僕に振ってくれたんだ
その後、職員室でそれぞれ担任に名簿の提出はした。一緒に職員室へ入ったが、出てきたときはひとりだった。天知はすでに帰っていたようだ。まあ、仕方ない。天知しろあが部活に入ったとなればたちまちその話題で持ちきり、その部の入部希望者が続出することは、サッカー部の見学をしていたあの一件から想像もつく。いまのところ三浦にその情報は回ってきていないので、天知はけっきょく、どこの部にも所属していないのだろう。
サッカー部所属の三浦と、帰宅部の天知。一緒に帰ることはないのだ。それでもまあ、天知と一緒に帰れるのであれば、平然と部活はサボるのだが。
三浦は部室棟で着替え、グラウンドに出た。
「遅いぞ、三浦」
顧問に小言を言われる。
「すみません、学級委員の仕事があって」
「そうか。とりあえず三周してから入れ」
「はい」
ふんぞり返ってる顧問と、パス回ししてる上級生。次の準備としてゴールを運ぶ一年生たちを横目に、グラウンドを三周する。
すでにメンバーを組んでしまっている以上、途中からの参加は気まずい。三浦も準備に加わった。準備をしつつ、前野と岡部と合流する。
「次は僕の作戦に参加してくれよ」
「えぇ、またかよー」
と、岡部。
「まだ俺の作戦は終わってないんだけどな」
と、前野。
コーンを配置しつつ、岡部は諦めの悪い前野に苦言を呈す。
「もう死んでるよ、お前」
「なんか、男子と仲良さそうだったしな」
三浦もトドメを刺した。
「えっ!? は!? どういうことだそれ!?」
「移動教室、男子と肩並べてた。仲良さそうだった」
「冗談だったらタダじゃおかねぇぞ!?」
胸ぐらを掴まれる。唾が飛ぶ。
「冗談じゃない。俺だけじゃないしな。見てたの」
「ほかに誰が見てたんだよ」
まさかお前か!? と岡部は血走った前野に睨まれる。岡部は首を横に振った。
「天知さんだよ。たまたま、同じタイミングにトイレから出てきて」
「ま、マジかよ……移動教室ってことは、クラスメイトってことだろ? ……えぇ。誰だよ……」
相手が誰だかは、あれだけ倉賀野のことを凝視していた前野でもわからないらしい。ポッと出の誰かに奪われたようなものだ。気は収まらないだろう。
「残念だったな。諦めろよ」
肩に手を置いて宥める。前野は頭を抱えて魂の抜けたような声を漏らした。
「それで? 彰の作戦って、狙いは誰なんだよ」
岡部に訊かれ、三浦は口の端を上げる。
「そりゃ、天知しろあだよ」
「「それはさすがに無理」」
前野と岡部に無理だとは言われたが、それで大人しく引き下がる三浦ではない。そういう反応が返ってくるのはわかりきっていたし、三浦とて、まだ作戦を始動しようとは思っていなかった。
天知しろあは高嶺の花だ。高すぎて、高嶺どころでは収まらない。雲上の人だ。雲に隠れた山頂に咲き誇る花が、天知しろあ。天知しろあは雲上の花なのだ。天上人なのだ。
だからまだ、三浦はそのときではないと思っていた。機を狙っていた。着々と周囲を固めていく段階。天知本人ではなく、天知の周囲から、三浦彰という人を日常に刷り込み、いい印象を与えていくことを狙っていた。
しかし状況が変わった。
偶然にも、三浦は天知本人と接点を持った。それが倉賀野の一件だ。まだ友達ではないだろう。三浦もそう呼ぶにはあまりにも天知本人を知らないし踏み込めていない。ただ、顔見知りとは呼べそうだ。挨拶を交わしても違和感なく返してくれそうではある。そして先日、天知しろあはクラスメイトから三浦の話を聞いたと、天知本人から聞いた。
告白とは、博打ではないと三浦は考えている。賭けでする行為ではないのだ。見ず知らずの人から告白されても、誰ですか? としかならない。そもそも名前も知らない相手から告白されて受け入れるなんて、よっぽど顔がドストライクだったか何かしらのメリット、副次的効果がないと成功しない。
できる限り接点を持って、アプローチをして、好感度を上げた果てに、告白するのだ。
だから三浦のこれからの行動は、作戦の前段階ということになる。
一年生の間は、天知しろあの情報を集めること、三浦彰を知ってもらうこと、顔見知りまでは至っていることだったのだが、いい意味で状況が変わった結果、それらはすでにクリアしていた。
そして、これまた好都合なことに、立派な口実がある。球技大会があり、天知と三浦は学級委員として参加することになっている。
舞台は用意されているのだ。
触らぬ神に祟りなしという。不用意に不必要に不躾に、触ればどんなしっぺ返しが来るかわかったもんじゃない。が、その神から触れとお告げが来たのだ。それなら、遠慮なしに触る。三浦も、雲上を目指して眼前の山に臨む。
体育の時間も、球技大会の練習の時間として使っていいことになった。
球技大会の種目は六つ。サッカー、ソフトボール、テニスにバレーにバスケ、それから卓球。男子のみの競技もあれば、女子のみの競技、男女混合もある。振り分けは、男子のみがサッカーとバスケ、女子のみがソフトボールとバレー。男女混合で、テニスと卓球になっている。
三浦は前野と岡部と共にサッカーを選んでいた。定員十三人。最も人員は多く、その次はソフトボールだ。風のうわさで天知もソフトボールを選んだと聞いた。もしも彼女が混合を選んでいれば、これまた一組の男子は死闘を繰り広げていただろう。学級委員とは訳が違い、一緒にスポーツができるのだから、心身共に近づく。
