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何でも知ってるしろあちゃん  作者: 家佐水井
天知しろあは何でも知っている
1/13

これはチャンスだ


 六時間目の終了を告げるチャイムが鳴る。


 そのチャイムは放課後を告げるものでもあり、教室の空気はふっと緩まった気がした。彼女も例に漏れず、板書をする手を止め、肩の力を抜き、一日が終わったと脱力する。


 教師に挨拶をし、帰りの支度を済ませる。担任が入ってくると雑談に興じていたクラスメイトも、トイレや廊下に席を立っていた生徒も自分の席につく。担任が長々と話をした。ほとんどの生徒が聞く態勢だけを取る話。彼女もこれまた例に漏れず右から左へと流していた。


「気を付けて帰るように」


 と、それが終わりの合図……だったのだが、今日ばかりは担任は、こう付け加えた。


「ああ、そうだ。仮入部の期間は今週まで。入部届は顧問に渡すように」


 それを耳にした堀田は、これはチャンスだと思った。




 高校生になることへの期待は大きかった。


 小学生中学生と、高校生は何かが違う気がしていたから。それは義務教育ではないからだろう。世の中には中学受験というのもあるらしい。小学校にも受験があるとか。堀田にとってはどちらも遠い世界の話で、小学校中学校はいずれも近いからという理由だけで入学していた。受験は高校が初。堀田は意識していまの高校を選んだ。多くの高校の中から明確な理由を持って、受かることを目標に努力したのだ。

 その結果、通うこととなったこの織田市立織田高等学校、織田高校生。胸の高鳴りは大きかった。しかし、現実はそれほどでもなかった。

 まだまだ高校生なりたての四月の終わり。そろそろ一ヶ月も経とうかという頃合いだったが、膨れ上がった期待を満たしてくれることはなく、実に平坦な日常。普通だった。


 小学生の頃、中学生は怖かった。大人に見えたからだ。中学生の時もそう。高校生は怖かった。しかしそこには憧れもあった。大人に見えたからだ。

 大人に見えたから恐れを抱いたが、それゆえに憧れを抱いた。もしかすれば堀田が高校生になることへ期待していたのは、大人になれると思ったからかもしれない。しかし、いざ中学生になった時、特別大人になったという感覚はなかった。周囲からは子ども扱いだし、ひとりで気ままに出歩くこともできない。中学三年間はけっきょく子どものままだったし、自分も周りも恐れるほど怖い存在ではなかった。

 高校生になってもそれは変わらない。義務教育を終えたからといって、堀田がなったのは高校生。大人ではない。


 特にそこへ文句があるわけではなかった。親や学校、はてには行政へ強く抗議し、自由を求めるだとか鬱憤を晴らすだとかがあったわけじゃない。

 これが現実だと知っただけ。単純に、慣れたのだ。高校生活に。


 堀田は反対校舎から響く吹奏楽部の音に耳を傾けながら、自クラスのベランダに出てグラウンドを眺めていた。

 手前ではトラックを使ってランニングしている。おそらく陸上部だろう。野球部の姿は角度的に見えないが、咆哮にも思えるほどの掛け声が聞こえてくる。奥には人工芝があり、そこにはサッカー部の姿があった。

 グラウンドを眺めながら、時折地上へ視線を振る。部活動に励む者はまず部室に寄って着替える。汚れてしまうかもしれない制服でグラウンドに近づく人はほとんどいない。つまり、下を歩く制服姿は目立つのだ。


「いたいた」


 目的の人物を見つけた堀田はそうひとりごちて、カバンを肩に掛けて急ぎ教室をあとにした。


 一年生のクラスは四階にある。生徒玄関は二階だ。いままでの話から彼女がいなくなってしまうことはないだろうけど、何しろ相手は校内一の有名人だ。誰かに先を越されて話し掛けられなくなってしまうのは避けたい。ふたりきりがいい。


 駆け足で階段を降り、下駄箱から上靴を投げるようにして置き、上履きと入れ替える。爪先で地面を叩きながら堀田は外へ出た。校舎の陰からその後ろ姿を確認して、ふぅと息を整える。


「こんにちは」


 堀田はほんのすこしの心構えをして挨拶をした。相手は、堀田が友達作りとクラスでの立ち位置に苦労している間に、その名と顔を高校中に広めた人物だ。緊張もする。


「どうも、こんにちは」


 フェンスを握り、サッカー部の練習を食い入るように見つめていたその超大物有名人。半分だけふり返った横顔ですら惚れ惚れとしてしまう。こちらを向いた笑顔は同性から見ても息が詰まりそうなほどに可愛かった。うわさだけで、人集りしか見かけたことのなかった堀田だったが、こうして顔を突き合わせると納得せざるを得ない。彼女に惚れない男はいないのだろう。いや男だけではない。きっと女でも……。


 いや。いやいやいや。


 堀田は首を横に振る。揺れ動きそうな覚悟を追い出す。拳を握って、笑みを貼り付け、言う。


「天知さん、サッカーに興味があるの?」




 天知しろあという名は堀田の通う織田高校で名を知らない人がいないほどの有名人だ。堀田も、新一年生として入学式を迎えた日、校長や担任の教師のどれよりも早く、天知しろあという名を記憶した。


 入学式で、一際目立つ美少女がいるとうわさになったのだ。堀田もその姿はすでに目についていて、体育館の壇上よりも彼女へ注目する人の方が多かったのは間違いなかった。小柄で肩までの白髪。この世の汚れをいっさい知らない、澄んだ青空のような瞳。視線が集まっても動揺することはなく、常に笑みを絶やさない。まるで別格。人間よりも上位の存在。そこだけオーラが放たれている。遠巻きに話している姿は品があって、外見と同等に内面も兼ね備えていた。後にお嬢様だと聞いても驚くことはなかった。

