第5章九州その2
・黒豚
ガックリ!
鹿児島も雪だった。
主人「全国の天気予報は見たことはあるが、自分がいるところしか今まで気にかけなかったので、鹿児島に雪が降るなんて想像もできなかったぜ。急ぐ旅でもないのに高速を使って大きい損をした気持ちだよ。」
キャンピングカーの暖房はLPGを燃料にしている。効率もよく暖かいが外気温との違いが大き、壁が結露する。
特に主人の寝ているベットの枕元がすごくて枕がベトベトに濡れてしまった。主人は100円ショップで板を買ってきてとりあえずの処置をした。
今度キャンピングカーを製作する時は考えないといけないね。
桜島は思ったより大きく、鹿児島の人がシンボルにする意味がわかるように気がした。
鹿児島は黒豚と言うイメイジがあり、主人はガソリンスタンドで「黒豚の旨いところありませんか?」と聞と、店員もお客も知らないとのこと、「そんな物食べたことないと」2度のガッカリ!
鹿児島名産黒豚は嘘なの!
226号線で指宿に向かう。
喜入町と言う所に、新日本石油の石油基地がある。基地の入り口に喜入八幡保養館があり、お風呂もあった。
その隣の保険センターの前の駐車場が広く、正月休みなのか車も一台もいない。
公衆トイレもあり、キャンピングカーをその横に止めた。
主人は近くのスーパーから、御鏡や車に飾る物などを購入して、ここで正月を迎えることにした。
主人と亜紀は有田で買った徳利で日本酒をカンをして、有田で買ったお猪口で飲みながら、
僕達にとって長い激動の年が終わろうとしている。
・元旦
正月3ヶ日は喜入町の保健センターの前で過ごした。
キャンピングカーの掃除、僕との散歩し昼からお酒を飲んだりして、主人誰にも会わないゆっくりとした正月を初めて経験したのではないだろうか!
でも事件が・・・・・・・。
「犬が溺れているよ!」チワワを連れて散歩に来た中年の夫婦が僕を指している。
リードのついていない僕は、石油基地と陸の間に船を渓流してある、白いボールを見つけた。
冷たかったが能登の海での主人とのボール遊びを思い出したのだ。
「ぶー上がって来い」主人が呼んでいる。
僕はロープが張られていて動かないのに必死に口に咥え引っ張った。
主人「疲れたら帰ってくると思うですが」叫んだ夫婦は「かわいそうに・・・」とつぶやく。
亜紀「内の犬は泳ぎも得意であそんでいるから大丈夫なんですけど」
主人は僕のところに行こうと思い、船まで行くための一m四方のハッポスチールのイカダに乗った。
これがバランスとりにくくて・・・・・・・・・・・・・・。
主人「ぶーお前は冷たいと言う感覚がないのか。馬鹿!」
今年はどんな年になるのだろう。
・偶然
砂風呂で有名な指宿温泉街を通り、(砂風呂に入りたかったが、主人は亜紀がアレになったので入るのを諦めた)最南端のガソリンスタンドと書いてあるスタンドで給油して、長崎鼻パキングガーデンの手前、フラワーパークの公衆トイレの横にキャンピングカーを止めた。
この場所は夜星が綺麗だし、昼は開聞岳と海のコントラストが綺麗で一週間いた。
後日解かった事だが不思議な出会いがあった。
金沢に帰って主人と亜紀はマージャンをマスターして、インターネットでマージャンをしていた。
ネット上で仲良くなった人が何人かになり、チャットしながらマージャンをするようになった。
その中のイニシャル名フジという人が写真屋さんで、この正月長崎鼻パキングガーデンでバイトしていたらしい。
亜紀「フジさんは何処の人」
フジ「鹿児島」
亜紀「長崎鼻って言う所、行ったことあるよ」
フジ「バイトしたことあるよ」「アキはどこ」
亜紀「石川」
フジ「バイトしていた時、石川ナンバーの大きい犬乗せたキャンピングカー見たことある」
亜紀「わぁーそれ影と私です。」
「影」は主人のことです。亜紀の名前でネットマージャンしていたら、この名前が自然と付きました。今「赤影」と名乗っています。