天知がソフトボールを選んでくれてよかったと、三浦は心底ほっとする。サッカーはサッカー部、ソフトボールは野球部のグラウンドを使う。つまり隣り合っているのだ。バレーだったらこうはならない。それなら三浦はいまからでも、同じ第一体育館のバスケに交渉の末、代わってもらわなければならなかった。
とはいえ残念なことに、一年三組の体育の合同相手は、四組だった。いまから三浦は、二組の人とクラスを代わってもらうべきか。そうすれば三浦は体育で一緒になれる。うわさ通りの男だと証明もできるし、かっこいい姿も見せられるのだが。まあ、それならいっそ、一組になるべきなのだろう。共に球技大会を、ふたりで引っ張っていけばお似合いカップルという呼びかけに拍車がかかる。
天知のソフトボール姿は本番当日までお預けか。
そう一喜一憂していたのだが、嬉しいサプライズがあった。総合という授業は担任が担当するのだが、毎回授業内容が違う。球技大会がある期間はその練習に充てられるらしい。体育が一日に二回あるようなもので、サッカーが二時間もできると岡部も前野も舞い上がっている。そしてその合同相手、練習試合の相手が、今回は一組だった。三浦はそこに舞い上がっていた。
いつになく着替えを手早く済ませ、ものの一分でグラウンドに参上する。三浦だけではなく、三組のほとんどがそうだった。天知の登場をいまかいまかと、男子たちはそわそわしながらそのときを待つ。
「やっと見られるぞ、天知さんの体育着姿……」
「運動できるのかな。できてもおかしくないな、幼少期の頃からプロ選手のもと、英才教育を受けていて……」
前野と岡部が、ボールが飛び出ないためのフェンスにしがみつきながら、うっとり妄想を浮かび上がらせる。
「ふっ、まだそこのレベルか」
「天知さんは意外と、運動ができないんだよ」
突然、冷めるようなことを言われた。
「なにやつ!?」
ばっとふり返る。そこには三浦も知らない男子たちの姿。一組、サッカーを選んだ男子十三人が並んでいる。
「俺たちは知ってるぜ。なんせ、もう天知さんとは何時間も体育をやってきたからなあ。体力テストも共にしちまったんだぜ!」
「お前たちは知らないあーんな姿やこ~んな姿も、……俺たちは見てしまったのだよ!」
不敵に笑う。
「「ははははっ。可哀想だなあ三組ぃ!」」
あからさまなマウントだった。
「ぐ、ぎぎぎっ」
三組は奥歯を噛み締め、拳を握りしめ、どうしようもならない現実に血の涙を流す。一組の笑い声が脳裏から離れない。やつらが見てしまった天知の姿、共にしてしまった体力テスト。それが羨ましくてたまらない。
「彰……悔しい。俺たち悔しいよ!」
前野が言う。
「言われっぱなしだ……このままでいいのかよ!」
岡部が言う。
「いいわけが、ない!」
三浦は吠えた。
三組、サッカーを選んだ同胞たちの血と涙を一身に背負い、一組と正面から向き合う。一組連中は気圧されたのか、高笑いをやめた。
「可哀想なのはどちらかな、一組」
「……なに?」
「僕らは知らない。天知さんが運動が苦手なのか得意なのか。だけど君たちは知っている。知って、しまっている。それはつまり……」
「……つまり?」
「もう何の感動もないということだ!」
ドンッ!! 一組は目を見開いた。
「君たちは天知さんの体育着姿にも慣れてしまったんだろう。このあとにやって来る天知さんの格好を見ても、もう何も思わないだろう。憐れだ……。何も感じないなんて……。僕らはこれから来る天知さんを見て沸き立つ。大きな感動に襲われる。だけどそのとき君たちは? ……何もない」
首を振る。
「何もないんだ。天知さんに慣れてしまった君たちは、今後もう、これ以上……何を見ても誰を見ても心が動かない。これを憐れと言わずして、何と言う。……可哀想に」
三浦が一組でなくてよかったと思う理由が、いま目の前に存在している。もしかしたら、教師たちの生徒振り分けが一歩間違っていれば、三浦もああなっていたかもしれない。そう思うと、同情と恐怖で涙が止まらない。
「……くっ、ここは一時撤退だ!」
一組男子たちもその現実を思い知ったらしい。今後、自分たちがどれだけの美少女を見ても、天知しろあという前例に心が動かないという事実に、恐怖を感じたらしい。これからの日々、一年間、天知しろあに慣れてしまう恐怖を感じたらしい。いつしか天知しろあの笑顔にも心はぴくりともしないのだ。
彼らは吐き捨てるのが精一杯だったようで、撤退していく。
そうして、天知しろあはやってきた。
いままで生きてきたのが報われたかのように思えた瞬間だっただろう。そこにはまだしゃべったことのない相手もいたが、言葉はもう必要なかった。しゃべるよりもハイタッチを先に交わした。
「……?」
半袖短パンで現れた天知しろあ。白く細い腕、すらっとした足。日に当たり薄ら滲む汗すら美しい。彼女は騒がしさに気付いたのかこちらを向く。そばにいた女子がこそっと耳打ちしたと思えば、ひとつ頷きこてんと首を傾ける。計算された美がそこにはあった。微笑むと、手を振ってくれる。
「いま……俺と目が合ったぞ!」
出し抜けに誰かが言うと、
「いや、俺に手を振ってくれたんだ!」
と、続く。
血で血を争う抗争の幕開けだった。三浦は思う。きっと自分に手を振ってくれたんだと。この手は殴り合うにあるんじゃないと。だから手を振り返しておいた。




