8 愛の形はそれぞれ
フィリアスに許可を貰えたことで、私以上に喜んだエルミーナは「記念に一曲弾いて帰るね!」と言って、教室のど真ん中にあるグランドピアノの前に座り、鍵盤蓋を開いた。
曲目は決めていたようで、すぐに小さな演奏会が始まった。エルミーナが弾いたのは有名な歌劇からの一曲で、戦場にいる恋人の無事を祈る曲だったと思う。澄んだ水が流れ落ちるような流麗な調べに心が洗われていくようで、私は椅子に腰掛けたままエルミーナの演奏に耳を傾けていた。
ふと、こんな古びた音楽室のピアノがきちんと調律されていることに気がついて、隣に座るフィリアスをちらりと盗み見て――思わず目を奪われた。恋人を見る彼の優しい眼差しに、私は胸がいっぱいになって何も言えなくなってしまった。
「――何か言いたげだな?」
声を潜めて、こちらを向かずにフィリアスが言う。これだけ見つめたらさすがに気付くか……。
「本当にいいのかな? って。君はエリーが心配なんでしょう?」
演奏を邪魔しないように小声で問うと、フィリアスはちらりと目線だけでこちらを見て口の端を上げる。
「エリーは俺と婚約してから、それまでの付き合いの多くを断ち切ってしまったんだ。そんなエリーから、友人を紹介したいと言われた時、俺が何を思ったかわかるだろう?」
私は考えが及ばなかった自分を恥じた。エルミーナはどこのグループにも属していない。それは彼女の出自と凛とした佇まいが人を寄せ付けないからだと思っていた。それが、自分から周りを遠ざけていたなんて。
「貴族って大変なんだなぁ……」
そんな月並みな感想しか出なくて、私は益々恥ずかしくなって縮こまった。フィリアスはそんな私を見て小さくため息をこぼすように笑う。
養子に出されたとはいえ、フィリアスは王家の人間だ。成人して正式に王位継承権を放棄するまでは、彼を擁立しようとする者達がすり寄ってくる。
本人に付け入る隙が無ければ、彼らはフィリアスの周りを攻める。婚約者のエルミーナは彼らにとって格好の的となるだろう。だから、彼の弱点になり得るエルミーナは孤立を選んだのか。
「卒業するまでの辛抱だ。ここを出て正騎士になったら、俺は正式にマティス家当主を名乗ることができる。そうすればやっと、堂々とエリーを保護できる」
「君の目の届かない所は私に任せて。騎士見習いとしてしっかり護衛するよ。……というか君、私にそうさせるつもりだったんじゃない?」
「いやー何のことだかわからないが、助かるなぁ」
びっくりする程のわざとらしさに私は笑いを堪えた。
「二人ともちゃんと聴いていてくれた?」
演奏を終えたエルミーナが頬を膨らませているので
「エリーがかわいいって話をしてた」
と私が言えば、フィリアスが
「君とのハグは許さないという話をしていた」
と続ける。えっあれ? そうだっけ? 君やっぱり根に持ってるな?
真っ赤になって絶句しているエルミーナを見て、私とフィリアスは顔を見合わせて笑った。
「……もう、酷いわ。二人してからかって」
困り顔のエルミーナが呟くと、ちょうど寮の門限三十分前の鐘が鳴って、その日はお開きということになった。旧校舎の音楽室を出て教室棟まで送って貰うと、私たちはそこでフィリアスと別れた。
普段は魔力を抑えて御印が体表に現れないようにしているとはいえ、フィリアスもエルミーナもどことなく只者ではないオーラが滲み出している。二人が一緒に居ると目立ち過ぎるのだろう。
普段はあまり接触しないようにしているため、今までデートらしいデートはしたことが無いそうだ。「卒業するまでの辛抱ね」と、フィリアスと同じことを言うエルミーナは少し寂しげに見えて、胸が痛んだ。
これは私の偏見かもしれないけれど、貴族同士の結婚って政略結婚のイメージが強く、二人が仲睦まじく両思いなのは意外な思いがした。
特にフィリアスは抜け目無く、この歳で既に政治家の気質がある。恋愛感情なんて真っ先に捨ててしまいそうなのに……。
彼のエルミーナを見る目は本当に愛情に満ちていたと思う。いつか、二人が手を繋いで気軽に外を歩ける日が来たらいいのにな。
そんな事を考えながら、女子寮の門を潜り扉を開いた。
「おかえり〜! 遅かったね」
寮の入り口を入ってすぐの談話室に《《奴》》は居た。談話室までは男性も入れると知ったのはその直後だったので、私は完全に油断をしていた。
フレーメン反応を示した猫のようにぽかんと口を開けた私の顔は、さぞかし間抜けだっただろう。
奴は私を見るなり、感動の再会のように駆け寄って来たので、抱きつこうとするその腕を躱し背後に回って、飛び上がって首に腕を回し脇にホールド。そのまま外に連行する。
「えっ……ちょ……セラ? 痛い。愛が痛い」
「うるさい。だまれ。愛なんて無い」
呆れ顔のエルミーナに目配せして、そのままアルファルドを外に引きずり出した。寮の入り口を出て植木の側まで引きずってからやっと解放した。
「お〜ま〜え〜はぁ〜……何でこんな所にいるんだ?」
私より頭ひとつ分以上背が高いアルファルドの顔を睨むと、彼は心外だとでも言いたげに悲しげに眉尻を下げる。
「だって、手伝ってくれるって言ったから迎えに来たのに、なかなか帰って来ないから……。酷い……あの夜のことは嘘だったの!?」
「うわああーーー!!! ばか声が大きい!!」
慌てて手で口を塞ぐと、すぐ側をヒソヒソしながら女生徒達が足早に通り過ぎて行く。あーあ、今の絶対聞かれたぞ……
女生徒達が寮に入って行ったのを確認してからアルファルドの襟を掴んで顔を寄せた。
「明日の放課後、温室に行くから大人しく待っていて。談話室まで来るのは無し! いいね?」
「――本当に? 来てくれる?」
急に声音を下げて真剣な目で聞くので、私は言葉を飲み込んだ。何でそう急に真面目な顔をするんだ。元が美人だと破壊力がすごい。
「……行くよ」
気圧されて呻くように答えると、アルファルドは満面の笑みを浮かべて私を抱きしめた。胸にすっぽりと抱きすくめられているのにときめきは無く、熊にでも襲われている気分だ。いや、熊の方が食欲のみの分、いくらか純粋な気がする。
「ふふっふふふ……言質取ったよ? 嬉しいなぁ……ちなみに、明日僕らは全部授業一緒だから、一日中一緒だね。これはもう夫婦生活と言ってかご……いったたたた痛い!」
「もうやだこの人」
みなまで言わせず腕を捻り上げて、私は盛大なため息をついた。




