傭兵として各地の争いに身を投じることになるというわけ。未来の優秀な社員を育てるための機関が、鳳凰学園なのだ。
で、そんな鳳凰学園に通う傭兵候補生な一七歳の少年が、この僕というわけなのだが……どうにも周囲の受けはよろしくない。全然銃を持って戦うタイプに見えないそうなのだ。
きっとそれはたぶん、僕がちょっと童顔気味でいつものほほんとしているからだろう。確かに僕はマイペースだし、不必要な争いは極力避けたいと思ってる。だけど、それだけで決めつけられるのは困る。僕には僕の考えがあるのだ。
頭の中であれこれ考えながらも、僕の歩みは学園に向けて北へと着実に進んでいる。
御崎市は人口五〇万で、面積は約八〇万平方キロメートル。といっても、数字だけだとどれだけ広いかいまいちぴんとこないのだが……東京ドームとやらが八桁以上ある、という誠にどうでもいい換算をしてみたが、やはりわからない。そもそも今も東京ドームなるものは残っているのかな。あ、僕のどうでもいい感覚のせいで、話がそれた。
で、とにかくその東京ドームが八桁以上用意できるだけの広さがある御崎市は、五つのエリアに大別される。政治エリア、工業エリア、教育エリア、産業エリア、軍事エリアだ。ま、大体名前でどんなところかわかるとは思うが、一応個別に説明しておこう。
政治エリアは市の中央に位置し、内政だけでなく他の独立都市との外交を行う政府機関などが置かれている。工業エリアは海に面した市の南側にあり、工場や燃料を生産するためのプラントが集中している。教育エリアは市の東側で、小学校や中学校といった教育機関が集まっている。産業エリアは市の西側に位置していて、工業エリアとちょっと似ている気もするが、こちらは御崎市民のための娯楽や商店を提供している場所だ。軍事エリアは市の北側、御崎市防衛軍の駐屯地があり、軍事機関が集中的に配されている。
各エリアにはそこで働く市民のための居住区があり、エリア間での移動は基本的には自由。ただし、軍事機密などの観点から立ち入り禁止になっている場所もあるので、そこには注意が必要だ。当たり前だがいくら市民だからといって、軍の武器弾薬庫にほいほい近寄ろうとすれば、ただですむはずがないのだ。
それで鳳凰学園は、教育エリアではなく軍事エリアの北側にある。これは毎日の悩みを宿題どうするかとか体育の授業が嫌だとか、そんなことでいっぱいに出来る幸せな小中学生と違い、学園の生徒が立派な軍事関係者であることを示している。
なんといっても一応は学園の生徒とはいえ、正式な立場はPMCヤタガラスの社員なのである。おまけに御崎市では成人は一五歳以上で、しかも成人すれば必ず何かしらの仕事に就かなければならないと法律で決まっている。成人するということは大人としての扱いを受けるということなので、労働と納税の義務が待ってますよーということ。大人って嫌だね。
嫌だろうがなんだろうが、大人になった以上は働かなければならない。一応高校や大学もあるにはあるのだが、両手の指どころか片手で数えられてしまうほどしかない。こんな世の中ではどこも人手不足、働く場所は山ほどある。同志労働者諸君は大歓迎、我らが御崎市のためにさあ働こう的な勢いだから、大学は出たけれどなんて言葉は死語、市民総動員でまるで昭和の初期に逆戻りだ。一応勤労学生よりは恵まれているとは思うけどね。
そして、ヤタガラスの社員扱いで福利厚生が充実し毎月の給料も出る鳳凰学園は、御崎市内の教育機関の中では難関中の難関である。大崩壊前の日本でいえば、幹部自衛官を養成するための防衛大学校に相当するものだろうか。
御崎市では中立という立場上、自主防衛が必要なので小中学校の授業では軍事訓練が入っている。やっぱり昭和に逆戻りだが、さすがに竹刀や木刀で虐待されながら軍事訓練を受けるわけでもない。体を壊してしまっては、元も子もないからだ。
