17 嫌いではないは好きとは限らない
「それで? また朝帰りなの?」
「……いや、日が昇る前に帰ってきたから、実際は朝帰りでは……」
「セリアルカさん?」
「はい。ごめんなさい」
にっこり微笑むエルミーナは背中に戦神でも背負っているのかと思うぐらいに禍々しいオーラを放っている。腕を組んで冷やかに見おろす様は、滅びの女神も裸足で逃げ出す迫力である。
普段穏やかなエルミーナをこれ程までに怒らせてしまったのは私なので、部屋の床に自主的に正座したまま、私はガックリとうな垂れた。
寮長に見つかるとまた嫌味を言われるので、なんとしてでも帰る! と引き止めるアルファルドを振り切って帰って来たのが午前零時。
バスルームで身体を洗って寝巻きに着替えてベッドに潜り込んだのが一時頃のこと。そのまま爆睡。
そして休日なのを良いことに昼前に起きた私は、寝巻きのまま床に正座して反省している。
「まったく……今回のことで、貴女他学年にまで顔と名前が知れ渡ってしまったわよ? 今後もし困ったことがあったら行動に移す前に誰かに相談して! 絶対にひとりでつっ走らないこと! 今の貴女にはちゃんと味方がいるでしょう?」
「はい。気をつけます……」
力無く答える私に、エルミーナはようやく笑いかけてくれた。私はおずおずと手を挙げる。
「それで、一点質問よろしいでしょうか?」
「良いでしょう。言ってごらんなさい」
許可をいただいたので、私の勉強机に山のように積まれた箱の数々に目を向けた。
「あれは、なんでしょうか?」
エルミーナはそちらを見やると、悩ましげにため息をついた。
「『セリアルカお姉様のお見舞いに』ですって。セラはまだ寝てるから、後で来てくださいって言ったんだけど、直接渡すのは恥ずかしいからって、置いて逃げてしまったの。お名前を聞きそびれてしまったわ」
「これ、ひとりで持って来たの?」
「いいえ。四、五人だったかしら? ……貴女、下級生の女の子たちから、男装の騎士様〜とか呼ばれているそうよ」
「だ、男装……?」
決闘の時に黒のチュニックにパンツだったから? でも普段の制服はスカートなんだけどなぁ。
シュセイル王国は一年の半分以上が極寒の北国。騎士の鎧下も防寒に優れた造りになっている。当然、舞踏会に出る淑女のような華やかな格好ができる筈がない。それは女騎士でも見習いの身分でも同様である。
自然と私服は動きやすくて暖かい厚めのパンツを選ぶようになるので、男装のつもりはない。
昨日も制服がびしょ濡れだったから仕方なく私服で決闘しただけで、その子たちが期待しているものとはちょっと違うんじゃないかな? と思うのだけど。
「貰っちゃっていいのかな? 何かお返しを考えないとなぁ」
「うふふ。そうね」
足の痺れが収まって、私はやっとの思いで立ち上がると、顔を洗って身支度を済ませた。
エルミーナに協力してもらって机の上の箱を開けると、中身はクッキーやチョコレート、キャンディーなどのお菓子の詰め合わせだった。
エルミーナ曰く、高級店や有名店のお菓子もあるとのことで……本当に私宛なの?
