表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/11

最終章ふるさとへ

北海道に別れを告げ、函館から本間までの1時間40分船旅だった。

最近オリンピックの柔道選手などでマグロ1本釣りが有名「本間町」だ。

これと言って見るところもなく、食堂に入ってもマグロの料理もない。どうも取れたマグロは築地に直行のようだ。

むつ市を通って、下北半島を南下した。陸奥湾はドンヨリしていたが、穏やかだった。

単調な道で走っていると飽きてきた。

国道279号線を左折して、六ヶ所村に入り、小川原湖の畔で一泊する。

昔、甲子園で有名になった太田光司の三沢高校を横に見て、三沢市を抜けて八戸にキャンピングカーを進めた。


久慈市から宮古、釜石と三陸海岸の美しさを堪能した。

大船渡市に同業者がいるので、会おうと思ったが、夜になったので大船渡の次の町陸前高田に一泊した。

そのホテルは歌手の千正夫の経営のホテルだった。名前もキャピタル1000。

破産した千正夫がどうやって経営されているのか、ホテルは見た目と違い中は人手がいなく汚かった。

夜、主人はベットに入り有線放送の昔話を聞いていると、次が気になってとうとう朝まで眠る事ができなかったようだ。


松島を見て、仙台に入った。

現在は「浜の漁師居酒屋 こちら○特漁業部」という居酒屋の経営者と主人は友達でビニネスの事もあり年に何度かお邪魔している。

その当時は、国分町で3店舗「七厘亭」という店をしていた。

キャンピナグカーを彼の会社に止めて頂き、ホテルから夜になると主人は飲みに出た。

網の目のようになった国分町は、何処の路地も人で溢れていて活気のある町のようだ。

今も100万都市だけあって人も多いらしい。

「浜の漁師居酒屋 こちら○特漁業部」は仙台駅前、国分町など3店舗、山形、秋田にもある。

鯛やソイの生造りが、980円で食べれるし、メニューの数も多いです。

一度東北に行ったら行ってみてください。

金沢のbooを知っていますと言うと安くなるかも?



仙台出発した僕達は、一路金沢を目指しました。

本当は遠いのですが、できるだけ一直線で帰ろうということで、下道を福島、栃木、群馬、岐阜そして石川と走ることにしました。

福島、栃木はこれと言ったことは何も無かったのですが、栃木で途中で入ったパチンコは面白かったそうです。

主人の話ですと、パチンコ屋に入ると何処と無く雰囲気が変だったそうです。

人が少ないのに、台は動いているのです。

持ち手と台をクリップでつなぎ合わせて無人で動いているのです。

一人が何台も動かして、多い人は5,6台動かしているそうなのです。

主人も亜紀と6台チャレンジしたそうですが、見事敗北ということでした。残念!

買ったら僕も骨っ子貰えたのに!



輪箱飯が美味しかった会津若松でなんと言っても有名なのは白虎隊だ。

会津藩の軍制は当時交流のあったフランスの軍制に習い年齢別に編成されていた。

中国の故事で「方角の守護神」とされていた空想上の動物の名前、奈良のキトラ古墳の壁画に描かれていることでも有名な、玄武げんぶ青龍せいりゅう朱雀しゅじゃく白虎びゃっこを隊名につけました。

玄武隊(50歳以上)、青龍隊(36歳から49歳)、朱雀隊(18歳から、35歳)、白虎隊(16,17歳)に大きく分けられ、さらに身分により高い方から、士中しちゅう寄合よりあい、足軽隊に分けられていました。

「白虎隊」は全部で約340名おり、親の身分により「士中一、二番」「寄合一、二番」「足軽隊」の5隊に分けられていました。

この中の上級武士の子弟で構成されていた「士中二番隊」42名が猪苗代湖近くの戸ノ口原に出陣したが、食料調達に出かけ隊士らとはぐれてしまった20名が飯盛山に逃れてきましたが、城下で発生していた戦火に包まれた鶴ヶ城をみて、もはや落城したものと思い自刃したのです。

これが白虎隊のあの悲しい物語です。元号が「明治」に変わる16日前の出来事でした。


この時ただ一人、飯沼貞吉いいぬまさだきち氏だけが通りかかった地元の人に助けられたため、この話が知られることとなりました。

実際には城はおちておらず籠城戦を1ヶ月戦いましたが最終的には会津藩は降伏しました。

その後、飯沼氏は電信技士となり昭和6年まで生きられましたが、飯盛山での出来事についてその重い口を開いたのは戊辰から60年以上経ってからでした。

飯沼氏と同じ「士中二番隊」の隊士であった酒井峰治さかいみねじ氏の手記が近年発見されましたが酒井氏も生前当時のことは家族にもほとんど話さなかったそうです。

彼らは少年の日の深い心の傷を終生抱えて生きたのです。



boo

前橋を抜けて、軽井沢に入る。

シーズンオフの軽井沢は人も少ない、主人は駅前のホテルに泊まった。

昼頃チックインして眠っていたようだ。

7時頃僕を連れて散歩に出て、夕食をするようだ。


akakage

駅前を散歩していると、2Fに木造のアンテックな居酒屋があった。

ヒゲの大将と若いバイトの女の子が一人、軽井沢なのに色々な魚が並べてあった。

「大将!なんか美味しい物ある?おまかせ!」と聞くと、松茸の刺身が出てきた。皿の横には塩が盛ってある。

食べてみたが美味しいとは思わなかった。

「むー変わった味ですね」と大将の呼びかけに答えた。

「焼いてください!」と言いにくかったが、思い切って言った。

大将の職人魂に火が付いてしまったのか、それからは他のお客を待たせても料理が出てきた。

魚を食べなれている僕も納得するくらい魚は美味しかった。

「何処の魚!」と聞くと、朝早く新潟まで取りに行くとの事、手間かかってますね!

