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何でも知ってるしろあちゃん  作者: 家佐水井
天知しろあは何でも知っている
9/11

高嶺の花


 化学のテストは難なく解けていた。


 変に引っかけがあるわけでも、意地の悪い問題もない。化学の先生は素直で優しい教師なのか、はたまた最初だけなのか。期末で難問を用意してきたら、二重トラップを仕掛けているようなものだ。意地が悪いを通り越して、それはもう、意地汚いになる。


 大問の2が解き終わる。

 大問の2が解き終わり、これでどのくらい時間を使っただろうと顔を上げ、時計を見上げる。すると、目の前にまっすぐな背中があった。


 定期テストの席順は名簿順。つまり出席番号だ。三浦のみの前は、前野のま。皆がテストに集中し、前傾姿勢になっている中、前野だけは背筋を伸ばして姿勢良くしていた。手が動いている気配はない。

 目だけで様子をうかがう。前野は、首もあらぬ方向へ向いていた。カンニングをした場合の処置は聞いていたはずだろう。いや、もしかしたらその時も首はあらぬ方へ、心ここにあらずだったのかもしれない。

 見ずともわかるが、目で前野の視線を辿る。その先には倉賀野がいた。

 ここまで露骨だと、逆に監督役の教師も、カンニングを疑わないかもしれない。


 時計を確認する。配分は間違ってなさそうだが、前野のせいでロスしている。気持ちを切り替えるように息を吐き出し、テストに顔を伏せ、ついでに前野の椅子の脚を蹴っておいた。


「はっ……」


 という、小さな息を飲む声がする。前野がペンを動かす気配がした。




 化学が終わり、次は物理だ。その次が生物なので、今日は理科系の科目だということになる。


「ちょっと訊く。彰、大問2の4だったんだが……」


 岡部が深刻そうな顔をする。


「ああ……そこは」


 深刻そうな顔をしているということは、岡部自身が間違いに気付いてたのだろう。三浦が答えを言うと、膝をついた。やっぱりか……と言っている。どうやら、ひとつ失点が確定したらしい。


「まあ、大問2が一番量多かったし、難しかったからな」

「だよな!? 大問2の時点でこれか!? ってなって、かなり焦ったら残りふつうだったから……はあ」


 焦らされたのだろう。初歩的な問題から始まり、最後に問題を読むのですら億劫になる長文問題が出てくる。三浦が小中と九年間のテスト経験で培った思い込みを、逆手に取るような化学だった。最初に一通り目を通すのが功を奏したということだ。


「光輝はどうだった?」

「ああ……やっぱり、デカい。好きだ」


 三浦と岡部は、諦めた。倉賀野は早瀬と佐々木と一緒になって、化学の話かあるいは物理の話でもしているのだろう。首ったけな前野に、もう三浦の言うことはない。


 二時間目が始まり、物理が始まる。


 しかし、疑問がある。前野は倉賀野のどこにそんな惚れているのだろうか、と。


 三浦と同じく一年三組の倉賀野友梨。顔は悪くないが、もっとかわいい女子はいる。早瀬や佐々木もそうだし、クラス内なら逢坂という女子が一番かわいいだろう。まあ、系統が違うと言われればそれまでなのだが。それで言うと、天知しろあが近い存在か。ふたりとも小動物らしい可愛さがあるという点では、同じ存在だ。ま天知しろあと並べては誰であっても霞んでしまうのは、それはそうなのだが。


 なにより、三浦が気になる点は、その振る舞いと容姿の差だ。


 ゆるふわで染めたような茶髪。目を惹くほどの胸。中学から男子に好意を寄せられたことは多いだろうし、その容姿をしていればクラス内でもそれなりの地位があったはず。だというのに、実際の倉賀野はおどおどしていてはっきりしない。

 倉賀野は中学時代、友達があまりいなかったのではないか。クラスでは隅でひとりでいることが多かったのではないか。十中八九、高校デビューというやつなのだろう。三浦はそう思っている。


 佐々木や早瀬と倉賀野は友達だ。そこで自然と三浦たちとくっつき、六人のグループができあがった。前野から、倉賀野がかわいい、好きだと打ち明けられたのも5月に入ってからのことで、計画を立てて昨日の日曜日、決行を言い渡された。べつにその計画自体に異論はない。中学のときから、三人で協力していたから。前野が誰を好きになっても文句はない。

 ただ、三浦は、主体性がなく意見もほとんど言わない倉賀野に、まったく魅力を感じなかったのだ。友達としてだから過ごせているが、仮に付き合うことになっても、楽しめるとは到底思えない。

 まあ、とはいえけっきょく、三浦には関係のないことだ。

 前野が誰を好きになろうと、それがどんな理由だろうと。もしかしたら知らないだけで、ふたりには何かしらの接点があるのかもしれない。前野に計画があるというのなら、三浦はそれに協力するだけ。三浦も中学時代、前野と岡部に協力してもらって、彼女を手に入れたことがあるのだから。



 

 物理のテストが終わり、回収を終え、本日最後の生物が始まる。


 そういえば、一時期天知しろあがサッカー部の見学に来ているといううわさが立った。仮入部の時期だったし、見学するのは誰にでもある平等の権利なので、そのうわさには悪意があったわけではない。むしろ、好意的だった。顧問が座って練習を眺めているとなりに天知は立っていて、ずっと機嫌良さそうに微笑んでいたのが印象に残っている。