あんな事があった後だから、念のため獣人の嗅覚と味覚を駆使して味見してみたけれど、美味しい以外の異常がなかった。
二人で食べるには量が多いし、今回の一件でお世話になったフィリアスとディーン、そしてヒースにもお裾分けしようということになった。
怪我を治してくれたアルファルドには、また借りができてしまったので、どうやって返すか悩みどころである。ただ、お返しは何が良いか聞いたらまた、噛んでと言われそうで頭が痛い。
カフェテーブルの上にはいただいたお菓子が山盛りになっていて向かい合って座るエルミーナも、袋詰めを手伝ってくれている。
「ねぇセラ。昨夜の話のことなんだけど……」
作業に没頭していると、エルミーナが少し言いにくそうに口を開いた。赤い牙が抜けるとフェロモンの分泌が収まるらしいという話をしたので、そのことだろう。
「……噛んだの?」
「まさか! 私はアルに狼男になってほしくないよ」
部屋には私たちしか居ないのに、辺りを憚るように声を潜めて聞くので、私は慌てて否定した。
「……そう。でも、それだと貴女が騎士になるのはかなり危険なんじゃないかしら? どんな天才でも、一度も怪我をせずに強くなれる人なんていないでしょう? それに、女性には月のものとかあるし……どうしても、血からは逃れられないわ」
そうなんだよなぁ。戦う以上どうしたって怪我は避けられないし、生理現象はどうにもならない。
今まで女子校だったし先生も全員女性だったので気にしたことは無かったけれど、世の中の半分は男性で、その中の何パーセントには狼男が潜んでいる。今後はそういうのも気にしないといけない。
アルファルドを番に選んで牙を抜けばいいのかもしれないけれど、人ひとりの人生を変えてしまう決断は重い。
「セラは、アルのこと嫌い?」
不意に、エルミーナがそんなことを聞くので、私はしどろもどろになる。その、嫌い? は男性としてって意味だよね? 考えたこともなかった。
「えっ……いや、たぶん嫌いではないと思う。私は、まだアルのことをよく知らなくて、どうしてあんなに尽くしてくれるのかわからなくて……少し怖いんだ」
なんとなく心許なくて、テーブルの上のお菓子の包み紙を小さく折り畳みながら答えると、エルミーナは我が意を得たりといった様子で口元を綻ばせた。
「でも、アルファルドは全てを知っていて貴女を望んでいるから困っているのね? 今後セラが彼のことを知って、良いなと思ったら彼を選ぶということもあり得るのかしら?」
「んんん!? そうなるの?」
正直、自分の気持ちがよくわからない……。嫌ってはいないけれど、結婚できるかと言われると答え難い。
「どちらにせよ判断材料が足りないわ。まずは、情報収集ね! アルファルドの素性を探ってみましょう! お菓子のお裾分けに行くのならちょうど良いわ。従兄弟のヒースに聞いてみましょう」
すっかりやる気のエルミーナに気圧されて、私は頷くことしかできなかった。
***
誰もが振り向く美貌の頬に真っ赤な手形をつけて、ヒースはいただき物のクッキーを齧った。
「顔が良いとか言う癖に、別れる時は顔を狙って平手打ちしてくるのはどういうことなんだろうね?」
憂いに満ちた表情は、一見この世の不条理を嘆いているように見えるが、呟くのはただの愚痴である。
「フラれたの?」
私の直球の質問に、聞き捨てならなかったのか、ぴくりと頬を引きつらせてヒースは残りのクッキーを口に放り込んだ。
「あ、これ美味ぇな。中に酒が入ってる。……こいつな、五股かけてたのがバレたんだ」
甘いもんしかねぇのかと文句を言っていたディーンは、お菓子の山からウィスキーボンボンを見つけてご満悦だ。
いや、そんな軽く言うけど、五股って。
「貴方、いつか刺されるわよ」
冷え冷えとしたエルミーナの視線にも負けず、ヒースは自分の頬を撫でながら呟く。
「美しいって、生きづらいね」
そういうところだぞ。と、その場にいた全員が思ったと思う。たぶん。
「それでなんの話だっけ? アルがどういう奴か? ご存知の通り、セラの前では十匹ぐらい猫被ってるよあれ。いや、もう猫じゃないな羊だな。羊を被った狼だから」
「暖かそうね……」
先程からこんな感じのゆるい答えしか返って来ないので、エルミーナは、当てが外れたことにがっかりしているけれど、私はそうは思わない。
あの剣の冴えを見た後では、これはフリだという確信がある。
「アルに口止めされてるね?」
私が問うと、ヒースは困ったように微笑んだ。




