新しい交友関係
美人なお姉さんとお茶。兎衣は何だかワクワクして、親指を素早く動かした。
『サクラさん、こんばんはっ! こちらこそ、あの後ちゃんと話せなかったから気になってました。お茶、ぜひ行きましょう!』
語尾に可愛い絵文字を付けて送信ボタンを押す。
兎衣は元々、交友関係がかなり広い。この街で色んなことに首を突っ込んで知り合いを増やしているからだ。
夜の仕事の合間、ふと差し込むこういう出会いは楽しい。
「ばにぃさん、指名のお客さん来ましたよ」
ボーイが兎衣を呼びに来た。
近々楽しみができたことで気分がよくなった兎衣は、待機所に入ってきた時とは打って変わって、ステップを踏みながら部屋を出た。
入口の段差で転けかけた。
体勢を立て直していた時、手元のスマホが再び震える。
サクラさんかな、と期待して開くと、母からの連絡だった。
『兎衣、今月、もう少しお金貸してくれないかな? お母さん、取り憑かれてるみたいで、浄化にあと十万円必要なの。浄化は、毎月やらないといけないものなんだって。もう少し高度な浄化を行ったら、お父さんからも連絡来るかもしれないの。兎衣のためにも、早い段階で浄化しなきゃ』
さっきまでの喜びの感情が、空気の抜けた風船のように萎んでいく。
今月の仕送りはもうしたはずだ。
これ以上は奨学金に手を付けることになる。
でも、弱っている母からのお願いに、〝無理〟と言える勇気がない。母は、スピリチュアルな事柄に縋って心を保っている。不確かなものを信じることでしか立っていられないのだ。兎衣まで母を拒絶するわけにはいかない。今拒絶したら、ギリギリのバランスで自分を保っている母が倒れて、いなくなってしまいそうで怖い。
(バイト、もう少しシフト増やしたら、十万円くらい……)
兎衣はスマホでカレンダーを開き、指を折って計算した。
サクラとの食事代も必要だ。その分は何日かご飯を抜けばどうにかできる。でも、母への仕送りは……。
考えなければいけないことが急に増えた。
兎衣は暗い気持ちのまま、カウンターへと向かった。
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サクラとの再会は、早くもその数日後に行われた。
繁華街の喧騒から少し離れた場所。通りに面したガラス窓から秋の柔らかな陽が差し込む。
店名が小さく彫られた木製の看板の下、観葉植物が天井から吊るされている店内は、平日の昼下がりにしては賑わっていた。
「わー……めっちゃオシャレ。さすがサクラさん、お店のセンスいいですね。予約してくれてありがとうございますっ!」
兎衣ははしゃぎながらそう言って、サクラの向かいの席に腰を下ろす。サクラは笑って頷いて、コートを脱ぎ、きちんと折りたたんで横に置いた。
二人の前に色とりどりの料理が並ぶ。兎衣はスモークサーモンとアボカドのオープンサンド。サクラの方はベーコンとマッシュルームのキッシュプレートだ。カフェラテの上には、可愛い熊のラテアートが施されている。
しばらくご飯を抜いていたこともあり、涎が出そうだった。
「改めて、この前はありがとう。ここはわたしが奢るわ」
「えっ! いいですよそんな」
「遠慮しないで。あのままじゃわたし、店に戻れなかったかもしれないし。本当に助かったのよ。ばにぃちゃん、ヒーローみたいだった」
「ええ~? それほどでも……」
兎衣は照れ笑いを浮かべながら、内心少しほっとしていた。
今は少しでもお金が惜しい。
フォークを手に取ったその時、窓際の席に、母親と幼い女の子が入ってきた。女の子は赤いカーディガンにニット帽をかぶり、少し緊張したように母親の手を握っている。注文を終えると、親子は静かに奥の席に腰を下ろした。
その可愛らしさにつられて、視線が自然とそちらに向いてしまう。
「かわいい~」
兎衣はフォークを止めて小声で呟いた。
けれど、正面のサクラの口元は少しも緩まなかった。視線だけをその親子に向けたまま、何故か忌々しげに呟く。
「……可哀想」
ぽつりと発せられたその言葉が不可解で、兎衣は黙ってサクラの顔色をうかがった。サクラは親子からすぐに視線を戻し、ラテを一口すすって言う。
「あの子はわたしたちよりも長くこの世にいなければならない。こんな汚い世の中に、わたしたちよりも後から生まれてきてしまって可哀想よね。きっとこれから、わたしたちよりも沢山苦しまなきゃいけないのよ。あの子は」
サクラの声音には哀れみが滲んでいた。
兎衣の頭に、以前習った反出生主義という言葉が蘇る。誕生と出産の否定。苦痛の回避のためにもはや生まれてこない方がいい、子供を産まない方がいいという思想だ。サクラの発言には、そんな思想が垣間見えた。
「病気、老衰、死、人間関係の悩み、社会の不条理、理不尽――人生は苦痛ばかり。なのにどうして人は人を産むのかしらね。動物と違って意志によって生殖を控えることができるのに。生まれた子供達が可哀想よ。ばにぃちゃんもそう思わない?」
そう言って笑いながら、顔にかかった髪を耳にかける仕草が、酷く蠱惑的だ。
兎衣は一度、口をつぐんだ。カフェラテのカップの隣に置かれた水のグラスに目を落とし、ストローをいじる。
「……私は、あんまりそう思わないかもです」
サクラがゆっくりと微笑み、兎衣の発言に耳を傾ける。兎衣はその視線をまっすぐ受け止めながら、言葉を続けた。
「確かに世の中ってクソみたいなことばっかだし、私の身近でも社会の理不尽のせいで夜の仕事して苦しんでる人がいっぱいいる。でも、それだけじゃないかもとも思うんです。辛いこともあるけど、それだけじゃなくて……例えば、誰かに優しい声をかけてもらったり、綺麗な景色を見れたり、今日みたいにこうやって誰かとご飯食べたり……そういうことがあるから、私はまだこの世界にいたいって思える」
「…………」
「苦しいことは多いですけど、だからって生まれてきたこと全部を〝可哀想〟で片付けるのは、あの子のこれから全部を最初から決めつけてるみたいで、私はやりたくないです。生まれた意味とか価値って、本人が自分で見つけていくものなんじゃないかなって、私は思ってて……」