世の中に偶然ということが確かにある。この人とは主人と今も年賀状のやり取りをしている。
・南国
主人は高校を卒業してから、一時外国航路の船員をしたことがある。マレーシアから清水港に向かう時、海から綺麗な山だなと思った事がある。それが開聞岳だ。
主人はその時は知識がなく、この辺だと桜島しか思い浮かばず、後で地図を確認して開聞岳と分かったそうだ。
主人はその時のことを思い出し、キャンピングカーの止めてある地点から開聞岳の方角へ一kほどのところにある国民宿舎かいもん荘の露天から開聞岳を見ている
鉄分が入った赤色のお湯と青く見える開聞岳、コバルトの海、相変わらず寒いけどまるで南国にいるようだ。
イッシー
開聞岳を右に見ながらのどかな花畑の道を池田湖へとキャンピングカーを進める。
イッシーを考えた人はスゴイー、宣伝効果は過大だと思う。
ただ湖サイドの商業施設の統一性がない、もっと全体が協力し、ポリシーを持ってイッシーというキャラクターをピックアップして考えるともっとここは繁栄するのと思う。
指宿スカイラインを走っていると、右下に226号線と町並みが時々見える。
そんなに時間がたっていないのに懐かしかった。
・活火山
朝テレビをつけると天気予報で「本日の降灰予報」をしていた。さすが桜島のお膝元だ。
桜島フェリーで桜島に渡る。
船上から、西郷隆盛や伊藤博文も同じ景色を見ていたのだろうと思いながら桜島をズート見ていた、あいにく曇っていて火口の噴煙は見えなかった。
先ず湯之平展望所、浅間山の鬼押し谷と似ていたが、予報するくらいで火山灰があたり一面に積もっている。この山は生きていると感じた。
有田焼のお母さんに貰ったミカン本当に桜島の火山灰だと思う。桜の花びらをデザインした展望所の屋根が印象的だった。
展望所に着く頃お天気は良くなってきた。
南岳の山容や噴煙を上げる様はまさに圧巻だ。眼下には鏡のように穏やかな錦江湾と鹿児島市街地、南に開聞岳がボーと見えた。
有村展望台を見て大隈半島へ、佐多岬に向かう。
・半島
大隈半島は能登半島より大きいのだろうか、走っても走っても進まない感じがした。
のどかな田舎の道は同じで、マンネリ化してしまい、主人は運転するのが苦と思わない方だがイヤになってしまったらしい、
少し走っては止まり、タバコを吸ったり、昼寝をしたり一行に進まなかった。
この時のニュース
佐多岬沖で高速水中翼船「トッピー4」が、突然鯨のような海洋生物に衝突し怪我人がでたそうですね。
最近鯨が増えているそうです。僕が佐多岬に行った時は見えなかったけど、高速水中翼船に乗る時はシートベルトを締めてください。
・最南端
佐多岬への県道が有料になっていて朝早いのか閉まっていた。待っているとお婆ちゃん来て、ニコニコしながら400円とられた。主人「お婆ちゃんマーかわいいから許そう」
しかし日本は有料道路が多すぎる。無駄づかいしなければ県でも国でもほとんど無料にできるはずだ。
インドのニューデリーやエジプトのカイロと同じ北緯31度線という看板がある。ムー行ったことないから良く分からない。
駐車場から突端にある展望台までは、トンネルの中の料金所で100円払ってジャングル遊歩道を20分ほど歩いて行くと、時々見える断崖絶壁は身体がスーとするものがある。
先程の400円は問題だが、ここでは500円払っても文句は言わないと思う。
ここは本州最南端、最西端も行ったが、ここにも自治体同士の「四極交流盟約書」の看板があった。
最東端:根室市・納沙布岬 最西端:小佐々町・神崎鼻 最南端:佐多町・佐多岬
最北端:稚内市・宗谷岬
北海道で最北端と最東端へ行っとけば良かった
・猿と馬
県道74号線から国道448号線へ、文書で表現できない道だ。