色々な地酒をいくつもすすめられて、2時間くらいで完全に酔ってしまった。



浅間山の麓を、中軽井沢から北軽井沢へと走る。

此処は何時来ても気持ちが晴れるところだ。浅間山が怒った時になだらかに作った広大な高原を申し訳なく裾野を走っている感じだ。

]

自分の小さい事が確認できて、何事も難でもないような気になってくる。

主人も同じ気持ちだろう。


高原を走っていると露店があった。

高原野菜が安い価格で売られている。キャベツがすごく美味しそうに見えたので2つ買った。


浅間白根火山ルートに乗り、鬼押出し園に着く。

散策ルートを歩いて、自然の力の凄さに感銘した。僕は浅間山火山博物館には入れなかった。残念!



草津温泉にキャンピングカーは着いた。

湯畑からお土産屋、饅頭屋などが並び観光客でにぎわう西の河原通りを過ぎると溶岩がゴロゴロ転がり、煙がもうもうと上がる荒涼とした河原に行き着く。

園内に流れる湯川にそって至る所から50度以上の温泉が毎分1万5千リットル湧き出していた。

強い酸性の温泉の為、河原に草木は育たない。その為、別名「賽の河原・鬼の泉水」と呼ばれた。

途中には「瑞祥の池」や「琥珀の池」など、エメラルドグリーンの美しい輝きを放つ温泉の池があった。

そしてドイツ人医学者ベルツ博士と、その共同研究者スクリバ博士の胸像があった。

彼らが草津の温泉と環境を世界に広めた日本近代医学の先駆者である。

遊歩道を更に進んだ奥には西の河原露天風呂があつた。

「なにしろ広い、面積が500平方メートル(男女合計)ということで畳に換算すると150畳敷きになるわけだ。まるで山間にある湖の一角の雰囲気だ。

これだけ広いのに湯温は最適、ただ、あまり広いのでどこに身を置いたらいいのか迷ってしまう。特に夜はライトアップされ、星空を眺めながの入浴は最高だぜ! 」(主人の弁)



草津温泉から、志賀高原に向かう志賀草津道路に乗った。

途中の白根山の噴火口に水が溜まっている「釜湯」を見た。草木が生えていない山肌を駐車場から見るとかなり急な坂を登って行かなければならない、「しんどそう!」と言いながら主人は登って行った。

シーズンオフで人もいなかったので、リード無しの僕は快適にドンドン登り主人を待った。

主人が追いつくと又ドンドン登り、又待って登る、何度か繰り返した。


日本の中でこれだけ綺麗な色があるだろうか!

赤茶色の岩の中に静かに湛えたその水の色は、今までに見たことの無い神秘の色だった。

主人「登ってきてよかったね!」

そしてしばらく呆然の立っていた。



有料の地獄谷駐車場に停めて、僕は留守番!此処からは主人が記事を書きます。




地獄谷駐車場→後楽舘→野猿公苑と歩いた。

時間にして10分〜15分程度。地獄谷温泉は秘湯と呼べる温泉ですが、訪れる観光客が多く道中は少々にぎやかでした。

しばらく歩くと地獄谷温泉の一軒宿「後楽舘」が見えた。

名物のちまきは有名だ。

又、この宿の露天風呂も猿が入りに来ることで有名だ。

地獄谷温泉駐車場から歩いておよそ20分、野猿公苑が見えてきた。



温泉がしぶきをあげている様子が写真でわかるでしょうか。地獄谷温泉の間欠泉です。奥に見えるのが有名な露天風呂です。



猿の入浴シーンはどれも頭に雪が降り積もっているものばかりですが、私達が行った時は、かなり気温が高かったのに露天風呂に入っていました。

実際入っているところに出くわしたら緊張しまた。

露天風呂は男女および猿の混浴だ。



長野市を抜けて、松本、上高地、安房峠(現在はトンネルがある)そして新穂高温泉郷に着いた。

此処はホームグランドだ。

何度と無くこのブログで紹介している。日本一大きい露天風呂がある新穂高温泉 水明館 佳留萱山荘、昨年も此処で夏を過ごした。

今は、紅葉で山々黄色や赤の化粧をしている。

此処からは金沢まで2時間あまり、この旅も終わろうとしている。

此処で今後の事ゆっくり考えよう。主人はそんな顔をしていた。



2年間の僕たちの旅はここで終わりです。

長い間付き合ってくださった皆さんありがとう。

3ッ日坊主の僕がブログを続けられたのは、コメントくださった皆さんの御陰です。

心から感謝します。ありがとう! boo


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