軍事訓練で体力を養い、銃火器の取り扱いを学び、有事に備える。まるで国民皆兵制をとり、一家に一丁国産のSG550突撃銃と使用する五・五六ミリ弾が備蓄される永世中立国のスイスである。まあ、僕はスイスなんて国、本の中でしか知らないけど。今はどうなっているんだろうか、一五世紀よろしくスイスの傭兵がヨーロッパで大活躍しているのかも。
そんなスイスのように、軍事訓練を受けた御崎市民はいざとなれば、たちまち銃を手にした民兵に早変わり。一般市民だって国を守るために戦う兵士のようなものだ。御崎市防衛軍に志願する者も多い。
御崎市防衛軍では量と質を適度に分配しているのに対して、鳳凰学園では量より質を第一とし、小中学校の軍事訓練でかなり優秀な成績を残さないと入学することは許されない。外からの依頼は基本的にヤタガラスが受けて傭兵を派遣するのだが、軍や警察と同じくヤタガラスだって慢性的な人材不足に悩まれている。
そういう事情から、生徒に依頼が流れて来ることもある。本物の銃弾が飛び交う依頼に出て、生徒が死亡することだってある。多種多様な依頼に対応できるような高い能力が要求される職であり、軍事訓練で優秀な成績を出せるような者でないと務まらないのだ。
だからこそ、銃器の携帯を許されているのである。鳳凰学園の生徒は精神鑑定などを受けて銃の所持資格を持っている。かといって、好き勝手にぶっ放していいわけではないのはもちろんだ。そんなことしたら資格は没収され、刑務所送り確定。撃っていいのは正当防衛か、警察官の許可を得て加勢したりするときだけだ。
ヤタガラスは御崎市と治安維持に関する契約を結んでいるため、社員である生徒もいざというときには発生した犯罪の対処などを突発的に求められる可能性がある。外と比べればずっと治安が保たれている御崎市とはいえ絶対に犯罪が発生しないわけでもなく、それに備えるための銃器携行だ。
武器の所持を許可されているからこそ誰よりも発砲に慎重にならなければならない――鳳凰学園の校則に記されている通りということ。制服の上衣の裾で覆って拳銃を携帯していることを隠すのは、一般市民を威圧しないためでもある。銃を見せびらかして喜ぶのはバカのすることだし、逆に威圧が必要な警官や軍人などが銃を抜き身で持っていればいいのだ。
脳内トーキングをぐだぐだ続けていると、やっとこさ軍事エリアに入った。それはすぐにわかる。軍事エリアには御崎市防衛軍の駐屯地に加えて、ヤタガラスの本社もある。御崎市における一大軍事拠点だから、空気も心なしか緊張したものになる。
駐屯地の兵舎や弾薬庫周辺には小銃を携行した歩哨が巡回し、滑走路やレーダーサイトの近くでは対空機関砲や地対空ミサイルが空に睨みを効かせている。車道では装甲車や戦車が猛々しいエンジン音を唸らせて進んでいき、上空を攻撃ヘリコプターの編隊がローター音を響かせて飛んでいく。
大崩壊前の日本なら、自衛隊の駐屯地でしか見ることのできなかった光景だ。しかし、今では軍人でなくとも銃はおろか、ロケット砲で武装する時代。これくらいで驚くことなど、何も無いだろう……たぶん。
そのまま学園に向けて歩道を歩いていくと、僕と同じ学園の制服を着た生徒が増えていく。知り合いを見つけると近寄って、春休み明けの再会に話を咲かせている。僕は特に知り合いも見つけられなかったので、のんびりと歩き続けた。こういう辺りが、向いてないと言われる所以なのかも。
やがて、学園の正門が見えてきた。二年生の最初の日、今日はいろいろと発表やらイベントやらが目白押しだ。それを考えるとやっぱりちょっと楽しみで、僕の足は少し速まっていった。