400m〜500mあるだろうか、断崖絶壁の途中に申し訳なく道が付いている。所々崖崩れがありそれも時間がたっているようだが修復は全然進んでいない。
左ハンドルなので海側は助手席、僕と亜紀は「怖い、怖い」の連発。
鹿児島湾の方はあんなに気が抜けていたのに、緊張感で恐怖の道だった。
都井岬に入ると、僕は猿が道の脇を見えて吠えた。
キャンピングカーを止め観察していると向こうから馬がゆっくりとやって来る。自然のサハリーパークと言う感じだ。
馬は丘を登って行くので、キャンピングカーを降りて馬を追いかけて僕はその丘に登った。
後ろを振り返ると、僕の目の中の4/3が空と海が一体になったブルーが占めた。
・イルカの卵
宮崎に入って天気も良くなりさすがに九州と思う。金沢では1月のこの天気は考えられない。
日南の海岸線も、ここが日本と思えない美しさだ。
日南の犬も泊まれるペンションC-ドルフィンに一泊することにした。
気のいい夫婦が出迎えてくれたが、勾配のある所に建てられたペンションの駐車場も勾配が強く、何度も切り替えてやっとの思いで止めたが、キャンピングカーはかなり傾いていた。
お客も僕らだけで夕食もひっそり、奥さんが料理を運んで来た時に、厨房から主人が顔を出し「それはイルカの卵です。」と言う。
主人は「そうですか」と言うと、ペンションの主人はチョット不思議な顔をした。
卵型コロッケで長径5cmくらいの料理だ。部屋に帰ってから亜紀が「イルカって哺乳類?」主人「当たり前ジャン」亜紀「では先程の料理は?」ここで初めて主人のブラックジョークと解かった。
普通の鶏の卵を厚く衣を巻いた料理、主人はあまりにも素直に信じてジョークが滑ったので不思議な顔したんだ。僕らは思い出しながら何回も笑いこけた。
部屋はツインで、一つのベットは僕が占領したので、主人と亜紀はキャンピンクカーより狭いベットに寝ることになってしまった。
朝食の後ベランダーで夫婦と記念撮影する。僕はガタガタ震えてしまった。
ベランダの床は板と板の隙間が広く下が見えるのだ。僕は自分で高度恐怖症だと初めて分かった。
・寿司屋
主人の旅は日本をくまなく周ろうという目的ではない。
居心地が良い所を探し飽きたら移動する、そんな旅がしたいと思っている。
主人は宮崎に居心地が良い、ある寿司屋さんに入ったことで滞在が長くなった。
主人は寿司と酒が好きで1週間に2回ほど行った、金沢での行きつけの寿司屋があり携帯の番号を唯一教えてきた人だ。そこでは常連客が多く、主人は客にニックネームを付け呼んでいた。
その宮崎の寿司屋は小さな店で、入ると右側に5〜6人の座れるカウンターがあり、左側に誰も座ったことのないような席がある。
僕はそこに座って動かず見ていた。
始め、そこの主人はあまり話も得意でなかったが、バイクの話になると手を止めて喋りだした。
生ビールしか飲んでいなかった主人は「大将とりあえず何か造って」とお願いすると、不機嫌そうに「何がいい」「鯛お願いします。皮付きのある?」返事をしないで造りだした。
手際よく鯛の置いたまな板を斜めにして、皮の部分にお湯をかけ刺身にした。
主人は宮崎は北陸と違って魚は不味いだろうと思っていたが、びっくりするほど美味かったらしい。
一人お客が入って来た、寿司屋の主人の同級生で消防署に勤めているらしい、飲むほどに話が弾み4人盛り上がった。
亜紀が「この人金沢の欣ちゃんに似てる」「お前は今日から欣チャンだ」金沢の寿司屋の常連客の中に北大路 欣也に似てる人がいて、主人が欣ちゃんと呼んでいる金沢の人に似ているのだ。
似てる人に似てると北大路 欣也よりかなり離れていくのだが、宮崎の欽ちゃんが「明日もお出でよ」「わかったよ」と言うことになってしまった。
「なんか歳の離れた金沢の変なカップルがいる」と宮崎の欣ちゃんが宣伝したらしく、次の日寿司屋に行って、 びつくり!