 仮入部中だった一年も、二年も三年もその笑顔に頬が緩んでいた。やる気が漲っていた。かく言う三浦もそう。自分のことを見ているのでは、と淡い期待を胸に抱いた。誰を見ているのかは不明確だったが、視界に入っているのは確実。すこしでもいいところを見せようと誰もが思ったし、声高々に宣言する者もいた。


 前野や岡部もそうだった。


 前野は中学の二年生頃からメガネをかけ始めて、見慣れない姿にエロ親父というあだ名が一時期ついた。そしてそのあだ名は見た目だけではなく、中身も言い当てている。前野はムッツリスケベなのだ。メガネをかけて知的な顔をしているが、メガネをかけるやつは頭がいいという発想がそもそも頭が悪い。


 岡部は小学生の頃からサッカーをやっているらしく、まさにサッカー少年といった風貌だ。高校生ともなれば青年かもしれないし、その身体付きや硬さ、伸びた背丈に関しては少年で許せる範疇を通り越している。三浦も小学生からサッカーはやっているが、あそこまで筋肉質にはなっていないので、おそらく趣味が筋トレでもあるのだろう。


 そして、天知しろあ。彼女はまず間違いなくこの織田高校で一番の有名人だ。

 入学式、一際目立つ容姿と別格のオーラで注目を集め、新入生代表としての答辞で心を奪った。さらりと音を立てるほど、毛先までが細やかな白髪。純真無垢で宝石のような青空の色をした瞳。美少女という言葉を我が物として、今後これ以上に相応しい人は存在しないだろうと確信させられた。

 しかも新入生代表ということは聡明でもあるということ。加えて本人は誰にでも物腰柔らかく、愛嬌を振りまく。だがそこには確固たる意志も垣間見える。ファンクラブなるものがあるらしく、小動物的な可愛さがあって俺が守るんだという意見が多いようだが、彼女にそれは必要ないだろう。

 たしかに小動物的愛らしさもあるにはあるが、そう簡単には御せない雰囲気もあるのだ。無闇矢鱈に手を出せば問答無用で噛みつかれ、骨の髄までしゃぶりつかれそうな気配がある。


 きっと皆、どこかでそれはわかっているのだろう。自分の立つステージとはかけ離れている。別格だから、ファンクラブができるのだ。ファンとアイドルという形でなら、一方的な愛情表現も許されるから。

 天知しろあほどのものになれば、もうやっかみや嫉妬の声すら湧かない。大富豪がプライベードジェット機を買っても感情が湧かないのと同じ。経済を動かしているのだから感謝すべきだとさえ言われる。しかし、庶民がちょっと手を伸ばした買い物には難癖つけるように、すこしだけ容姿が整った者にはそういう声があがる。

 たとえば、その顔に産んでくれた親に感謝だね、とか。顔がいいってラッキーだね、性格は悪いに決まってる、とか。どれもこれも、三浦が言われてきた言葉だ。

 どうして、他人を貶すのかがわからない。仮に、悪口を言われて三浦の顔が見るに堪えないものへと変形していくのなら、まあわかる。それで代わりに、最も三浦にダメージを与えられた者が綺麗な容姿を手に入れるなら、頷ける。しかし現実はそうではない。彼らの理屈は筋が通っていない。まるで理解できないのだ。

 それに、三浦のこの顔は遺伝が大きく影響しているのは事実だろうけど、だからといって何もしていないわけじゃない。日々肌の手入れはしている。たとえ曇りでも日焼け止めは塗るし、自分に合ったスキンケアを行っている。自分の顔の形に似合う髪型も勉強するし、美容院では美容師と積極的に会話をして話術も盗む。

 悪口を言っている彼らは、自分が乾燥肌なのか敏感肌なのかも知らないのではないか。夜の十時から深夜の二時までに成長ホルモンが分泌されるから、肌の回復にも最適であると知らないのではないか。


 高嶺の花を取りに行くには、ふたつの選択肢しかない。その山を崩すか、自分がその山を登るか。

 スプーンではその山は崩せない。三浦のように経験値と装備を持っていないのだから、愚直に登るしか残されていない。無為なことをしているのは勿体ない、可哀想でしかない。

 きみたちにその山は崩せない。もしもその山が雲を貫いているのでもなければ、地道にでも登るしかないんだよ。と、三浦は声をかけてやりたいぐらいの気持ちなのだ。


 振り返りまで済ませる。生物は問題がなさそう。もしかしたら、満点かもしれない。残り時刻は、五分ほどだった。

 視界に前野の背中が映って、ああなるほど、とひとつ仮説が浮かび上がる。

 前野や岡部も天知しろあには好意的だ。もしも彼女に告白されればふたつ返事をするだろう。それでも、自ら行動するようなことはしない。山も崩さず、登ることもしない。天知しろあは別格で、雲上の人だから。ゴールの見えるマラソンは走れるだろうが、ゴールがなくても走れるだろうか。

 だから前野は、倉賀野を狙っているのではないか。現実的に考えて、登れそうな山が、見えるゴールが、倉賀野だったのだ。


 予鈴が鳴り、一日が終わる。前野からすれば、これからが本番かもしれない。

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