10 魔狼に憑かれた一族
魔狼をナメていたわけでは無い。こんなに活動的だとは知らなかっただけだ。
可愛くても魔物で狼なんだということを充分に思い知らされた私は、ガゼボのベンチに腰掛け、テーブルに突っ伏した。まさか獣人の体力を上回るなんて……
ガゼボの大理石の床にごろんと寝転がって気持ち良さそうにいびきをかいているオリオンを眺めていると、疲労もあってか私まで眠くなってくる。
アルファルドが戻って来たのは、丁度あくびで大口を開けた時だった。
「あれ? オリオン寝てるの?」
片手に道具の入ったバケツを持ち、もう一方に脚立を担いで現れたアルファルドは、ガゼボの中を覗き込んで寝そべる魔狼を見て苦笑いを浮かべた。
「嫌がって大暴れするのを宥めてシャンプーしたら、今度は水遊びが気に入ったみたいで、しばらく遊んで疲れた所を乾かしてブラッシングが終わったところ。私は死ぬほど疲れた。この子、体力が有り余ってる」
「ああー、オリオンはシャンプー嫌がるんだよね。大きいから洗うだけで体力使うし、乾かそうとするとすぐ逃げるし、ぷるぷるしてそこら中に水飛ばすし……」
アルファルドの実体験をたっぷり含んだコメントに、思わず私はふき出した。いつも余裕そうなこの男がオリオンに振り回されていると思うとおもしろい。
「あはは! 目に浮かぶよ」
「大変だったね。お疲れ様。紅茶でいいかい?」
「うん! ありがとう。ハチミツ入れてね!」
「はーい」
道具を倉庫に片付けて、ログハウスの方へ行ったアルファルドを見送ると、テーブルの上に乱雑に置かれた図鑑やノートを端に片付けてティーセットの準備をする。
それが終わったら今度は、ガゼボの入り口に陣取っているオリオンを抱えて、入り口をあけようとしたのだけど、力が抜けてだらんとした後ろ足と尻尾を引きずってしまう。
四苦八苦しながらなんとか入り口をあけると、床に寝転んだまま全然起きる気配の無いオリオンの隣に座って、ツヤツヤの背中を毛並みに沿って撫でた。
オリオンはアルファルドの使い魔で、普段は彼の影の中に住んでいる。幸か不幸か、私はオリオンに会うまで生きた魔物を見たことが無い。本で読んだ知識しか無いけれど、魔物を使い魔にするためには、魔物と戦って屈服させなければいけないらしい。
あのアルファルドが? なんだかイメージに合わない気がする。騎士を目指しているから鍛えているだろうし、肩や腕を見ても軟弱な感じはしないけれど……。
そういえば、魔物って何を食べるんだろう?
「おまたせ。マフィンがあったから持って来たよ」
アルファルドの声に反応して、オリオンの耳がピンと立った。でも眠気の方が勝ってしまったようで起き上がることなく、耳だけ主人の方に向けている。
私はオリオンのお腹を撫でながらベンチに座るアルファルドを見上げた。
「ありがとう。――この子、本当に使い魔なの? 君の方が振り回されているんじゃない?」
床に座ったまま、紅茶の入ったマグカップを受け取って聞いてみると、アルファルドは声を上げて明るく笑った。
「普段はぐうたらしているからそう思うよね。これでも狩りは上手なんだ。オクシタニアに帰った時は、毎日森を駆け回っているよ」
「何を食べるの?」
「雑食。何でも食べる」
へぇーそうなんだ。相槌を打ちながらオリオンのモフモフのお腹を撫でていると、アルファルドもベンチから立って私の隣に座った。
「どうして使い魔にしたの?」
直球で聞きすぎだろうか? と思ったけど、アルファルドは特に気にすることもなく、マグカップの紅茶を一口含む。
「……僕の遠い先祖にルシオンという男がいたんだ。ルシオンは子供の頃に、魔狼の子を拾ってシリウスと名付けた。それから彼らは兄弟のように育った。――時は千年前の戦乱の時代で、シリウスはルシオンと共に魔族や魔物と戦った」
ぽつりぽつりと話す彼の横顔を見つめながら、千年前の一人と一匹の物語に耳を傾けていた。いつの間にか目を覚ましたオリオンも身を起こして静かにアルファルドを見つめていた。
「ある戦いで、シリウスは子供を庇って重傷を負い、そのまま命を落とした。兄弟を失ったルシオンは酷く悲しみ、遺体を丁重に葬ろうとしたんだ。ところが周りの人間達はそれを許さなかった。彼らにとっては、シリウスはただの魔物。その魔物のために泣き、手厚く葬ろうとするルシオンは魔族の仲間だと異端視された」
「……そういう時代だったんだろうけど、酷い話だね。ルシオンにとっては大事な兄弟だったのに」
暗い影が射す新緑色の双眸に私が映る。アルファルドは悲しげに微笑んで頷いた。
「遺体が土に還った頃、ルシオンは自分の影の中に赤い二つの光が瞬くのを見つけた。ルシオンが『シリウス!』と呼ぶと、影の中から魔狼の子供が現れた」
「……どういうこと?」
「ルシオンがシリウスに名前をつけたことで、契約が成立していたんだ。シリウスは常にルシオンと一緒だったから気がつかなかったけど、本当はルシオンの影の中に住んでいた。ルシオンが知らないうちに、番を見つけて影の中に家族を作って魔狼の群れになっていたんだ」
それって気づかないものなの? 影の中に魔物の群れを飼っていたら、ルシオンの魔力が枯れてしまうのでは?
疑問が多過ぎて首を傾げる私に、アルファルドはいたずらっぽく笑う。
「まぁ、千年前の言い伝えだから本当のところはわからないけどね。でも、どういうわけか、うちの家系に生まれる子供は、みな魔狼に憑かれている。目が合って名前をつけると、こうして出て来てくれるようになるんだ」
そう言ってアルファルドがオリオンの頭を撫でると、オリオンは嗄れた声で一声元気よく吠える。
「つまり、君とオリオンは契約しているのか」
感慨深げに私が呟くと、アルファルドは嬉しそうににこにこしながらこちらを見つめてくるので、なんだか嫌な予感を感じながら慌てて視線を外した。
まるっきり、ただの興味で色々と聞いてしまったけど、これではアルファルドを喜ばせてしまう。
「別に君のためじゃないからな。オリオンが気になっただけだからな!」
一応釘を刺したものの、アルファルドは嬉しそうに頷くばかりで、上手く手の上で転がされている気がする。とても不本意。
クワッと大口を開けてオリオンが大あくびしたのを見て、もう寝る時間かな? なんて考えていたら、ふと門限を思い出した。
「やばい! 門限忘れてた! 今何時?」
「チッ……九時十分前だよ」
君、今舌打ちしたよな? って詰め寄りたいけれど、今は時間がない。
「今日はもう帰るよ。お茶ありがとう。次は遊べるようにボールでも持ってくる!」
そう言って、流しにマグカップを洗いに行こうと立ったところ、腕を掴まれてマグカップを取り上げられた。
「後で洗っておくからいいよ。次の約束をしてくれたから、今日はここまでね」
「えっ?」
そこで私はようやく、自分から次の話をしてしまったことに気がついた。
「途中まで送るよ。セラ?」
コートを着て温室の出口でアルファルドは振り返る。
オリオンが気になっただけだから。オリオンと遊ぶだけだから。だからこれはギリギリセーフなんだ。
そう自分に言い聞かせながら、私は自分の両頬を叩いた。