約束の時間の7時に寿司屋に入ると、女性を含む6人カウンターに並んでいる。
詰めてカウンターに8人座り、自己紹介、女性の方と夫婦の男の人(孝子とゴンちゃん)欣ちゃんの職場の後輩(先生)主人のバイク仲間もう一人が主人と欣ちゃんの同級生(北国)、欣ちゃんのように金沢の人と似ていないけど、覚えるのが面倒でそう呼ぶことにした。
何故、主人が寿司屋のお客をニックネームで呼ぶかということと、金沢の人のニックネームを皆に説明した、(先生)は小学校の先生、(ニクニク)は精肉店勤めている、(北国)は地元の北国銀行の行員だ。
ゴンちゃんと孝子の話は皆にすごく受けた。元々孝子と欣ちゃんは付き合っていた、だが欣ちゃんは不倫だった。ゴンちゃんと欣ちゃんは友達でいつも3人遊んでいたが、ある日孝子の部屋で2人になった時、皆が想像する事が起き欣ちゃんからゴンちゃんに乗り換えた。ゴンちゃんと孝子は正式に結婚し、金沢ではこの3人で今は寿司屋で会うことはない。
宮崎の欣ちゃんが「という事は俺が振られた訳」寿司屋の主人が「そういうところも似ているのではない」と大笑い。
金沢の寿司屋に電話したり、バイクの話など、とにかく昨日より盛り上がる。
宮崎の欣ちゃんが「宮崎にいる間飲もうよ」主人は「気分いいから毎日飲もう」と言ってしまったのだ。
それからはこのメンバーの誰かが友達を連れて店にいる、僕達はもう10年宮崎に住んでいる感覚だ。夜は寿司屋の店先にキャンピングカーを横づけし、主人は酔ってそのまま寝る、朝は新富町の健康センター サン・ルピナスで温泉に入り、健康センターの前の大きいグランドで僕とフリスビーする、主人と亜紀は夜までパチンコをして寿司屋に行くという生活を1週間ほど繰り返した。
最後の日は20人ほど集まってくれ、涙、涙のお別れパティーになってしまつた。
あの寿司屋で出会った皆さん楽しい時間本当に有難う御座いました。
そして寿司屋ご主人有難う御座いました。
こうして僕達とって宮崎は一生思い出に残る温かい町になった。
・新三郎の死
延岡の五ヶ瀬川に沿って走る国道218号線の沿線に「五ヶ瀬の湯」という温浴施設あった。
キャンピングカーを施設の駐車場に止める。
施設の前に床屋がありならびにパチンコ屋がある、主人は伸び放題の頭を散髪した。
亜紀も髪を短くして、2人でバンダナを巻く、主人は仕事をしている時こんなスタイルできなかったので、すごく若返った気がした。
河原はキチット整備され、セメントで固められている、もっと自然にできないものかと思いながら主人と僕は散歩には適していた。
只今の僕らには快適な環境だった。お風呂とパチンコ、キャンピングカーを移動しなくても用が足りる訳だ。
散歩、お風呂、パチンコの生活をした。6日目くらいになるとパチンコの店員が起こしにくる、キャンピングカーを叩いて「開店したよ」って、しかしそうなるとなんか仕事みたいでイヤになり移動することにした。
いくらゴルフが趣味でも「貴方は毎日ゴルフしなさい」と言われるとイヤになると思う。
ここでハムスター新三郎の死という悲しい事がここで起きてしまった。家に上がるはしごの間に挟まってしまったのだ。皆で河原に葬った。
・トラブル
バッテリーが受電しない、トラブルだ。
旅にでて5,000k走ったが、今までは何のトラブルもなかったのに、主人がヒューズボックスを開いてみると、やっぱり切れていた。
ヒューズの予備は持っていたが、切れたヒューズだけがなかった。
延岡の修理工場を3件ほど回ったが、部品がない。こんな時外車はダメだと思う。
キャンピングカーを購入した、株式会社ボナンザに電話すると1週間ほどかかるようだ。
「何でそんなに時間かかるの」と388号線を思案ながら走っていると、須美江旅行村オートキャンプ場があった。
ここの住所を連絡して、ここで1週間部品を待つことにする。
オートキャンプ場はシーズンオフで、誰もいないが朝になると釣り客が多い、オートキャンプ場の後ろの山の裏が釣りのポイントなのか、何十人と人一人やっと上れる道を重い道具を持って昇って行く、本当に釣りが好きなんだろう。
夜誰もいないのに、「プールルー」流しのラーメン屋だ。軽四に50くらいのお母さんと息子のようだ、一度注文して食べると夜必ずやってくる。
僕らしかいないので、せっかく来てくれたのに悪いと思い毎日夜はラーメンを飽きもせずに食べた。