 天知しろあという名をどこからともなく聞いた堀田の衝撃は強烈だった。アイドルや女優を見聞きして美人だかわいいと思っても、寝る前のベッドの上までは覚えていない。しかし天知しろあ、彼女に至っては、忘れなかった。高校生活一ヶ月が経とうとするいまでも、彼女の名は深く刻み込まれている。


「サッカーに、興味がある……」


 天知は堀田の問いを舌で転がすように繰り返した。


「うーん……」


 ドギマギしていると天知は唸り、やがてにこやかにこう答えた。


「すこし違いますね。興味があるのは、人というか」


 その時の笑みは品があるのとはまた違った。無邪気と形容するのが正しいというか、いったいその興味がある“人”というのは誰のことなのか。堀田の胸は高まった。


「サッカー部の人?」


 続けてそう問いかける。


「うーん」


 ふたたび天知は視線を空に向けたので、堀田は畳み掛けた。


「サッカー部。マネージャー募集してるから、よかったら入ってみる?」


 入部申請の紙を差し出す。

 天知は驚いたように目を丸くするも、理解したとひとつ頷いて受け取った。


「ありがとうございます。考えてみます」


 一時も目は離せない。そう言わんばかりに天知はフェンスに向き直った。遠い目はその奥にあるグラウンド。サッカーコートでひとつのボールを奪い合うサッカー部員を見ている。


「みんな、天知さんが見てるからって真面目に取り組んでるんだよ」


 ここで話が終わってしまっては困る。答えを早急にもらわなくてはならない。堀田は天知のとなりのフェンスに立ち、同じくサッカー部員を眺めながら話を続けた。


「今日は先生たち、職員会議。こういう日はサボる人が大半。来ても遊びの延長、駄弁るだけみたいなのばっかりなのに、天知さんが部活の見学をしてるって話題になってからは、ずっと。カッコいいところ見せるんだーって。いまのマネージャーじゃ不満なのかよ、ってね」


 やだやだ、と愚痴ってみる。

 天知は同調してくれることもなかったが、否定してくることもなかった。目はやはりサッカーに集中しているが、話は聞いてくれているようで微笑んでいる。


「みんな、天知さんがサッカー部に来てくれないかって言ってるよ」

「みんな……顧問もですか?」


 天知から質問が返ってくるとは思ってなかった。いや、何かしらの反応がほしくてしゃべっていたのだが。

 内心を悟られないように、至って自然に答える。


「うん。顧問も、天知さんがマネージャーになってくれれば全国優勝も間違いないなって言ってた」

「先輩部員もですか?」

「そりゃあもう。一年も二年も三年も、夢想してるよ。天知さんにドリンク作ってもらうんだとか、お疲れ様ってタオル渡してもらうんだって」

「マネージャーの皆さんも?」


 熱が膨れる。点が決まったようだ。


「もちろん、嬉しい。負担も減るしね」

「堀田さんも?」


 ドキッとした。

 まさかあの天知しろあに名を知られているとは、思ってもいなかった。クラスも遠く、目立った容姿があるわけでも特技があるわけでもない普通の生徒でしかない自分の名が知られているとは。

 堀田は横目でうかがう。依然、天知の目はまっすぐ。点の動きにも感情の揺れはないらしい。


「うん、もちろん」

「そうですか」


 前向きになったのだろうか。


「どう? 入る気になった?」

「以前までは、もっと近くで見てたんです」


 しかし天知から望んだ返答はなく、彼女は自語りを始めた。


「ですがそれだと迷惑になってしまったので」


 天知しろあがサッカー部を見学している。

 彼女はグラウンドまで入っていない。ここからだとテニス部も野球部も陸上部も同時に視界に入る。それなのにサッカー部だと名指しされ、サッカー部員がそう自覚しているのには理由がある。


「知ってる。サッカー部がサッカーそっちのけで、天知さんを囲ってたんでしょ」


 どうしたの?

 サッカーに興味あるの?

 マネージャーやらない?

 とまあ、人集りができていたのだ。彼らは本気で誘っているわけでもなかっただろう。ただ単に天知しろあと話したかった。より近くで見てみたかった。できればお近づきになりたかった。そういう下心しかない。


「はい。その時は顧問の方が間に入ってくれたのですが。わたしはたしかにサッカー部を見学していましたが、理由はサッカーをやっている姿を見たかったからであって。間近で見たくても、わたしを囲まれては本末転倒。なので、最近はここから。そっと」


 慎ましく眺めているのだと微笑むが、はたしてどうか。彼らは天知の視線に気付いている。それを糧にしている。ひょっとすれば、天知は自分が観ることでより奮起してもらおうと考えたのか。ならば策士だ。誰だって天知にはいい姿を見せたい。


「さっき人を見てるって言ったけど」


 瞳がこちらを向いた。


「誰を見てるの?」


 核心を突くような質問をした。

 天知は柔らかく笑う。まるで心配するなと言うような。全てを見透かした慈悲ある笑みを浮かべる。


「もしかして、三浦くん?」


 堀田は僅かな沈黙にも耐えきれなかった。

 妥当な相手だ。天知の相手として、客観的に相応しいと皆が言うような男子。それが三浦。しかし天知は、


「三浦……」


 その名前は初耳だと視線をさ迷わせる。やがて、


「違います」


 きっぱり否定した。

 はあ、とひとつ溜め息つく。まあ、いい。


「部活、入部届は今週までだよ」

「わかってます」


 できればこの場で答えと届けの紙がほしかったのだが、この分では無理そうだ。


「届けは、堀田さんにお渡ししますから」


 立ち去ろうとする堀田には、不意打ちのような言葉だった。


「ありがとう」


 なんとかそう返し、堀田は帰宅した。

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