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月落ちる森  作者: 小湊世月
Ⅳ 社会科見学の狼

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60 罠とわかっていても

 街の喧騒に背を向けて、暗い路地の向こうに目を凝らす。

 足元を冷たい風が通り過ぎ、カラカラと乾いた音を立てて落ち葉が路地に吹き込まれていく。


「どう思う? ディアナ」


 頼りになる相棒は私の影から頭と前足を出して、一緒に路地の向こうを見つめている。その丸い絶妙な形をした後頭部に自然と手が引き寄せられ、モフモフと撫でながら意見を聞いてみた。


「クゥン……」


 相変わらず彼女が何を言っているのか全く分からないけれど、何となく意思の疎通はできている。

 眉間に皺を寄せて困った顔でこちらを見上げる真紅の眼に、『罠だと思う』と言われている気がして、私は重々しく頷いた。


「……だよねぇ。私はよほど脳筋だと思われているらしい」


 流石の私も、あんなにわかりやすく誘われて、考え無しにこんな見通しの悪い路地に入ったりはしない。危険を回避する能力も騎士には必要だ。自分の身を守れず、人を守ることなどできない。


 でも、もし本当にラヴィアだったら……? 他の獣人女を襲う気なのか? と思うと安易に切り捨てることはできない。


 ポケットに入っていたことを思い出して、街の地図を開いてみたけれど、このような細い道までは地図には載っていなかった。位置的には下町の方へと続いているようだが、通り抜けできるかも定かではない。


 土地勘が無いのは致命的だ。どこに誰が潜んでいて、何が仕掛けられているのか警戒してもしきれない。気付かずに魔法罠を踏んでしまったら、私も誘拐事件の被害者名簿に名を連ねることになる。


「こんな時こそ、アイツの意見が聞きたいのに。いや、アイツがいないから、その隙に私を誘き出そうとしているのか……」


 悔しいけれど、今は諦めるしかない。同じ街に居るなら、また機会はある筈だ。

 ひとりで突っ走って捕まってしまったら、協力してくれているフィリアスやヴェイグさんが動き難くなる。彼らを巻き込んだ張本人として、それはあまりにも無責任だ。


 喫茶店に戻ろうかと渋々腰を上げたところで、通りの向こうから手を振る人影が見えた。人混みの中でも頭ひとつ飛び出た背の高い黒髪の男と、並んで歩く真紅の巻き毛の豪奢な美女を見間違う筈がない。


「おかえり。買い物は終わったの?」


 人波をかき分けてやって来た二人に尋ねると、二人は顔を見合わせて気まずそうに唸る。

 出掛けていった時は、あんなにベッタリだったのに……。


「…………まさか、喧嘩した?」


「そ、そうじゃないのよ! 買い物はちゃんと済ませたわ。ただ彼が……」


 とアンは上目遣いでライルを見上げる。

 アンの視線を受けて不機嫌そうにこちらを見下ろすピンク色の瞳は、言い知れぬ不安を煽る。それが彼の身体に流れる魔族の血に由来するものなのかはわからない。


「街に来る直前、何があったかアンに聞いた。まぁ色々言いたいことはあるが、今は置いておく。それと関係あるかは分からねぇが……フィリアスに伝えておいた方がいいと思ってな」


 言葉が切れた一瞬の沈黙を埋めるように、ズズズとまた大きな地鳴りがして、少し遅れてぐらりと地面が揺れる。通りを行き交う人々が悲鳴を上げて逃げ惑い、露天の商品が倒壊した。

 その最中、ライルは全く動じることなく、静かに地面を指す。


「この街、なんかヤベェのが住み着いているみたいだ。それが、どんどん活性化している」


 ライルの指摘に返事をするかのように、またぐらりと大きく地面が揺れる。言われてみれば、この揺れは何か大きな生き物が地面の下で這い回っているように思える。


 私たちが今いるこのリブレアスタッドのような大きな街は、竜穴の上に建てられている。大抵の街の地下には、竜穴から噴き出す魔力を精製し分配する重要な施設がある。


 古い街の中には古代に作られた浄水施設を現代まで大事に使っている所もあり、その術式は未だ解明されていないという。

 竜穴の魔力は浄水施設や上空の結界に使われていることから、市街地防衛の戦略的機密に触れる。当然一般人は地下施設への立ち入りを禁じられている。


 そういえば、と思い至ってポケットから街の地図を取り出した。


「君の言う通り、フィリアスに伝えた方が良いと思う。……でもその前に、ライルってどのぐらい強いのか聞いてもいい?」


「あァ? いや、どうしたいきなり?」


「そりゃあもう、めちゃくちゃ強いわよぉ! まず前々回の大会の予選一回戦の時にね……」


 たじろぐライルの隣で、闘技大会の時のライルが如何にかっこよかったかを力説するアン。


「それから、三回戦の時の決め手が超かっこよくてー! セラにも見せてあげたかったわぁ……」


「おい、わかったから! もう良いって! 黙ってろって!」


 あまりの熱の入りようにライルがアンの口を塞いで止めに入った。時間が許すなら詳しく聞きたいところだったけれど、私は地図を広げながらルートを確かめる。


 やはり、思った通りだ。

 この路地が下町の方に続いているとすれば、その途中で浄水施設の裏手を通る。目的はわからないが、ラヴィアが私をここに誘き出そうとしているのなら、何か関係があるかもしれない。


 一般人が立ち入りできない領域なんて、いかにも怪しい。広大な街の地下施設を根城にしているのなら、誘拐された獣人女性たちもそこに捕らえられているかもしれない。


「もしかしたら事情を知ってる奴を捕まえられるかもしれない。でもこれは確実に罠だ。危険を冒すことになる。無理に協力してくれとは言わない」


 事態が切迫していなくて、私とディアナだけなら追跡を諦めたが、二人の王子が滞在する街の地下で何かが起こっている。そしてそれには獣人が関わっているかもしれないとなれば、罠だなんだと悠長な事を言っていられない。


 ディーンと同等の実力者であるライルが手を貸してくれれば心強い。それに他校生のライルはラヴィアと面識が無いだろうから、上手くいけば相手の隙を突けるかもしれない。


 二人に地図を見せて、喫茶店でみんなと別れて別行動していること、先程ラヴィアらしき人物が路地の奥に消えたことを簡単に伝えると、二人は快く了承してくれた。


「援護は任せろ。お前と犬は先に行け。俺たちはお前のすぐ後ろから追いかける」


「俺たちって……アンも連れて行く気?」


 アンには何かあった時のため、ディアナとここで待っていてもらおうかと思っていたのだけど……。


「アンは俺が面倒見るから気にすんな。……まぁここで待っていたいならそれでもいいけど、どうする?」


 ライルがアンに問うと、アンは大きくかぶりを振る。


「絶対、嫌!」


「だそうだ。そんじゃ、パッと行って、サクッと終わらせようぜ」


 言うが早いか、ライルはアンをしっかりと抱き寄せて路地に入る。瞬間、二人の姿が霞のようにぼやけて闇に溶けた。

 『影渡り』――魔族や魔物が使う闇の中を行く道だ。歴史書の中でしか見たことのない術を目にして、否応無しに期待が高まる。


「ありがとう! 援護よろしく!」


 足元のディアナがスンスンと丁寧に地面を嗅いで、クォンと啼く。ラヴィアのにおいを捕捉したようだ。私が頷いたのを見て、ディアナは勢いよく走り出した。

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