優先すべき相手
「なに話してたんだよ」
ふたりだけでこそこそとしているのは、不信感があったらしい。岡部はどこかトゲのある物言いをする。前野のための作戦会議だというのに。
「前野くん」
天知はそんな岡部に怯みもせず、前野を呼んだ。
「な、なに」
俯いていたから明かりが眩しいのか、前野はすこし目を細めた。
「わたしにも経験があります。気になっている人の、ちょっとした言動や表情の変化に一喜一憂する気持ちは、よくわかります」
黙って聞く。
「好きなタイプを言っているとき、それって自分のことなんじゃないか……とにやけたり、ふいに目が合うと無性に嬉しくなったり。だからこそ、目を逸らされたりすると、どうしようもなく胸が痛みます」
三浦は、天知に恋愛経験がないと思っていたが、実はそうでもなかったのかもしれない。そう思わせられるほど、いまの天知は切実な顔をしていた。胸が張り裂けそうなほど、悲痛な面持ちをしていた。
三浦に語りかけているわけではないのに、胸がぎゅっとされる辛さがある。きっと、ほかの四人もそうだろう。当人である前野は顔を歪めている。辛くもありつつ、わかってくれるのかと仲間を見つけた喜びで歪んでいる。
演技が得意なのだろう。三浦は自分で自分を諭す。なにかあれば、フォローもしなくてはならない。飲まれている場合ではないのだ。
「わ、わかってくれるのか。天知さん……」
「ええ、わかります。よーく、わかります」
「……そう、そうなんだよ。……べつに倉賀野は、俺を見て帰ったわけじゃないのかもしれない。たぶんそうだ。でも……わからない。じゃあ、なんで今日、倉賀野は急に帰ったのか。ドタキャンなんて、いままでしてこなかったのに。ずっと見てた。倉賀野は今日、スマホを見てないはずだ。予定ができたなんて……あり得ない。……もしかしたら、倉賀野に気付かれてるのかもしれない。俺が」
「考えすぎだ。光輝」
恋をすると人は変わると言うが、まさかここまでとは。ここまで冷静さを保てないとは。
「彰……」
三浦はゆっくり首を振った。大丈夫、と目で安心させる。
「ですが前野くん。往々にして、こちらが考えているほど深刻じゃないケースが多いんですよ」
「え……?」
「たとえば、前野くんはずっと見てたと言いましたけど、本当にずっと見ていたわけではないでしょう?」
「それは、どういう……」
と、前野の言葉は弱々しく、途絶えていく。
「前野くんは、倉賀野さんと目が合って、逸らさないでいられますか?」
沈黙が、答えだった。
「恋人同士ならいざ知らず、片思い相手とふいに目が合って、そのままずっと見つめていることはできません。恥ずかしいですし、なんだか悪いことをしている気にもなりますし、自分の気持ちに気付かれてしまうかもしれないですから」
実際、前野もそうだったろう。俯いたままだった。
「それは倉賀野さんからすると、心証悪く映ったかもしれないですね」
これで、前提条件を崩した。天知は言う。
「もしかしたら、倉賀野さんが青ざめていた、怯えていたというのも、もっと違う意味があったのかもしれませんね」
青ざめていた、怯えていたというのは事実。これは佐々木の発言からもわかる。単に、前野の思い込みだけではない。天知は事実はそのままにして、るつぼに嵌まっている前野へ別の道筋、その可能性を考えるだけの納得いく説明をした。
土台を作った天知は前野の反応に感触を得たのか、続ける。
「わたしは皆さんからの話を聞いて、ふたつ。考えました。ひとつは、前野くんを嫌っていた。前野くんを避けていたということ。ですが、これは考えにくいです。皆さんは六人のグループなのですから、早瀬さんに誘われた時点で、来ると考えられるのですから」
はっきりと違うと否定する。ではもうひとつとは。前野も顔を上げて期待を募らせる。
「ならばもうひとつ。それは、急に予定ができたということです」
「でも、それはさっき無理だって話になったよね?」
三浦は真正面から対抗した。しかし今回ばかりは違った。これはフェイク。
先ほどのやり取りがあったにもかかわらず、天知はもう一度言ったのだ。であれば、なにか考えがあるはず。彼女はなにかしらの斬り返しを用意しているはず。そう思った通り、天知は頷くと淀みなく続けた。
「ええ。ですが無理だといった理由は、なんですか?」
「スマホが、封印されているから」
「そうです。ですが世の中には、連絡手段はなにもスマホだけじゃありませんよね?」
「……口伝えってこと?」
「はい。歴史を見ればスマホのほうが短いです。皆さんのお父さんやお母さんが学生時代にはありませんでした。祖父や祖母の年代にまで遡れば、駅での待ち合わせには掲示板が活用されていましたね。置き手紙や人を遣るといった方法は、古来からいまでも活用されているでしょう」
なんだか、歴史の授業でも受けているかのようだ。駅に掲示板? とはなんなのか。人を遣る……というのは、まあなんとなく想像がつくが、今日日耳にしない。
「前野くんは、倉賀野さんを見ていたと言っていました。ならスマホを手にしていないのも見ていたのでしょう」
「あ、ああ……」
「では、倉賀野さんが今日、接触した人のことは?」
前野は押し黙った。
「倉賀野さんが何かしらのメモを見ていた可能性は?」
一挙手一投足を見てしまうとは言っても、その内容まで視野を広げることはできない。文字通り、倉賀野が今日一日何をして何を見て何を聞いて、何をして誰と話したのかを知っていたとしたら、それはもう神の領域だ。
「わたしは言いましたよね? 友達との先約を切ってでも、優先すべき相手は」
「家族」
なんとか、三浦は言った。天知は静かに頷く。酷薄な目だった。
「ええ。ですから、倉賀野さんには、家族からの連絡があったんです」
すらすらと、淀みなく語る天知。それと相反する酷薄した目。
「それも、スマホを使わない。人からの、伝言形式で」
なぜか、雲行きが怪しい。
「家族と生徒を繋げられるような人物とは、いったい誰でしょう。考えられるのは、教師ですね」
教師から、家族のことを伝えられる。ただならぬ事態であることは察せられる。
天知の次の言葉が、決定的となった。
「倉賀野さんは教師から家族の容態を聞いて、青ざめたのでしょう。万が一のことを考えて、怯えたのでしょう」
容態。容態という言葉はどんなときに使われるか。
「それって、つまり……」
喉が乾いていた。生唾を飲む。フルマラソンを走っているときみたいだ。唾液を飲み込むと喉が捲れるような強烈な痛みが走る。
「倉賀野さんの家族。……父か母のどちらかあるいは両方が、事故ないし事件に巻き込まれた、と、そう考えるべきでしょう。病院から学校に連絡が来たのか、無事な片方から連絡が来たのか。そこはわたしの与り知らぬところではありますけれど」
誰も何も言わない。言えるはずがなかった。
予鈴が鳴る。きっと、これ以上に予鈴を不吉なものと思う日は、金輪際訪れないだろう。




