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月落ちる森  作者: 小湊世月
Ⅷ 図書館の狼

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31/55

30 意識しちゃうのは私だけ?

 律儀にも、きっちり三十分後に起こしてくれたアルは、私が寝ている間中、隣で読書をしていたそうだ。


『寝顔を凝視していたとか言われたら、流石に今後の付き合いを考えようと思っていたよ』私がそう言うと、アルは目を逸らしてあからさまに話題を変えた。

 ……最近少しアルの扱い方がわかってきたことが、訓練されているようで悔しい。


 ふわふわと浮ついた心を引き締めて、なんとか古典文学を乗り切ると、本日最後の授業が始まった。


「――かつて、アルディール地方では獣人狩りと呼ばれる虐殺が度々行われました。満月の夜に獣の姿に変身する彼らは、魔物の仲間であるとされ、多くの罪無き獣人たちが命を落としました。最近の研究では、魔族との戦いよりも獣人狩りで亡くなった者の方が多かったといわれています」


 淡々と教科書を読み上げる先生の声が教室に低く響く。

 たった数ページの記述の中に、時代の犠牲になった獣人たちの悲哀が込められている。この数ページ、数行の中に、どれだけの人生があったのだろう。


 歴史の澱みに沈んだ教室内に反して、窓の外はどこか軽薄な程に明るい。シュセイルの短い夏を謳歌するように青空の下に新緑が萌えている。一年のほとんどを雪に覆われたこの国から、遥か遠い砂漠の国を想像するのは難しい。


「――その結果、獣人の多くは北のシュセイル、南のグランシアへと移住しました。獣人が去った後のアルディールがどうなったかは、皆も知っている通りです。貴重な戦力を失ったため、抵抗することもできずに魔族に攻め滅ぼされ、宮殿や街は砂の海に沈んでしまいました。今はいくつかの都市国家が乱立し、統一がなされない状態です」


 教室の一番後ろの席で頬杖をつきながら、手癖で描いたノートの端のらくがきは、時間が経つにつれて着実に増えていく。

 隣の席のアルが、私のノートを覗き込んで眉を顰めた。


「一方、我が国では獣人のみから成る騎士団が結成されるなど、長く良好な関係を保っています。しかしながら、獣人への差別は根強く……」


 母がアルディール人で、父が古典文学教授の私にとっては、耳にタコができるぐらい何度も聞かされた話だ。聞き慣れた話であっても、やっぱり悲しい気分になる。

 獣人の歴史は、大抵迫害されて酷い目に合うものばかりだ。まともに聞いていたら感情を強く引かれて、二、三日は最悪な気分で過ごす事になる。

 感情が面に出やすい私は、そういう時、意識的に別の事を考えるようにしている。


 幸い獣人に関する陰惨な内容はそこで終わって、授業は別の時代へと進んだところで、終業の鐘が鳴った。


 授業よりも気が重い放課後が来てしまった。


 授業が終わってもまだ机に向かって鉛筆を動かしている私に、アルが不思議そうに私の手元を覗き込む。


「授業終わったよ? 何を描いているの? ……ヒトデ?」


「狼」


「狼!? じゃあ、このタコみたいなのは?」


「どう見ても竜」


「……竜」


 何かを噛み締めるような深刻な顔でアルは頷く。

 目を細めたり、回転させたり、顔から離したりしながら、たまに「どこが頭だ?」などとぶつぶつ呟いて私のノートを読み解こうとしている。私のことを知り尽くしているつもりの彼は、私のことでわからないことがあるのが許せないようだ。

 仕方なく「ここが頭で、こっちが尻尾ね」と教えてあげると、アルは余計に悩んで眉間に皺を寄せた。


 このまま放っておくと、全部のらくがきを説明させられそうな気がしたので、アルの手からノートを取り返して鞄に詰める。解読途中で没収されたアルは不満そうに唇を尖らせた。

 辺りを見回せば、教室内に残っているのはアルと私だけだった。清掃員が来るまでまだ時間がある。昨夜から胸につかえたままの話をアルに話してみようか……?


「……ねぇアル。私は君を、どのぐらい信頼していいのかな?」


 ぽつりと零れた私の疑問に、アルはがくりと肩を落とした。


「セ〜ラ〜?」


 まだそんな事を聞くのかとでも言いたそうな声音だ。眉尻を下げた悲しげな顔で、アルは私の手を取って指に口づけた。


「この学院はもちろん、世界広しといえど僕以上に信頼できる男は居ないと思うよ?」


 同時に、私にとって君以上に危険な男も居ないんだよなぁ。

 アルに伝えた通り、正体がわかったことで安心した面もあるけれど、私たちの間に横たわる問題は、何ひとつとして解決していない。


 ――私は狼男が嫌いだ。狼男は母の仇だ。


 父やアルのように自分を律することのできる狼男もいるとわかったけれど、こうして側に居られるのはフェロモン抑制薬が効いているからであって、それがなければ瞬く間に狼男を狂わせてしまう。


 色香に狂った狼男がどうなるのかは、私が一番よく知っている。私はアルをあんな(けだもの)にしたくない。

 今のこの穏やかな関係は、ひとえにアルの強い忍耐に守られた不安定なものだ。一方的に、アルに負担を強いている現状のままで良い筈がない。

 私たちの間にお家柄的なしがらみは無いのだから、できる限りお互いに対等な関係でありたい。


 ならばどうする? って考えると、正式な婚約、結婚を前提としたお付き合い、噛み付いて(つがい)にする。などの方法が次々に頭に浮かんで、恥ずかしさで頭が爆発しそうになる。


 これが、恋愛脳ってやつなのかなぁ……私、浮かれているのかなぁ? キスしただけで?


「ねぇ、これから温室に来ない? 僕は君の信頼を裏切れない。それを証明しよう」


 黙りこくった私の手の甲に頬を寄せて、アルは眩しそうに微笑む。あんまり幸せそうな顔で笑うものだから、胸がきゅっとなって、なんだか顔が熱くなる。

『――もう手加減しなくていいし、我慢しなくていいってことだよね?』

 さっきのやりとりを思い出して、顔から火が出そうだ。


「わ、わかったよ。でも今日は大事な約束があるから、長居はできないよ」


 上擦った声で答えると、ぴくりとアルの眉が跳ね上がる。


「……僕よりも大事な約束、ねぇ?」


 私の手に頬を押し当てたまま、呟いた言葉は空の教室に不穏に響いた。

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